17 ユオ、唯一の弱点
陵墓を出て数日。
朝日を背にして広い砂漠を北西に向かうと、だんだんと緑のグラデーションが見えてくる。
そこからさらに進むと、平坦な草原に踏み出した。
砂漠のイメージがあるカナンとは、打って変わった景色が広がってくる。
一行は北のジナビア王国――ユオが生まれた場所を目指し、国境の街で仲間と合流する予定だ。
「ジナビアにも仲間がいるのね。ラニ様が仰っていた、末の王子様のことかしら」
「うん、エレンっていうんだ。僕の手下だよ」
「手下って、王子様でしょうに」
あれからアリィは色々と考え、ユオとの距離を少しずつ詰めていた。
自分の心に従うなら、彼ともっと仲良くなりたい。
近づきたいという気持ちは変わらなかった。
それでもまだ、恋人になるという段階には入っていないのだ。
(前世だけに囚われずに、今の彼を見ていきたいわ)
前世は神として崇拝されたのかも知れないが、今は人として生きる二人。
きっと、価値観も少し変わっている。
二千年前の前世で過ごしていた時とは、完全に別物ではなくとも、少し違うはずなのだ。
「そう言えば、ユオシェム兄様はどうして魔物に避けられるんでしょう?」
アリィが普通に受け入れてきた事象を、ずっと不思議に思っていたララネが提起する。
「さぁ、何でだろうね?」
ユオは口裏を合わせるかのようにアリィに振った。
(ユオシェム様は闇天将様。つまり、元は魔族なのよね。それなら有り得るわ。でも、しばらくは二人だけの秘密だから……)
理由は薄々感じられていたが、先日の約束をアリィは守る方向で考える。
魔物は魔力の残滓だが、かつて存在した魔族たちは、それを使役していたという。
どちらにしろ、ユオが自分から開示しない限り、アリィから話すことではないのだ。
「うーん、ユオシェム様が強いからじゃないかしら」
そうやって、ララネの疑問を有耶無耶にしてしまった。
「普通、ありえないでしょう!?」
ララネは箱入り娘というほどでもなく、それなりに世界を知っているからか、騙せなかった。
魔物が特定の人を避けることは、どんな理由があっても皆無なのだ。
駆除を欠かさないのは、誰かがそこで被害に遭うのを防ぐためだ。
彼女は今や逃避行中の身だが、王族としての責務は忘れてはいない。
「東雲丸さんはどう思いますか?」
自然と近付いていくユオとアリィとは裏腹に、よそよそしい関係の二人。
それでもララネは仲間になろうとしていて、シノに話を振った。
「僕が強いからだよ?」
割り込むようにユオが答える。
「そんなわけ……」
「ユオの言うとおりかも知れません。魔物についての生態は、分かっていない部分も多い。感情と僅かな知能があると仮定すれば、強者を恐れるのも有り得なくはありません」
シノそれだけ言って、特に会話を広げようとしない。
ララネに対しては他人行儀で、ずっと敬語のままだ。
付き合いがそれなりに長いし、シノはヨグトスの目を盗んで、少しだけユオと旅をしたこともある。
その中で、興味から聞いたことはあった。
だが、ユオの言葉を何でも信じてしまうのだ。
それほどまでに、シノのユオへの信頼は厚かった。
(東雲丸さんって学者肌のくせに、ユオシェム兄様の言葉を鵜呑みにしすぎでは? 天然なせいでしょうか)
男同士の信頼関係は垣間見えるものの、ララネは少し心配になってくる。
ひとまず、ララネの疑問には誰も肩入れしなかった。
「シノは相変わらず無愛想だね。ララネちゃんにやられたことを根に持ってるのかい?」
ユオが話題を変えるように、シノに話しかける。
シノは基本的に無口ではあるものの、ユオやアリィとはよく話しているのだ。
「えっ、何かしましたっけ……」
陵墓での事件には自覚がなく、ララネは焦る。
今でこそ常識人を気取っているが、ミイラで発狂していた彼女は素を出して暴れていた。
本人はそれすら、パニックになりすぎて意識の中にないのだ。
「いや、あれは不可抗力だ。俺は特に気にしていないが、興味深くはあった」
「ララネちゃんはミイラを怖がって、完璧な淑女なのを忘れて、暴言を吐きまくってたよ。止めようとしたシノを殴りつけて、変態ミイラ! 天然! とか言ってたなぁ」
「最後のは言われていない気がするが」
シノはあえて本人には言わないようにしていたが、ユオが遮るように脚色を加える。
すると、ララネはみるみるうちに青ざめていった。
「そんな……ご、ごめんなさい! 私ったら、王太子様にとても失礼なことを……!」
慌てるようにして、深々と頭を下げるララネ。
長い金髪が一気に垂れ下がり、本気で詫びているのが、傍から見ても伝わってきた。
(ユオシェム兄様ならともかく、他の人には嫌われても無理はないですね……私がアリィのような淑女なら、どんなによかったことか)
祖国で味方がほとんどいなかったララネ。
いたとしても使用人や騎士などの階級で、権力差は歴然だ。
叔父一家に対して、従順に従うしかなかった。
本来のお転婆な性格を隠し、男が求める理想の淑女を演じてきた。
社交界で味方を付けて、殺されないようにするために。
そんなララネに、好意を向けてくる男がいた。
“ララネ様と一緒にいたいです”
甘い言葉を信じた少女は、付き合う前に本来の自分を出した。
“淑女だと思って付き合ったのに、そんなに下品な女だったとは!”
そうすると手のひらを返し、あっさりと捨てられたのだ。
シノとはそんな関係ではないが、嫌われたら気まずくなるだろう。
せっかくできた居場所だったのに、また居心地が悪くなるのかと不安になる。
「いや……俺も、あの時は急に触れて申し訳ありません」
シノはララネに何があったかも知らず、淡々と言った。
切羽詰まるように謝るので心配していたのだが、無表情ゆえに伝わらない。
「ありがとうございます。ごめんなさい、本当に……」
ララネは顔を上げて再度の謝罪をしたが、まともに相手の顔を見られずに線を引こうとした。
自身を捨てた男の引き攣った顔が、蘇ってくるかのようで――。
「もう少ししたら村があるみたいだから、今日はそこで泊まれるといいわね」
少し気まずい空気が流れたのを見て、アリィはララネの手を取って話題を変えた。
「そうですね。トランの洗浄機能はありますが、それはそれとして、お風呂に入りたいです!」
ララネはアリィの気遣いに癒され、女の子同士で話しながら、男たちを置いて前を歩いていく。
(ララァはやっぱり、完璧であるように強要されてきたのね。私も喜代古に似たようなことをされたから、気持ちが分かる)
アリィの兄は、悪人どころか清廉潔白だ。
ゆえに率直すぎて、女性の扱いが下手すぎる。
その本質を知っているので、アリィはすかさずララネの心を守ることに決めたのだった。
一方で、アリィとララネの後ろ姿を眺めながら、ユオは遠くにいる魔物たちに威圧する。
彼が睨みつけるだけで魔物は怯んだ。
闇の魔法で追い詰めると、弾けて消えていくのだった。
「ララネちゃんは、ずっと前に家族を失ったんだ。だからなのかな。居場所が欲しかったんだと思う」
事情をほとんど知らないシノに、ユオは女の子たちに聞こえないよう静かに語った。
アリィが少し距離を取ったのも、何とかしてほしいサインだと気付いたからだ。
「気の毒だな。力になれればいいとは思うが、ネシアの現政権は話が通じない奴らだ。俺たち王族も外交以外のことはできないしな」
シノもズレてはいるが、ララネの境遇を知って心を痛めるような思いやりは持っている。
むしろ、本質はとても優しい男だ。
ただ、彼も女性に対してトラウマがあり、異性というだけで線を引いていた。
何よりシノにとって、ララネはあまりに未知の存在だったのだ。
「それでいいけど、あからさまに避けるのはやめてあげてね。僕の従妹だからさ」
この数日、ララネからシノに話しかけることはあれど、対応がいつも冷たかった。
本人にはそのつもりはないのだろうが、ユオやアリィへの対応とは違う。
ララネの方は少しばかり疎外感があったのだと――ユオやアリィは気付いていた。
「君の従妹だと分かっているし、アリィの友人だ。アリィを尊重しているところから、決して嫌な女性ではない」
「好感はあるんだね」
「あぁ。しかし、どうにも危険な気がする。こんなのは初めてなので、警戒しているに過ぎない」
シノは真顔で淡々と、彼が思っている事実を述べた。
実際のところ、シノはララネに悪印象を持っていない。
むしろアリィと仲良くしている点も含め、印象はいいのだ。
殴られたことも、怖がったゆえの事故だと認識していて、気にしてはいなかった。
「えっと、何が危険だと思ったんだい?」
ユオは呆れ気味に問いかけた。
ララネは少し気が強いだけで、普通の女の子だ。
危険予知に鋭いユオから見ても、何の害もないのである。
「まず、あまりに美し過ぎる。アリィや母上と並んで遜色ない人は初めて見た。それに、近付いたり視線が合ったりすると、俺の脈が乱れる。君の従妹だが、何か怪しい力があるのかと推測してしまう。実際に生物学の世界では、あまりに美しいものと遭遇すると体調に異変を……」
普段は無口なくせに、シノは学者的に事実と事象を並べて饒舌にまくし立てる。
特に考察が入ると、いつもそうして理屈ばかりを語るのだ。
「あーね、はいはい。とりあえず分かったよ。それは大丈夫さ。そんなことで異常を来していたら、君の妹と出会った男は皆死んでるからね」
話が長くなりそうなので、ユオは適当なところで落ち着かせる。
(要は一目惚れしたけど、その自覚がなくて動揺してるってことかぁ……)
客観的に見て、結論はそうだ。
ユオはあえてそこには触れず、問題ないということだけを伝える。
「確かにそうか。俺の気のせいなら、彼女を避けなくてもいいかも知れない」
バカみたいな話をしているが、シノは至って真面目だった。
「そうそう。ララネちゃんは素直だから、ちゃんと褒めてあげたら喜ぶと思うしね」
「分かった。以後そうする」
男同士の話は、ユオが状況を察知することで完結した。
☾
その日の昼過ぎに、カナンの国内でもかなり田舎の草原の村に辿り着いた。
かろうじて結界は動いているが、ほとんど魔法技術が使われていない、最果ての村のようだ。
長閑な田畑が広がり、家畜たちを飼育し、人々が自給自足で暮らしているのが窺える。
移民の姿もなく、昔からの人々が命を紡いできた痕跡が残っていた。
だからこそ難なく村には入れたが、よそ者を警戒するような素振りは多大にあった。
「なんだ? 玄民族じゃねぇだろうな?」
ここでは他よりも、玄民族への警戒心は強いようだ。
皆でじろじろと四人の旅人を見て、女や子どもを遠ざける。
(一部が問題を起こして、それを放置している弊害ね……彼らが警戒する理由も分かる。だけど、まずいわね。改めて顔を見られたら、お兄様なんて特に目立つだろうし)
アリィが俯いていると、ユオは少しも間を置かずにフードを脱いだ。
「まさか。僕はカナン人です。今日はここで泊まるところを探していまして」
微笑み、一瞬にして警戒心を取り除くユオ。
「えっ、あの顔を出したら目立ちませんか? 身内ですけど、かなり美形で目立つと思うんですが」
「そうよね……」
ララネとアリィはこそこそと話した。
「ユオは用意周到だ。こういう時のために、仕掛けをしているんだと思う」
状況を察したのか、シノもユオを信用し、安全を示すように先にフードを脱ぐ。
彼が顔を出しても、村人たちは何の反応も示さない。
(あのお兄様が見向きもされていないわ。ユオシェム様が大丈夫なようにしてくれてるみたいね)
幼い頃から、シノは行く先々で老若問わず女性たちが寄り付いていたものだ。
原理は分からないものの、兄の言葉が信頼に足り、アリィもフードを脱ぐ。
ララネも半信半疑ながら、それに続いた。
村人たちはひとまず安心したようだ。
「そうだなぁ、ちょうど収穫中なんだ。ここには宿はねぇから、手伝ってくれたらタダで泊めてやるよ。娘たちの部屋があるからな」
村の男たちの中でも、一際大きな男が話しかけてくる。
この国の人に多くいる特徴で、褐色の肌に、茶色の髪と目をした中年男性だ。
その隣には妻なのか、同じ年頃の女性が一行を優しく見つめている。
男は気さくな様子で、トウモロコシ畑の方を親指で示した。
「ぜひ、やらせてください。トウモロコシの収穫は得意なので!」
アリィは手を上げて名乗り出る。何だかんだで農作業が好きなのだ。
「あぁ、気のいい姉ちゃんだな。俺はナヒドってんだ。こっちは妻のジャナ。よろしくな」
何の気なしにナヒドは笑って自己紹介をする。
「キャリルと申します。こちらは妻のバドゥラ。僕の友人のカーディと、妻の友人のギネヴィアです」
ここに来る前に設定と偽名は考えていて、ユオはアリィの肩を抱き寄せて自然に名乗った。
今はもうユオの傍にいることが当たり前で、抱き寄せられたら笑顔になってしまう。
幸せそうな夫婦に見せるのに、何の不自然さもなかった。
「収穫後はこっそり、私の魔法で土を肥やしましょう。次のための土台を作ってあげるのです!」
「とってもいい考えね!」
ララネもやる気で、アリィと二人で道具を借り、畑に足を踏み入れる。
「俺も手伝います」
シノもまた出鶴の王族だ。
外套や羽織を脱いで、彼女たちに続く。
「じゃ、頑張ってね」
そう言って他人事のように手を振るユオに、シノが振り向いた。
「君も手伝うといい」
「えぇ? 僕、そんなのやったことないよ?」
その提案に、土なんていじったことすらないユオは困惑する。
何とか回避しようとする彼に、アリィとララネが男性陣に手を振った。
「貴方も一緒に収穫しましょう?」
「そうですよ! たくさんあって重たいので、運んでください!」
二人の姫ですら、手足を泥で汚していることに抵抗がない。
谷底でも、ユオは農作業に携わったことはなかった。
それでラニに叱られていて――苦くも大切な思い出が蘇る。
「分かった、僕もやるよ」
アリィが喜ぶなら苦手なこともやってのけようと、ユオは畑に足を入れた。
足元で蠢くのは、にょろりと長いミミズだ。
(うっ……)
笑顔のまま青ざめたのだが――アリィの前で無様は晒せず、腹を括るしかなかった。




