14 兄妹
ララネと合流した街から北西に向かうと、三角錐の巨大な建造物が見えてくる。
〈千夜の陵墓〉――皇族の墓地。
陵墓の周辺に近付くにつれて、真っ暗な夜空が広がった。
雲で太陽が覆われているわけでもないのに、昼間でもその辺りだけずっと夜だ。
星が煌めき、月がぼんやりと浮かんでいる。
まるで、闇が月を抱き締めて離さないように。
「綺麗です……本当に、不思議な場所ですね!」
時を待つのではなく、自ら夜の中へ入っていく感覚。
ララネは飛び跳ねながら感激していた。
陵墓の周辺には結界が張られていないが、魔物は入ってこないようだ。
「闇の魔力が強い場所なんだ。昼という概念もここにはない。こんな場所だけど、約束の地と言われてるんだよ。魔物も逃げるくらい、神秘的な場所なんだ」
「約束の地って、カナンの別名ですよね。それがよりによって、お墓なんですか?」
「月の女神と闇天将は、ここで来世の再会を誓ったんだ。皇族たちもそれにあやかって、転生を祈ってここに眠る……そんな風習なのさ」
「それを踏まえると、一気にロマンチックになりますね」
ユオはララネの疑問に、懐かしむようにして答えた。
真上の空には星々が輝いていて、少し離れたところでは真昼の青空が広がっている。
何とも言えぬ光景に、アリィもどこか郷愁を感じた。
(私、この場所を知ってるみたい。伝承と合致するし、前世の記憶なのかしら。それなら、女神と恋をした闇天将様は……)
砂漠なのに過酷さはない。
落ち着いた空気と、夜なのに過ごしやすい温度に包まれた場所。
いつか一緒にここに来たような感覚がして――彼を見上げた。
ユオに恋人がいるという説も勘違いで、今の二人は婚約者だ。
好きになるのは、罪ではない――そう改めて認識した瞬間に、視線が合った。
「懐かしいね」
まるでユオは全てを見抜いているかのように、静かに笑った。
アリィの髪飾りに揺れている宝石。
それと同じ色の瞳が、いつもよりも近くにいるように感じてしまう。
「えっ……?」
アリィはまだ、もう一人の自分と対話したことを隠している。
意図したものというよりは、ただ恥ずかしかっただけなのだが――それすら、ユオには見抜かれているような気がしたのだ。
アリィの肩に乗っていた鴉が、その疑問をかき消すように飛び上がる。
その黒い鳥は案内するように低空飛行し、ゆっくりと前に進んで行くのだった。
「シノが近くにいるんだろうね」
三角錐の建造物は、等間隔に三基並んでいる。
真ん中にあるのは、初代皇帝――すなわち、この地を守った闇天将が眠る陵墓。
大和はその付近を目指していく。
ユオはそれをゆっくりと追い、アリィやララネも不思議そうに顔を見合わせて続いた。
夜に紛れるような黒い鳥は、月を背にしてふわりと飛び上がる。
目指す先は、真ん中の陵墓の近くにある、名も無き岩の上だ。
「大和、ご苦労だった」
そこに腰かけて空を見上げていた青年の肩に、大和は止まった。
彼が落ち着いた声で撫でると、鴉は頭を擦り寄せる。
「お兄様……」
アリィはそのシルエットが、間違いなく自身の兄のものだと悟って、静かに呼んだ。
艶のある、氷を紡いだような銀の髪。
後ろで一本の三つ編みに束ねたそれは、静かに風に舞っている。
分厚い睫毛の束の間には、幾色にも光るオーロラ色の瞳が輝いていた。
アリィと同じ瞳の色だ。
詰め襟のような服に羽織を纏い、風に靡かせる。
刀ではなく剣を背負うのは、武士ではなく王族の証であった。
芸術品のように美しい青年は、アリィに気付くなり優雅に飛び降りて――三人の目の前に姿を現した。
出鶴ノ宮東雲、通称シノ。
誰もが納得するほどの、美貌の持ち主だった。
「アリィ……」
彼の表情は乏しいが、妹の姿を見るなり僅かに瞳を揺らす。
もはや彼の視界には、妹しか入っていない。
すぐにでも妹のもとに駆け寄りたいのに、それでいて躊躇うように佇んでいた。
(どうすべきかしら)
アリィも駆け寄るか悩んだ。
兄に対して素直に甘えることに、まだ少しの怖さがあったからだ。
「行っておいで。きっと彼は喜ぶから」
「そうですよ! 私ももし、姉様が生きていたら……きっと嬉しいと思いますもん」
迷っていると、ユオやララネの言葉に背中を押される。
「うん……ありがとう」
信頼している二人に言われると、アリィも自信になる。
それからはゆっくりと、互いに距離を詰めた。
待ち侘びていた、兄との再会。
もともと兄の方が大きかったが、六年前とは身長差がぐんと開いてしまった。
もう追いつくことなんてできないが、色んな思いが込み上げてくる。
「アリィ、すまなかった。俺や両親を恨むなら、それでもいい……でも、一度は会って謝りたかった」
懐かしいはずの声は、落ち着いた低い声に変わっている。
最後に会った時はまだ、変声期の途中くらいだったのに。
兄は昔から不器用な人で、言葉も足りていない。
表情もほとんどない。
ヨグトスのことも含め――色んな人に裏切られてきたから、心を閉ざしてしまったのだ。
それでも、家族にはとても優しい人。
シノが変わっていないことを、アリィは改めて知った。
「お兄様、ユオシェム様から聞いたわ。両親とお兄様が、私を閉じ込めた理由……ずっと寂しかったけど、納得したの。私はもう、前を向くことにしたわ」
兄妹であることから、アリィはシノの胸に飛び付いた。
幼い頃もよくそうしていたが、兄だけが大きくなっているのがよく分かる。
シノからすれば、アリィは十二歳の頃から背丈もほとんど伸びておらず、あの頃とあまり変わっていない。
顔つきだけは少し大人びているものの、まだ可愛い妹なのだ。
「アリィ、すまなかった……」
シノは成長した腕で、か弱い妹をぎゅっと抱きしめる。
他の言葉は出てこないようだった。
その瞬間だけは、彼はただの兄になり、王太子という立場は捨てる。
星々が祝福するように煌めく空の下で、暫しの沈黙が流れた。
兄妹の再会を見届け、ユオが静かに歩み寄る。
「やぁ、シノ。宝石箱では伝えなかったけど……そっちが遣わせた侍女は、お姫様を虐待してたんだ。あえて幻術をかけて、逃しておいたからね」
出会い頭、ユオは真面目に喜代古のことを話す。
いつも微笑んでいるのだが、それについては彼もよほど許せなかったのだろう。
珍しく真顔だった。
アリィは自ら克明に語ってはいないものの、ユオはその辺りもしっかりと見抜いていたのである。
あの場で殺さなかったのは、外国の侍女だったから。
加えて、制裁は出鶴の王家が下すべきだと判断した。
それに同調していたカナンの侍女だけを、ユオはその場で始末したに過ぎない。
「これは……?」
最後にゆっくり歩み寄ったララネは、夜空から何かが降ってくるのを見上げる。
冷たい結晶だった。
南国出身の彼女は、それが雪であると気付くのに少し時間がかかったのだ。
途端――温暖な地域であるにも関わらず、激しい吹雪が吹き荒れる。
「侍女風情が、何を思ってアリィを虐待したと……?」
逆立つ銀の髪に、無表情も相まって、シノは魔物より怖い何かになっていた。
この場は墓だからいいが、生きている一般人がいたら凍えてしまうくらいの勢いだ。
(あ、やっちゃった……)
ユオは少し反省した。
この稀代の美青年とも言える王太子は、実はとてつもないシスコンなのだ。
もちろん、妹を性的に見ているわけではないが――生まれてからの人生を、ほぼ妹の幸せのために費やしてきたのである。
シノは激昂すると魔力が高まり、気温に関わらず雪を降らせてしまう特性があるのだ。
「シノ、急に言ってごめ……」
「侍女を探さねば。連れ帰り、打ち首の刑だ」
狂戦士状態になってしまったシノは、こうなったら誰にも止められない。
ユオはアリィに視線を送って、助けを求めた。
「お兄様……これはお兄様の力なの? 寒いわ」
アリィが心配そうに言うと、シノは激情を鎮める。
ぴたりと雪は止まり、また穏やかな夜空が広がった。
「喜代古なら、私がいなくなった責任を取りたくないだろうから……どこかに逃げたんじゃないかしら。帝都から遠くには行ってないかも。少し歩くだけで疲れる人だからね」
嫌いな相手だが、六年も一緒にいたので行動パターンは分かる。
今はもう、アリィにとってはどうでもいい存在でしかない。
「そうか。虐待した侍女を捕らえるように、父上に手紙を出そう。大和、頼んだぞ」
無表情のままシノは鴉にそう伝え、その場で即座に手紙を書く。
大和は困惑することもなく、主人の命令を受け入れてひと鳴きした。
そして、足に手紙を括り付けられ、すぐに東の方へと飛んで行ってしまう。
「お、お兄様、そんなことをして大丈夫?」
一連の流れを止める前に実行してしまったので、アリィは恐る恐る問いかける。
すると、シノは怒りを収めて、ほんの少しだけ柔らかい表情になった。
「ここに来る少し前から、ヨグトスの監視がなくなった。だから俺も早めにここまで来られた。今なら父上が温めてきた、忍部隊を有効活用できる筈だ」
「忍部隊? 戦前までいたけれど、世界政府に解散させられたものよね?」
「ヨグトスは母上や俺をメインに監視していたので、父上が隙を見て改めて結成していた。アリィを閉じ込めざるを得ない状況にした奴らに対し、父上も怒っているからな」
シノだけならず、父である国王もどうやら本気のようだ。
アリィは改めて、愛されていたことを実感する。
「お兄様、もう怒らなくていいわ。ヨグトスはユオシェム様がかなり追い詰めてくれたのよ。私のことも、彼はずっと大事にしてくれたわ」
アリィはシノの腕の中で頬ずりして甘えた後、ユオを振り向いて微笑んだ。
「ユオ、アリィを守ってくれて感謝する。婚約者として妹を頼む」
普通に戻ったシノはアリィを離し、深々と友人に頭を下げる。
「お姫様のことなら任せて。ここに神秘の器が眠ってるみたいだから、このまま探しに行こうよ」
雰囲気を和らげるように、ユオはシノの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「そうだな。アリィが場所を知っているようで助かった」
シノは髪が乱れたまま頭を上げると、アリィを見下ろして彼女の頭を撫でる。
今は十八歳だということも忘れ、まだ小さな子どものように扱うのだ。
(ユオシェム様とお兄様は、宝石箱で情報を共有してたのね)
アリィは撫でられるのも嫌な気はせず、その様子を見て冷静に状況を悟る。
「その髪飾り、ユオが?」
「えぇ、頂いたの。婚約者だからって」
「そうか。アリィ、君の気持ちも確かめず、何もかも急に決めて悪かった」
「いいの。ユオシェム様がいたから、私は生きていられたもの」
いくらシノが天然でも、髪飾りの意味くらいは分かっている。
そこまで用意していたことは知らず、彼はユオをちらりと見た。
牽制でなく、妹を大切にしてくれる感謝の意を視線に込めて。
アリィがユオのことを語る表情が、すごく幸せそうに見えたからだった。
すると――シノはイレギュラーな存在である、ララネに気付く。
「ユオ、あの人は……?」
太陽のような瞳を焼付けた後、自ら挨拶をするかと思いきや、ユオに話を振った。
シノは母や妹があまりに美人なので、並大抵の女性には靡かないのだが――この時、彼は初めて異性に目を奪われたのだ。
「そうだ、言ってなかったね。ネシアのララネ王女だよ。僕の従妹なんだ」
「噂には聞いたことがある。南国の真珠、淑女の手本だと」
「あはは、それはどうかなぁ。ララネちゃん、彼がシノだよ」
邪魔にならないように少し後ろにいたララネは、ようやく挨拶しようとシノに近寄った。
(優しいお兄様のようですね。それでも私は他人なので、礼儀は払わなければ……)
彼女の髪は金髪でありながら、暗い部分に桃色を帯びた美しい色合いだ。
洋梨のような、上品な香りがふわりと漂う。
いい香りまで感じて、シノは咄嗟に後退りする。
(なんだ、この人は。美しすぎる。香りも良くて、近付いたら鼓動が速くなってきた。怪しい力でもあるのかも知れない)
その間もシノはずっと無表情だった。
内心では見たことのないような美人が寄ってきたことに、ぐらぐらと揺らいでいたのだ。
基本的にはユオが言ったとおりボケているので、変な風に警戒してしまう。
(何この人! 確かにすごく美形ですが、失礼ですね!)
後ずさるようなシノの態度に、思わず苛立つララネ。
それでも兄妹の再会に水を差さないよう、大人になることにした。
「ソアレ・ララネ・オセ・ネシアでございます、東雲王太子殿下。旅の仲間ですし、ララネとお呼びくださいな」
淑女としての気品を織り交ぜて、ララネは丁寧に自己紹介する。
シノはララネをちらりと見た。
「……では、東雲丸とお呼び下さい」
それだけ言って顔を背けた。
出鶴では未婚の貴族男性に対し、最後に「丸」を付けて呼ぶことが多い。
距離感としては、愛称と正式名の中間くらいだ。
(ララネ姫か、危険な人だな……アリィやユオは大丈夫なのだろうか)
(東雲丸さん、ですか。ここが公務の場ではないとは言え、無愛想すぎるんですけど)
互いに印象はそこまで悪くないものの、変な風に反発してしまう。
アリィのために、その場では互いに口を噤むのだった。




