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1-13 約束の地

 浴場は貸切状態で、二人で一緒に入る。

 トランが二人の服を一瞬で洗うが、砂だらけの自分の体は洗いにくいようだ。

 そんな水色の猫を、お風呂で洗ってやる。


「洗濯魔法が使えるなんて、万能ですね」


「えぇ、賢い猫ちゃんなのよ」


 アリィはぶるぶると水を払うトランを撫でて、備え付けの布で拭いてやる。

 ララネもそれを見て、濡れた毛を整えてやった。


「にゃあ!」


 すると、トランは翼をはためかせて温風を出す。


「まぁ、そんな機能もあるのね」


「一緒に乾かせそうです!」


 トランの出す温風で、二人とも濡れた髪をすぐに乾かした。


「ララァは髪も長くて綺麗ねぇ。ふわふわだわ」


 ウェーブのかかった髪質は、どことなくユオのそれに似ている。

 アリィは座っているララネの髪を解いてやり、編み込んでハーフアップにした。


(アリィといると、姉様を思い出します……)


 ララネはおとなしく髪をいじられながら、人知れず家族を思い出す。

 ふわふわした雰囲気、垣間見える母性。

 年の離れた姉によく似ているのだが、それを言うにはまだ互いを知らない。


「アリィの髪だって、つやつやです。絹かと思いましたもん」


「ララァったら、褒めすぎよ。でも、嬉しいわ」


 鏡越しに笑い合い、素直な気持ちを告げた。

 それは媚びを売るのではなく、感動の共有のようなもので。

 アリィはそんなことすら初めてで、心がぽかぽかと温かくなっていた。


「アリィは、ユオシェム兄様のどこが好きなんです?」


 部屋に帰りながら、ララネが目を輝かせながら問う。

 急にそんなことを聞かれて、アリィは顔を真っ赤にした。


「そ、それは……内緒にしていてね?」


 実のところ、アリィは自分が少し変なことを自覚している。

 ユオは“好きにさせてみせる”と言ってくれたのだが、もう十分なのだ。

 でも、それを認めてしまうと――なんだか軽薄な女になった気分で。


「はい、守ります!」


 ララネはそう言いつつ、かなり食い付いている。


「とてもお優しいのよ。私が嫌がることはしないし、お強いし、頭がいいわ」


 もう、部屋の前に来ていたのだが――アリィは優しい気持ちになりながら、こっそりと吐露した。

 ララネは目を爛々とさせながら、扉の前だからと声の調子を落とす。


「それ、ユオシェム兄様に言っちゃだめですよ!」


「あら、どうして?」


「男から言わせるんです」


「まぁ。ララァは恋愛経験豊富なのね」


「そんなことないです! 付き合ったことはありますけど、クソ野郎でしたし、手を繋ぐ前に別れましたし……相手は皇太子じゃないですからね?」


 明るく振る舞いながらも、苦笑いするララネ。

 アリィはその様子を見て、彼女の傷なのだと悟る。


「そうなのねぇ。きっと、ララァにはもっといい人がいるわ。本当の貴女を見てくれる、とても素敵な人がね」


 その人のことを知らないし、どうして別れたのかは推測しかできない。

 ただ、目の前の人にとってそれが嫌な思い出だったのなら、前を向いてほしいと思えたのだ。

 ユオや谷底の人たちに、アリィ自身もそうしてもらったように。


「アリィ……」


 ララネは涙ぐんで、アリィに抱きつく。


「ふふ、中に入りましょう?」


 部屋の前だったから、アリィは彼女の肩を優しく叩いて扉を開ける。

 すると、中にいたユオと視線が合った。


「じゃ、僕が行ってくるね」


 何となく動揺したような雰囲気で、彼はすぐに行ってしまう。


「ユオシェム様、どうしたのかしら」


「アリィのお風呂上がりを見て照れたのでは?」


「まぁ、そんな……恥ずかしいわ」


 とは言え、服はそのままだし、髪も乾いている。

 変わった様子はないのに、どこに照れたのかはよく分からなかった。



 慌てて部屋を出て行ったユオは、扉に背中をくっつけて立ち止まる。

 部屋の中からは、彼女たちの笑い声。

 渡した宝石箱でメッセージを交換し、遊んでいるようだ。


(アリィ、僕のこと……そんな風に思っててくれたんだ)


 胸が高鳴る。

 同時に、彼女を思い浮かべて目を閉じた。


(幻滅させないように、頑張らないとな)


 そうして己を奮い立たせ、頭を冷やしに浴場へと向かう。



 ☾



 宿で一晩を過ごした後、また商人の車に乗せてもらった。

 それから行き先が分かれるために、砂漠を歩いて行くことになる。


「えぇ、ここで車とはお別れですかぁ……」


「〈千夜の陵墓〉に向かう商人なんて、まずいないしね。諦めて歩こうか」


 残念そうに肩を落とすララネに、苦笑いするユオ。


「サボテンさんがたくさんだわ。ここはとても暑いのに、この子たちはお元気ねぇ」


 アリィは相変わらず、辺りにあるものを愛でて頬を緩めている。

 その姿を見ていると、ユオもララネも砂漠の暑さなんてどうでもよくなるものだ。

 そんな彼女に、魔物が忍び寄るのを除いては――。


「危ないです!」


 ララネは砂漠に現れた魔物を、次々と退治していった。

 リボンで倒していく優雅な様は、アリィも憧れるものだ。


「まぁ。ララァはとても格好いいわ。日の魔法って、物質強化の作用もあるのでしょう? 可愛いリボンが、鞭のようになっているのだわ」


 まるで王子様に助けられたお姫様みたいに頬を染め、ララネのリボンをまじまじと見つめる。

 ユオも対抗するように、彼から逃げ惑う魔物をぶった斬った。


「えぇ、そうなのです! アリィ、自分の属性以外の特性も覚えてるんですね」


「だって、魔法は面白いもの」


「アリィって、かなり賢いですよね……思えば、東雲殿下は学者としても有名ですもん。その妹さんですから、当然ですかね」


 ララネは勉強を努力で乗り切るタイプだが、アリィと過ごしていて壁を感じていた。

 その理由のひとつに、兄の存在を思い浮かべる。


「あら、お兄様をご存知なの?」


 アリィは小さな蠍を逃してやりながら、ララネを見上げる。

 いつの間にか魔物はいなくなったが、ユオの頑張りは気付かれていなかった。


「名前と噂くらいですよ。元々、姉様の婚約者になるはずだったようです」


「ララァのお姉様って、王太女様よね? 先々代の娘様で……」


「はい、実の姉ではないんです。ずっと行方不明なんですけどね。どうして破談になったんでしょう?」


「私も初めて聞いたから、分からないわ。お兄様と王太女様は年がかなり離れているけれど、王族同士だと珍しくないものねぇ」


 アリィは王族でありながら、内部の事情は知らないことが多い。

 もどかしくはあるが、守られていたことの表れなのだろうと――今は納得している。

 後は兄と会い、その口から話を聞くだけなのだ。


「そのお兄さんだけど……先に〈千夜の陵墓〉に着いて待ってるみたいだよ」


 頑張りをスルーされたユオは、少し残念そうにしながら会話に入る。


「まぁ! いよいよ、お兄様とお会いできるのね……」


 嬉しい反面、少し緊張を伴うアリィ。

 ずっと愛されていたことは、ユオから聞いていて何となく分かっている。

 その間の家族の葛藤を思うと、少し悲しくなってくるものだ。


「アリィ、よかったですね。東雲殿下とも、きっと仲直りできますよ!」


 アリィはそんなララネに、勇気づけられた。


「シノは妹を疎むどころか、心配性すぎて過保護なんだよ」


 安心させるようにユオがそう言った時――平らな砂漠に黒い影が落ちる。

 アリィは影を辿り、砂漠の青空を見上げた。

 黒い鳥が飛んでいる。


「ユオシェム様! 言ったそばから、あの子……!」


 その鳥は旋回しながら、ゆっくりと舞い降りてきた。

 砂漠に生息するのとは違う鴉。

 出鶴の王家に仕える神聖な存在だ。


「あ、大和(ヤマト)だ。噂したら来たね。シノのお付きの鴉だよ」


 ユオもその鴉を呼ぶと、大きな黒い鳥は彼の肩に止まる。

 まるで、前から懐いているみたいに。


「大和、お久し振りね。この子はね、邪悪な人には寄り付かないのよ」


 たとえ元の魂が魔族であっても、ユオは邪悪な闇ではない。

 そう言いたげに、アリィは手を伸ばして大和を撫でる。

 嘴を寄せ、すりすりと頬を寄せた。


「可愛いですね」


 ララネが手を伸ばすと、同じように大和は頬ずりする。

 その足には、手紙が括り付けてあった。


「シノは不器用なんだ。お姫様に少しでも何か伝えたいみたいだよ」


 手紙を指してユオは微笑む。


「そうなのね……」


 アリィは恐る恐るその手紙を足からそっと取ってやり、開くのだった。

 トランは大和の背中に飛び乗り、じゃれ合って遊び始める。


『陵墓で待つ。アリィ、気を付けてくるんだぞ』


 出鶴の王家の者だけが読める文字で、確かに書いてあった。

 兄が書いた手紙だと、すぐに分かる。


「ユオシェム様から聞いて、分かっているのに……よほど私を心配してくれているのね」


 じんわりと目頭が熱くなって、アリィは手紙を広げた。

 二人にも見せるように。


(あ、これは……二人には読めないのに)


 そう考えるが、既に二人が見てしまった後だ。


「本当だ。“陵墓で待つ”だなんて、僕にも同じ文言を送ってきてるのに……きっと、会いたくて仕方ないんだよ」


 対するユオの返答は優しい。

 だが、アリィは少し引っかかった。


「え、これどういう言語です? 共通言語でも、出鶴の古語でもなさそうですけど……」


 友好国の王女だからか、ララネは出鶴の古語もある程度は知っている。

 それでも読めないどころか、見たこともない文字に目を瞬かせた。


「神代文字というの。出鶴の王族だけが読める字なのよ。私が読んだ禁書は、先々代がこれで書いていたのだわ」


 そう、読めるのは出鶴の王族だけ。

 厳重に秘匿された文字だから。


(それなのに、ユオシェム様は……どうして読めたの?)


 長い歴史の中で、カナンと出鶴が結ばれたことはあったのかも知れない。

 公式的な歴史にはそのような記述はないのだが、有り得なくはない。

 ただ、それであっても――神代文字は直系の王族だけが、潜在的に読める文字。


(もしカナンにも神代文字が伝わっているのなら、シドゥル皇太子も知っているはず。でも……それだと彼らに神秘の器(アルカナ)の所在が伝わっているわよね)


 ヨグトスが魔族ならば、自分たちを封印した神秘の器(アルカナ)を壊すのが最優先のはずで。

 アリィの捜索より、そちらを優先する気がする。

 現状、世界政府が〈千夜の陵墓〉を目指すような痕跡はない。

 もしあれば、この辺りで鉢合わせていてもおかしくないからだ。


「さて、陵墓まではあと数日かな。ゆっくり行こうか」


 ユオはアリィが疑問を持ったことを、薄らと感じているようだ。

 それをあえて話題にはせず、二人を引率した。



 ☾



 北西に向かうと、三角錐の巨大な建造物が見えてくる。

 陵墓の周辺に近付くにつれて、真っ暗な夜空が広がった。

 雲で太陽が覆われているわけでもないのに、昼間でもその辺りだけずっと夜だ。

 星が煌めき、月がぼんやりと浮かんでいる。

 まるで、闇が月を抱き締めて離さないみたいに。


「不思議な場所ですね!」


 時を待つのではなく、自ら夜の中へ入っていく感覚。

 ララネは飛び跳ねながら感激していた。


「まぁ。ハリネズミさんがいるわ。こんばんは。いいえ、こんにちは……かしら?」


 不思議な空間に、アリィも動物に話しかけながら首を傾ける。


「闇の魔力が強い場所なんだ。昼という概念もここにはない。こんな場所だけど、約束の地と呼ばれてるんだよ」


 ユオが述べるその由来には、アリィも心当たりがあった。


「月の女神と闇天将様は、ここで来世の再会を誓ったのよね」


 両親から聞かされた天環(あまのわ)神話を、また思い出す。

 〈千夜の陵墓〉と結び付いていなかったが、カナンにある約束の地と言えばそれしかない。

 アリィは少し照れくさそうに、ユオを見た。

 彼もまた見つめ返す。


 声に出さない甘い雰囲気が漂って、取り残されるララネはにっこりと笑った。


(二人の中に、何かありそうですね)


 ユオはともかく、アリィのために邪魔をしないように少し離れた。


 この場所は砂漠なのに、過酷さがない。

 落ち着いた空気と、夜なのに過ごしやすい温度に包まれた場所。


「かぁ」


 アリィの肩に乗っていた鴉が、甘さをかき消すように飛び上がる。

 その黒い鳥は案内するように低空飛行し、ゆっくりと前に進んで行くのだった。


「シノが近くにいるんだろうね」


 三角錐の建造物は、等間隔に三基並んでいる。

 真ん中にあるのは、初代皇帝――すなわち、この地を守った闇天将が眠る陵墓。

 大和はその付近を目指していく。

 ユオとアリィは、視線を合わせて頷き合った。

 手を差し出すユオに、袖をちょこんと掴むアリィ。

 二人は並び、一緒に歩いていく。


(アリィ、何ですかそれ……可愛すぎるんですけど)


 ララネはそれを一歩引いて見守り、ゆっくりと付き従った。


 夜に紛れるような黒い鳥に、一行は誘われる。

 目指すのは、名も無き岩の上。

 そこに佇む人影が、砂漠の風に揺れていた。


「大和、ご苦労だった」


 そこに腰かけて空を見上げていた青年の肩に、大和は止まる。

 氷を紡いだような銀髪が、月の光に照らされて光っていた。

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