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01 投げやりな駆け落ち

 極東の島国・出鶴(いづる)ノ国には有明姫という王女がいる。


 彼女は家族からアリィと呼ばれ、大切に育てられた。


 そんな姫を乗せる駱駝車は、砂漠の街に列を成し、大きな宮殿に向かう。


 今宵、アリィはカナン帝国の皇太子に嫁がされるのだ。


 夜空を思わせるような瑠璃色の髪は胸のあたりまで伸び、毛先一本とっても艶が消えることはない。


 髪が少し靡けば、それこそ有明の空のような明るい青色が内側に見え隠れする。


「あれが有明姫様か? 顔はあまり見えんが、髪が綺麗だなぁ」


「あの方が十二歳の頃から、皇太子殿下が恋してやまないそうだが……」


「まだ子どもだったのに?」


「あんまり言うな。聞かれたら投獄されるぞ」


 姫の姿を窓越しに見た人々は、様々な想像や憶測を掻き立てていた。




 見知らぬ国で好奇の目を浴びながら、アリィは憂鬱さから顔を伏せる。


「姫様、背筋を伸ばしなさい。いい御縁ではないですか。身分を剥奪されてもおかしくないことをしたのは、貴女なのですよ」


 向かいに座る侍女の喜代古キヨコが、ニヤニヤと笑いながらも厳しい口調で言った。


 どっしりと巨体を沈ませ、醜い顔を歪ませてアリィを睨みつけている。


「……ごめんなさい、喜代古」


 アリィはただそれだけ返し、言われたとおりに姿勢を正す。


(嫌に決まってるわ。お父様と少ししか変わらない相手なのよ……最初の妻も、その次の妻も、死んだって聞いたわ)


 少し顔を上げ、元より白い肌を蒼くさせ、儚げな桜色の唇を縛って言葉を飲み込んだ。


 氷は反射すると角度によって色が変わって見えるが、彼女の双眸はまさにそれだった。


 オーロラとも言えるような瞳の色は、出鶴の王族の象徴だ。


 今は恐怖が宿り、鬱々としている。


 婚姻用のドレスを着ていながら、ひとつも幸せそうではなかった。


「皇太子様の妃だなんて、姫様には勿体ないくらいですよ。バカで不細工で役立たずのユオシェム皇子の方がお似合いだったのでは?」


 他に誰もいないのをいいことに、喜代古は異国の皇族たちを品定めする。


 本来ならば咎めるべきだが、アリィは萎縮して何も言えなかった。


「皇太子殿下と結婚すれば、あの皇后陛下が義母になられますもの。姫様の母君なんかよりも、よほど人ができていますしね!」


 喜代古は一方的に捲し立てるが、皇后を心から礼賛しているわけではない。


 引き合いに出して、王妃であるアリィの母親をこき下ろしたかっただけだ。


(皇后陛下は、マザー・エイプリルと呼ばれた……星慧教団(しょうけいきょうだん)の聖母様よね。教団の結婚式なんて、最悪だわ。死んでしまいたい……)


 喜代古の長々とした話を聞き流し、別のことを考える。



 こんな状況にも、アリィは慣れていた。


 星慧教団というのは、世界中に広がる新興宗教だ。


 結婚が決まったらすぐに式を挙げ、妻が乙女であることを証明する。


 その方法は、神官たちが初夜を見届けること――乙女でなければ結婚はできない。


 カナン帝国はその聖女を皇后に迎えたから、教団に乗っ取られたようなものなのだ。


(気持ちが悪い……星慧教団も、世界政府も、何もかも)


 雨のように降り注ぐ嫌味を聞きながら、アリィは窓の外を眺めて、世界そのものを嫌悪した。



 ☾



 世界が闇に包まれた頃、馬車は宮殿に到着した。


 砂漠でありながらも清廉な印象の宮殿は、白を基調とした大理石で作られている。


 独特な玉ねぎのような形の屋根が印象的だ。


 アリィは一国の王女として、好きでもない人の妻になることは、小さな頃からある程度は覚悟していた。


 それでも、皇太子の妻になるのは死ぬほど嫌だった。


(せめて、穏やかな人なら……)


 いざ現実が近付いてくると、アリィの足は止まってしまった。


「姫様、グズグズしないでくださいますか?」


 すると、喜代古に背中をぐっと押されてしまう。


 それを見ていた宮殿の侍女たちは、即座に裏の序列を認識したようだ。


 クスクスと馬鹿にするように笑い、異国の姫に頭を垂れることすらしなかった。



 花嫁の衣装を更に整えるためにと、アリィは別室に連れて行かれる。


 けれども、それは式典が始まるまでの時間潰しであり、喜代古によるいつもの虐待が目当てであった。


「うちの姫様はのろまでね。見た目も不細工だし。母親と一緒で、体で皇太子殿下を誘惑したのでしょうし。殿下に申し訳ないわ」


 宮殿の侍女が二人付き、喜代古は彼女たちに我が物顔で自らの主人を貶し始める。


 自身が主人にでもなった様子だ。



 アリィは思春期を超えた頃から、低い身長と豊かになった胸がコンプレックスだった。


 それを刺激するように、喜代古は六年かけて彼女を不細工と罵ったのだ。


(私が美人なら、もう少しマシな人のところに嫁げたのかしら)


 今やアリィはその美貌の噂に反し、自身の容姿に一切の自信がない。


「やだー。出鶴の王妃って、体で王を落としたんですかぁ?」


「皇太子殿下も有明姫に一目惚れって話だし、娘も色目を使ったんでしょ」


 喜代古に同調し、二人の侍女たちも礼儀など弁える気はないようで、アリィの目の前でひどい悪口を言った。


 わざと髪を引っ張ったり、似合わない化粧をしたりして――。


 ふと、鏡越しに櫛を見る。


(あれを奪って、自分の首をつけば……)


 アリィは決意した。今日で命を終わらせよう、と。


 控室の外に誰かがいる気がしたが、今の彼女にはどうでもいいことだ。


 すると、その気配の主なのか――控室の扉が開かれた。


「皇子殿下? ここは娼館じゃないですよ?」


 侍女が軽い口調で言う。


 とても皇族に接するような口調ではなく、馬鹿にした物言いだった。


 鏡に向き合ったままのアリィは、侵入者に興味もなく――ぼんやりとしたまま、似合わない化粧が施された顔を見つめる。


(皇太子かしら)


 違和感はありながらも、今夜にも死ぬ覚悟のアリィにはどうでもいいことだ。


 時間が過ぎるのを待った。


 鏡越しに見えたのは、どす黒い煤のような何かだった。


 真っ黒な闇の塊が、侍女たちの顔を覆っている。



 先程までアリィの髪を引っ張っていた侍女は、櫛を持って距離を取った。


 真っ黒な塊は消えていたが、明らかに様子がおかしい。


(魔法……?)


 異様な雰囲気に驚くアリィだが、振り向く気はなかった。


「はい、私は……死を持って償います……」


 侍女は虚空に向かってブツブツ呟くと、自分の首を櫛で滅多刺しにし始めた。


 アリィから距離を取ったため、その返り血は飛んでこない。


 まるで、そう命令されていたかのように。


「ひ、ひいぃ……あんた、誰なのよ……!?」


 それで喜代古が顔を真っ青にし、鶏のような声で叫んだ。


 入ってきた人物に対して言っているかのようだ。


「煩いなぁ。これは法に則った罰だよ。侍女ごときが、貴族を侮辱した。その場で裁いていい案件じゃないか」


 優しげな口調でありながら、機嫌の悪そうな低い声がそう言った。


(もしかして、ユオシェム皇子……?)


 以前に聞いた皇太子の不快な声ではないから、話に聞いていた放蕩皇子なのかとアリィは予想する。


 その間にも、もう一人の侍女も櫛を拾い、同じように自ら命を絶ってしまった。


 否、そうするように洗脳され、仕向けられているような形だ。


「何なのよ、バカで不細工って噂は嘘だったの!? これは呪いだわ!」


 生き残った喜代古は床を這って後ずさりながら、何とか生き残ろうと逃げようとする。


「本当は君を一番に殺すべきだけどさ……異国の人間みたいだし、我慢するよ。暴君は彼女に相応しくないからね」


 皇子と思われる人物は、優しい口調でありながらも威圧感を残す。


 アリィが声だけでそう感じるくらいなので、顔を見ていた喜代古は震え上がっていた。


「ひいぃっ……!」


 彼は喜代古の髪を掴むと、そのまま勢い良く窓から放り投げる。


 ドスン、と鈍い音が響いた。


 それからほどなくして喜代古の汚い声が聞こえ、遠くなっていく。


 恐ろしくなって逃げたのだろう。



 静まり返った中、アリィは放蕩皇子と思わしき人を振り返る。


 彼は死体にテーブルにかけてあった布をかけ、見えなくしていた。


 ふわりとした質感の淡い金の髪を首筋くらいまで伸ばし、前髪の片方を掻き上げている。


 肌の色はこの国の人の特徴である褐色で、体はかなり引き締まっていた。


「貴方は……ユオシェム皇子ですか?」


 虚ろな目で問いかけるアリィに、その青年はぱっと表情を明るくする。


 侍女を見ていた冷たい目が、まるで嘘のように。


「うん。僕はユオ! ユオシェム・オル・カナン、第三皇子だよ。君は有明姫様だね?」


 つい数秒前までの不機嫌そうな声とは一変、ただ優しいだけの、それでいて楽しそうな調子に変わる。


 あっさりとした自己紹介で出てきた名前は――予想していたとおりだった。


(ユオシェム皇子……噂と違う)


 カナンの皇子たちは病気などでたくさん死に、今の皇太子と放蕩皇子だけが残ったと言う話だ。


 馬車の中で喜代古が話していた悪口と共に、アリィは思い出しながら頷いた。


 彼はそっとアリィのそばに歩み寄って、腰を落として視線を合わせる。


 緑がかったピーコックブルーの瞳がとても綺麗だった。


「君をずっと待ってたんだ」


 懐かしむような声で、彼は言う。


「ねぇ、僕と駆け落ちしない? 皇太子よりはマシだと思うよ。嫌がることは絶対にしないから」


 言葉は軽いのに、懐かしむように目を細める姿に、アリィはどこか重みを感じた。


「いいですよ」


 どうせ出来ないだろうと決めつけ、アリィは投げやりに返す。


 駆け落ちすれば、見つかったときに処刑されるだけだ。


 処刑ならば、皇太子と結婚せずに終えることができるかもしれない。


 皇太子と結婚するくらいなら、死にたいと思うゆえの打算だった。


「じゃあ、君を幸せにするために頑張るからね」


 ユオは嬉しそうに笑う。


 冗談で言ったわけでもないようで、本気でアリィと結婚するかのようだった。


 彼はゆっくり立ち上がり、鏡台に置かれていた口紅を取り出した。


「少し触れてもいい? 変なことはしないから」


「……はい、どうぞ」


 微動だにしないアリィに断ったかと思えば、なぜかそれを首筋に塗る。


 白い首筋に仄かな赤が差されると、まるで鬱血しているかのように見えた。


(変な人だわ。化粧品で遊んでいるのかしら……)


 行動が理解不能な人だ。


 アリィは困惑していると、ユオと視線が合う。


 不細工だという噂なんて、吹き飛ぶくらい彫りの深い男前。


 優しげなタレ目に、髪と同じ色の睫毛も長い。


 背も高くて、むしろ容姿だけなら完璧だと言えるだろう。


「抱っこしていいかな?」


 ユオはまた確認を取った。


 侍女たちを、恐らく魔法という禁忌で自殺に追い込んだ男。


 それがアリィに対してだけ律儀に許可を得る姿に、拍子抜けしてしまう。


「構いませんよ」


 アリィはもはや、(どうにでもなれ)と考え、頷くしかない。


「じゃあ、行くよ」


 ユオはアリィを横にして、優しくそっと抱え上げる。


(大きい……)


 ドレス越しに触れた手が大きくて、男を知らない彼女は驚いたが――すぐにユオが全力疾走していったので、何かを感じる暇すらなかった。




 ユオは宮殿の中でも最も大きな、御殿のような扉の前に立つ。


 アリィには、それだけでも新鮮だった。


「大丈夫だよ、安心してね」


 と、ユオはアリィを気遣うように言うと、その扉を脚で蹴り倒す。



 中は式の準備で、一度だけ会ったことのある新郎――皇太子が立っていた。


 皇帝と皇后も奥に鎮座している。


 他にも現地の貴族や、星慧教団の聖職者などが集まる、厳かな会場だ。


 アリィは突き刺さる視線に俯いた。


「何事ですか!?」


 激昂するように、異国出身で白い肌の皇后が声を上げる。


 ユオはアリィを抱えたまま、彼女の首筋が見えるように少し持ち上げた。



 悲鳴のような声まで響くくらい、おかしな雰囲気に包まれる。


 それもその筈だ。


 花嫁の純潔が疑わしいということになった。


 この時になって、アリィはようやくユオが口紅を使った意味を理解する。


「この子に一目惚れしたので、ついさっき手を出してしまいました! あはは、この子はもう他の人と結婚できませんね! ってことで、僕らが結婚しようと思います!」


 笑いながら大声でそう言ってしまうユオの姿は、誰の目にも正気には映らない。


 アリィにはユオの顔を見ている余裕もなく、ただ俯いていた。


 けれども、笑って許される問題でもなく――ユオとは何もかも似ていない皇太子は、特に怒り狂った様子を見せた。


「この馬鹿者が! 俺の花嫁に手を出しただと!? お前を生かしていたのが間違いだった! この愚弟を死刑にしろ!」


「そうですよ、国際問題ですわ。ユオシェム皇子には責任を取らせませんと」


 皇太子は怒り狂い、皇后は静かに睨む。


 虚ろな皇帝は何も答えず、じっとユオを見つめているだけだ。


 髪と瞳はユオと同じ色で、明らかに父親だと分かる風貌だった。


 ずっと人生を諦めていたアリィは、この時にようやく時計の針が動き始めた気がしてくる。


 一人の少女を馬鹿らしい裁判にかける姿は、幼い頃に読んだ童話のワンシーンのようだ。


 とても恐ろしい筈なのに、どうしてか――アリィも夢の中にいるような気になってしまう。


「……ふふっ」


 大の貴族たちがこんな嘘に踊らされて怒り狂う姿は、不思議の国の住人のように滑稽だ。


 何年かぶりに、笑ってしまうくらいに。


「何がおかしいか! 女は生け捕りにし、ユオシェムを殺せ!」


 それが皇太子を余計に怒らせる結果になり――次の瞬間には、兵士たちがぞろぞろと音を立てて駆けつけてくる。


「逃げるよ。捕まっててね!」


 ユオはアリィを片手で抱き、林檎くらいの大きさの土色の道具を投げた。



 それはたちまち、結婚式場を煙だらけにして――混乱の中、満月の下を駆け抜けていくのだった。

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