43 二人きり
翌朝。
「……もう少し眠らせて」
昨日は夕食会のあとに女子会があった。
そのせいで夜更かししてしまったけれど、休養日なので授業はない。
昼までたっぷり睡眠を取ろうと思っていたけれど、いつもの時間に起きるよう侍女から声をかけられた。
「アルード様がお呼びですので」
一気に目が覚めた私はベッドから起き上がる。
「急がないと!」
「朝食をしっかり取ってから来るようにとのことでした」
「わかったわ!」
身支度は自分でするので、部屋付きの侍女には朝食の用意をしてくれるよう頼んだ。
とにかく早く。王子を待たせるわけにはいかない。それが常識。
でも、私の服を見た侍女がダメ出しをしてきた。
「本日は休養日です。魔法の授業があるわけでもないのに、動きやすさを重視した服にするのはどうなのでしょうか。アルード王子殿下とお会いになる以上、公爵令嬢としてふさわしいドレスをお選びになるべきです」
正論。
自分で身支度したために着やすい服を選んだけれど、手抜きと思われても仕方ない。
「こちらのドレスがよろしいかと」
母親の趣味であつらえたドレスは布地がたっぷり過ぎて重い。
確かに公爵家の令嬢らしいとは思うけれど、動きやすくはないので着たくない。
だけど、王子の呼び出しであれば、きちんとした格好をすべきなのはわかる。
「髪型も美しく整えるべきです」
侍女が編み込みをしてくれた。
確かにその方が素敵だと思うけれど、余計に時間がかかってしまった。
「急いで行かないと!」
「ご案内いたします」
途中までは部屋付きの侍女が案内してくれて、それを騎士が引き継いだ。
「玄関の方です。馬車を待たせています」
アルード様は別館にいるという。
「コランダム公爵令嬢は別館をご存じありませんので、案内するとのことです」
私は水泳の授業を受けていないので、別館には行っていない。
アルード様はそのことを気にかけ、別館の中がどうなっているのかを見せてくれるようだった。
馬車が別館に到着。
待合室で待っていると、アルード様が来た。
「おはようございます」
「おはよう。騎士から聞いたか?」
「別館を見せていただけるとか」
「そうだ。一人だけ知らないだろう? 公平になるようにしたい」
「アルード様らしいご配慮です」
アルード様は応接間、食堂といった主要な部屋を順番に見せてくれた。
「この部屋は着替え部屋だ。女性用の部屋だけに侍女が案内する」
アルード様は廊下で待つとのこと。
「客間を着替え部屋として割り当てている感じね?」
ソファのある居間のような部屋、ベッドがある寝室のような部屋、化粧室、バスルームで構成されていた。
「その通りでございます。疲れたり体調が悪くなったりした場合、こちらのお部屋で休むことができます」
見学が終わって廊下に出る。
「どうだった?」
「続き部屋のせいか、離宮よりも良い部屋のように見えました」
「現在、離宮にはかなりの人数が滞在している。部屋割りについては安全性と利便性を優先した」
離宮にある立派な客間は、プライベートを確保するため別棟になる。
アルード様の近くにある部屋のほうが厳重に警備されていて、面会や授業のための移動時間もかからないので便利らしい。
「それなら納得です」
「バルコニーはまだ見せない。夕食会を楽しみにしてほしい」
「わかりました」
「外に行く。体調が悪くなった場合はすぐに言え。回復魔法をかける」
「はい」
外に出ると、アルード様が私の手を取った。
「私が一緒であれば大丈夫だ」
やけに心配している気がしてならない。
「湖に行くのでしょうか?」
「そうだ」
小道を歩いていく。
湖が見えてくると同時に小型のボートも見えた。
「もしかして……」
「ボートに乗れなかっただろう? 無理はしなくていいが、乗ってみるか?」
「乗ってみたいです!」
ボートの側までいくと、アルード様が私を抱き上げた。
「昨日より重い……」
「侍女が豪華なドレスを選んだのです」
「身体強化の魔法をかければよかった」
ボートの中に入れてくれる。
ドレスが水で濡れないように、抱き上げてくれたのだとわかった。
「どうだ? ボートに乗った気分は」
えっと……これだけ?
確かにボートの上には乗ったけれど、本当にそれだけ。
水辺を離れてはいないので、ボートは全く浮かんでいなかった。
「物足りないです。板の上にいるのと同じですよね?」
「水に浮かんだボートに乗るのは、もっと慣れてからのほうがいい」
「大丈夫です」
「無理は禁物だ」
「本当に大丈夫です! 普通は水に浮いたボートに乗ることで、ボートに乗ったと言うはずです。これではボートに乗ったとは言えません!」
「水に浮かぶボートは揺れる」
「浮遊魔法がかかった時も揺れます!」
慎重というよりも過保護だと私は感じた。
「水深を見てください! 溺れようがありませんよね? もう子どもではありませんから!」
身長があるので足がつく。
全然怖くなくてもおかしくないと思った。
「確かにそうだな。少しだけ浮かべてみるか? 足がつくような場所であれば怖くないかもしれない」
「そう思います」
アルード様はブーツを脱いだ。
足の裾のズボンをめくり上げる。
「その程度では結局ズボンが濡れてしまうと思いますが?」
「水の中で足を動かしやすくするためだ。ズボンと足の間に水が入ると動きにくい」
「そうでしたか」
準備を終えたアルード様がボートを押すと、簡単に水の上に浮かんだ。
「アルード様は力があるのですね」
「身体強化の魔法を使った」
「ずるいです」
「常識だ」
「魔法使いの常識です。魔法が使えない人にとってはずるい方法です」
「ルクレシアも魔法が使えるだろう?」
「今は無力です。アルード様の助けになるような魔法は使えません」
そんな軽口を言い合いながら、ゆっくりとボートは進んでいく。
「どうだ? 怖くないか?」
「大丈夫です。アルード様は乗らないのですか?」
ずっとボートの外側にいて、ゆっくりとボートを押してくれていた。
「不安にならないか?」
「平気です。私がいるのは水の中ではありません。ボートの中、水の上ですから」
水が怖いのは溺れてしまったから。
溺れない場所、水の上に浮かんでいるボートであれば大丈夫というのはおかしくないと思った。
「アルード様のおかげでボートに乗れました。これからは水遊びを楽しめそうです!」
「そうだな」
「昨日はあのボールをぐるっと回っていましたね?」
ボールは浮いたままで片付けられてはいなかった。
「思ったよりも大丈夫そうだ。他の者と同じようにあそこまでいって戻って来るか?」
「ぜひ!」
「岸から離れることで怖くなるかもしれない。その場合はボートのヘリに掴まれ。立つとバランスが崩れやすい。必ず座っていろ」
「わかりました」
アルード様がボートに乗り、オールで漕ぎ出した。
「昨日のレースを見たせいか、ゆっくりに感じます」
「速くする必要はない」
「そうですね。でも、全然平気です。怖くないです」
「ルクレシアは本当に水への恐怖を克服したようだ」
「ボートの上というのが大きいかもしれません。水泳はわかりません。まずは初心者として練習をしないと」
「そうだな」
アルード様が頷く。
「来年も離宮に来るといい。水泳の授業を受けることができる。女子はプールだ。自然の波がなく視界もいい。水深も調整できる。難易度が低い」
「湖で泳ぐのは難しそうです。男子は全員大丈夫なのですか?」
「幼い頃から練習している。最初はプールでの練習から始め、泳げるようになってから湖に行くようになった」
「そうでしたか」
「双子は水に浮くため、こっそり浮遊魔法を使っていた。それがわかってしまい、講師に怒られていた」
「狡いですね!」
「本物のズルだ」
二人で笑い合う。
一人だけボートに乗れなかった私をボートに乗せてくれたことも、楽しませようと配慮してくれているのも嬉しい。
「アルード様、私は幸せです。こうして二人でボートに乗れるなんて思いませんでした。一生の思い出になります」
「それは良かった」
「だからもう……忘れてください。あの事故のことは」
今は二人きり。
だからこそ、直接言えると思った。
「私が走ったのは、私が走ろうと思ったからです。みんなの期待に応えたかった。頑張っているところを見せたかった。アルード様が名前を呼んでくれて嬉しかったからです。それなのに、アルード様が走るよう言ったせいで事故が起きたと思っている人がほとんどです。私はそれを否定しませんでした。申し訳ありません。心から謝罪します」
私は頭を下げた。
「ずっとそのことで悩んでいました。でも、本当のことを伝えなければいけないと思って……婚約者候補からはずされることも覚悟しています」
アルード様がどう思うのかはわからない。
でも、私は誠実でありたかった。




