44 ボート
今日は最後の三話を更新予定です。
よろしくお願いいたします!
「そうか」
アルード様の声は静かだった。
「だが、私が走れと言ったのは事実だ。責任がないとは言えない。王家でもこの件で話し合いがあった。そして、ルクレシアを婚約者候補にすることで収めた」
「はい」
「王子の婚約者候補になれるのは栄誉だ。しかし、あの事故のせいで婚約者候補になれただけだと散々言われた。それを思うと、婚約者候補になれたことが良かったとは言い難い。それでもルクレシアは喜んでくれた。本人が喜んでいるならいい。問題ない。栄誉だというのが大人たちの意見だった」
「わかります」
「水への恐怖を克服したのは喜ばしいことだ。だが、その影響はルクレシアが考えているよりも大きい。克服したことについては公言するな。夕食会で全員に伝える。王子としての緘口令だ」
緘口令だなんて!
せっかく水への恐怖を克服したことになったのに、それを話せないことになってしまった。
「なぜだと思うかもしれない。だが、婚約者候補の選定には政治、貴族の派閥、権力争いが絡んでいる。事を荒立たせたくない。わかってくれるな?」
「わかりました」
アルード様は冷静だった。
十五歳なのに、すでに政治、貴族の派閥、権力についてしっかりと考えている。
そういったところは、私よりも大人のように感じた。
「私たちはまだ学生だ。今は魔法学院で学ぶことを優先すればいい。難しく考える必要はない」
「はい」
アルード様が周囲を見回した。
「漕いでいないうちに流された。戻る」
ボートは浮いたボールから離れてしまっていた。
「船を旋回させる。できるだけゆっくり行うが、怖ければヘリに掴まれ」
その時、突風が吹いた。
「あっ!」
「立つな! ヘリに掴まれ!」
ビュービューと音を立てる風の強さはかなりのもの。
船が沈んでしまうのではないかという考えが頭をよぎり、不安が表情に出た。
「アルード様……」
「大丈夫だ」
アルード様は私を落ち着かせるために回復魔法をかけた。
そのあと、別の魔法もかける。
「風が消えましたね?」
無風状態。
でも、ボートはどんどん流されている。
「落ち着いて聞け」
「なぜ、そのようなことを? 何か問題が?」
アルード様は周囲を見回した。
「湖面を突風が走るのも、急に風が強くなることもよくある。だが、風のせいでボートが流されている」
「そうですね」
「逆らうように漕ぐのは大変だ。戻るためには船首の方向を変えなければならない。だが、横から突風が吹くと転覆する恐れがある。とりあえず、風の影響を遮るために結界を張った」
「それで風がなくなったのですね」
「だが、結界によって閉じた空間にしたからこそ、何もできない。オールも動かせない」
「オールを動かせないのですか?」
「変形結界にした」
通常は円、三角、四角といった安定した形を元にした結界を張る。
でも、不均等な形状の結界も張ることができ、それを変形結界と言う。
今は船とオールを合わせた形の変形結界になっているらしい。
「アルード様は変形結界を張れるのですね。すごいです!」
「ずっと光魔法を練習してきた成果だ。通常の結界では船の中に水が入ってしまう恐れがある。そこで変形結界にしたわけだが、維持するのが難しい。オールを動かすと変形結界が崩れてしまうだろう」
「なるほど」
「だが、変形結界を維持すれば、この船が壊れることもオールを失うこともない。浸水もしない。安全だ」
「それは良かったです!」
「だが、全く問題がないとも言えない。湖に来た時、二人だけだっただろう?」
「そうですね」
「普通は護衛がいる。だが、ルクレシアが水のせいで取り乱す可能性もある。目撃者は少ないほうがいいと考え、同行しないように指示した。離れたところから様子を見ている」
「なるほど。それで二人だけだったのですね」
「現在の状況を考えると、ボートに乗せ、漕いでみることになった。そして、話をするために結界を張ったように見えるかもしれない。普通だ。安全でもある。強風に流され、戻りたくても戻れないことに護衛が気づかない」
「確かに」
私とアルード様は浮いたボールのところをぐるりと回るだけのつもりだった。
でも、護衛たちはそのことを知らない。普通にボートに乗ることを楽しんでいるように見えている。
強風が吹いているので結界を張ったけれど、それも二人だけで会話をしているせいだと思うかもしれない。
安全は確保されている。護衛は危険を感じない。つまり、動かない。
「最も安全なのは、このままでいることだ。ずっと風に流されているのに何もしないのはおかしいと思うかもしれない」
「そうですね」
「風が吹き続ければ、反対側の岸につく。それはそれで解決だ」
「そこから岸に上がれますね」
「ランチの時間がある。間に合わないようであれば、確認のために様子を見に来るかもしれない。それを待つ手もある」
「時間をかけるのであれば、安全はずっと確保できるわけですね」
「そうだ。午前中はこのままかもしれない」
「それは……困りましたね」
素直に一言。
「アルード様の魔力を消耗してしまいます」
「そうだな」
話している間にも、船はどんどん流されていく。
このまま反対側の岸につくのではないかと思っていたけれど、だんだんと動きがゆっくりになった。
「風が収まってきたのでしょうか?」
アルード様は困り顔。
「中途半端な位置だ」
戻るにも進むにも、岸辺が遠い。
「仕方がない。変形結界を解く。ゆっくり旋回して戻る」
「わかりました」
変形結界が解かれた。
私を気遣っているのか、アルード様はゆっくりと向きを変えて旋回を試みる。
ボートがちょうと九十度ほど曲がった時だった。
またしても突風が来た。
「掴まれ!」
私はすぐにボートのヘリに手を伸ばす。
その瞬間、体が浮いた。
バランスを崩すのはおかしくない。
でも。
足が浮いている……?
私は宙に放り出されたかのように浮いたまま、風に流される木の葉のように揺られながらボートから離れていった。
「ルクレシア!」
アルード様が叫んだのを最後に、私は水の中に落ちた。




