【6】兄様と一緒
ボリス兄様は龍神というより、竜族という種族なのだということだった。
大きなトカゲに翼が生えたような姿にもなることができ、空間を自在に操ることのできる幻といわれる種族の一つ。
兄様は空間を繋いで、一瞬で家へと私達を案内してくれた。
家には先客がいて、遅かったなと兄様に声をかけてくる。
真っ赤な長めの髪に、金色の瞳。
この人も兄様の兄弟なんだろう。
「おっ、ボリス。もしかしてその子がお前の花嫁か?」
私を見つけて、楽しそうにその人が尋ねてきた。
「よ、よろしくお願いします……」
じろじろと見られてついボリス兄様の後ろに隠れれば、兄様がくすりと笑う。
「この人はイクシス兄さん。ボクのすぐ上の兄で、オーガスト兄さんの双子の弟だよ」
「イクシスだ。よろしくな」
ボリス兄様に紹介されたイクシスさんが頭を下げる。
双子というわりにイクシスさんとオーガストさんは似てなかった。
涼しげな目元でいかにもモテそうで、甘めで可愛いタイプの兄様とも少し系統は違うけれど、似た翼と角と尻尾が生えている。
「それでこれからどうするつもりだボリス?」
「シーナさえよければ、このまま一旦里に帰ろうかなって。花嫁の里なら、父さんも喜んで守ってくれるだろうし」
オーガストさんが尋ねてきて、ボリス兄様が答えながら私に顔を向ける。
「ボク達の両親に会いにいこうか」
「……はいっ、兄様!」
幸せな気持ちになって思わず微笑めば、兄様もにっこりと笑ってくれた。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●
天空にある里は、とても綺麗な場所だった。
兄様の母様はとても大柄な女の人で、兄様がいっていた通り、私と似た赤い髪をしていた。
この人が父さんだよと紹介された男の人は、イクシスさんにそっくりな顔をした……八歳にしかみえない男の子だった。
こう見えて、二千年以上生きている竜らしい。その瞳は赤くて私と同じ色合いをしていた。
出会った日に、兄様がいっていた通りだ。
そんなことを思いながら、兄様と里を歩く。
空気が澄んでいて緑の多い里は、私が想像していた以上に素敵な場所だった。
「気に入ってくれた?」
手を繋いで里を散歩しながら、兄様が尋ねてくる。
「もちろんです、兄様」
「兄様じゃなくて、ボリスでしょ? ボク達夫婦になるんだよ?」
ちょんと兄様がすねたように私の唇に指先で触れる。
「ごめんなさい兄様、つい癖で……」
「ほらまた兄様って言った」
顔を見合わせて、二人で笑う。
たわいのないやりとりが幸せで、満たされていくのを感じる。
「ほら、こっちにおいで。ボクのお気に入りの場所に連れていってあげる」
兄様が私を引き寄せ、翼をはためかせる。
大きな木が生えている浮島に兄様は私を案内してくれた。
木の上に私を座らせて、金色のクルミのような実をもぎ取ると殻を割った。中には薄い膜に包まれた赤い果実があって、それを私の口に入れてくる。
噛めば思いの外汁気たっぷりで、甘酸っぱかった。
「おいしい!」
「でしょ? コルダの実っていって、ボクの好きな実なんだよ」
兄様が甲斐甲斐しく、私の為に実を割っては食べさせてくれる。
「……子供の頃も、よくこうやって兄様は私の為に果実を剥いてくれましたよね」
「そうだね。ボクあんまり家事が得意じゃなくて、果実なら簡単にあげられたから」
ごめんね、なんて言いながら兄様は笑う。
確かに兄様はあまり料理が上手じゃなくて、私が何とかしなくちゃといつの間にか上手くなっていた。
「こうやってボクの手から与えられるものを食べるシーナを見てると……どうしてかな。心が満たされるんだよね」
すうっと兄様の瞳が細まって、ぞくりとする。
兄様は綺麗な獣みたいだと思った。
優しい顔をしているのに、少しだけ怖くもある。
「最初は、ただの興味だった。兄様っていう響きがよくて、シーナの泣き顔が可愛いなって思ったんだ。でもボクが与えるものを喜んで、兄様兄様って、ボクを慕ってくれるシーナがいつの間にか可愛くてしかたなくなってたんだ」
私の口に果実を含ませて、ちゅぷと指を引き抜く。
「このままの日々は、長くは続かない。最初から期間限定ってわかってる、暇つぶしのようなものだった。すぐに飽きると思ってたし、シーナがボクを必要とする間は面倒みてあげようってそんな軽い気持ちだったんだ」
竜族は老いるのが遅い。
正体を隠して同じ場所に居続けられるのは、せいぜい十年くらいなんだと兄様は口にした。
「いい加減、シーナを手放さなきゃいけないって思いながら過ごしてた。でもシーナが、いつかボク以外を見るんだと思ったら……心の中に黒い気持ちが生まれたんだ。兄のままじゃ嫌で、でも嫌われるのが怖くて。ここまでずるずるきちゃったんだ」
そして、限界がきて……こんなことになってしまったと兄様は申し訳なさそうに告げる。
「竜族の姿を周りに見られて、もうタイムリミットだなって思った。だから隠してたこと全部打ち明けて、シーナを竜族にして。兄さん達にも紹介して、里に連れ帰るつもりでいたんだよ」
少し苦笑しながら、兄様が甘えるように私に体をすり寄せてくる。
まるで猫みたいだなと思いながら、その髪に触れれば心地よさそうに目を閉じる。
「実は人間じゃないんだって言おうと思ってたのに、シーナが兄様は人間ですなんて怒りながらいうから……怖じ気づいちゃったんだよね。しかも兄様は兄様ですから、なんていってさ。やっぱり男として見られてなかったんだなーってがっくりきたよね。そう仕向けたのは……ボクなんだけどさ」
あのときは辛かったな、なんていう兄様はちょっとすねたような顔。
兄様のほうが年上なのに、そういう顔はとても可愛いらしかった。
「あれは直前に東雲が、兄様が私の本当の兄弟じゃないなんていうから……不安になったんです。兄様と私が別の存在だって言われて、一緒にいられないんだと言われたような気がしました」
本当の兄弟だったなら、ずっと一緒にいられたのに。
そんな気持ちが私の中にはあった。
「偽物の兄弟だと認めてしまったら、私と兄様の繋がりは何もないじゃないですか。兄様が私の前から姿を消したらと考えると怖くて……繋ぎ止めたかったんです」
「本当、シーナは可愛いこといってくれるよね。繋ぎ止めるも何も、鎖に繋がれちゃいそうなのはシーナなのに」
優しく兄様が頬をなぞれば、ぞくぞくと背筋に甘いしびれが走る。
この年になっても、私は色恋沙汰に興味がなかった。
それは兄様がいたからだと断言できる。私にとって理想は兄様で、他の男なんて眼中になかった。
だからといって、兄様を異性として見たことは今までない。
……そういうふうに見てしまえば、兄様と私を繋いでいるものがなくなってしまうから、無意識に考えないようにしていたんだと思う。
「シーナを竜族にするなら、早いほうがいいよね。このままだと年の差が開いちゃうし」
「そうですね。ところで、どうやったら人間の私が竜族になれるんですか?」
首を傾げて尋ねれば、兄様はちょっぴり困ったような顔をした。
「まずシーナがボクの逆鱗を飲んで」
「はい」
胸元に揺れる逆鱗の首飾りを握る。
これは兄様が私を愛している証拠だと、ちゃんと教えてもらっていた。
これがないと花嫁を迎えられないと言っていたけれど、花嫁を竜にするために必要な道具だったらしい。
「それから、神殿にこもって儀式をする。シーナが竜になるまで、ボクの愛をその体に注ぐんだ」
「……? 愛を注ぐって、何をするんですか?」
問いかければ、兄様が私の耳元に顔を寄せる。
「っ! な、そそ、そんなの……!」
兄様が囁いた内容に、顔から火が出そうになった。
愛を注ぐっていうのは、男女の睦み合いというか……そういう類のものらしい。
「だから、ボクを兄だと思ってるシーナには断られるんじゃないかと思ったんだ。この方法しか、人間の女性を竜にする方法はないからね」
兄様が私の手首を取る。
「でも自分からボクの側にいるって約束したんだ。今更無理だっていうのはなしだよ?」
すり……と、兄様が私の手に頬をすりよせた。
見つめてくる瞳は、獲物を捕らえる肉食の獣のよう。
欲望を必死にこらえているような雰囲気があって。
逃がすつもりはないと言われてるみたいだった。
「えっとその……兄様……」
「ちょっと怯えてる? でも、そんなシーナも可愛い」
甘く囁いて、兄様が口づけをしてくる。
「シーナを傷つけたりはしないよ。ただ、可愛がりたいだけ。シーナをボクとおそろいにして、いつまでも一緒にいたいんだ。ダメかな?」
少し下からの上目使い。
兄様のこの甘えるような顔に、私は弱い。
竜になる方法には驚いたし、この気持ちを自覚したばかりだ。
でも、兄様と一緒にいたいのは同じで。
「愛してるよ、シーナ」
「兄様は……ずるいです。私がはいっていうの、分かってて聞くんですから」
耳元をはまれて、唇にキスされて。
恥ずかしさは未だに消えないけれど、この数日ですっかり兄様に慣らされてしまっていた。
「私も……愛してます。兄様」
兄様がいる場所が私の居場所。
初めて自分から唇にキスをすれば、兄様の瞳がまんまるになって、翼がぱたぱたとはためく。
「……まずは、儀式の前にその呼び方をどうにかしなきゃだね」
兄様は少し照れたような顔でそう言って。
少し笑ってから、また口づけをくれた。
この話で最終話となります。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
ちなみに国の鬼がいる空間の方は、ボリス兄様の父親が結婚祝いにと、どうにかしてくれたようです。