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第六十四話 ステラとバルド

「お、おめえ……まさか、ステラか?」


閉ざされたバルド商会の前

立ち尽くすステラに声をかけたのは


バルド商会の向かいにある雑貨屋の前に立っていた初老の人物だった

その男は、まるで白昼堂々幽霊でも見たかのように

顔から血の気を引かせてステラを凝視していた


「……おじさん?」

ステラは、見知った顔を見て

驚きと共に息を吐くように小さくつぶやいた

「お、お前……生きてたのか!?」

男の口から出たその『生きてたのか』という言葉の響きに

ステラの心臓がドクンと嫌な音を立てた

自分がすでに死んだものとして扱われているという事実が

強烈な不安となって脳裏に浮かび上がる


「親方は!? バルド親方はどこ!?」

ステラはたまらず、一気にその初老の男の元に駆け寄り

咳き込むようにして尋ねた

老商人は、重い鎖で閉ざされているバルド商会の扉を痛ましげに見やった


「バルドなら、いま、町中を走り回っているはずだ」

「え?」

「色んな商会や商店に頭を下げて

 自分のとこの店員たちの再就職先を頼みに行ってるんだ

 ……俺んとこにも頼みに来たんだが

 あいにくうちにはそこまで新しい者を雇う余裕がなくてな」


その言葉に、ステラは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け

思わず大きくよろめいた

「ステラさん!」

その倒れそうになった体を、

背後についてきていた千草がとっさに抱き止め

しっかりと支えた


「再就職って……! じゃあ、親方の店は潰れたの!?」

 自分が倒れそうになったことにも

 千草に支えられたことにも気づかず、ステラは叫んだ

「あたしのせいだ! あたしが、エルフの村で獣人の――」


その唇に、背後からスッと、千草の人差し指が押し当てられた

「しーっ」

振り向くと、千草の顔は極上の笑みを浮かべている

しかし、その美しい笑みの奥から

得体の知れない凄まじい圧が放射されている

パニックになっていたステラの興奮は

氷水を浴びたようにすーっと冷めていった


祥吾が、ステラと老商人の間にすっと立ち

男の注意を自分に向けさせた

「失礼。私は、今ステラの保護者の様な立場にある者です

 あなたは?」


突然前に出てきた、異国の見慣れぬ服を着た男に

初老の男は少し面食らったように後ずさった

「俺か? 俺は向かいで雑貨屋をやってるガイルだ

 バルドとは……まあ、若い頃からの腐れ縁だな」

そう名乗ってから、男――ガイルは

祥吾の後ろで千草に支えられているステラをもう一度見た


「そうか……」

ガイルは、胸を撫で下ろすように深く、深く息を吐いた。

「生きてたか……本当によかった……」


そのしわがれた声には、

先ほどまでの驚愕とは全く違う、心の底からの安堵の響きがあった

ステラが、ハッとして顔を上げる


「馬鹿野郎。親方も俺たちも、

 みんな、お前はもう死んだと思ってたんだぞ」

「…………」

ステラの小さな肩が震えた


「エルフの村に行った商人たちが、帰ってきてな

 お前が……その……獣人だったって、ちょっとした騒ぎになったんだ」

ステラが、罪悪感からフードを深く被り、俯く

ガイルは、周囲の往来を気にするように声を落とした


「それで、お前は……あの魔の森の奥へ逃げ込んだって聞いた」

「……はい」

「追いかけたエルフの連中も

 森が深すぎて途中で諦めたそうだ

 ……あんな凶悪な魔物だらけの森に一人で逃げ込んで

 何日経っても戻ってこねえ」

ガイルは、辛そうに首を振った

「だから皆……もう、生きちゃいねえだろうって」


ステラは、何も言えなかった

実際、ガイルの言う通りなのだ


ただ恐ろしくて、ただ、忌避の視線から逃げたくて

どこへ向かっているのかさえ分からないまま

無我夢中で森の奥へ走った

そして、力尽き――祥吾たちの屋敷へ辿り着いたのだ


「じゃあ……親方は?」

ステラは、恐る恐る尋ねた

「親方は、あたしが死んだって……?」

「思ってる」

ステラが息を呑んだ


「でも……」

ステラは、鎖で閉ざされた商会の扉を見る

「どうして、お店が閉まっているんですか……」


その問いに、ガイルの顔に暗い雲が落ちた

「お前のことがきっかけだ」

ステラの顔から、再びスッと血の気が引いた

「やっぱり……あたしの……」

「最後まで聞け!」

ガイルが強い口調で遮った


「お前がエルフの村から逃げた後、

 そこにいた商人たちが戻ってきてな」

ステラの体が、ガタガタと震え始める

「おめえが、獣人の血を引いていたんじゃないかってな」

「…………」

「ギルドには厳格な決まりがある

 獣人や、その血を引く者を雇う場合

 必ず申告しなきゃならねえ

 だがバルドは、それをしなかった

 当然、バルドを呼び出して調べた」


ガイルは、深いため息を吐いた

「そしたら、あの馬鹿

 ……全部、認めやがった」

ステラが、驚きでバッと顔を上げた

「……全部?」

「ああ、全部だ」


ガイルは苦々しそうに続ける

「ギルドの連中も

 最初は『バルドも素性を知らずに騙されて雇っていたんじゃないか』と思って

 逃げ道を作ってやったらしい」

「…………」

「ところが、あの馬鹿」

ガイルは、本気で呆れたように頭を掻きむしった

「知ってたって、自分から堂々と言いやがった

 いつから知っていたって聞かれて、拾った時からだってよ」


ステラの拳が、服の裾をぎゅっと強く握りしめる。

「だったら、なぜ届け出なかったって聞かれても――」

ガイルは、そこで一度言葉を切った。

「届け出たら、雇えなくなるから、だと」

「…………」

「理由を聞かれても、それだけだったそうだ」


ガイルは、鼻で笑って苦笑した。

「雨の中で、腹ぁ減らしたガキが死にそうだったから拾った。それだけだってよ」

「獣人だろうがなんだろうが、ガキはガキだろうが――だとさ」


「親方……っ」

ステラは、両手で顔を覆った。


「それで……」

震える声でステラが尋ねた。

「親方は、どうなったの?」

ガイルの顔から笑みが消え、厳しい現実を口にした


「それで、厳しい処分が下された。四ヶ月の商売禁止、高額な罰金

 大事な荷馬車も持っていかれた」

「…………」

「今のバルド商会は、一切の商売ができねえ

 だから、従業員たちを食わせてやれなくなったんだ」

ガイルは、通りの向こうを遠い目で見る。

「それで今、あいつはプライドを捨てて

 知り合いの商会を片っ端から頭を下げて回って

 ……従業員たちの働き口を探して歩いてる」


ステラの膝から、完全に力が抜けた

「ステラさん!」

千草が、崩れ落ちそうになった体をしっかりと抱き止める


「あたしの……」

「ステラさん」

「あたしのせいだ……あたしのせいで、親方が!」


「いいや!」

意外にもガイルは、ステラの自責の念を強く否定した


「きっかけは、お前かもしれねえ」

「…………」

「だが、決めたのはバルドだ」

ステラが、涙で濡れた顔を上げる

「え……」

「お前を拾ったのも、ギルドに届け出なかったのも、追及されて嘘をつかなかったのも

 ……全部、あいつが自分で決めたことだ」

「…………」

「だから、勝手にあいつの決断まで

 自分の罪にして背負い込むんじゃねえ」


ガイルの真っ直ぐな言葉が、ステラの胸に刺さる

「少なくとも、バルドはそう思ってねえ」

ガイルは腕を組む。

「あいつが自分で決めて、あいつの意思でやったことだ」


ステラは、ぼろぼろと泣きながら、太い鎖で閉ざされた商会の扉を見た。

「あたし……」

小さな両手が、力なく震える。

「あたし、親方に何にも返してない……もらいっぱなしで……」


その時だった

「お、おめえ!」


背後から、低いがかすれた声がした

ステラの身体が、感電したようにぴたりと止まる


聞き間違えるはずがない

何度も何度も「ウスノロ!」と怒鳴られた声、荷車の前で叱られた声

ステラは、ゆっくりと振り返った


通りの向こうに、何枚もの羊皮紙の書類を抱えた

ずんぐりとしたドワーフの男が立っている

バルドだった


バルドは、目を限界まで大きく見開いて

幽霊でも見るかのようにステラを見つめていた


手から、書類が一枚、また、一枚

抱えていた紙束が、次々と石畳へ滑り落ちていく


「……ステラ?」

「…………」

「おめえ……」

あの野太い声が、微かに震えていた

「本当に……ステラなのか?」


その声を聞いた瞬間。ステラの顔が、くしゃりと子どものように歪んだ

「親方……っ!」

千草の腕を離れ、駆け出す


だが

「この――」

バルドの顔が、見る見るうちに真っ赤に染まった

「大馬鹿野郎がぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ひゃあっ!?」


怒声に驚き、ステラの足がピタッと止まる。

「どこ行ってやがった!!」

「え?」

「何日だと思ってやがる!」

「ご、ごめ――」

「謝るな!!」

「どっち!?」

怒られているのか心配されているのか分からず

泣きながらステラが思わず叫ぶ。

祥吾が目を丸くし、千草も「まあ」とぱちぱちと瞬きをする


バルドは、落ちた書類にも構わず、

大股でドスドスとステラへ近づいてくる

「親方……」

ステラは、反射的に怒られると思ったのか身を縮めた


その頭に、なつかしい、硬いげんこつが飛んでくる――

だが、そのげんこつは、ステラの頭に当たる寸前で手を開き

ガシッと、彼女の頭を乱暴に掴んだ


「痛っ!」

「……馬鹿野郎……っ」

大きな手が、ぐしゃぐしゃと、ステラの髪を乱暴に撫で回す。

「親方、痛いって……」

「うるせえ」

「…………」


「……生きてて」

声が、途切れた。

「……生きてて、よかった……っ」


ステラの目が、大きく見開かれる。

頭を掴むバルドの手が、小刻みに震えているのだ


バルドは、それ以上は何も言わなかった

ステラが、一歩近づく

そして、自分よりずっと大きなバルドの分厚い腹へ

思いきり顔を押しつけた。


「親方……!」

「おう」

「親方ぁ……!」

「……おう」

「ごめんなさい……っ!」

「だから謝んなっつってんだろ」

「あたしのせいで店が……!」


その言葉に、バルドの太い眉が吊り上がる

「はあ?」

「だって!」

「店?」

バルドは、いかにもどうでもいいというように鼻を鳴らした

「店なんざ、また開けりゃいいだろうが

 でもな、死んじまった奴は……どうやったって戻ってこねえんだ」


ステラが、息を呑む。

バルドは、くしゃりと顔を歪めた

それが、安堵の笑顔なのか、堪えきれない泣き顔なのか

ステラには分からなかった


「お前が生きて戻ってきたんなら――」

大きな手が、もう一度、今度は優しくステラの頭を撫でる

「俺は、何も損しちゃいねえよ」

「…………っ!」

「返してねえなんて、誰が決めた」


ステラは、わぁっと声を上げて泣いた。

バルドの服をぎゅっと握りしめて。

バルドは何も言わず、周囲の目も気にせず、ただその頭を撫で続けた


千草は、その光景を見て、目元をそっと拭った

祥吾も、静かに息を吐いて微笑む。

そして、祥吾の胸元から顔を出した神爺が

珍しく茶化すこともなく、しみじみと呟いた

「……よい男ではないか」


祥吾も小さく頷いた。

「ああ。本当にいい男だ」


そして、閉ざされたバルド商会へ目を向ける

「……なんとかしてやりたいな」


祥吾の隣で、千草も静かに頷いた


その前ではまだ

ステラが子供のように泣いている


「親方ぁ……!」

「うるせえ。いつまで泣いてやがる」

「だってぇ……!」

「腹減ってんだろ。飯にするぞ」

「……うん!」


バルドはいつものようにぶっきらぼうに言って

ステラの頭をもう一度ぐしゃぐしゃと撫でた


ようやく

帰ってきた弟子を迎えるように

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