届いた手紙 1
「おい、タリオン。確かお前シオンの知り合いだったよな」
ある日のこと、無機質な壁に囲まれた軍本部内で地味な事務作業に追われていたタリオンは同僚の言葉に顔を上げた。
「ん、あぁ。学院でも戦地でも一緒だったからな。それがどうかしたのか?」
見れば、同僚の手には一枚の紙切れが握られていた。
「あいつ、なんかやらかしたのか? やばい辞令が出てるぞ。ほら、これ」
言われるままに同僚が差し出した紙切れに目をやり、そして愕然とした。
「どういうことだよっ、これ! なんでシオンが前線へ!?」
勢いよく立ち上がったせいで、ガタンッと大きな音を立てて椅子が倒れた。けれどそれにも気づかず、タリオンはそこに書かれた内容をもう一度読み返した。
そこにはシオンを隣国との戦いの最前線である北方部隊へと配置すると書かれていた。
「そんな馬鹿な……。いくら戦果を挙げたことがあるとは言っても、あいつはただの一般兵だぞ。そのあいつが前線に送られるなんて……」
いくら戦いが下火になっているとは言え、一部ではいまだ激しい戦火が繰り広げられている。その最前線へと配置されるのは、専門の訓練を受けたごく一部の精鋭の兵と決まっていた。
つまり前線へと配置されるということは、腕の立つ軍人でも命を落とす可能性があるという意味を含んでいた。
シオンは軍人としての経歴も長くそれなりに戦果も挙げている。だが精鋭というほどではない。特別な訓練を受けたことがあるわけではないし、軍人家系でもないし。
「こんな辞令、馬鹿げてる! 一体誰が許可を?」
書類の下に書かれたサインに目をやり、タリオンは息をのんだ。
「くっ……! クロイツ・シュクルゼンか」
クロイツの名を見た瞬間、すべてを悟った。
これはきっと、シオンを消すためにクロイツが独断で強行した辞令に違いなかった。おそらくそのきっかけとなったのは、先日の夜会だ。あの夜会で久しぶりにシオンに会い、自身の保身からシオンの口を封じようと画策したのだろう。そうとしか考えられなかった。
「やっぱり無理やりにでも夜会からあいつを追い返すべきだったんだ。くそっ!」
タリオンは歯噛みした。
こんな事態を引き起こしたきっかけを作ったのは、間違いなく自分だ。結婚の知らせも寄越さない薄情なシオンのだらしなくだらけきった顔とその妻を見てやろうなんて考えたばっかりに、クロイツを刺激してしまったのだろう。もちろんわざとではないが、その結果がこれなのだ。
「はぁーっ……」
タリオンの口から長く深いため息がこぼれ落ちた。
自分のうかつさに苛立ち、思わず机をドンッと拳で殴りつけた。たとえクロイツがあの夜突然に出席を決めたのが原因とは言え、自分の落ち度には違いない。そのために友人が死に至るようなことになれば、後悔してもしきれない。
「クロイツの野郎……! なんでこうもあいつはシオンに目をつけてるんだっ。そりゃあ上官に盾突くあいつの熱さは目障りだったろうが、シオンが一体何をしたっていうんだっ」
苛立ちから声を荒げれば、同僚が慌てて制した。
「おい、落ち着けよ。うっかり上の耳に届いたらお前もただじゃすまないぞ。そりゃあクロイツの悪評は俺も聞いちゃいるけどさ……」
「しかしこのままじゃシオンが……!」
クロイツ・シュクルゼンという男の軍部内での立ち位置は、別にそう高くはない。中堅よりも少し上といったところか。けれどクロイツには強力な後ろ盾があった。それを利用して、長いこと幅を利かせていた。しかもその人物はこの国で誰もが知る高位の者であるらしく、誰もクロイツの行動に口を出すことができずにいるのだ。
クロイツがシオンのいた部隊の上官に配置されたのは、今から八年も前のことだ。当時その部隊では配給品が現地に届かないという事案が頻発していた。それも食糧から武器にいたるまで、ありとあらゆるものが。けれどクロイツはろくな調査もせず、何の対処もしなかった。
そんな態度に疑いを抱いたのが、シオンだった。
(あの頃あいつが言っていたのは、もしかすると本当だったのかもしれないな。クロイツが配給品を横領して敵に横流ししてるっていうのは)
シオンはクロイツが敵である隣国と通じ、物品を横流ししているとにらんでいた。けれどその証拠を見つける前に、ある事故--いや、事件が起こった。
タリオンは当時の心身ともにボロボロに傷ついたシオンの姿を思い出し、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「でもあの爆発だって、すでに事故として処理されている。配給品が消えたことだって、クロイツの悪事を示すような証拠なんて何もない。今さらシオンの口を封じる必要なんて何も……」
タリオンは首を傾げた。クロイツがシオンを疎ましがっていたのは知っていたが、殺す必要なんてないはずだ。たかが自分に噛みついてくる一兵士、放っておけばいいだけの話だ。なのになぜこんなに長い時が過ぎた今になって、シオンを消そうと思ったのか。
「ま、正式に辞令が下りるのはまだ先だからな。何ならお前がシオンに知らせて、すぐに除隊するように言えば回避できるだろ。そう思ってお前に知らせにきたんだ」
「あ、あぁ。確かにその手があったな。ありがとう、そうするよ! 恩に着る」
急ぎタリオンはシオンに向け、今すぐに軍を除隊するよう勧める手紙をしたためた。
まさかそれが真逆の決意をシオンにさせるとは、思いもせずに――。
◆ ◆ ◆
シオンは届いたばかりの手紙をハラリと投げ出し、床の上に寝転がった。口から乾いた笑いがこみ上げる。
「くくくくっ! なぁ、ランソル。いよいよお前のもとへ行く時がきたらしい。やっと、お前にあやまりに行ける」
予感はしていた。夜会でクロイツに会ったあの瞬間に、何かが起きるような気がしていたのだ。それがまさかこんな形で訪れるとは思いもしていなかったが。
「いかにもあいつの考えそうなことだ。前線送りとはな。だがまぁいい。望むところだ」
本当は、もっと早くに命を終えるつもりだったのだ。アグリアと結婚をして一応は五年という期限をもうけたが、内心では自分が戦地で死ねばすべてが丸く収まると考えていた。
未亡人になれば、問答無用でアグリアが領主代行することが可能になる。跡継ぎの問題は残るものの、未亡人ならば離婚して独り身になるより猶予が長くなる。事情によっては再婚せずとも、そのまま領主代行として領地を治めることだってできるケースもあるらしい。
だから自分がこの世からいなくなるのが一番いいのだ。最初からそう思っていた。前線で運よく生き延びられたとしてもせいぜいもって三月程度、といったところだろう。願ってもない死に場所といえた。
「これできっとアグリアも幸せになれる。これでよかったんだ……。これで」
目を閉じ、昨夜のことを思い出した。
昨夜は互いにどうかしていた。つい和やかな空気に乗せられ、酒をのみ過ぎたのだろう。自分も、アグリアも。だからあんなことを――。
今も生々しく残るアグリアのやわらかな肌の感触に、シオンははぁ、と息をついた。
ここのところ、激情といっていいくらいの大きな感情の渦に翻弄されていた。心と体全部で、アグリアを欲していた。いつのまにこんなにアグリアの存在が自分の中で大きくなっていたのか。ただの契約上の伴侶だったのに。
アグリアの笑い声も、優しく包み込むような微笑みも、調子っぱずれの歌声も。時折見せるはじらった様子も、困った時に眉がへにょりと下がる癖も何もかも愛しかった。何度アグリアに手を伸ばしかけたかしれない。抱きしめたい衝動にかられているのをごまかすのに必死だった。
そしてついに昨夜、それが決壊した。気がつけばアグリアに触れていた。
のぼり立つアグリアの甘く優しい香りに、何もかも忘れてこのまますがりつきたいとさえ思った。けれど同時に自分の罪深さと薄情さに、反吐が出そうだった。
苦しかった。ただただ苦しかった。感情に翻弄され、過去を切り捨ててしまいたい気持ちとそんなことが許されるはずはないという気持ちとの間で身が切り裂かれそうだった。
「これで終わる……。何もかもが、終わるんだ。こんな思いももうしなくていい……」
驚くほどに気持ちは落ち着いていた。すでに覚悟は決まっている。タリオンには悪いが、もうずっと心の奥底で決めていたことだ。
ゆっくりと起き上がり、小さく笑った。安堵なのか何なのかわからない笑いがこみ上げる。
そして、静かに自分の荷をまとめはじめたのだった。




