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【改稿版】はじめまして、旦那様。離縁はいつになさいます?   作者: あゆみノワ@書籍『完全別居〜』アイリスNEO
3章

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奇妙な距離 3


「ぶわっはっはっはっはっ! シオン、お前すっかり酒に弱くなったんじゃないか?」


 酒など一滴も入っていないような顔をして、モンバルトがシオンのグラスにトクトクと酒を注いだ。


「そっちこそ少しは節度をわきまえたらどうだ。この飲んだくれ」


 シオンが容赦なくモンバルトをやり込める。が、そんな言葉など聞き飽きているのだろう。モンバルトはにやりと笑うと、グラスの酒をうまそうに空けた。


「かっかっかっかっ! まぁそう固いことを言うな。酒の席でも真面目なんぞ、犬も食わんぞ。わかったらさぁ、のめ! 若造」

「……」


 こうして皆で晩酌をするのが、いつしか日課になっていた。


 まぁ父の捻挫も完治したことだし、心臓の調子もいい。シオンの休暇だってあと残りわずかだ。となれば、少しくらいは目をつぶってもいい。とは言え、シオンもそれなりの量をすでに飲んでいる。さすがに大丈夫か、と目を向ければ、その顔色はまったくもって平常運転である。


 父がおいしそうに酒をなめながらシオンに声をかけた。


「なぁ、シオン。戦争だって直終わる。そうしたらいつでもここに戻ってくるといい。まぁ、関係性は今とは違っているかもしれないが、どうにかなるさ」

「……」


 離縁したはずの夫が領地に姿を現したら、領民はびっくりするだろう。さては再婚か、なんて。でも世の中には離縁しても子に会いに顔を合わせる夫婦もいると聞く。ならばまったくあり得なくもないのか。

 そんなことを思いつつ、アグリアもグラスの中の琥珀の液体をくいとのみ干した。


「君には親子ともども、本当に世話をかけてしまったからね。本当に感謝しているんだ。メリューのこともあるし」


 そう言ってシオンに笑いかける父の顔は、どこまでもやわらかい。本当の息子のように感じているのだろう。きっと複雑な心境であるであろう父の心中を思うとなんともほろ苦い。


「いえ、大したことはしていませんから。それに感謝しているのはむしろこちらですし」


 ちらとシオンに視線を向ければ、目が合った。

 その目に甘さを感じ取り、慌ててその辺の皿を片付けた。


(ぐっ……! またシオンから妙な色気がっ。本当心臓に悪いわ)


 日に日に増すシオンの色気と甘い空気に、もはや限界だった。けれど同時に以前にも増してほの暗い陰が増している気がする。それが気がかりだった。


 もうすぐシオンの休暇が終わる。その前にきっとシオンと今後について話し合う時間を持つことになるだろう。それがなぜかひどく憂鬱だった。永遠にそんな時がこなければいいのに。そんな思いが胸を行き過ぎる。


 酒瓶をもう一本飲み切ったところで、ようやく酒の席はお開きになった。台所で洗い物をしていると、シオンがやってきた。


「アグリア、このあと酔い覚ましに庭でお茶でものまないか?」

「えぇ。もちろんいいわよ」

「……そろそろ、今後のことについて話し合っておいた方がいいからな」


 胸がざわり、とざわついた。嫌だ、なんて言えなかった。


「……そうね」


 こくりとうなずいて、わざとゆっくりと残りの洗い物を片付けた。

 最後の一枚を洗い終え、ふたり分のカップを手に庭へと出た。モンバルトも自分の家へと戻り、屋敷の中はすっかり静まり返っていた。さっきまでのにぎやかさが嘘のようだ。


 カップから立ち昇る優しい香りに、しばしふたりで黙り込んだ。


 リリリリッ……。

 ジジッ……! リリリリ……。


 さわさわと夜風に葉が擦れ合う音に交じって、虫の鳴き声が静かな庭に響く。お酒で熱くなった頬を、季節の移り変わりを感じさせるひんやりとした風がなでていく。


「いい月ね。今くらいの季節が一番好き。気候もちょうどよくて、星もきれいに見えて」

「それにメリューの香りもする」

「ふふっ。そうね。甘くて華やかで、いい匂い」


 シオンとふたり、夜の領地をぼんやりと眺めた。


「……アグリア」


 空を見上げていたシオンの視線が、すっと自分に向いた。夜空を映し込んだような美しい眼差しに、鼓動が跳ねる。


「……はい」

「今後のことなんだが、今のうちに……」


 言いかけた言葉を、咄嗟にさえぎった。


「あ、あの……!」


 シオンが黙り込んだ。


 何を話そうとしていたのかは予想がつく。きっと離縁についての話だろう。契約期間はあと一年、けれどきっとシオンは休暇を終え領地を出ていったら二度と戻ってこない。はじめから一度も会わずに契約結婚を終わらせてもいい、というつもりだったのだろうし。


 でも今は何も聞きたくなかった。もう少しだけ、このあたたかく心地よいぬるま湯の中に浸っていたい。


「……」


 思わず黙り込めば、シオンが小さく息をついた。わずかに安堵の色がにじんでいるように思えるのは、気のせいだろうか。


「すっかり涼しくなったな」


 そうつぶやいたきり、シオンは黙った。


 時間がゆっくりと過ぎていく。不思議とふたりの間に落ちる沈黙が心地いい。まるで時が止まったようだった。

 これからあと何回こうしてシオンと月を見上げられるのだろう。何度でも見てみたい。会話なんてなくても、こうして黙って隣り合っていたい。けれどこれ以上一緒にいたら、きっと何かが変わってしまう。

 言い知れぬ衝動に突き動かされて、思いもよらぬことを口にしてしまいそうだった。


 ぐっと胸の奥からあふれ出しそうな思いと言葉をのみ込んだ。


(きっとお酒のせいだわ。きっとそう)


 結局他愛もない会話を少し交わしただけで、いつも通りの平静さで互いの部屋の前にたどり着いた。くるりとシオンを振り返り、いつものように笑みを浮かべおやすみの挨拶を口にすればシオンがこくりとうなずいた。


「じゃあ、おやすみなさい。シオン」

「あぁ。おやすみ、アグリア」


 そのままそれぞれの部屋にわかれて、眠りにつくはずだった。けれど今夜は互いの間に流れる空気が、いつもとは違っていた。


 なぜか部屋へと立ち去ろうとしないシオン。そんなシオンの気配を感じ取り、立ちすくむ。

 お腹の底からわき上がる何か熱いものを持て余し、ふと顔を上げればシオンが熱い目で見下ろしていた。


「……シオン」


 名前を呼べば、見返してくるシオンの目の奥で何かがゆらりとゆらめいた。


「……アグリア」


 かすれたどこか熱を感じさせる声で、シオンが名を呼ぶ。その熱の意味を知ろうと、じっとシオンを見つめ返した。


「……」

「……」


 シオンの大きながっちりとした手がこちらに伸びてくるのを、ただじっと見つめていた。手がそっと頬に触れ、そして離れていく。思わず追いかけるように、その手をつかんだ。離れようとした手がもう一度頬に触れ、その熱に体がじんとする。頬に触れたまま動かない手に、自分の手をそっと重ね目を閉じた。


 自分が今何をしているのか、どうしたいのかもわからない。けれど何か強いものに突き動かされるように、ただ衝動に身を任せたくなった。


 吸い寄せられるように、顔が近づく。息遣いを感じられるほど近づいた体に、緊張と同時に喜びがかけ巡った。引かれ合うように互いの指が互いの顔にそっと触れる。

 シオンの指が、すっと唇の上に届いた。


「……っ」


 じっと息をつめていた口から思わず吐息がこぼれ落ちたのと、シオンのたくましい腕が自分の体をそっとかき抱くのは同時だった。


 首筋にシオンの吐息を感じる。シオンのあたたかな唇が首から頬へとなぞるように上がっていく。けれど決して唇には重ならないそれに寂しさと甘さを感じながら、甘やかなひと時に酔いしれた。

 このままずっと触れ合っていたい。自然に体と心の奥底からわき上がったそんな思いに突き動かされ、必死にシオンにすがりついた。


 それに応えるようにシオンの腕にも力がこもり、そしてぱっと勢いよく離れた。

 一気に体と心の熱が冷めていく。


「……すまない。どうかしていた……」

「あ……いいの。私も……ごめんなさい。……おやすみなさい!」


 慌てて自室へとかけ込んだ。


 たった今流れていたはずのふたりの間にあった熱と甘やかな空気は、いつの間にかどこかへと離散してしまっていた。


 

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