ルンルミアージュの恩返し 1
翌朝、アグリアはすっきりとした心持ちで目をパチリと開いた。
ここのところで一番と言っていいくらい、実に爽快な目覚めだった。
(ん……? この天井……。えっと……)
見慣れない天井と部屋の景色に目を瞬き、自分が王都にいることをようやく思い出す。
「……ううううーんっ」
大きく伸びをした瞬間、すぐそばにある気配にはっとした。
「……っ‼」
思わず口から悲鳴がこぼれ落ちそうになり、すんでのところでのみ込んだ。
(シ……シシシシ、シオン!? な、なんでシオンの顔が目の前にっ?)
なぜか目の前にシオンの整った顔面があった。慌てて飛びのき、じりじりとベッドの端へと後退する。
ベッドの端と端にわかれて寝たのは覚えている。が、何がどうなってこんなに接近しているのか。
今にも鼻先がくっつきそうな近さに、こくりと息をのんだ。と同時に、シオンの整った寝顔に目を吸い寄せられた。思わずまじまじと見つめ、こくりと息をのんだ。
(私よりもまつ毛長い。なんてきれいな顔。目元は涼しげなのに、笑った時とか目尻が下がってふわっと緩むのよね)
が、今はそんな悠長なことをしている場合ではない。シオンが起き出す前にどうにかして距離を取らなくては。
そーっとシオンから身を離し、ベッドからはい出そうと動いたその時だった。
「……んん? あ、あぁ。起きたのか。アグリア」
「んひゃあっ‼ うわわわっ!」
突然シオンの目がぱちりと開いて、ものすごい勢いで後ろにずり下がった。
「あっ! おいっ、危ないぞっ!」
シオンの大声にはっと後ろを振り返ってはみたけれど、遅かった。
「へっ⁉ きゃあああっ! 痛っ!」
体に衝撃が走った。気が付けば、勢いあまってベッドの端から盛大に落っこちていた。
痛みに顔をしかめていたら、頭上からシオンの笑い声が降ってきた。恥ずかしさに身もだえるしかない。
おかげでなぜあんなにくっついて寝ていたのか聞けないまま、アグリアは慌てて身支度を整え部屋を飛び出したのだった。
「おはよう! アグリア。よく眠れた?」
朝食の席に着くなり、ルンルミアージュが元気よく飛びついてきた。
メイドかリリアンヌにしてもらったのか、かわいらしく髪が整えてあった。動くたびにひょこんひょこんと揺れるリボンが実に似合っていてかわいらしい。
「おはよう、ルンルミアージュ。朝から元気いっぱいね」
そっと頭をなでれば、ルンルミアージュがくしゃりと笑った。
「当然よ! メリューが王都に広まれば、私もいつでも食べられるようになるもの。あんなに素敵な果物、他にはないわっ」
なんともちゃっかりとした願望をのぞかせたルンルミアージュの小さな舌がぺろりとのぞいた。
「ふふっ! ルンルミアージュったら」
胸を張るルンルミアージュに思わず噴き出せば、背後からシオンの声がした。
「あまりはしゃぎ過ぎると疲れるぞ。途中で力尽きておんぶされる姿を王都中に見せたくはないだろ? 程ほどに頼む」
「ひどぉい! シオンったら」
にやりと笑みを浮かべるシオンに、ルンルミアージュの頬がぷぅ、と膨れた。
さっきの騒動を思い出し、アグリアの顔に熱がこもる。視線を合わせないようにそそくさと席に着くと、リリアンヌがルンルミアージュを呼び寄せた。
「ふふっ。さぁ、冷めないうちにいただきましょう。ルンルミアージュ、こっちにいらっしゃい」
「はぁい!」
嬉しそうにほころぶルンルミアージュの様子に、ほっとする。
もうすっかり気持ちは落ち着いたらしい。すっかり甘えん坊の顔だ。
朝食が済むと、さっそくルンルミアージュとともに王都の町へと繰り出した。
多くの人であふれる王都の往来を、ルンルミアージュが先頭を切ってずんずんと元気よく闊歩する。その足取りはなんとも力強く頼もしい。
「さ、まずはこのベーカリーに突撃よ! ここの売りは何といっても糖蜜がたっぷりかかった菓子パンね。色んな木の実やドライフルーツが入ったハードパンも、食べ応えがあって人気よ。パンといったらジャム! ジャムといったらメリューだわ」
最初に突撃したのは、王都でも一、二を争う人気ベーカリーだった。立地も大通りのど真ん中とあって申し分ない。
「うわぁ……! すごい種類。さすがは王都の人気ベーカリーね」
アグリアは品揃えに圧倒され、きょろきょろと落ち着かない気持ちで店内を見渡した。その間にも、ルンルミアージュは店主の姿を探し当て交渉に向かっていく。
「こんにちは! 相変わらずいい匂いねっ。今日はちょっとあなたに大事なお話があってきたのよ」
小さな少女に突然話しかけられ、面食らったように店主が首を傾げた。
「は、はぁ」
「あなた、メリューっていう果物を知ってる?」
「いえ、生憎と……」
「あらそう! ならこれを試してみてちょうだい。あなたの作るおいしいパンと相性抜群だと思うの」
そう言うとルンルミアージュは意気揚々とかわいらしいバッグの中から、メリューのジャムの小瓶を取り出した。
ルンルミアージュに言われるままジャムを匙ですくいぺろりとひと舐めした店主が、しばし黙り込んだ。
「ふぅむ……、なるほど。確かにうちのパンには合いそうだが……」
アグリアが慌てて一歩前に歩み出た。
「あ、あの! 申し遅れました。私はアグリア・ノートンと申します。そのメリューは私の領地で採れたもので、もしお気に召していただけたらぜひこちらのお店でお取り扱い願えないかと……」
ちょうど客の入りが途切れたのを見計らい、メリューの魅力について熱っぽく語った。
生での流通は輸送の関係上難しいが、ジャムや菓子、ドライフルーツにすれば保存も長く利きパンにもよく合う。芳醇な香りはチーズともよく合うため、生地に一緒に練り込んで焼いても格別なのだ、と。
「なるほどな。確かにこれはうまいが、うちはすでに他所からジャムを定期的に仕入れているんだよ。そことの付き合いもあるしなぁ……」
王都には、多くの店がひしめき合う。その中で売り上げを伸ばすには、どうしたって契約がものを言うのだ。以前売り込みに回った時も、同じ理由で何度も断られた。
「それはもちろんわかってます! ですから、ほんの一度だけでもものは試しでこちらで扱ってみてはいただけないでしょうか? もしもそれで評判がよければ、月に数個でも構いませんから、置いていただければ……」
契約先の売り上げに響かない程度なら、きっと先方も目をつぶってくれるだろう。今大事なのは儲けることではなく、メリューのおいしさを王都の人たちに認知してもらうことなのだ。この際しばらくの間、もうけがなくても致し方ない。
「そりゃあ数個程度なら、向こうもうるさいことは言わんだろうが……」
すかさずシオンが加勢してくれた。
「メリューはきっとこれから王都でも人気になる。今は流通量の少なさからごく一部の貴族の口にしか入っていないが、希少でうまいとすでに話題に上っていると聞いている」
「そうよ! 私もはじめて食べてびっくりしたの。こんなにおいしい果物がこの世にあったなんてって。王都で暮らしていても、なかなかこんなに素晴らしい果物にはお目にかかれなくてよ?」
畳みかけるように訴えるルンルミアージュに、「しかしなぁ……」と店主が困り顔で顎をさすった。
「今ならおまけでひと瓶ただで置いていきます! ですから、せめて三つ、いえ四つだけでもお取り扱いいだけませんか⁉ 絶対に味は保証しますっ」
身を乗り出し、店主にずずいと瓶を差し出した。
「わ、わかったわかった! 確かに味はいいし、甘さも申し分ない。うちの品物にもよく合うだろう。しばらく置いてみていい塩梅だったら、また頼むよ。それでいいかい? お嬢さん方」
熱量に圧し負けたのか、ついに店主の顔が緩んだ。
「あ、ありがとうございますっ! よろしくお願いしますっ」
「やったぁ! ありがとうっ。このお店、うんと知り合いにも宣伝しておくわね」
「感謝する。店主」
歓喜に沸くルンルミアージュとアグリア、言葉少なだがふわりと微笑んだシオンに、店主はやれやれと肩をすくめうなずいたのだった。




