6 面談その2
次の日も、仕事をできるだけ早く終えて夜野は店に向かった。仮面はひとりひとりに合わせたオーダーメイドなので、職人による診断や面談を通して創られていく。良い仮面が欲しければ、職人のもとに足繫く通い、面談を重ねることが重要であった。ドアの札はCLOSEDになっていたが、少年が待っていることは知っているので、そのままドアを開けた。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
少年の正面のカウンター席に腰を下ろす。少年は既に用意してあったティーポットからやや危なっかしい手つきでカップにお茶を注いだ。
カウンターにまるで虹を丸くつなげたようなカラフルなグラデーションの輪が描いてある本を広げてあるのが目に入った。
「この絵はいったい?」
「これは色相環といいます。色には相性というものがあって、お互いを目立たせあうような色の組み合わせや、逆にお互いを打ち消しあうような組み合わせもあります。例えば、この色相環でオレンジ色の反対側にあるのは青色です。このオレンジに青を足すことで存在感を消す、みたいに使うんです」
少年はいかにも職人らしい説明口調で言いながら、上等そうなティーカップを夜野の前に置いた。
「僕ら仮面職人は色を上手く使って、お客様を透明に近づけていくんですよ」
ティーカップは美しいが華美すぎることはなく、洗練されていて趣味が良かった。
「それなら、私の姿はあなたには何色に見えているのでしょうか」
ふと気になって夜野は尋ねた。この診断は、以前仮面を創ってもらった時にもされていたはずだが、その意味については理解していなかった。ただ受け身になって仮面が制作されるのを待っていたような気がする。
「とにかく消えてしまいたいと常に思っているような人間の色だから、黒とか灰色とか、茶色ですかね」
夜野が言ったが、少年は半透明の夜野の目をじっとまっすぐに見つめてきた。どこまでも見透かされているかのような錯覚を覚える。自分の骨や肉を透過して、脳みそのしわを直接観察されているかのような。夜野はその痛いくらいまっすぐな視線に耐え切れなくなって目を逸らした。どうもこの少年は苦手だった。
「黒とか灰色とか茶色は、消えたい色なんですか?」
少年は本当に疑問に思ったことを素直に口に出したようだった。
「どんよりしてるし、そうなんじゃないかと思ったんですが」
少年は顎に指を当ててつぶやく。
「僕はそうは思わないなあ」
それはほとんど独り言のような言い方だった。
「わかりません。私は色のプロじゃない素人ですから、イメージで言っただけです。というか、私自身、特定の色に関してあまり感情を抱かないのでイメージですらないかもしれません。よく考えてみれば黒は黒だし、灰色は灰色で、それ以上でもそれ以下でもなく、別にどうとも思いません」
夜野は言った。少年はなぜかくすりと笑った。
「いいと思いますよ。特定の色に感情を持っても。好きな色、嫌いな色、美しいと思う色、それは人によって違うんです。不思議ですよね、黒は黒でしかないし、灰色は灰色でしかないのに。色に対する感情の違いからも、その人の持つ色がわかります。今さっき、夜野さんは黒や灰色や茶色に対してどんよりしたイメージを持っているってことがわかりました。その人の色が見えれば、仮面を創るときに大いに役立ちます」
少年はたくさんの色が載っているカラー刷りの本を取り出す。
「今日は色を通じて、夜野さんの色を理解していこうと思います」
途端にスイッチが入ったように職人の顔つきに変わる。子供らしい元気さみたいなものは消え失せて、一瞬で気配が大人びる。まるで、仮面を被って子供の部分を透明にしたかのようだった。
「まず、夜野さんが目指す透明のイメージをできるだけ多くの言葉で描写してください」
「透明を描写……。そうですね、私が目指すのは誰の目にも触れないような完璧な透明です。誰も私の事を覚えている人がいなくなるくらい、存在を消し去るような、空気より澄んだ無の領域です」
「空気より澄んだ透明ですね。なるほど。これは僕が見たことのあるお客様の中でもダントツで薄い透明です。お仕事で必要とされるレベルをはるかに超えています。これほどの透明を望む理由をお聞かせ願えますか?」
「とてもプライベートなことなので。どうしても話さないとなりませんか?」
夜野が態度を濁すと、少年は首を振った。
「いいえ、話すのが難しければ大丈夫です。しかし、できればその理由について、きっかけとなった出来事、エピソードを一つの色で表すとしたら何色になりそうか教えてもらうことはできますか?色の名前がわからなければこの本のページを指さしてもらってもいいです」
夜野はカラフルな色が並ぶ本に目を落とす。白に近いけれど、完全な真っ白ではない、雪に近くて、見方によっては少し灰色と青紫みたいな色がほのかに混じる、淡いあの花みたいな色。
夜野は一つの色を指さした。
「白花色ですね。また一つ、夜野さんのことがわかりました」
少年はまたなんでも見透かすようなまっすぐな瞳で夜野を見た。やはりそれを受け止められなくて、目を逸らす。なんとなく漂う気まずさから逃れようと、夜野は手つかずになっていたティーカップに手を伸ばした。マスクを最低限ずらして一口啜る。
「えっ?う、薄い」
口の中に広がる予想外の味に、思わず感想がこぼれてしまった。その紅茶は、色こそ立派な赤茶色をしているが、香り立つようなお茶本来の匂いはまったくせず、まるで少し苦みのある普通の水を飲んだかのようだった。
「あ、す、すみません。僕、お茶を入れるのは練習中で。お口直しをお持ちしますね。今日は上手くできたかなって思ったんですが……」
少年の目から鋭さが一瞬で消え、そこにはただの、家事を練習中の子供がいた。目を少し潤ませて不安げにこちらの様子を伺いながら、カウンターの下から缶入りのクッキーを差し出す。
「いえ、すみません。大丈夫です。お気遣いなく」
夜野は余計な事を口走ってしまった自分に張り手の一発でも見舞ってやりたくなった。仮面をつけていさえすれば、相手に届く前に仮面が綺麗な言葉に変換してくれたのに。自分から直接出てきた言葉によって、目の前の人間の心をいたずらにかき乱し、傷つけてしまったことがショックだった。あわててソーサーに戻したカップの中で、紅茶が波になってソーサーにこぼれていた。
「ごめんなさい。嘘です。さっきのは嘘なんです」
夜野はずれたマスクをしきりに直しながら席を立った。あわただしく荷物を引っ掴み、「嘘です」と繰り返しながら店を出た。




