8、王子殿下と僕
お客には、いろんな人がいる。
このお店を利用しているのは上流階級の男性がほとんどで(女性は娼館を嫌う習性がある、というか、まあ僕のお母さんもお姉ちゃんも、えっちなお店は好きじゃない見たいだったし。女性には"こういう"お店を利用しちゃだめっていう根底的な概念があるんだと思う)とりわけ多いのは新興貴族の男爵、伯爵あたりだろうか。
格式のある、いわゆる名門といわれている貴族の人も利用はするのだけれど、やはり利用頻度は格段に落ちる。
この前玄関ホールで小さな騒動を起した公爵も名門貴族で、あまり利用しない人に分類される。
そしてそういうあまりお店を利用しない名門貴族という人たちは、お店を利用する際にはお店側も大分気を使って、僕たち娼婦の中でも人気のある娼婦とかベテラン娼婦をあてがうものだ。(まあそもそも、そういう人たちは贔屓にしている娼婦が一人や二人いるものなんだけれど)
だから僕の目の前で、アシュレイさんと優雅にお茶を飲む、この国の第3王子さまは、本来ならもっと格上の娼婦がお相手になるはず、なんだけど。
僕は若干遠い目をした。
「そう怖がらずとも良い。何もとって食うなどという野蛮なことはせん」
「は、はい…」
緊張するなという方がムリだとおもうんだけど、それは。
僕は王子さまの声に、逆に状況をより鮮明に意識してしまって、ぐぐっと肩を縮こまらせる。
そんな僕を呆れた様に見やって、少し困ったように笑ったアシュレイさんは「申し訳ございません、アースは未だ初心なのでございます」と助け舟を出してくれた。うう、情けない。
しかしこの第3王子さま、圧迫感というか威圧感というか、とにかく何か存在自体が半端ないのだ。
光石の淡い黄緑色の光を受けてキラキラと輝くつややかな銀髪、紅茶を見つめる葡萄色の瞳。ここまでは物語に出てくる王子さまみたいなんだけど、とにかく体が熊…いや、ゴリラ?
そう、動物園でウホウホいってるゴリラみたいに筋肉隆々のマッチョさんで、いわゆるゴリマッチョさんで。
王子さまという単語がこれほどまでに似合わない人が未だかつていただろうか、いやいません、みたいな。アシュレイさんのほうがよっぽど王子さまみたいだよ雰囲気が…と、この短時間で何回思ったことか。
ともすればそんな言葉が口の端から出て行ってしまいそうで、僕はいっそう緊張して、口を引き結ぶ結果になっていたのだった。
「ふむ、なかなかに男児というのは扱いが難しい」
「アースは買われてより日も浅いこともありますれば…お気に召さぬようなら下がらせます」
「いや、これもなかなかに一興」
久々に娼婦を変えて見たが、なかなかどうして、面白いものよ、とゴリマッチョな王子さまは肩を揺らした。なかなかに獰猛な笑みである。
はっきりいって、超怖い。泣く子は黙らず号泣する笑顔である。
アシュレイさんはその笑顔に答えるように薄く、花も恥らうような笑顔を乗せて「それは、ようございました」と口を開いた。
普段の彼からは想像も出来ないようなやわらかい声である。いや、お客に大してはいつもこうなのだけれど、改めてこの獰猛な笑顔を前にしても崩さないその鉄火面張りの面の皮に僕はもう、何か彼を奉って拝みたくなった。アシュレイさんすごい。本当にすごい。
「…王子殿下におかれましては、なにやらお悩みを抱えているご様子。その御心が少しでも癒されたなら、僥倖にございます」
アシュレイさんのその言葉に僕はギョッとして、王子さまは一瞬ピクリと眉を動かしてから、それはそれは深く長いため息をついた。
「そんなにも、わかりやすいだろうか」
「王宮の噂は、風に乗りやすく、また流れやすいものでございます」
「…そう、だな。どうだろうとも」
観念したように瞼を落としソファーに深く腰掛けた王子さまを見ながら、僕は最近になってよくお客が口にする情報のひとつを思い出した。
曰く、第1王子が身罷られて幾分にも経っていないというのに第2王子が病に伏した。第4王子は酒と女に溺れる愚を犯し、第5王子は女官との間に生まれた卑しき身。ならば時期国王は、第3王子に決まったも同然。
そのような噂というか、風潮が今の王宮では主流になっているようである。第5王子を国王にと指示する派閥は、女官の後ろ盾になっている公爵家が1つとそれに連なるいくつかの貴族があるらしいのだが、あまりに少数なので中立を貫いているらしいのだけれども、問題は第4王子の派閥であった。
「第4王子の派閥には、隣国の息の掛かった者がいる、とか」
「…詮無い噂、と、片付けてしまうのは簡単なのだがな」
ソファーに身を沈めた王子さまは、その葡萄色の瞳に憂いを帯びさせながら「正直に言えば」と大きく息を吐きながら口を開く。
「ありえない話ではない。12年前、亡国帝王が討たれて後、多国間戦争は終結し平穏は保たれているが、それも表向きに過ぎん。隣国どもは今も昔も虎視眈々と機会をうかがっておる…筆頭は、南国のアルマクツィート聖教国だ」
その国の名前を聞いた瞬間に、僕の中で、もやりと、良くわからない感情が湧き上がった。不快感、のような。
けれど僕はその理由がわからず、心の中で首をひねりながら、緊張してまだ口をつけてなかった紅茶をちびりちびりと飲んだ。
林檎の生皮を加えたその紅茶は、さわやかで甘い匂いがする。ルクレシアさんに教えてもらったとおりに再現してみたのだけれど、なかなか旨くできたと思う。
僕はそれに満足して、そのちょっとした不快感なんてすぐに忘れてしまった。
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「それでは、僕は控えに。ごゆるりとお愉しみください」
お決まりの口上を述べた後ぺこりとお辞儀をして、僕は隣接している控え室の扉に手を掛けた。
あの後いろいろな話をしたけれども、結局王子さまが何に一番苦心していたかっていうと、お妃さまについてだった。
御歳18になる彼は、結婚適齢末期で(この国の成人は13歳なのだけれど、結婚適齢期は15歳から20歳である。どうやら学校という制度がないこの国では子供を早く親の庇護から離し、働かせる、要は税を課すために成人とするらしい)有力貴族から何人か宛がわれたようなのだけれど、どうやら彼の強面というか体格というか、王子さまとはいったい、という雰囲気がとても凄く裏目に出たようで、僕のように怯える方が多いらしく…後は言わずもがな。
僕は顔も知らないお姫さまたちが、銀髪のゴリラさんに怯える様を想像してしまって、噴出しそうになるのを抑えながら控え室の扉を開ける。
音も無く開いた扉の先に、僕は、異様なものを見た。
仄暗い控え室にボンヤリと、影のように浮かぶ人影。全身を真っ黒な服で統一しているらしいその人の覆面から覗く、ギラリと輝いた瞳の色。
手に持っているのは、白く輝く、アレは、アレは…?
刃物、だ。
僕はそれを認識した瞬間、全身の血が沸騰して、いや、下がった、のだろうか。とにかく僕は酸素を求めて大きく口をあけ、その口のまま「アシュレイさん!!」と叫んだ。
僕が叫んだのと同時か、それより早いかぐらいのタイミングで、その影のような人は僕ごと扉を押し開けて、アシュレイさんと王子さまがいるメインルームへと躍り出た。
僕は扉の影から飛び出して、メインルームと廊下をつなぐ扉へ手を伸ばす。
王子さまは帯刀していない。
別に娼館では帯刀を禁止しているわけではないのだけれど、流血沙汰、殺傷沙汰は起しませんよ、という紳士たちの暗黙の了解で、剣などの危険物は受付で預かっているのだ。また、剣を預けるぐらいにはこの店を信用している、という信頼の現われでもある。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
とにかく、助けを、誰かを呼ばなくては。
「アース!」
アシュレイさんの声が聞こえて、僕は瞬間的振り向いた。白刃の凶暴な光が、僕の、目の前に。
僕の意識は一瞬、そこで硬直した。
死ぬ。
死ぬ。
僕は、死んでしまう。
死んでしまう?
だめだ。ぼくは、まだ、しねない。
だって、ぼくをころすのは、
ぼくをころしていいのは、
膝の力を一瞬抜き、わざと体制を崩す。
目まぐるしく視点を動かして、右に転がりよけた。僕を狙っていた刃物が、扉に刺さる。
僕は床に肢体をくっつけたまま、出来るだけすばやく体勢を立て直しアシュレイさんを振り仰いだ。アシュレイさんの金色の瞳と目が合う。
ハッとして僕は四足を使って部屋の隅へ走り、バンッと壁をたたいた。
ガコンッと何かつっかえ棒が取れるような音がして、下の階からガランガランガランと派手な音。防音を施してあるこの部屋にも聞こえるような、派手な音だ。
不審者が現れたとき用の、警報装置である。
影のような人は、動揺したようで一瞬動きが鈍るものの、後には引けないと思ったのか扉に刺さった刃物は捨て置いて、もう一振り小太刀に手を掛けた。
が、遅かった。
その屈強な肉体から怒気を立ち上らせた銀髪の王子さまが、怒れる獣となって影のような人に襲い掛かる。
小太刀に掛けられた手には手刀が落とされ、王子さまの影に追従するようにしていたアシュレイさんがその小太刀を抜き取り放り投げ、その間に王子さまが影のような人の背後に回り込み左腕を首に絡ませ気道をふさいで膝を折らせ、アシュレイさんが王子さまと影のような人とのわずかな隙間に体をねじ込み、影のような人の両足に体重を掛けながら両手を拘束する。
流れるような、一瞬の動作だった。
僕は一瞬呆気に取られたけれど、我に返ってとりあえず僕の夜着を脱いでアシュレイさんに近づき、彼が彼自身で拘束している影のような人の両腕を、僕の夜着で編みこむように縛り上げた。
縛り上げている間にアシュレイさんも影のような人の両足に体重を掛けたまま、器用に夜着を脱いで両足を拘束。両足の拘束のほうは少し余ったので、両手の方にまわして結ぶ。ブリッジの手と足が限りなくくっついたような体制になった。太もも攣りそうだな、なんて場違いなことを思う。
王子さまも器用に片手で夜着を半分脱ぎ、それをビリリと力任せに破いて影のような人の口にかませた。その段階になってから影のような人を床に転がす。
酸素が足りなくなったのか、すでにぐったりしているが、息はあるらしい。
僕は、ぺたり、と床に座り込んだ。足の力が抜けてしまったのだ。知らずにつめていた息を吐き出す。全身が安堵に震えていた。
「…殿下、判っていらっしゃいましたね」
アシュレイさんのねめつけるような冷ややかな声に、僕はのろのろと顔を上げる。
王子さまの苦虫を噛み潰したような顔と目が合った。
ウェルガルフ・フォン・アズガル:アズガル王国第3王子・銀の髪、葡萄色の目、ゴリラ。