正義の見方【14】
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エミリアはティムの顔に浮かぶ冷や汗をそっと手で撫でて拭った。
何をどうしていいか思い浮かばず、できることといえばただ彼の手を握り泣きそうな声で謝るしかなかった。
「ごめんね、ティム。何もできなくてごめんね」
ふと、ティムが静かに目を開いて意識を取り戻す。
「お……嬢……様」
「ティム! 気がついたのね!」
「うっ」
ティムは痛む腹を押さえて身を丸めた。そして気付いたのか、傷口を覆う黒い高級なジャケットに疑問の声をあげる。
「これ……は?」
「黒猫ちゃんがしてくれたの。もう少し待ってて。きっと黒猫ちゃんが助けてくれるから」
「ぅぐっ」
再び傷口が疼いてか、ティムは苦痛なる表情で腹を押さえてさらに身を丸めた。
「ティム!」
心配に名を呼んで、エミリアは彼の傷口と顔をおろおろと交互に見つめる。
ティムは気を失ってか、体がぐたりと横たえる。
死んでしまったのではないかと思ったエミリアは慌てて彼の胸に耳を当てた。
とくん、とくんと。
心臓はまだ動いている。
エミリアは身を起こして安堵の息を漏らした。
すると、
コトンと。
傷口を巻いていた黒のジャケットの内ポケットから零れるようにして、鎖のついた銀盤の懐中時計が一つ、床に落ちた。
エミリアは不思議に小首を傾げる。
そっとその懐中時計を拾い上げて、チェーンを人差し指に絡めて手の平に載せ、銀盤を見つめる。
懐中時計の銀盤にはヴァンキュリア公家の家紋が刻まれていた。
何気に。
懐中時計を裏に返して見つめる。
裏の銀盤には見知らぬ異国の家紋が刻まれていた。
(これ、ヴァンキュリアの家紋じゃない……)
不思議に思いながらも興味本位に。
エミリアは懐中時計のスイッチに指を触れた。
そのスイッチを押してみる。
銀盤の蓋が開き、中の時計を見つめてエミリアは更に小首を傾げた。
その時計の秒針がなぜか右回りではなく左回りに時を刻んでいたからだ。
(どうして逆に動いているの?)
これでは時計の意味を成していない気がする。
――その時だった。
「裁きの時間よ、フレスノール・エミリア」
エミリアはびくりとしてすぐに周囲に視線を走らせた。
振り向けば、真後ろのすぐ近くに。
いつの間にか貴族の女の子がそこに立っていた。
エミリアの背にヒヤリと冷たいものが駆け上ってくる。
物音一つしなかった。いや、もしかしたら近づいてきていたその存在に気付かなかっただけなのかもしれない。
恐る恐る声を震わせて、エミリアはここの住人であろうその子に謝った。
「あ、あの、ごめんなさい。黙ってこの家に入ってしまって。あたしも何が何だか分からない状態で」
スッと。
抑揚のない顔で女の子が片腕を振り上げてくる。
その手に握られた一本のナイフ。
エミリアは息を呑んだ。
女の子が襲い掛かってくる。
反射的に。
エミリアは身を丸めて両腕で顔を覆った。
「…………」
いつまでも襲ってこない痛みに疑問を持ったエミリアは、そっと両腕の隙間から様子をうかがった。
確かにそれは刺される寸前だった。
女の子の目が呆然と何かに気付いて打ち震えている。
「……どういうことなの? これは」
わなわなと小刻みに震えながら女の子は首を横に振り、絶望に声を漏らす。
「その懐中時計はアルブレド様の──どうしてあなたが」
え?
エミリアが顔から手を退けた時、女の子の姿はそこから消えていた。
何もない空間をただ見つめて。
そして。
エミリアはゆっくりと視線を落とし、手の中の懐中時計を不思議な思いで見つめた。




