正義の見方【13】
道化は言った。
「僕の名前を覚えてくれていたなんて光栄だな。それとも絵画のサインを見て思い出したのかな? どちらにせよ、命尽きた虫ケラのことを思い出してくれたことに僕はとても驚きだ。てっきり君はあのまま他人事のように知らぬ顔で過ごすとばかり思っていたのに。まぁそれはそれでラーグ伯爵を消した後に君のところにも行くつもりだったんだけどね」
くすくすと笑って、言葉を続ける。
「僕が死んで清々したかい? そうだろうね。僕みたいなスラム街出身の人間がサーシャと結ばれたところでヴァンキュリアに何の利ももたらさない。それどころか家名に大きな傷を残す。わかっていたよ。たしかにあれは僕に下された天罰だ。身を弁えず彼女に恋をした。それは認める」
道化はシャンデリアから足を抜くと、バク転するようにしてシャンデリアから飛び降りた。
華麗に、広間に着地する。
そして舞台を演じる役者のごとく道化は胸に手を添えると傷心を語り続けた。
「僕はサーシャを愛していた。サーシャも僕を愛していた。たとえこの恋が結ばれようと、世間は僕たちのことを忌み嫌い嘲笑うだろう。それでも尚僕はサーシャを守り共に生きていこうと心に決めていたんだ。なのに、わからない。わからないよ。君は僕たちのこの気持ちをわかってくれているものだと信じていたのに」
胸に添えていた手を顔へと持っていき、道化は嘆いた。
「ラーグ伯爵様とクレイシス伯爵様。この二人だけを僕は心から信じていた。他の御貴族様とは違う。二人はきっと僕の神なる存在なのだと信じて疑わなかった。それなのにどうして? どうして僕は死んだんだ?」
肩を震わせ、道化はくつくつと笑い出す。
「そうだよね。富、繁栄、名誉、権力、金、金、金、金、金、金、金。
貴族はいつだってそうだ。利益の為なら人の心など厭いもせず裏切り、そして踏みにじる」
顔を上げ、真っ直ぐに。クレイシスを見つめる。
「僕のサーシャはカラード皇太子と結婚して幸せに暮らしているかい? ──暮らしているはずないよね? だってサーシャは僕と一緒になることをずっと望んでいたんだ。富も繁栄も名誉も権力も何もいらない。何にも縛られることのない平凡な家庭を作り、人里離れた場所で心穏やかに暮らそうって。それが僕とサーシャの望みだったんだ」
道化は右手をスッと掲げた。その手に生まれる一本の短剣。道化の目つきが変わる。復讐と憎悪に満ちた目で、
「それなのに君はあの日、僕の未来を滅茶苦茶にした。発表を待たずにラーグ伯爵様を利用し、スラム街出身である僕を裁判にかけたんだ。酷いよ。酷すぎる。あんまりだ。裁判で僕がどうなるかなんてわかっていたはずだ。
あの時はすごく痛んだよ。縛り首の痛みより、何よりここが、ここがすごく痛んだんだ」
何度も何度も道化は胸を激しく叩いた。
クレイシスが手を払って言い返す。
「それは違う! 全部誤解だ!」
道化は顔に片手を当てて壊れたように大声で笑った。
「最高だよ、とんだ傑作だ。最期に君も、あの時の僕と同じ台詞を言うんだね。処刑場で僕が叫んだことと同じ台詞を!」
笑いを止め、道化は据えた目をして短剣を構えた。
「前置きはもうこれくらいでいいだろう? 終幕だ。裁きの時間といこうじゃないか、クレイシス伯爵。僕だけ地獄に行くのは寂しすぎる。君も共に地獄に堕ちるべきだ」
駆け出し、クレイシスに狙いを定めて一気に距離を詰めてくる。
クルドは庇うようにしてクレイシスのすぐ前に立ち、大鎌を構えた。
道化が足を止める。不思議に首を傾げて、
「そこを退いてくれないか? 裁判者。これは正当な魂狩りだ。僕はコイツを道連れに地獄へ堕ちる」
クルドはその場を頑なに動かなかった。微笑して言い返す。
「遺体が本性を現すとは驚きだ。道化の意識を呑み込んだってわけか」
「それがどうした、裁判者。あれは僕の『正義の味方』だ。僕にとって神なる存在なのだよ。君は悪人に味方をするというのか? 私的感情で僕を裁くというのか?」
クルドは鼻で笑う。
「悪人? 俺には丸腰の相手を平気で襲うお前が悪人に見えるな」
「どうして僕が悪人なんだい? 意味がわからないよ」
道化の姿が消える。
次の瞬間、何もない空間から短剣だけが飛んでくる。
ほぼ反射的に。クルドは振り返りもせず背後にいたクレイシスの鳩尾に肘を見舞った。
その場から姿を消すクルド。
クレイシスが鳩尾を押さえて屈した直後に短剣が頭上をかすめていく。
数秒の間を置いて、クルドは再び同じ場所に姿を現した。
振り返りもせず心無い言葉をクレイシスに投げる。
「危ないぞ」
「口で言え、口で……」
鳩尾を押さえて苦しげにクレイシス。
クルドは鼻で笑う。
「口より先に手が出るから気をつけろ」
「オレが気をつける方かよ……」
「ラウルに手を貸した罰だ。関わるならそれなりの覚悟をしろ。
いいか、クレイシス。あの道化は魔女とは違う」
「どこがどう違うっていうんだ?」
「違いを比べるなら魔女というよりゾンビだ。ゾンビってわかるか? 死んだ──」
青ざめた顔でクレイシスはクルドの言葉を遮った。
「それ以上言うな。今のでだいたい理解できた」
「なら話は早い。奴を狩る時に魔術数式を組み置く必要がある」
「魔術数式?」
「軽く流せ。説明する気はない。つまり俺に一瞬の隙ができるということだ」
「オレはどうすればいい?」
「お前を守りながらの戦いは無理だ。はっきり言ってここに居られると邪魔だ」
クレイシスは首を傾げる。
「要するに隠れていればいいのか?」
「今隠れられたらもっと邪魔になる」
「オレに選択の余地はないのか?」
尋ねるクレイシスにクルドは振り返り、その顔を見て不敵に笑った。
「俺と共に戦え、クレイシス」
「え?」
意外な言葉に目を丸くするクレイシスに向け、人差し指を立てる。
「一つ、お前に頼みがある。俺の指示に従えるか?」
すぐにクレイシスは表情を変えて微笑した。
「わかった。やってみる」




