貴族と庶民【10】
投げられた短剣がティムに襲い掛かる。
ティムは道化の言葉を信じてその場を動かなかった。
全ては一瞬の出来事で、短剣はティムの頭上にあるリンゴに突き刺さり、リンゴが地面に落下する。
それと同時に。
トス、と。
軽い音を立てて、なぜか道化の胸に短剣が一本刺さった。
「お?」
道化は他人事のように自分の胸に刺さった短剣を見下ろし、さして驚きもしない落ち着いた様子で声を漏らす。
それに気付いた一人の女性が悲鳴を上げる。
注目がティムにではなく道化へと集った。
ざわめく周囲。数人の観客が道化を助けに駆け寄る。
駆け寄ってきた観客を道化は手で制して。
「…………」
道化は何事ない顔で胸に突き刺さった短剣を平然と引き抜いた。その短剣を眺めるように見つめ、
「おやおや。二本目を投げた覚えはないんだけどね」
「お、おいあんた……大丈夫なのか?」
観客の一人が恐る恐る道化に声をかけてくる。
道化はニヤリを笑った。短剣を手に、ぴょこぴょことおどけてみせる。
「あはは。ジョークですよ、ジョーク。これも手品です。びっくりしました?」
見ていた観客達から安堵の笑みが漏れる。
「なんだ、手品か」
「一瞬事故かと本気で思っちまったよ」
そしてやっと心からの拍手を道化に送った。
道化はそれに応えるようにペコペコと何度もお辞儀する。
「ありがとう、ありがとう」
各方面から地面に置かれた箱の中へとお金が投げ込まれる。
道化は何度も礼を言った。
観客達が立ち去って。
道化は箱の中のお金を楽しそうに数えながら歌いだした。
「お金、お金、楽しいな~。キラキラお金、嬉しいな~。ふんふん♪」
路上に一人残されたティムは、マスケラを片手に恐る恐る道化に声をかける。
「あ、あの……」
「はい?」
頭上に疑問符を浮かべ、ことんと首を横に倒す道化。
ティムは短剣の突き刺さったリンゴとマスケラを道化に返した。
それを見て道化はニカリと笑う。首を横に振って、
「それ、いらない」
「え?」
面食らった顔でティム。目を二、三度瞬かせる。
道化は言葉を続ける。
「あー、でもやっぱりこれだけは返してもらおうかな」
言って、ひょいと短剣の刺さったリンゴをティムの手から取った。
ティムは手の中に残ったマスケラも道化に差し出す。
「あ、あのっ! これも」
「それいらない」
「でも」
道化は自分の顔を指差して答える。
「だって、道化にマスケラなんて必要ないだろう?」
「あ……」
なるほど、と。ティムは思わず納得してマスケラを引き寄せ、そこに視線を落とした。
左右対称を黒と白に分けて色塗られただけの簡易な作り。目と口が何かを嘲笑うかのように描かれている。
ティムが再び顔を上げたその時には、
「あれ?」
いつの間にか、道化の姿はそこから消えていた。




