業平
「来ます」
ロクサーヌの声が飛んだ。
二列めにいるグラスビーの下にオレンジ色の魔法陣が現れている。
距離があるのでセリーの槍は届かない。
グラスビーが針を噴射した。
ロクサーヌが鋼鉄の盾で受ける。
ほぼ同時に、ビッチバタフライとハットバットもロクサーヌに攻撃をしかけた。
ロクサーヌは左足を引いて半身になりながらビッチバタフライの体当たりを避け、頭を振ってハットバットの突撃をかわす。
俺は後ろで五発めのブリーズストームを念じた。
突風にあおられ、魔物の体が大きく揺れる。
体勢を立て直したビッチバタフライが再度ロクサーヌを攻撃した。
ロクサーヌは盾でいなし、続いて突っ込んできたハットバットを体をひねってかわす。
かわしざまにレイピアで一撃浴びせた。
六発めの魔法を放つ。
セリーの正面のビッチバタフライの下にオレンジ色の魔法陣が浮かんだ。
セリーが槍で突く。
ミリアも正面のハチの攻撃を盾で受け、その後シミターで斬りつけた。
ロクサーヌがビッチバタフライの攻撃をほんの少し横に移動してかわす。
続くハットバットの攻撃も難なく避けるのを見ながら、七発めのブリーズストームを念じた。
ビッチバタフライ二匹、グラスビー二匹、ハットバットがまとめて落ちる。
「うーん。やはり十六階層は大変だ」
公爵からお墨付きをもらってクーラタルの迷宮に堂々とこもれるようになったのはいいが、十六階層での戦いは厳しい。
まあ魔物の攻撃を避けているのは主にロクサーヌだが。
見ているだけでも大変そうだ。
十三、十四、十五階層を勢いだけですっ飛ばしてきたからしょうがない。
中央に立って敵の攻撃を避けまくるロクサーヌがいなければ、前線が崩壊しているところだろう。
「いえ。このくらいではまだまだ大変とはいえません」
大変ではないとか。
相変わらず恐ろしい娘。
クーラタルの十六階層は風魔法を弱点とする魔物が多いのが唯一の救いだ。
風魔法が弱点の魔物を選べるのも、ロクサーヌがいればこそである。
「何度も連続して攻撃を浴びたりはしていませんから、十分戦えると思います。迷宮に入るのならこのくらいの戦闘はまだぬるいくらいです」
セリーがいうとそうなのかという気もしてくるが。
この世界の標準では安全マージンを大きく取ったりはしないらしい。
中央でロクサーヌが複数の魔物を引きつけるから、両端にいるセリーとミリアにはそれほど困難な戦いではないのかもしれない。
「大丈夫。お姉ちゃん、いる」
ミリアは正しく認識しているようだ。
「そうか。ロクサーヌのおかげだな」
「いえ。ご主人様が魔法で倒してくださるからです」
「では、次は剣で戦うので、数の少ないところへ頼む」
十六階層で戦っているうちに探索者もLv39になった。
ボーナスポイントが増えたので、詠唱省略を取得している。
フォースジョブと詠唱省略が同時に取れるようになったのは大きい。
MPを回復して、魔物と戦っていく。
ビッチバタフライ四匹、グラスビー一匹の群れとも何度か戦闘した。
クーラタルの十六階層ではこの組み合わせが一番の難物だ。
いや。一番の難敵は、風魔法が弱点の魔物の中に火魔法が弱点の食虫植物が入ることだが。
それはロクサーヌがいれば回避できるのでおいておく。
実際、今までに戦ったことはない。
ビッチバタフライ四匹が何故厄介かというと、セリーの槍による詠唱中断が間に合わない可能性があるからだ。
ビッチバタフライのスキル攻撃にはこちらを麻痺させる機能があるらしい。
ロクサーヌが麻痺でもして動けなくなったら、総崩れになる恐れもある。
ビッチバタフライが二匹以下ならまったく問題ない。
三匹でも大体大丈夫。
四匹以上だと、さすがに間に合わない可能性が考えられるそうだ。
グラスビーが厄介なのは、遠距離攻撃だ。
魔物が四匹以上のとき、何匹かは二列めに回ることがある。
五匹いれば、一匹は確実に二列めに入る。
後ろに回られて厄介なのは毒針を飛ばしてくるグラスビーだ。
だから、ビッチバタフライ四匹グラスビー一匹の団体が一番怖い。
抗麻痺丸を買い足しておくべきだろうか。
実際には一度も使っていないから大丈夫か。
結局、その日は抗麻痺丸を使うことなく、狩を終えた。
翌日も早朝からクーラタルの十六階層に入る。
「来ます」
注意を促すと、ロクサーヌがグラスビーの毒針を盾で受けた。
抜群の安定感だ。
ビッチバタフライの体当たりをかわし、別のグラスビーにレイピアを突き立てる。
蝶のように蝶をかわして舞い、蜂のように蜂を刺す。
恐ろしいほどの強さだ。
ビッチバタフライの攻撃をセリーが避けた。
ミリアもグラスビーの攻撃を盾で受ける。
もう一度、二列めのグラスビーがスキル攻撃を放った。
ロクサーヌが難なく盾で受ける。
続くビッチバタフライの攻撃も身体を軽く動かしてかわした。
横のグラスビーが今度はミリアに攻撃をしかける。
ミリアがいなした。
しかし、続く正面のグラスビーの攻撃はかわしきれず受けてしまう。
グラスビーの攻撃を喰らったが、毒は受けなかったようだ。
安心して魔法攻撃を続ける。
デュランダルを出さないとき、防毒の硬革帽子はミリアに着けさせている。
セリーには槍でビッチバタフライを止める役目がある。
ビッチバタフライと対峙しなければならない。
風魔法を放ちながら、ミリアに手当てをした。
魔物の攻撃二、三回でやられるレベルではすでになくなっている。
手当ては攻撃魔法の間にゆっくりでいい。
風魔法で魔物を屠った。
「大丈夫」
全快したらしく、ミリアが手を上げて止める。
ロクサーヌに索敵を促した。
次の団体はビッチバタフライが二匹にグラスビー。
セリーが蝶に一度はたかれたが、無事倒した。
手当てをした後、デュランダルを出す。
魔物の団体を二つお客さんにして、MPを回復した。
強壮丸を使うのは、もったいない気がしてやっていない。
次の団体はビッチバタフライ二匹にグラスビーとハットバット。
ハットバットがロクサーヌの頭を越えて飛び込んでくる。
杖を使ってなんとかいなし、ことなきを得た。
最後のブリーズストームで全機叩き落す。
後衛としては、前衛の頭を飛び越えてくるハットバットは鬼門だ。
次の団体はビッチバタフライ四匹にグラスビー。
ハットバットがいないだけで、むしろ安心する。
グラスビーが途中で遠距離攻撃を放ってくるが、ロクサーヌがきっちりと受けた。
鉄壁のディフェンスだ。
グラスビーの遠距離攻撃で崩されることはないだろう。
ビッチバタフライが接近してくる。
四匹が横一列に並んだ。
最初に突入してきた蝶の体当たりをロクサーヌが軽く避ける。
隣のビッチバタフライの突撃は盾で受け止めた。
他のビッチバタフライがスキル攻撃を浴びせようとしてくるが、セリーに阻止される。
この調子なら大丈夫か。
ほっと息を入れたとき、四匹のビッチバタフライの下にほぼ同時にオレンジ色の魔法陣が浮かんだ。
セリーが槍を突き入れるが、四匹同時には攻撃できない。
焦ったところで俺の風魔法が連続で撃てるはずもなく。
セリーはなんとか三匹をキャンセルさせることに成功したが、残る一匹のビッチバラフライのスキルが発動した。
蝶の羽から、粉っぽい煙が湧き上がる。
スキルを起動したビッチバタフライは、セリーからは一番遠め、ミリアの正面の魔物だ。
煙がミリアを包む。
ミリアの動きが止まった。
身体が硬直している。
次の風魔法を放ちながら観察するが、小刻みに震えるだけで、動かない。
これが麻痺か。
「薬を飲ませた方がいいか?」
「先に殲滅を」
セリーに促されてブリーズストームを放った。
ビッチバタフライがミリアを攻撃する。
動けないミリアが攻撃をかわせるはずもない。
手当ての後、風魔法を追加して、魔物を屠った。
魔物が撃墜する。
「麻痺はどのくらいで治るんだ」
ミリアを見た。
動けないようだ。
一応アイテムボックスから抗麻痺丸を取り出すか。
「決まってはいませんが、それほど長くはかかりません。戦闘中に治ることも結構あるようです。時間がかかるようなら、薬を使うか、安全な小部屋に移動するという手もあります」
「すぐ近くに魔物はいないようです」
セリーとロクサーヌが教えてくれる。
薬を口移しで飲ませるか。
あるいは少し様子を見るか。
いや。別に口移しがしたいわけではない。
動けないのだから情熱的なキスは望むべくもないし。
それに、動けないところに舌をこじ入れるというのはなんかやばい趣味に目覚めそうだ。
身動きの取れないミリアを力強く抱き寄せ、唇を無理やりに開かせ、動かせなくなっているところに俺の舌を差し入れ、思うがままに口の中を蹂躙する。
動けないのだから抵抗もできまい。
こ、これは……。
なんにせよ一度試してみるべきだな。
うん。うん。
と思ったところで、ミリアが動いた。
瞬きをして、眼球を動かす。
「あ。大丈夫か」
「大丈夫。すみません」
「謝ることじゃない」
ぐだぐだと考えている間に、麻痺から回復してしまった。
口移しは次回送りだ。
ちょっと残念。
ミリアに後遺症などはないようだ。
麻痺が抜けると、すぐに完全復活した。
その後も普通に狩を続ける。
今日の狩を終えるまで、麻痺になることはなかった。
「魚、です。早く、です」
狩を終えると、ミリアが真っ先に魚屋に飛び込む。
今日は新しい鍋を使って魚料理を作る日だ。
「どんな魚を使うんだ」
「白身、です」
店に置いてある魚を一通り吟味したミリアが告げた。
いい魚は置いてなかったみたいだ。
「他にはなんか必要なものがあるか」
「スライムスターチが必要なようです」
白身を二つ買って尋ねると、ロクサーヌが通訳してくれる。
二つ買ったのはあくまで三割引用だ。
ミリアのことだから多分二つ使うつもりだろうが。
スライムスターチはグミスライムのドロップアイテムである。
ギルドで手に入れて、家に帰った。
ミリアは、平鍋に水とワイン、魚醤とオリーブオイルを少し入れる。
下ごしらえした白身を投入し、煮込んだ。
割と普通の煮つけ料理だな。
「スライムスターチはどうするんだ」
「これ、です」
ミリアがスライムスターチをミルで削る。
水に溶かし、少量を最後に平鍋に加えた。
なんかの調味料か。
隠し味ってところだろう。
いや、違う。
皿に盛るときに分かった。
あんかけだ。
スライムスターチってのは片栗粉だったのか。
白身一つを丸ごとミリアに進呈し、残りの一つを三個に切り分ける。
三分の一でも結構多い。
まあ残ったらミリアが片づけてくれるだろう。
ミリアの作ったあんかけ煮魚を食べてみた。
「なかなか旨いな」
悪くない煮つけだ。
結構旨い。
魚醤を使っているせいか、やや野趣にあふれている。
砂糖と酢で薄めれば、もっといけるのではないだろうか。
というか、それは甘酢あんかけか。
「食べた、です」
ミリアも満足そうだ。
さすがに大量に食べたのか、ロクサーヌやセリーから強奪することもなかった。
しばらくは魚なしで大丈夫だろう。
翌朝、試しに甘酢あんかけを作ってみる。
砂糖と酢と魚醤を入れた水を煮込み、スライムスターチでとろみをつけた。
別に作った野菜炒めの上に、甘酢あんをかける。
うん。
ただの肉なし酢豚だ。
豚が入っていないのに酢豚とはこれいかに。
失敗したときが怖かったので野菜炒めにしたのが失敗だった。
「美味しいです、ご主人様」
「甘くて酸っぱくて、食べたことのない味です。すごいです」
「おいしい、です」
三人はほめてくれたが、酢豚を知らないからだろう。
微妙に物足りなさがある。
しかしそんな失敗にめげる俺ではない。
スライムスターチを使った新たな料理にチャレンジする。
あんかけは、できることは分かったし続いても飽きるから、パス。
パーンを倒して得たヤギ肉に魚醤を塗り、半日置いた。
「ミリア、スライムスターチを削ってもらえるか」
「はい、です」
夕方、帰ってからミリアに片栗粉を作ってもらう。
「ご主人様、仲買人のルークから伝言です。芋虫のモンスターカードを落札したようです」
帰ったとき、ルークからのメモも残っていたようだ。
芋虫のモンスターカードからは身代わりのミサンガができる。
これで三個めだ。
決意の指輪があるから、全員分のアクセサリー装備がそろうことになるな。
まあそれは明日でいい。
ヤギ肉にスライムスターチをまぶし、揚げた。
北海道料理のザンギ、もしくは竜田揚げだ。
あまり赤くはならなかったが。
唐紅にはなってくれない。
魚醤のせいか、ややどす黒い色になる。
見た目はあまりよくない。
食べてみると、普通に旨かった。
肉を揚げただけだから失敗する要素はあまりない。
満足のできる味だ。
現代日本の竜田揚げだってそんなに赤いのは見たことがない。
千早ぶる神代は知らず。
これで十分だろう。




