潤い
前回のあらすじ:ドライブドラゴン戦を繰り返すことになった。
結局は夕方まで三十三階層でドライブドラゴンを相手にした。
結構大変だ。
ドライブドラゴン多数が相手だとどうしても戦闘時間はかかる。
相手が一、二匹なら、ミリアがすぐに石化して終わらしてくれるのだが。
昔の感覚を思い出した。
昔といってもそんなに前の話ではない。
この世界に来てからのことだ。
魔道士や遊び人や勇者のジョブを得る前は、戦闘時間も長かった。
今より長いこともあったんだよなあ。
よくやれていたものだ。
あのころに比べれば、現在の戦いはぬるま湯といっていい。
今は雷魔法があるから魔物が麻痺することも多々あるわけで。
いや。昔は魔物の数が少なかったか。
まあ魔物が増えれば一回の雷魔法で麻痺する魔物も増えるから、相対的にはそこまで大変になっていないが。
昔は魔物が全体攻撃魔法を使ってくることも少なかった。
ドライブドラゴンLv33ともなれば結構撃ってくるので、そこは大変になっている。
そうなんだよ。
大変なんだ。
今の方が甘ったれているという感覚は間違いだ。
近ごろの若いやつはなどと言われても昔とは条件が違うのだ。
全体攻撃魔法は、喰らった場合ロクサーヌか俺がきっちり回復しているので、問題にはなっていない。
回復が追いつかなかったりMPが足りなくなるほどの攻撃も受けていない。
少し痛いだけだ。
それが嫌なわけだが。
そのくらいはしょうがない。
迷宮も三十三階層まで進んできたら、楽勝というわけにはいかない。
命の危険は感じないだけでよしとせねばならないだろう。
攻撃を浴びる戦いを終えて、娑婆へと引き返す。
これからは潤いの時間だ。
その前に帝都の服屋にも行かなければいけない。
潤いのためにも必要だ。
「ルティナは帝都にある服屋を知っているか? 冒険者ギルドの通りのすぐ近くにある」
「いいえ。服屋は使ったことがありませんので」
「なら大丈夫そうだな。これから帝都の服屋へ行こう」
「ルティナの服を作るんですね」
迷宮から出る前にみんなに告げると、ロクサーヌにはあっさりばれてしまった。
何故分かる。
いや。まあ分かるか。
ルティナにメイド服やエプロンを作るのは、着てくれるか不安もあったので先延ばしにしていた。
着るときはロクサーヌも一緒だから、ルティナがその命令に逆らえるはずもないが。
かといって嫌なものを無理やりに着せさせるのもどうか。
メイド服に関しては、元々帝宮の侍女服を模したものらしいし、帝宮の侍女には身元の確かな人がなるだろうから、それほど心配はしていない。
いくらあの皇帝でもそう変な人は宮廷に入れはしないだろう。
貴族の次女や三女あたりが帝宮の侍女にいても不思議はない。
元貴族のルティナならメイド服を受け入れるのではないだろうか。
問題はエプロンだ。
食事を作るときにロクサーヌたちのエプロン姿を見ても、ルティナは特に嫌う様子は見せなかった。
感じとして、エプロンそのものは大丈夫ではないかと思う。
裸エプロンは別にして。
問題はそれだ。
しかしあれはやらせたい。
やらせてみたい。
あれが潤いだ。
あれこそが潤いなのだ。
潤いのためである。
毎日毎日僕らは迷宮の中で戦って、嫌になっちゃうよ。
ベッドの上でおいしくいただかれることは我慢してほしい。
「まあみんなのおかげで迷宮の攻略も進んでいるからな。その褒賞もかねて、みんなにも服を作ろう」
どうせだからみんなにも服を作ろう。
これはエプロンを作るためのごまかしではない。
と思う。
「また何かお作りになるのですか?」
というのに、セリーがなにやら疑義を呈してきた。
セリーの目に俺はどう映っているのか。
確かに、作れるのならセーラー服でもナース服でも作りたいが。
しかしそこまでやるのは難しいだろう。
俺に型紙が作れるわけはないし、そもそもどういう構造になっているか知らない。
だからセーラー服やナース服については諦めている。
いや、違う。
元よりそんな欲望はない。
少し潤いがほしいだけ。
俺は一介の趣味人でありたいだけだ。
「あー。今回は別にそういうのではないが。俺が作らせるような服は嫌か?」
「い、いえ」
「もちろん嫌ではありません。えっと。……きっと可愛がってくれますし」
ロクサーヌがフォローしてくれた。
ロクサーヌならセーラー服もOKと。
「今回は、迷宮で着る服、とは言わないが、ある程度普段使いできるカジュアルなものを作るつもりだ。あくまで褒賞なので、自分の好みを店に伝えて作ってもらっていい」
「よろしいのですか」
「かまわない」
そう変なのでなければ好きに作ってくれればいいだろう。
ドレスとか作っても着ていくところはないが。
帝都にあるあそこの服屋は、高級服を扱う店ではあろうが、カジュアルなものも大丈夫だと思う。
巫女服もどきも作ってたしな。
なにより、上位貴族ともなれば服屋に行くのではなく、布地屋を呼びつけて自分たちで仕立てる、という話を昨日聞いたばかりだ。
さすがは貴族。
直接店に出入りしているような人は、どんなに貫禄があっても上位貴族ではないのだろう。
それなら、俺のような庶民も気兼ねなく店に行けるというものだ。
「ありがとうございます。ただどういうのを作ればいいか」
「お店の人に言えば、きっと何か提案してくれます」
考え込むロクサーヌにセリーが教えている。
なるほど、それもそうだろう。
店へ行けばどうにかなるはずだ。
「服、です。作る、です」
「あのお店で服を作るなんてすごいと思います」
「諸侯会議のためにも身だしなみを整えるのは当然です」
諸侯会議はどうでもいいが、ルティナも服を作ることに前向きのようだ。
服を作るなら、採寸がある。
そのパーソナルデータを少しだけ流用することは、個人情報保護法のないこの世界では許されるだろう。
少しだけ。
少しだけだから。
先っぽだけだから。
後は、分かるな。
大きな気分で帝都に飛ぶ。
冒険者ギルド前の目抜き通りに面したいつもの服屋。
まかせておけば仕事も安心だ。
「いらっしゃいませ」
「今日は彼女らにカジュアルウェアを上下一着ずつ作ってやりたい。可能か?」
「もちろんでございます。ありがたく承らせていただきます」
店に入って男性店員に告げると、満面の笑みで請けてくれた。
「それぞれ好みもあるだろうし、相談に乗ってやってくれないか」
「かしこまりました」
「はい。では皆様こちらへ」
男性店員が顔を向けると、女性店員がやってきてロクサーヌたちを奥に連れて行く。
「当店で作る普段着は、上下セットですと一番お安いもので四千ナールから。以下、七千ナール、一万ナール、一万三千ナールとなっております」
「へえ」
そういうシステムになっているのか。
結構おおざっぱだ。
生地を選んでそれで作る、ということでもないらしい。
何がいくらときっちり決まっているのはかえってみみっちいということだろうか。
「高いものは普段着ではありますが絹を使っております。一万を超えるような服は貴族に比肩するほどの大商人のかたなどが特別にあつらえるものです。当店としては六千ナールのもので十分な品質を提供できると自負しております。普段着ですので数をそろえたいこともありますし」
ほお。割と良心的だ。
こういうのは、松竹梅とつけてより高いものに誘導させたりするものだと思うが。
そこまで販売技術が進んでいないのだろうか。
あるいは、変に安いものを売って店のブランド価値を下げたくないという考えなのか。
元々金持ちしか相手にしていないから、安いものは用意もしていないと。
四千ナールで十分に高いんだろうしな。
そうだよな。
高いんだよ。
四千ナールでも下手をすればクーラタルの洋品店の十倍だ。
危うくだまされるところだった。
「ではまあ四千ナールで」
「はい。それでご満足いただけるかと存じます」
本当に四千ナールのもので十分みたいだ。
値段が決まると、ロクサーヌたちががやがやと服決めに入った。
時間がかかりそうだ。
しかしそれは想定の範囲内。
「ご主人様、時間を使ってしまい申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ。ゆっくりやってくれ」
ロクサーヌが謝ってくるがこちらにもやるべきことがある。
「では、こちらで少し採寸させていただけますか」
「はい」
「今採寸に行った女性だがな、彼女は新加入なので、他のみんなに作った服を持っていない。帝宮の侍女服を模したやつとか」
ルティナが席を離れた隙にメイド服なども依頼しておく。
別に目の前で注文しても問題はなさそうな気もするが。
サ、サプライズプレゼントだ。
女心の分かる男はこうするのである。
ロクサーヌがルティナの服を作ると言ったからもう分かっているだろうけど。
もらって嬉しいかどうかは微妙な服だけど。
裸エプロン用の絹のエプロンも入っているけど。
「かしこまりました」
男性店員もルティナが戻ってくる前に受注を完了する。
しっかりと話の通じるいい店だ。
商品は全部一括で受け取ることにしておいた。
エプロンだけ先にもらうのもな。
ただし、時間がかかったので今日はストッキングの店まで回れそうにない。
そっちは後日でいいだろう。
今日のところは、ルティナのネグリジェ用キャミソールドレスを買って帰る。
ルティナは黄色にするらしい。
それもまた潤いだ。
帰ったら急いで風呂を入れよう。
風呂へと。そしてベッドへと。
取るに足らない人生は取るに足らない潤いのためにある。
「魚、です」
と、その前に夕食か。
それもまた潤いだろう。
今日はミリアのリクエストに答えて魚料理だ。
取るに足らない食材に賭けるのもまた人生とすべきだろう。
「ご主人様、ルーク氏からの伝言が入っています。ハチのモンスターカードを落札したそうです。五千三百ナールですね」
モンスターカードか。
さすがにそれは潤いにはならない。
まあ取りに行くのは明日だ。
今日はただ潤いのときを過ごそう。
夕食で潤い、風呂で潤い、その後でも潤った。
心配しなくても溢れ出るパワーは尽きることがない。
その上に色魔まであるのだ。
涸れることはない。
潤いが満たされ、一夜が明ければ朝から戦いだ。
まだまだ続く不毛な戦闘。
しかし悪くない。
今夜の潤いのための糧となってもらおう。
今日はいよいよ三十四階層に足を踏み入れる。
一段階上の厳しい戦いになるだろう。
昨夜の潤いも、すべてはこれに備えてのものであったのだ。
「では行くか」
装備を整え、クーラタルの迷宮三十三階層に移動する。
ロクサーヌの案内でボス部屋まで進んだ。
三十四階層に行くにはボス部屋を突破しなければならない。
「ドライブドラゴンのボスはランドドラゴンです。空は飛びませんが、ドライブドラゴンより動きがすばやいので注意してください。土魔法で攻撃してきた場合は威力が大きいそうです。ドライブドラゴン同様、全属性に耐性があり、弱点となる属性はありません」
セリーのブリーフィングを受けてから、ボス部屋に入る。
ランドドラゴンだけに土属性は威力がでかいのか。
もっとも、ボス部屋で戦うときは詠唱中断のスキルを持つ槍を構えたセリーが張りつくので、魔法に対して心配することはない。
動きが速くても、対応するのはロクサーヌだしな。
ボスは一匹なのでミリアの石化も効果的だ。
ボス戦で必要以上に恐れることはないだろう。
ボス部屋の真ん中に煙が集まり、魔物が姿を現した。
空は飛べないというだけあって低い位置に現れる。
ランドドラゴンだ。
どっしりと構えた四足の魔物。
床にくっついて腹ばいになった胴体。
横に張り出た四本の足。
「って、トカゲじゃねえか」
ドラゴンというより、完全にトカゲだった。
地竜ではなくトカゲ。
ランドドラゴンというよりはコモドドラゴンだ。
確かにでかいけど。
これならドライブドラゴンの方が普通にドラゴンっぽくて怖そうだ。
もっとも、地球でコモドオオトカゲを見たらきっと恐ろしく感じただろう。
それを思うと俺も慣れてきたのだろうか。