記憶
「よし。では迷宮に行く」
ルティナの装備も整ったので、迷宮へワープで移動する。
直接クーラタルの二十二階層に出た。
なにもルティナに気を使って入り口から行くことはない。
入場料も取られるし。
「えっと。ここは?」
迷宮に移動すると、ルティナではなくロクサーヌが戸惑った。
いつもの階層ではないことはにおいで分かるのだろう。
ルティナの方は、面食らっている様子はない。
そこまで躾けられたのだろうか。
「二十二階層だ。ここなら全体攻撃魔法が飛んでこないからな」
「なるほど。それはそうですね」
「最初は数の少ないところで頼む」
「分かりました」
昨日まで伯爵令嬢だったルティナにいきなり戦わせるというのもどうなんだろう。
少し酷ではないだろうか。
村人Lv2とはいえすぐに死ぬわけではないが、痛いものは痛い。
何度も攻撃を受け続けたら慣れる前に心が折れる可能性もある。
だから最初は見学からだ。
見学させるなら、なるべく上の階層がいい。
かといって後ろで見学していても魔法は飛んでくる。
特に二十三階層より上の階層の魔物は全体攻撃魔法を使ってくるから厄介だ。
全体攻撃魔法では避けようがない。
つまり、見学させるなら二十二階層が最適解ということになる。
「ルティナは、迷宮に入ったことはあるか?」
それとなくルティナにも話を振った。
ルティナは村人の他に探索者のジョブも持っているから、迷宮に入ったことはあるはずだ。
持っているジョブは村人と探索者だけ。
探索者もLv1なので、本当に入っただけだろう。
「ありません」
「え? ないの?」
思わず大きな声で聞き返してしまった。
「申し訳ありません」
「ああ、いや。別に入ったことがないのが悪いわけじゃなくて」
「そう言っていただけると助かります」
ルティナは坦々と謝ってくる。
びくついたりはしていない。
トラウマにはなっていないようだ。
入っていたことは忘れているのだろうか。
Lv1だし。
別に隠す必要はないと思う。
それとも、探索者のジョブを得るのに迷宮に入る以外の方法があるのだろうか。
「まあ今日のところは見学がメインだ。様子を見て、迷宮の雰囲気に慣れるように」
「かしこまりました」
「明日の朝には、ルティナにも戦ってもらおうと思う。ここの低階層は混むからな。早朝がいいだろう。服装のこともあるし」
ルティナを特別扱いするわけではないと、みんなにも言い訳しておいた。
他のみんなは結構びしばし戦わせてたような気がする。
なんと言いつくろおうと所詮は特別扱いか。
しょうがない。
明らかに本人の意思に反する形で連れてこられたのだし。
なるべく大切に扱いたい。
「はい。がんばります」
ルティナもがんばってくれるらしい。
「こっちへ行くと、近くにいますが少し数が多そうですね」
びくついている俺を尻目に、ロクサーヌが索敵した。
すぐに服を買ってベイルの迷宮に行けとか言わないようだ。
「迷宮へは直接フィールドウォークで飛べないということを知っていますか?」
その間に、セリーがルティナに尋ねている。
「え? そうなのですか?」
「やはり知らなかったのですか」
なるほど。
ルティナはフィールドウォークでは迷宮に移動できないことを知らなかったのか。
それならワープで直接迷宮に移動しても驚きようがないわな。
盲点だった。
気づいたセリーもさすがだ。
「右に出れば、数は少ないですね」
「右だな」
「ご主人様が迷宮に直接飛べるなどと言い出さないように」
ロクサーヌが俺に報告した後、ルティナに釘を刺す。
迷宮に直接移動できるのが特異なことだと知らなければ、ぽろっと洩らす可能性があるのか。
「は、はい」
「不用心なことをしたら、分かっていますね」
「ひっ。はい、ロクサーヌ姉様」
ルティナはやはりトラウマになっているような。
残念ながら俺にできることはない。
「では行くか」
「はい」
ルティナを連れて、迷宮への一歩を踏み出した。
進むと、魔物が出てくる。
クラムシェルが二匹だ。
「二十二階層までの魔物は全体攻撃魔法を使わないから、ここで待ち受ける」
ダートストームとサンダーストームを念じてから、ルティナに説明した。
遊び人のスキルは雷魔法のまま変更していない。
階層は、どうせすぐにも移動するだろう。
錬金術師をつけないといけないから魔法使いははずしている。
土ぼこりが舞い、雷光がきらめいた。
魔法が貝に襲いかかる。
ルティナではなくクラムシェルが固まった。
二匹同時だ。
「行かなくていいです」
ミリアが指示を仰ぐためにロクサーヌを見て、ロクサーヌが判断する。
こういう事態は想定していなかったな。
魔物一匹が相手だと、麻痺している間、待ち受ける時間が無駄だ。
ミリアが接近して攻撃すれば石化させられるかもしれない。
かといって今から行っても魔物のところに着いたころには麻痺が解けている可能性がある。
むしろ、この隙に後ろに下がって魔物から距離を取っておくのがいいかもしれない。
そこまでするほど危険な相手でもないが。
ルティナはただ感心したようにうなずいていた。
次の魔法を放つ。
収まったら、さらにその次。
クラムシェルは、結局再度動き出すことなく魔法だけで沈んだ。
「これが魔法ですか。魔法というのは確かにすごいのですね。魔法使いの人がおられるのにも驚きましたが。この力がわたくしにも」
ルティナは、どこかずれた感想を抱いている。
魔物との戦闘をまったく知らなければ、こんなものなんだろうか。
「次からは、もう数の多いところで大丈夫だろう」
ルティナも騒がないので、ロクサーヌに指示を出した。
「分かりました。こっちですね」
ロクサーヌが先導する。
ルティナはロクサーヌが先導することにも驚いてはいない。
角を曲がると五匹の団体が向こうに見えた。
クラムシェルが二匹、ケトルマーメイド、ラブシュラブ、ロートルトロールが各一匹という組み合わせだ。
いきなり増えすぎではないだろうか。
もう多いところでいいと言ったのは俺だが。
四種類の魔物がいるのだから、少なくとも四匹以上の団体であることはロクサーヌには分かっていたはずだ。
ただし、魔物は二列めに回ると魔法を放ってくることが多い。
ルティナにも後衛だからとのんびりするのではなく緊張感を持ってほしいから、魔物が魔法を撃ってきやすい二列隊形になるのは歓迎だ。
四匹だと一列めに収まってしまうことも多い。
五匹なら確実に二列隊形になる。
なるほど、五匹でいいのか。
さすがはロクサーヌというべきか。
三回めの戦闘からでよかったような気もするが、それならそう指示しなかった俺が悪い。
「後ろに回った魔物は魔法を使ってくることが多いから気をつけろ」
サンダーストームを二回念じた後、ルティナに警告した。
「分かりました」
ルティナがシミターを握り締める。
シミターで攻撃に参加させることはないけどな。
慣れたら、槍で攻撃させることくらいはしてもいいかもしれない。
ルティナの決意とは裏腹に、魔物は櫛の歯が欠けるようにぼろぼろとこぼれた。
第一陣の魔法で麻痺して止まったのが過半数にあたる三匹だ。
雷魔法二発を使ったのが功を奏したか。
第二陣の魔法でさらに一匹が脱落する。
最後の一匹も、こちらにたどり着く前に第三陣の魔法で止まった。
奥で一匹だけが再起動をはたし、こっちに向かってきている。
その一匹もまとめて全部、第四陣の魔法で一掃した。
弱いな。
こいつら弱すぎ。
二列めに回るとかの騒ぎじゃない。
考えてみたら、二十二階層までの魔物はそれより上の階層の魔物の約半分のHPしかないのか。
二十二階層から二十三階層に上がったときにはいきなり倍になって大変だったが、二十二階層に降りたのならその逆をたどることになる。
いつの間にか二十二階層では物足りなくなっていたようだ。
確実に力がついてきたと喜ぶべきなんだろう。
それはそれとして、見学はどうするか。
あまり迷宮が楽なところだと認識されても困る。
雷魔法は使わないとか魔道士をはずすとかしてもいいが、露骨なハンデをつけるのもどうなのか。
「あー。まあ俺たちはもっと上の階層が主戦場だから、この階層ではこんなもんだ」
「分かりました。すごいのですね」
「どうしようか」
言い訳しても上っ面なお世辞しか返ってこないので、ロクサーヌに相談した。
「そうですね。こんなぬるい戦闘を見せても確かにしょうがありません」
さすがロクサーヌ先生は厳しい。
「迷宮がこんなもんだと思われても困るしな」
「そんな愚かな認識しかできない程度なら、魔物に倒されても惜しくありません。分かってますね、ルティナ」
「は、はい、ロクサーヌ姉様」
容赦なく厳しい。
「少しずつ上がっていくのがいいと思います。全体攻撃魔法を恐れることはありません」
「二十三階層なら全体攻撃魔法も気にするほどではないでしょう。少なくとも連発される恐れはほとんどありません」
セリーも上へ行く意見に賛成のようだ。
そういえば、最初二十三階層に入ったときはなかなか全体攻撃魔法がこなかったんだよな。
クーラタルの二十三階層で全体攻撃魔法を使ってくるのはグミスライムだけだから、ロクサーヌがうまく魔物を選べばさらに問題はなくなる。
「連発されることが絶対にないとはいえませんが、迷宮に入る以上多少のリスクは抱えるべきです」
こんなことを言ってくるロクサーヌが容赦してくれるかどうかはともかく。
二十三階層に上がってみることでいいか。
少しはレベルが上がるまで様子を見たかったが、どうせ村人Lv5になれば魔法使いLv1にするわけだし。
「そういえば、魔法使いにはなれるんだよな」
「もちろんです」
ルティナが胸を張った。
揉みたい。
「魔法使いになるための試練って、何をしたんだ?」
「さあ。わたくしも幼いころですので。ひっ。申し訳ありません」
知らないのかよ。
別に知らないなら知らないでいいが。
だからロクサーヌも怒らないように。
「迷宮に連れて行って、自爆玉を飲ませ魔物の前に出すそうです。子どもは恐ろしさのあまり泣き叫ぶのだとか」
セリーが教えてくれた。
幼児虐待だな。
トラウマになるかもしれん。
ルティナが探索者Lv1を持っていたのは、そのためか。
セリーは、この程度のことは別に何でもないのか自慢げではない。
胸も張ってないし。
いや。なんでもない。
揉みたいとは思っている。
十分に揉みたいから問題はないだろう。
その目は主人虐待だ。
「じゃ、じゃあ二十三階層へ行くのでいいか?」
「分かりました」
ルティナもいいと言うので、二十三階層に移動する。
単に厳しい戦いを見せるならボス戦に向かうという手もあったが、何かの拍子に攻撃を受ける可能性もあるから、ボス戦はやめた方がいい。
ボス戦ならあまり全体攻撃魔法は受けないというメリットはあるが。
二十二階層のボス戦なら二匹しか出てこないからシャットアウトも可能だ。
まあ二十二階層のボスではしょうがないか。
二十九階層のボスタウルスが相手ならそれなりに厳しい戦いを見せられるが、ボス部屋へ向かうときに全体攻撃魔法を浴びる危険があるから、すぐには行かない方がいいし。
ボス戦の場合、万が一連続で攻撃を浴びてしまったらという心配もある。
二十三階層で最初に出会ったのは、グミスライム一匹とクラムシェルが三匹の団体だ。
グミスライムは一匹か。
取り立てて指示は出さなかったが、ロクサーヌも結構優しい。
偶然かもしれないが。
四人が走り出した。
ルティナは取り残されて戸惑っている。
「二十三階層の魔物からは敵も全体攻撃魔法を使ってくる。待ち受けるばかりではしょうがないので、こちらからも迎撃する。俺は魔法を使うのでゆっくりだが」
「え? 魔法ですか? 冒険者では?」
ルティナがさらに混乱した。
俺が魔法を使っていると気づいてなかったらしい。
「行きますよ」
「ひっ。は、はい」
ロクサーヌが一声かけ、ルティナがあわてて四人を追いかける。
ロクサーヌ先生はやっぱり厳しいようだ。