エステル男爵
狩を終え、牛乳を大量に買って家に帰ると、ルークからの伝言が来ていた。
その日はどちらも放っておく。
夕食は尾頭付きの唐揚げを、主としてミリアが、楽しみ、風呂に入った後、氷を大量に作って寝た。
桶五つ分の氷でベッドを囲むと、少しは涼しい。
部屋の温度も一、二度は下がったのではないだろうか。
たかが一、二度。されど一、二度。
結構暑くなった真夏の夜に少しでも涼しくなるのは大きい。
その上で人間冷却器もいるわけだし。
桶五つなら、一人が一つずつ運べば用意も処理も難しくない。
ロクサーヌたちも嬉々として風呂場から桶を運んでいた。
今まで全員でひっついて寝ていたのは少し暑かったようだ。
もちろんやめるつもりはない。
桶は、敷いた布の上に置く。
でないと濡れてしまう。
濡れてしまうなんて、いけない桶だ。
別に解けた水が漏れているわけではないと思うが。
翌朝、ルークからコボルトのモンスターカードを手に入れた。
耐風のダマスカス鋼額金、人魚のモンスターカードと一緒にセリーに手渡す。
「……これにはすでに複数のスキルがついているのでは?」
「大丈夫だ」
自分が融合したからか、しっかりと覚えているらしい。
セリーの目が泳いでいた。
だからといって許すはずもなく。
「で、できました」
「さすがセリーだ」
疲れたようにテーブルに頭を伏せるセリーから額金を受け取った。
耐風、耐火、耐水のスキルがついたが、名称は変わらない。
そういうものらしい。
夕方まで迷宮に入り、帰ってから生クリームを採取する。
生クリームで思い出したが、何年か前にアイスクリームを手作りしているところをテレビで見たことがある。
確かに生クリームを使っていた。
卵黄も入れていたような気がする。
卵の風味がどうとか言っていたような記憶があるので、多分間違いではないだろう。
あと、火にもかけていたような気がする。
よく分からないが牛乳を一日置いて使っているのだし、火は通しておいていい。
風呂を入れた後、生クリーム、牛乳、卵黄、砂糖を火にかけながらゆっくり混ぜる。
混ぜた後、火からおろし、容器を塩入りの氷で冷やしながら、ベスタに攪拌してもらった。
今回は二回めなので、ベスタを使っても何の問題もない。
分量はだいたい大丈夫だし、失敗してもシャーベットができるはずだ。
その隣で俺は低脂肪乳をたっぷりと使ったシチューを作る。
具には卵白も入れた。
低脂肪乳はシチューだけではとても使い切れないがしょうがない。
犠牲になったのだ。
「ええっと。なんかうまく固まらないんですが」
ベスタが報告してくる。
見ると、かなりアイスクリームっぽくなっていた。
「おお。これでいいんだ。うまくできたな。成功だ」
「これでいいんですか?」
「結構なめらかだろう。もう少しかき混ぜたら、後は氷で冷やしておけばいい」
「はい。分かりました」
ただ、妙に黄色いな。
卵黄を入れすぎただろうか。
少し心配だが、卵だし味が変なことにはならないだろう。
夕食の後でデザートとして食べてみる。
木の匙ですくって、口の中に入れた。
なめらかで柔らかく、舌の上でゆっくりと融けていく。
旨い。
アイスクリームだ。
というか、こんな美味しいアイスは日本でも食べたことがない。
濃厚でクリーミーかつ優しい味だ。
これがアイスというなら日本で食べていたものは何だったのか。
天然素材がよかったのか、手作りがよかったのか、それとも手間ひまをかけたことがよかったのだろうか。
ここまでなめらかにできたのはベスタがしっかりかき混ぜてくれたおかげだとして。
「ご主人様、これはすごく美味しいです」
「甘くて、冷たくて、口の中で融けていきます。すごいです」
「すごい、です」
「柔らかくて本当にすごいと思います」
すごいと思うじゃなくて実際にすごいんだよ。
四人にもかなり好評のようだ。
「こんなにうまくできたのはベスタがよくかき混ぜてくれたからだな。ありがとう」
「いえ」
「次に作るときにも頼むな」
「はい。いつでもおまかせください」
ベスタには礼を言っておいた。
また作ることにも前向きだから、本当に美味しかったのだろう。
翌日にはゼリーを作ってみる。
朝食を作るときに、水、なんだかよく分からない果物、コボルトスクロース、コーラルゼラチンを鍋に入れ、火にかけた。
桶の中に氷を敷いて、その上で一日かけて冷やす。
昼と夕方で二回氷を取り替え、冷たくなったところを夕食の後でいただいた。
ひんやりプルプルの柔らかデザートだ。
アイスクリームと違って大量に作れるところもいい。
「昨日のも美味しかったですが、こちらもすごいです」
「そうですね。昨日のよりあっさりしていて、のど越しもすっきりしています」
「おいしい、です」
「こんなお料理を毎日いただいていいのでしょうか」
冷やす環境さえ用意できれば、ゼリーは簡単で失敗のないデザートだ。
この世界の果物は酸っぱいばかりであまり甘いものにあたったためしがないが、ゼリーなら砂糖で煮込むので問題がない。
パイナップルだとうまく固まらないそうだが、この果物はちゃんと固まった。
冷やすだけで放っておけばいいし。
アイスクリームほどの低温も必要ない。
簡単で手軽にできる。
氷さえあれば。
氷があるといろいろ使えて便利だな。
アイスクリームじゃなくてフローズンヨーグルトという手もある。
あれは低脂肪・低カロリーを謳っていたので、生クリームを使ってはいないだろう。
「ヨーグルト……もあるよな」
よかった。
ちゃんとブラヒム語に翻訳された。
四人に訊いてみる。
「冬になれば出回ると思います」
「冬なのか」
「そうですね」
ロクサーヌが答えた。
この世界ではヨーグルトは季節ものだったらしい。
道理で見たことがないわけだ。
冬ではフローズンヨーグルトにすることもないか。
「牧場へ買いつけにでも行けば、売ってくれるかもしれませんが」
セリーが教えてくれる。
どこかにはあるということか。
まあわざわざ探してまでというほどでもない。
「そこまですることもないか」
「基本的に、夏は牛乳がありますから、そちらを使うことがほとんどです。ヨーグルトが出回るのは牛乳がなくなる冬近くになってからです」
「そうなの?」
「そうなんですか」
ロクサーヌもヨーグルトが冬に出回る理由を知らなかったみたいだが、俺とロクサーヌでは多分驚いたポイントが違うと思う。
牛乳は冬になるとなくなるのか。
牛乳まで季節ものだったとは。
「牛は、春に子牛を産んで、出産後は半年くらい乳を出します。搾った生乳が出回るのは春先から秋口までで、冬の間は作っておいたヨーグルトに切り替わります。この辺りではヨーグルトは冬の食べ物ですね」
確かに、牛だって出産しないと牛乳は出ない。
春に子どもを産んで、半年は牛乳が出る。
それ以外の季節では生乳は手に入らないと。
ヨーグルトは発酵乳だし、長期保存が可能なんだろう。
「それは知らなかった。さすがセリーだ」
「ありがとうございます」
「すごい、です」
セリーの目は、こんなことも知らないのかという冷たい目ではない。
ロクサーヌの他にミリアも知らなかったみたいだし、広く知られたことではないのだろう。
ミリアはすごいと言っているが、魚の話ではないから多分口だけだ。
「ベスタは知ってた?」
「前の主人が牛も持っていたので、牛乳を搾る仕事が半年ありました。牛乳を飲めるのでいい仕事でした。うちではチーズを作っていましたが」
牛を飼っていれば当然知っている話か。
ベスタがあるのは牛乳のおかげらしい。
やはり乳製品か。
乳製品なのか。
「牛乳ですか……」
セリーもつぶやいている。
その日の夜は牛乳の恩恵をたっぷりと愛でた。
夜が明けたら、ハルツ公爵のところへ行く日だ。
早朝の狩の後、ジョブを整えて、ボーデの城に赴く。
「団長らが奥の執務室でお待ちです」
受付に行くと、勝手に行けとばかりに中に通された。
俺一人だと扱いがぞんざいだ。
ぞんざいというべきか、気を許してるというべきか。
勝手知ったる他人の城の中に入っていく。
執務室以外はよく分からないが。
すぐに執務室に着き、扉をノックした。
「入れ」
ゴスラーの声だ。
今日はちゃんといるらしい。
「ミチオです」
「おお。ミチオ殿か。待っておった」
中に入ると、公爵が迎える。
公爵とゴスラーの他、今日はもう一人いた。
大きなイヌミミの聖騎士、♂だ。
背も高く、りりしい。
「ほう。そのほうがサボー・バラダムを倒したという男か」
いきなり俺に話しかけてくる。
垂れたイヌミミが頭を覆っていた。
ぱっと見、ちょっとイヌミミとは分かりにくい。
セントバーナードみたいだ。
「ええっと」
「決闘でミチオ殿が倒した相手です」
突然のことにまごついていると、ゴスラーが教えてくれる。
決闘のときの相手か。
確かにバラダム家の人だった。
「あれは、粗暴な男ではあったが、実力の方は我と同じ狼人族の中でもそれなりであったはず。サボー・バラダムを倒すほどであれば、おそらく問題はあるまい」
「あの男がミチオ殿によって倒されたことは間違いありません。私が立ち会いました」
問題あるまいとか言っているのは、帝国解放会の関係者だからだろう。
あるいはこの男が試験官なのか。
「ミチオ殿、彼の名前はエステル。帝国解放会への入会試験を行ってくれる」
公爵が紹介する。
やっぱり試験官のようだ。
「エステルだ」
「ミチオです」
「一応彼の普段の役職は」
「いや、よい。解放会では世俗のポストなど関係のないことだ」
さらなる紹介を男が断った。
俺は鑑定で分かるが、彼はエステル男爵エステル・エステルリッツ・アンエステラだ。
ややこしいな。
親もエステルとかつけなきゃいいのに。
「まあエステルがそう言うのであれば」
「ミチオも我のことはエステルでよい。敬語も不要だ。我もミチオと呼ばせてもらう」
「はい」
貴族と紹介されたのではないから、普通に接してかまわないだろう。
貴族だし偉いポストについているのだろうが。
「一応説明させてもらうと、帝国解放会は帝国の迷宮からの解放を目指して戦う者たちの扶助組織だ。もし会員となれば、迷宮からの解放を目指して日々戦い、切磋琢磨しなければならない。主要な義務といえるのはこれだけだ」
エステルが説明した。
本当にあまり義務や拘束はないみたいだ。
入会そのものはあまり問題はないか。
迷宮にはこれからも入り続けるしな。
切磋琢磨はともかく。
「主要でない義務とは?」
「ミチオはブロッケンからの紹介で特例入会となるので、入会後二十年以内に四十五階層の突破試験を受けてもらわなければならない。帝国解放会の正規会員は四十五階層以上で戦えることが本来の条件だ」
ブロッケンというのはハルツ公爵のことだ。
この人は本当に爵位とかに気を使わないらしい。
「四十五階層か」
「突破できるようになったら、試験は前倒しでいつでも受けられる。二十年たって四十五階層を突破できなくても退会処分になるだけなので、あまり心配することはない」
「まあ心配はしていない」
一年で一階層くらいだから、そう無理難題ということでもないのだろう。
迷宮の上の方に進もうとする者にとっては。
一年で一階層なら四十五歳のとき四十五階層までしか進めないことになる。
「禁止行為としては、他種族に対する差別は禁止している。帝国解放会はすべての人たちの解放を目指すのだから、これは守っていただきたい」
「承知している」
「もう一つ、帝国解放会の内部で知りえたことを外に漏らすことも禁止だ。とりわけ誰が会員であるとかの情報を外部のものには決して話さないように。自分が会員であると公言してもいけない。これは、迷宮を倒そうと戦う人に迷宮側からの反撃を防ぐためである。考えすぎとの意見もあろうが、暗殺などの卑怯な手段を使ってこないとも限らない」
秘密結社みたいになっているのはそういう理由だったのか。
考えすぎだと思うが。
しかし絶対にないといいきれるわけでもない。
「外部というのは、具体的にどこまでが外部になるんだ。パーティーメンバーには話さないといけないことも出てくると思うが」
「通常はパーティーの代表者だけが入会する。代表者が入れば、他のパーティーメンバーを守秘義務で拘束することは難しくないだろう」
ロクサーヌたちに対して秘密にすることはなかったようだ。
そういえば、ゴスラーもこの場所にいるってことはゴスラーも会員なのか。