雅な月と欠けた太陽 月
登場人物
満月 雅 : 才色兼備の優等生。
陽光 欠 : 不思議な雰囲気のある少女。
雅の親友。
星空 数多 : 雅の友達。
最近は闇空とばかり遊んでいる。
闇空 覆 : 雅の友達。
最近は星空とばかり遊んでいる。
新月 虚 : 満月 雅のライバル。
高薙 敦 : 新月 虚の幼馴染。
黒白 麗音 : 音楽家の名家に生まれた天才。
寺崎が大好き。
寺崎 糸 : 黒白の親友。
注意
- この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、建物とは一切関係ありません。
- この作品を生成AIの学習等に使用するのはご遠慮ください。
- このepisodeには以下の要素が含まれます。
- 百合
- シリアス
- 洗脳
逃げられないように窓を塗り囲むぬばたまの闇。
時折点滅しながら車内を照らす照明。
不協和音の様に不気味に響く走行音。
満月 雅は1人帰りの電車に揺られていた。
今日の雅は参考書を開いていなかった。代わりに、胸の前で両手を重ねて、ただ来るべき時を待って居た。
その時までのカウントダウンをしているかの様に、駅に止まるたびに乗客の数が減っていく。K山駅に着き、乗客がごっそり減ると、ついにカウントダウンが終わる。
時計の針の様に乱れのない足音が雅に近づく。その足音は、処刑寸前の罪人の元へと迫る刑吏の足音の様に死を象徴する音として聞こえた。
恐怖から雅の手に力が入る。歯にも力が入る。
足音の主、陽光 欠は何時もの様に雅の左に腰を下ろした。
欠が口を開く前にと、雅は震える声を出す。
「欠。ごめんなさい」
「謝らないで。一番つらいのは雅なのだから……」
欠は雅に優しい声を掛けてくれた。
欠に詰められると朝から不安でいた雅は、やっと気を緩めることが出来た。
それと同時に申し訳なさが胸の中に広がった。
「ええ」
雅は逃げる様に視線を下げてしまった。
「雅。悔しいよね」
欠は寄り添う様に雅の両手を包み込んだ。
優しい笑顔を浮かべ、安心しきった雅の心へと処罰の鞭を振り下ろし始めた。
「ねぇ、雅。
二学期末テストで、新月さんに負けて、情けないと感じているんだよね」
欠の鞭が雅の心にふがいなさを叩きつける。雅は黙ってただそのふがいなさをよく味わうしかなかった。
「雅は誰にも負けないほどの才能をもらって生まれて来たの。
それなのに、新月さんに負けて学年2位になるなんて、ありえないことだよね。
少しでもサボったり、気を抜いたりしてしまった自分が許せないんだよね」
欠の鞭が雅の心に最悪感を刻み込む。それだけではない。雅は自分の才能だけではなく、欠の善意まで無駄にしてしまったのだ。2つの罪を嫌と言う程に反芻する。
「これからの雅は学年2位の雅だね。新月さんの下だね。
惨めで仕方ないよね」
欠の鞭が雅の心に惨めさを打ち付ける。雅は下唇を噛みただ甘受する。
欠の作り出した雅の理想像が、今のみっともない雅を罰する。
「ごめんなさい」
雅の頬を堪え切れなくなった涙が滑り落ちる。
欠は雅の両手を解放し、雅の涙へと薬指を伸ばした。
「雅。雅は失敗しちゃったダメな娘なんだよ。
でもね、誰にでも失敗はあるよ」
欠の薬指が優しく涙を拭ってくれる。
「雅。次は頑張ろう」
欠は雅になら何度だってチャンスをくれた。
「ええ」
雅は無抵抗にそう返す。そんな雅に欠が寄り添う。
「学年末テストは絶対1位を取ろう」
「ええ」
「そのためにも、まずは冬休みに特訓しよう。
雅の為に私も付き合ってあげるから」
欠は優しい笑顔でダメな雅の為に命令した。
「そうするわ」
雅は苦痛で満たした大盃を笑顔で飲み干すしかなかった。
空になった大盃に、欠がさらに苦痛を注ぐ。雅はただそれを受け入れる。
「学年1位じゃない雅にはクリスマスなんて贅沢品だよね」
「ええ」
「学年1位じゃない雅は大晦日とか、お正月も返上して勉強するべきだよね」
「ええ」
「学年1位じゃない雅は、神様に合わせる顔なんてないから初詣も不要だよね」
「ええ」
雅の冬休みの楽しみが一つ一つ奪われていく。
でも、仕方ない。雅は学年1位じゃなくなったのだから。
学年2位の満月 雅に選択肢なんてものは残されていないのだから。
雅はただ欠の要求を自分の意志だと思い込む努力をした。
そんな雅を欠が褒める。
「やっぱり雅はストイックで努力家だね。学年末テストまでは楽しいことを全部我慢するんだね」
雅は言わされた「もちろんよ」を返す。
欠は言いなりの雅を更に支配する。
「それなら、私も雅の親友としてできる限り監視してあげるね。
学年2位の雅なんて許されてはいけないのだから、1位を奪還出来るように一緒に頑張ろう」
雅は「ありがとう」と言った。自分は欠に感謝しているんだと言い聞かせるために……。
7時限目の化学が終わると、黒白と寺崎はすぐに教室へと戻った。
新月 虚と高薙が教室の前まで来た頃には、帰り支度を済ませて教室を出るところだった。
「虚ちゃん、高薙さん、また明日です」「新月さん、高薙さん、また明日ですわ」
2人は挨拶をして足早に出て行った。
「あの2人、何か用事でもあるのかしら?」
新月 虚は高薙の方を見た。
「虚様、分かりませんか?」
高薙はニヤッとした笑顔を浮かべる。
「何よ?」
新月 虚は肘で突いて答えを促した。
「クリスマスイブですよ。クリスマスイブ」
高薙は珍しくウキウキで答える。
対する新月 虚の反応は薄い。
「そうだったわね」の一言で終了だ。
「虚様。今日はクリスマスイブなんですよ」
高薙は大げさに念を押した。
新月 虚は少しおかしそうに笑った。
「そうね。
クリスマスだなんて、敦にも子供っぽいところがあったのね。
でもね、敦、高校生の私達には関係ないでしょ。
サンタさんがプレゼントを持ってきてくれるのは中学生までよ」
高薙は新月 虚の方をパッと見た。驚きのあまり目は大きく開き、少し口を開いていた。
新月 虚にとってのクリスマスは子供のための日という認識でしかなかったのだ。
ここまで来ると微笑ましいでは済まされない。ため息をつきたくなる。
でも、それを飲み込んだ。
大人にとってのクリスマスイブの意味を知らないということは、遊びに誘ってもその意味を邪推されないということだ。逆に好都合だと思い込むことにした。
「虚様。この後、一緒にどこか行きませんか?」
「部活があるでしょ」
新月 虚はそう返した。
「今日は休みです」
「何でよ」
「クリスマスイブなので、部員の総意で休みにしました」
「そう。高薙の休みなんて滅多にないし、遊びに行きましょう」
「はい」
寺崎と黒白は電車に乗り県営ホールへと向かった。
2人は県営ホールの入り口まで来たが、扉は閉ざされており、ガラスの扉越しにスタッフと思われる人があわただしく走り回っているのが見えた。
「麗音ちゃん。コンサートが始まるのが19時からでしたっけ?」
「はい。18時半から入場できます」
寺崎は時刻を確認した。まだ、17時にもなっていなかった。
「早く着きすぎちゃいましたね」
寺崎は困ったようにそう言った。それに対して、黒白は胸の前で手を叩いた。
「糸さん。大丈夫です。
開場までの予定も考えて、この時間に来ています」
「本当ですか?」
「はい。折角糸さんが私なんかの趣味に付き合ってくださるんです。
誓って退屈なんてさせませんわ」
黒白は自信ありげに胸に手を添えた。そして、自信作の予定を披露した。
「近くにショートケーキの美味しいお店があるんですわ。
糸さん。そこでお茶しましょう」
「はい」
寺崎は目を輝かせながらそう返した。
2人は雑談をしながらお店へと向かった。
お店はクリスマスイブと言うことで少し混んでいたが、ピークではなかったので2人は並ばずに入ることが出来た。
店内は暖かくて、甘い匂いがした。
コートを脱ぎ席に着くと、店員がお冷とおしぼりを持ってきた。
店員はそれらを2人の前に置くと、テーブルの端に立ててあったメニューを広げ注意事項の説明を始めた。
通常時は存在しない注意事項。
それは売り切れメニューの説明だった。
人気メニューのチーズケーキ、季節のフルーツタルト、そして、黒白がおすすめしていたショートケーキ。
これらのメニューがすでに売り切れていた。
店員が去ると、黒白は視線を下げた。
「糸さん。ごめんなさい。是非ともショートケーキを食べていただきたかったのですが、売り切れていました」
「気にしないでください。他のケーキもきっと美味しいですし……」
寺崎は気にしていないという風にそう言った。でも、黒白は顔を上げようとしなかった。
「麗音ちゃん。代わりのケーキ選びましょう」
寺崎はメニューへと視線を移す。
メニューは写真入りで、見ているだけで心が満たされそうなケーキの写真達が期待をそそった。
寺崎はそんな写真の1つを指さした。
「このミルフィーユ美味しそうじゃないですか?」
黒白はこれ以上寺崎に気を遣わせないように顔を上げた。
ミルフィーユは白き粉糖でお化粧をしていてかわいらしくて美味しそうだった。
ショートケーキの事ばかり気にしても仕方がないので、黒白も代わりのケーキを考える。
「そうですわね。私はこの白桃のタルトも気になりますわ」
黒白も写真内の1枚を指さした。
「このオペラっていうケーキも気になります」
寺崎が他の写真を指す。
「いいですわね」
黒白はそう返す。
そして、2人は楽しそうに顔を合わせて笑った。
寺崎に自分のお気に入りのショートケーキを食べてもらえなかったのは残念だった。でも、こうやって2人でメニューを見ながら考えるのもいいなと思った。
2人でメニューを一通り楽しんだ末、黒白はモンブランを、寺崎はブッシュドノエルを注文した。
注文を聞き終え店員が下がると、寺崎が上機嫌に口を開いた。
「今日は誘ってくれてありがとうございます。
コンサート楽しみです」
今回のコンサートに関する何度目かのお礼を言う。
「それは良かったです。
同級生とかにはこういうコンサートって堅苦しいと思われがちな気がします。
ですので、糸さんが無理矢理付き合ってくれているんじゃないかと不安でした。
楽しみにしていただいていると分かって、とても安心しました」
黒白は胸の前で手を合わせた。
「無理矢理なんてとんでもないです。
クラッシックとかはよくわかりませんが、麗音ちゃんの好きなことを知れるいい機会なので、ずっと楽しみでした」
「糸さん……」
「それに、今日のコンサートって、麗音ちゃんの先生が出演されるんですよね」
「はい。そうですわ。その関係で先生からチケットを売りつk……頂いて来たので。
先生のピアノは息が詰まりそうになるほど美しいので存分に期待していてください」
黒白は自分の事であるように誇らしげにそう言った。
「はい。でも、始めてのコンサート緊張します」
寺崎はお手拭きを手に取り、手の中で何度も転がした。
「緊張しなくて大丈夫ですよ。
リラックスして楽しめばいいんです」
黒白は笑顔でそう言いつつもお手拭きに手を付けた。
「ですが、もし他の観客の方々が全員ドレスかタキシードでしたら……」
「大丈夫ですよ。今日のコンサートはドレスコードが厳しくないものなので、制服で十分ですから」
「そうですか?でも、私なんか場違いな気が……」
「そんなことないです。ゆっくり落ち着いて楽しめばいいんですよ」
「でも、」
「糸さん、1回ケーキを食べて落ち着きましょ」
不安になった寺崎は気づいていなかったが、店員が注文の品をもって来ていた。
「美味しそうですね」
寺崎は先ほどまでの不安を忘れて目を輝かせた。
「はい」
黒白は寺崎とは違いお手拭きから手を離せなかった。
寺崎はデザートフォークを手に持ち、ブッシュドノエルにフォークを入れた。
黒白はそれを真剣に見守る。そんな黒白の手にはお手拭きがギュッと握られていた。
「甘さは控えめの上品な味わいで美味しいです」
寺崎は頬を緩めた。寺崎は黒白のおすすめのお店で喜んでくれた。黒白は寺崎に受け入れられたように感じた。
「良かったです」
黒白は安心してお手拭きを置けた。
黒白もモンブランに口を付けた。
モンブランはしっかりと栗の味がして美味しかった。でも、ショートケーキと比べると物足りなかった。
「美味しいですが、やっぱりショートケーキのほうが美味しいですわ。
ショートケーキが売り切れていたのが残念で仕方ありませんわ」
黒白は小言の様にそう言った。
「麗音ちゃんはよっぽどショートケーキが好きなんですね」
寺崎は優しく笑う。
「違います。このお店のショートケーキは格別なんです。
糸さんも一度食べればわかりますわ」
黒白はそう言い返した。
「それなら、今度麗音ちゃんの練習がお休みの時に、ショートケーキを食べに来ませんか?」
「もちろんですわ」
黒白は嬉し気にそう答えた。
また、寺崎と来れるなら、ショートケーキが売り切れていたのはラッキーだったと思えた。
コンサートが終わると、21時を超えていた。
終電の時間が近いので、2人は余韻に浸る間もなく駅へと急いだ。2人はそれぞれ別々の方面への切符を買い、駅のホームのベンチに腰を掛けた。
「糸さん。今日はどうでしたか?」
黒白は両手にグッと握った切符を見つめる。
「来てよかったです。
コンサートって堅苦しいものだと思っていたのですが、実際に行くととても楽しかったです」
寺崎は黒白の方を向いた。
「それならよかったですわ」
黒白は下を向いたままそう言い、自信なさげに付け加えた。
「もしよければですが、今度は私のピアノを聞いてくれませんか?
まだまだ先生みたいに上手ではないんですけど……」
黒白は恐る恐る寺崎の顔を窺った。
「もちろんです。麗音ちゃんの演奏、一回聞いてみたかったんです」
寺崎は快諾してくれた。
そんな2人のやり取りが終わるのを待って居てくれたかの様なタイミングで電車がホームに到着した。
「麗音ちゃん。今日はありがとうございました。
また明日です」
「どういたしまして。
糸さん。また明日です」
寺崎が電車に乗り込み、黒白は1人になる。
電車を待つために、向かい側のホームへと移動する。
ホームに1人立ち、今日の余韻に浸る。
「寺崎さんに楽しんでもらえてよかったですわ」
黒白は一人言を言って笑った。
「雅。そろそろ解けた?」
欠が専門書から雅へと視線を移す。
「ごめんなさい」
雅は問題に向き合ったまま謝る。
欠は専門書を閉じて、雅の落書き帳を覗き込んだ。
落書き帳には書いては消し手を繰り返した跡や数式の羅列、フリーハンドで書かれた図などが追加されてはいた。ただ、答えへと行きつくような進展はなさそうに見えた。
「難しい問題だから仕方ないよ」
欠は張り付けた笑顔でフォローを入れた。
欠の押し付ける理想の雅なら解けて当然の問題だ。でも、実際に超難問の部類に入る問題なので、解けなくても仕方はなかった。
「欠。少しヒントとかないのかしら?」
あまりの難しさに、雅が珍しく助けを求めた。
欠は冷酷に「無いよ」と突き返す。
そして、実力がなく根性もない雅に罰を与えてあげるかの様に言葉を追加する。
「雅。まだ雅は3時間しか苦しんでないんだよ。
それで、ヒントが欲しいなんて言っていたらいつまでたっても実力がつかないよ。
だから、もっと足掻こう。もっと苦しもう。
この問題が解けたら、休憩にしてあげるから……」
欠は少し楽しそうにほほ笑んだ。
「ええ」
雅に拒否権なんてなかった。
欠は専門書を再び開き、雅は集中力を振り絞って問題へと向かう。
雅は方針がつかめないので、網羅的に洗い出すことを考えた。頭の中の数学の教科書を数Ⅰの1ページ目から順番にめくっていく。何か取っ掛かりになりそうなものはないか探していく。
数Ⅲの教科書の索引まで到達しても、取っ掛かりすら掴めなかった。もう、諦めたかった。
でも、シャーペンを握る手だけは動かし続けた。刃物でも突き付けられて脅されているかのように、問題に向き合い続けた。
そんな中、デフォルトの陽気な着信音が流れた。
欠にメッセージが届いたのだった。
集中力がゼロになっていた雅は、息抜きがてらメッセージを確認する欠に話しかけた。
「親からかしら?今日は早く帰りなさいとかかしら?」
早く解放されたい雅の願望が言葉に透ける。
「ううん。徹碧さんから」
欠は首を横に振る。
雅は意外な名前に「欠って徹碧さんと仲が良かったの?」と尋ねた。
「雅の次にはよく話すけど、そうでもない。
偶にイベントとかに誘われて、暇だったら誘いに乗るぐらい」
欠は淡白にそう返す。
雅の口からは「良かった」という一人言がつい零れてしまう。
「良かった?」
欠は怪訝な目を雅に向けた。それに対して、雅は説明を加える。
「欠に私以外の仲間がいて……」
雅は胸の縄が緩むような錯覚を起こした。
「雅。安心して、私の友達は雅だけだから……」
欠は声のトーンを落としてそう告げた。雅の緩んだ縄がすごい勢いでギュッと締まる。
雅は「そうよね」と相槌を打つしかなかった。雅は欠に逆らえないのだから……。
雅は話題を進めた。
「それで、徹碧さんからは何だったのかしら?」
「初詣のお誘い」
「そう。行って来たら」
雅がそう言うと、欠は「行かないよ」と即答した。雅は苦々しく「そう」と返した。
そんな雅に欠は笑顔を向ける。
「学年2位の雅にクリスマスはなかったよね。
大晦日も、お正月も、初詣も我慢するんだよね」
「ええ」
「私は雅の親友だよ。
親友が遊ぶのを我慢して頑張っているときに、自分は誰かと遊びに行くなんてできる訳ないよ。
だから、初詣の誘いは断る。
私も雅と一緒に苦しむ。だから、安心して……」
「ありがとう」
雅は欠の言葉にぎこちない笑顔を返す。
そして、テーブルの下でこっそり『ごめんなさい。急用ができて初詣行けなくなった」と言う嘘を星空に送った。
闇空は今日も制服であった。
星空は母親に嫌な顔をされながら押入れの奥の奥から着物を出してもらい、小言を言われながら着付けしてもらった。
そこまで気合を入れていた自分が馬鹿みたいに見えて来る。闇空に裏切られた気分にさえなりそうだった。
そんな思いを星空は飲み込んだ。
冷静に考えよう。闇空が制服以外を着るなんて異常事態だ。まして、着物を着るなんてありえないことだ。
闇空は制服でいいんだ。
自分を納得させてから、改札前で待つ闇空に声を掛けた。
「待たせた?」
「別に、そんなに待って居ないぞ」
闇空は参考書を閉じてカバンにしまう。
「満月は今日も来ないのか?」
闇空は何故か寂し気な声を出した。
星空と闇空が冬休みに出かけるのは今日で4回目だ。そのうち3回は雅も誘っていた。それなのに、雅は1度も顔を見せなかった。
「うん。行けなくなったってメッセージが来た。
急用ができたって言っていたけど、本当は勉強をしているんだと思う。
新月さんに負けたのがショックで仕方なかったんだと思う」
星空は心配げにそう答えた。
「そっか、雅は勉強かぁ」
闇空は顎に手を置いて眉間に皺を寄せた。
星空がそんな闇空の顔をじっと見つめる。
「『私も雅に負けないように勉強しないとな』って考えているでしょ」
星空は闇空の頭の中を推理した。
「何故分かったんだ?」
闇空はそう聞き返す。図星だった。
星空は腰に手を当てて答える。
「だって大親友の覆の事だよ。分からない訳ないでしょ」
得意げな満点の笑みである。でも、そんな笑みの中に薄い雲のような陰りが隠れていた。
「もし、覆がもっと勉強に時間を割きたいなら、誘う頻度減らすよ」
星空は自分を殺してそう言った。
闇空は『減らして欲しい』なんて言える性格ではなかった。
この話をなかったことにするかの様に、星空の手を握って歩き出した。
神社までは少し距離があった。
その道のりを2人は雑談をしながら歩いた。雑談らしく話題は彷徨い歩きコロコロと変わっていった。そんな話題が雅の事になり、雅から勉強の事になり、勉強から冬休みの宿題の事へと変わっていった。
「数多。宿題、進めているか?」
闇空はそう聞いた。
星空は自信ありげに「もちろん。今回はなんと家で少しずつ進めているよ」と返した。
闇空は「そっか」と口角を上げた。
「じゃぁ、この後の勉強会で宿題の進捗チェックをするけど、期待していいんだな?」
「多分」
星空は自信なさげに目線を逸らす。
「そこは『もちろん』と言って欲しかったな」
闇空は嬉しそうにそう言った。自信が無くても、星空が少しは頑張っているみたいで安心できた。
そんな話をしていると人通りがボチボチ多くなってきた。
鳥居の前まで来ると、人で溢れかえっていた。
「うわぁ、すごい人だなぁ」
闇空はそう零した。
「仕方ないよ。人気の神社だし」
星空はそう言いながら境内を見回す。
「ねぇ、覆、屋台が出ているよ」
星空は目を輝かせた。
「そうだな。でも、その前にお参りだ」
闇空は星空とはぐれないように手を更にギュッと握って、拝殿へと歩き出した。
お参りを済ませると、闇空は拝殿裏の帰り専用通路から神社を後にしようとした。でも、星空が「屋台。屋台」と言って頬を膨らませたので、仕方なく来た道を戻ることにした。
星空は屋台で焼きそばと唐揚げを買って、近くの座れる場所に腰を下ろした。
「数多。お昼どうする?」
闇空は唐揚げを頬張る星空を見た。正月に星空の家でご飯を頂くのは悪いので(そもそも正月に他人の家に遊びに行くのも悪い気がするが)、お昼は外で食べる手はずになっていた。
「どうしよう?」
星空はそう言いつつ焼きそばを啜った。
闇空はため息を飲み込んで「まだ食べられるか?」と聞いた。
星空は「全然余裕だよ。さっぱりとうどんにしない」と答えた。
うどんと言うチョイスの時点で大分お腹が膨れている気がした。
「数多だけ先返っててもいいぞ」
闇空はそう提案した。
「覆。うどんなら食べられるから、うどんにしよう。
年明けうどんって言うでしょ」
「数多がそれが良いならそうしよう」
セルフうどんで昼食を済ませ、星空の家へと向かう。
何時もの座卓に横並びで座ると、約束通り星空の進捗チェックから始めた。
星空の宿題の進捗は闇空の想像以上に良かった。
「意外と進んでいて安心したぞ。頑張っていたんだな」
闇空は星空を褒める。
星空は胸を張って「当たり前でしょ。受験生0学期なのだから」と豪語した。
闇空はそこまで言う星空に期待を込めて、「宿題以外はどれくらい勉強しているんだ?」と聞いた。
星空は露骨に目を逸らし、黙ってしまった。
「この調子だと受験生-3学期になるな」
闇空はため息交じりにそう言った。
「どういう意味よ?」
「浪n」
「それより、頑張りましょう」
星空は闇空が言いかけた悪夢の言葉を遮るために宿題の英語冊子を開いた。
闇空は色々言いたかった。でも、星空が勉強しようと冊子を開いた以上は、邪魔するのは愚策なので黙ることにした。雅から勧められた『集合と位相』の専門書を開く。
星空は努力はしていたし、その努力はちゃんと形になっていた。夏休みにはすぐに切れていた集中力が長続きするようになっていた。
星空は闇空にたまに助けてもらいながら、2時間も頑張った。それから、区切りがついたところで「限界」と言って後ろに体を倒した。
スパルタな闇空も「2時間も頑張ったし、休憩にするか?」と専門書を閉じた。
『休憩』という言葉に星空はパッと起き上がった。
「覆。おやつ持ってくるね」
星空は上機嫌に立ち上がり部屋を出て行った。闇空は一人になるとまた専門書を開いた。
星空はすぐに戻ってこなかった。10分ほどしてやっと星空が戻って来た。
「いいものがあった」と笑顔で帰って来た星空の各手には、お餅の乗ったお皿があった。
お餅は軽く焼いて砂糖醤油ときな粉がまぶしてあり、それがそれぞれ2個ずつ皿に乗せてあった。
「いただきます」
星空はそう言ってすぐにお餅を箸で掴んだ。
闇空はお腹が空いてはいなかった。お餅はお腹に溜まるのでしんどかったが、せっかく出してもらったものを断るのはどうかと思ったので、1つは頂くことにした。
お餅は甘じょっぱくて美味しかった。
星空はそれをすぐに2つも平らげた。
「数多。私はあんまりお腹が空いてないから、良かったら1個食べないか?」
「いいの。何でか分からないけど、今日はお腹がすくんだよね。
勉強頑張っているからかな?」
星空はウッキウキで闇空のお餅へと箸を伸ばした。
闇空は「屋台で食べ物を食べたせいで、お昼あんまり食べられなかったせいだろ」とツッコんだ。
星空は「なるほど」と納得した。
そんな星空に闇空の口から小言がでる。
「昼食減らして、その分間食を取るような生活していると太るぞ」
冗談半分で行ったであろう小言に星空の箸が止まる。
壊れた体重計。疲れやすくなった体。何故かきつくなった着物。思い当たることがいくつもあった。
「太ってる?そんなの気のせいだよ」
星空は震える声を出した。
「私は太ると言っただけで、太ったとまでは言ってないぞ」
闇空はそう返す。
そんな星空の頭の中に閃光の様にある考えが駆け抜ける。
「あーーーっ」
星空は呻き声と共に自分の額を押さえた。
「どうした?」
闇空は心配げに星空を見た。
星空は大げさに机に突っ伏した。
「神様に痩せる様にお願いすればよかった」
大げさな態度とは対照的なくだらない言葉に、闇空は「あっそう」と冷たく返す。
星空が構って欲しそうにチラチラ見て来たので、「何をお願いしたんだ?」と聞き足した。
星空は突っ伏したまま、
「今年1年、雅と覆と3人で仲良くできますように……って」
とくぐもった声を出した。
「数多らしいな」
闇空は思わず頬を上げた。
「覆は何お願いしたの?」
星空が目線だけを闇空の方へと向ける。
「もちろん学年1位だ」
闇空は自身たっぷりに答えた。
「そんな気はしていた」
星空はそう言いながら体を起こして伸びをした。
そして、「食べた分頑張ろう」と言って宿題の冊子に向き合った。
「そうだな」
闇空は専門書を開いた。
始業式は午前中で終わり、午後からは自由であった。
星空は遊びに誘おうと早速に雅に声を掛けた。
雅は疲れと申し訳なさの混じった顔で「ごめんなさい」と言った。
星空は心臓をまち針で刺されたかの様に胸を押さえた。
「雅は偉いね。じゃぁ、学年末テストで雅が学年1位になったら覆と3人でお祝いしよう」
星空は歪んだ笑みを浮かべた。
「ありがとう」
雅はぎこちないお礼を言って、教室を後にした。
雅が居なくなると星空は闇空の肩に手を回した。
「おおーいー」
闇空は星空の頭に手を置く。
「しょうがない。今日は2人っきりで遊びに行こう。デートだ」
「うん」
K山駅を過ぎると何時もの様に欠が雅の横に座った。
そして、逃げられないように、雅の左手の上に自身の右手を重ねる。
「雅。新学期はどうだった?」
「いつもと変わらなかったわ」
雅はそう嘘を張り付けた。
「本当に?」
欠はじっと雅の顔を見た。雅はドキッとした。
「ええ。本当よ」
「ねぇ、雅。
みんなが雅に気を遣いだしたんだよね。『次は1位になれるよ』って励まされたんだよね」
嘘を重ねる雅の心を解きほぐす様に、欠の指が雅の指の間をなぞる。
「そうね」
雅は気にしていない風を装って続ける。
「中学時代、私に負けた時みたいになったね」
欠は何度も雅の指の間をなぞる。
「そうね。こんな感じだったわね」
雅は背筋を伝う冷や汗を必死の笑顔で誤魔化す。
中々素直になろうとしない雅に、欠は力を入れて無理矢理指の間をこじ開けた。雅の指の間に自身の指を入れ、心臓を掴むようにギュッと握った。
「悔しいんでしょ。悔しかったから……」
欠の言葉に雅は「ええ」と答えた。そして、ため息と共に素直になれた。
「私って本当にどうしようもない程醜いわよね。自分でもわかっていたのよ。自分の中には醜い嫉妬が蠢いているって。
だから、決して表に出さないように勝負に関心がないふりをしてきたの。欠が望むから勝ちに行く。自分が勝ちたいなんて思っているわけじゃない。そう言い聞かせて来たのよ。
それに、絶対に負けないようにして来た。
それなのに、私は負けちゃった。
ねぇ、欠。私醜いでしょ?」
雅の頬を涙が流れる。欠はそんな雅の手を取って自分の左目に押し当てた。雅の右手に罪の感触が伝わる。
「今の雅は本当に醜いよ」
欠の言葉が雅の心をきつくきつく締め上げていく。
「ごめんなさい」
沸き上がる吐き気を我慢しながら、雅は謝る。欠はそんな雅に笑顔を向ける。
「でも、私はどんなに醜くても、雅の事大好きだよ」
欠の左目から温かさが雅の左手に伝わってくる。
「ありがとう。欠」
「どういたしまして。でも、私はどんな雅でも大好きだけど、雅自身は醜い自分は嫌だよね」
「ええ」
「ならこれからずっと私が支配してあげるから、お勉強頑張ろう」
雅は「ええ」と答えるしかできなかった。
雅が新月 虚に負け、周りの接し方は変化した。
しかし、ここ3カ月で変化したのは雅の周りだけではなかった。
文化祭の大活躍のせいで陽光 欠の周りも変化していた。
放課後。
欠は校舎の影から、正門の方をこっそりと窺った。
やはりいた。
1年生と思わしき少女が5人、2年生と思わしき少女が2人程。正門は押さえられている。
裏門へと回る。裏門でも3人ほどが張り込んでいた。
欠は今の状況にため息をつきたくなった。
「いや、大人気ですね」
そんな欠の後ろから、教科書の様に発音の良い日本語が聞こえて来た。
欠はグッと睨みつけた。
「陽光さん。そんな顔はやめてください」
鳶葦は怒りを静めようと営業スマイルを浮かべる。それが烈火に油を注ぐ。
「今のこの状況ってあなたのせいよね」
欠はナイフの様に鋭い声を鳶葦の喉元に突き付けた。鳶葦は「ひぃっ」という声を出して、後ろにのけぞる。
「私は、陽光さんの執事姿を学校新聞に載せただけですよ」
鳶葦は胸の前で両手を広げ弁解する。
「そのせいで、私なんかに追っかけが出来たの」
「私のせいではありません。それは陽光さんの魅力のおかげです」
鳶葦は責任転嫁?をした。欠は「煩わしい」とため息をついた。
「そうですか?私には、いえほとんどの生徒には羨ましい限りですけど。
その左髪を下ろしてしまったらどうですか?
あなたの容貌にみんながちやほやしてくれますよ」
欠はため息をついて「初めの内だけは」と零した。
「初めの内だけは?訳アリですか?
私で良ければ聞きますよ」
鳶葦は欠に寄り添う様に距離を詰めた。
欠はそれに不信感を露にする。
「他人の悩みを聞く時ぐらいは、そのメモ帳とペンはしまって。
油断も隙もあったものじゃない」
鳶葦は「つい癖で……はっはっはっ」と頭を掻いて誤魔化し、取材セット胸ポケットにしまった。
そして、神経が太いのか「どうぞ話してください」とまだ聞き出そうとして来た。
もちろん話せるわけなんてない。
「そんなことより、貴方のせいで帰れなくなっているの。
校内の情報通なら抜け道とか知らないの?」
「そんなもの知りませんよ」
鳶葦はそう返す。
欠は「あら、知らないの。鳶葦さんって大したことないんだね」と煽った。
「そんなことありません」
「でも、知らないんだよね。新聞部って大したことないね」
「知ってますよ。一つぐらいは……」
煽りに負けて鳶葦はそう言ってしまった。
欠は笑顔で「なら、教えて」と迫った。その時、鳶葦は新月 虚以上の気迫を欠に感じてしまった。だから、断れなかった。
「私のせいではないですが、困っている人は見過ごせないので教えましょう」
鳶葦はそう前置きを置いた。
「あなたのせい」
欠は訂正する。
「もういいです。
其れより、今から言う抜け道は、私から聞いたって言わないでくださいね」
鳶葦はそう念を押してから、抜け道を語り出した。
鳶葦の言う抜け道は塀を超えるルートだった。
野球部が体力づくりに使用しているタイヤが積んでいる場所が運動場の端にある。そのタイヤに登れば、欠の身体能力であれば余裕で塀を超えられるというものだ。
こういう校則に違反することはあまりしたくなかった。しかし、雅を待たせている状態だったので贅沢は言ってられない。
タイヤに足を掛け、塀に手を掛ける。
欠は塀を超えようとすると、後から足音が聞こえて来た。
「あーーっ。欠様が校則違反をしようとしていますわ」
女子の大きな声が響く。
追っかけに見つかった。
欠は仕方なく塀から手を離し、タイヤから降りた。
「欠様。捕まえましたわ」
欠は追っかけの女子達に囲まれていた。
駅の改札前まで来たところで、雅に欠からメッセージが届いた。
『雅。ごめん。追っかけにつかまった。帰るの遅くなりそう』
雅は嬉し気に微笑んだ。
『欠。私は何処かで時間を潰しておくから、楽しむといいわ』
雅はそう返した。
そして、時間つぶしにとりあえず地下街の書店へと向かった。
雅はふらふらと書店の中を散策する。普段なら専門書コーナーへと行くのだが、この規模の書店にそう言う場所はない。仕方ないので学参のコーナーへと足を運ぶ。
「あっ」
そこでばったりと新月 虚に出会った。
新月 虚と満月 雅。
2人はライバル同士ではあるが、敵同士ではない。
その為、無視するのは失礼なので、挨拶をし、少し世間話をした。そのまま、分かれるタイミングを失い一緒に書店を出てしまった。
暗黙の空気感で2人で話せる場所はないかと探し、近くの公園に来てしまった。
新月 虚はお汁粉を、雅は温かいお茶を自販機で買ってベンチに腰を下ろす。
「私を倒すために学参を調達していたのね」
新月 虚はそう挑発する。
「違うわよ。人を待って居て、時間を潰していただけよ」
雅は訂正する。
「邪魔だったかしら?」
「別に大丈夫よ。まだ待ちそうだし、何して時間を潰すか迷っていたから丁度良かったわ」
雅はお茶を少し口に含んだ。そして、お茶を両手で包んで湯たんぽ代わりにして暖を取る。一月の寒さに新月 虚も真似をする。
「あなた、私を倒そうと色々やっているのでしょ?」
新月 虚は尋ねた。
雅は包み隠すほどの事でもないので、「ええ」とあっさり認めた。
そして、「どうして知っているのかしら?」と質問を返した。
「闇空から聞いたのよ。あなたが遊びに誘っても来ないって愚痴も言っていたわ」
新月 虚は何気ない事の様にそう答えた。
雅は「闇空と面識があったのね」と驚いた。
闇空との関係は星空の口から雅に漏れていると思っていたので、新月 虚は度肝を抜かれた。
それと同時に雅と闇空の中が悪くならないように話す内容を選ばないといけなくなった。
「闇空とは偶に学参の情報を交換する仲なのよ」
新月 虚はそう誤魔化した。そして、「闇空とあなたのライバルの私がつながっていて嫌かしら?」と尋ね、暗くドロッとしたお汁粉に口を付けた。
「別に嫌じゃないわ。誰にだって秘密の関係位あるでしょ」
雅は顔に陰を作った。新月 虚は特に追及はせずに「そうね」と返す。
2人の間を寒風が通り過ぎる。2人はそれぞれ飲み物をギュッと握った。
「寒くなって来たわね。そろそろ解散しましょうか?」
新月 虚はお汁粉に口を付け、飲み干す様に缶をグッと傾けた。
雅はお茶に口を付けようとはしなかった。
「ねぇ、新月さん。新月さんは私に負け続けてどういう気持ちだったの?」
雅の言葉が新月 虚を引き留める。
「失礼なことを聞くのね」
新月 虚は鋭い声を出す。
「ごめんなさい」
雅は謝り、お茶に口を付けて飲み干そうとした。
そんな雅に新月 虚が答える。
「悔しくて、悔しくてどうしようもなく辛い気持ちかしら」
新月 虚の答えに、「意外だわ」という言葉が雅の口から出る。
「どういう意味よ」
新月 虚は少し喧嘩腰で問い詰めた。
雅は目線を下げて吐き出す。
「そのまんまの意味よ。
あなたは悔しさや嫉妬から無縁だと思っていたの。だって、あなたからは醜さを感じなかったから」
「……」
「新月さん。嫉妬や悔しさってとっても醜い感情でしょ。でも、あなたからはそんなどうしようもない醜さを感じたことはなかったの。いつも気持ちのいい清々しさを感じていたわ。
だから、あなたは私なんかとは違って、そう言う感情とは無縁なんだろうと思っていたのよ」
雅は長いため息を吐く。
それに対して、新月 虚は短く息を吸う。
「私は嫉妬や悔しさは大好きだし、醜いなんて思わないわ」
雅はパッと目を見開いた。新月 虚の言うことが信じられなかった。
「どうしてかしら?」
雅は新月 虚に答えを求めた。
新月 虚は『単純なことよ』とでもいう様に話始めた。
「そんなの決まっているでしょ。
悔しいから次は頑張ろうと思えるからよ。嫉妬や悔しさは、私の強み、向上心の証明だからよ」
新月 虚は天へと向かって真っすぐ手を伸ばした。まるで、夜空に浮かぶ満月を掴み取ろうとするかの様に……。
「そうかもね。中学時代の私もそう思えていたらよかったのに……」
満月 雅は悲し気に天を仰いだ。雅には決して届きえないであろう満月が浮かんでいた。
「満月 雅」
感傷に浸る満月 雅を新月 虚の優しい声が呼び戻す。
雅は中身がないことを確認するためにお茶の缶を軽く揺らした。
もう悩みはなかった。
「新月さん。ありがとう。
もう暗いし、解散にしよう」
雅はそう言って立ち上がる。
新月 虚は残りのお汁粉を飲み干した。缶の縁に引っ掛かり、小豆が2、3粒残ってしまった。何だかすっきりしない。でも、取り出すのは無理そうなので諦めて立ち上がった。
「満月 雅」
「何かしら?」
「負けて悔しいなら、その悔しさで私を倒しに来なさい。私は学年1位として本気で勝負して上げるから」
「ありがとう。
私、学年末ではあなたを……いや、みんなを倒して、学年1位になるわ」
新月 虚は嬉しそうに口角を上げた。雅も清々しく笑えた。
雅の横に座った欠は何時もと違いぐったりとしていた。
「お疲れね」
「疲れたわ」
欠は背もたれに深く体重をかけようとした。しかし、後頭部が窓に当たり、諦めて背筋を伸ばす。
「欠。何があったの?」
「すぐに帰すからと言われて被覆室に連れていかれた。そこで、裁縫部の部員たちが作った服をひたすら着さされた」
欠は愚痴の様にそう言った。でも、顔は楽しそうだった。
「要するに、みんなからちやほやされて楽しかったということね」
「そんなこと言ってないし、楽しいとも思わなかった」
欠は嘘をついた。
「色んな人と関わるのは楽しくなかったかしら?」
「別に、私は雅だけで十分だよ」
欠は嘘を重ねる。
雅は欠の右手に自身の左手を重ねる。
「欠も本当はみんなと仲良くしたいんでしょ」
「……」
欠は口をグッと結んだ。そして、手を震わせた。
「勉強もできて、スポーツもできる。おまけに恰好良い。
私の贔屓目もあるかもしれないけど、本当の欠はみんなの人気者になれるわよ」
「無理だよ」
欠は幾重にも失望を塗り込んだような声を出す。
「無理じゃないよ」
雅が欠の手を包み込む。
欠は包まれた手を裏返して、雅と掌を合わせた。そのままひっくり返して雅の手を押さえつける。
「もし、無理じゃなかったとして、雅はそれでいいの?」
欠は雅の耳元でそう囁いた。
雅は答えられなかった。そこに欠が追撃を加える。
「悔しかったんだよね。辛かったんだよね。
また、中学時代の雅に戻るんだよ。雅は新月さんには勝てるし、学年1位は取り戻せる。
でもね、雅じゃ本気の私には手も足も出ない」
欠は雅の指の間に指を入れ込み、雅を包み込むように小指から順に指を折って行った。
「……」
「ねぇ、雅。よく考えてみて。
本当の私をみんなにさらけ出すということは、雅が恒久学年2位の惨めな雅に戻るってことだよ。
それは嫌だよね。雅はそれが嫌なんだよね」
雅は下唇を小さく噛んだ。醜く矮小な雅には欠に対して言える言葉がなかった。
代わりに雅も指を折り、欠を受け入れた。そうするしかなかった。
目を瞑ると頭の中がごちゃごちゃした。
その晩、雅はとても眠れそうになかった。
目を開けて真っ暗な天井を眺める。
雅にとって勝つことは、学年1位であることは、当たり前の事だった。だから、それが自分の一部だと気づけなかった。
中学時代、欠に負けて失って初めて気づけた。
それからは死守しようとした。でも、また失った。
目尻からこめかみへと涙が流れた。
雅は右手を天井へと伸ばした。
「悔しいから頑張れる」
新月 虚の言葉を口に出す。作り笑いを浮かべた。
「確かめよう」
雅は本当の笑みを浮かべられた。
冬の朝特有の冷たく澄んだ空気に満ちた廊下を満月 雅は教室へと歩く。自信に溢れたしっかりとした歩調で教室へと向かう。
教室に入ると欠の方を向く。
本を閉じ雅の方を向く欠。
何時もと違う雅の雰囲気に欠は刹那目を見開く。
「おはよう。欠」
今日は雅から挨拶をする。
「おはよう。雅」
遅れて欠が返す。
挨拶が終わると欠は本をもって立ち上がり、自習室へと向かう。
「待って……」
雅が欠を引き留める。
「何?」
欠が振り返る。
「放課後、寄りたいところがあるのだけど、いいかしら?」
「いいよ。でも、こういう約束は学校でしないで」
「ごめんなさい。気を付けるわ」
「卓球場?」
「そうよ」
雅はそう答えて中へと入る。
欠もそれについて行く。
「卓球場に来たかったの?」
受付で書類を書く雅を、欠が覗き込む。
「ええ。冬休みが始まってから勉強漬けだったでしょ。だから、少し息抜きをさせて欲しいのよ」
雅はそれっぽい嘘をついた。
「まぁ、いいけど」
欠は雅からラケットを受け取る。
2人が台に着く、雅は得点板を0-0にした。
「欠。勝負しないかしら?」
「いいよ」
欠は軽くラケットを構えた。
「手加減なしの本気でお願い」
雅は欠にそう頼んだ。欠は苦い顔をした。
「本当にいいの?」
「いいわよ」
雅は自信に満ちた声を出す。
欠はため息をついてしっかりと雅の方を見据えた。
雅のサーブから試合が始まる。
雅は素人の中ではしっかりとした球速の速いサーブを出した。
欠はそのサーブをゆったりとした高目の軌道で返した。
明らかなチャンスボール。
雅はそれを逃さない。
スマッシュを打ち込む。
パンッという軽快な音の良いスマッシュだ。普通ならばこれで雅の点だ。
でも、相手は陽光 欠。
3歩ほど台から下がり、減速したところを普通に返してきた。
ただ、帰って来た球もチャンスボールであった。
雅はもう一度スマッシュを叩きこむ。球速の速い球が決まる。
でも、欠はそれを涼しい顔で返した。
ただ、またまたチャンスボールであった。
そんなやり取りが20往復程繰り返された頃、雅の右肩に疲れが出始めた。全力のスマッシュを連続で撃ち続けていたのだ。無理はない。
その右肩の疲れが球速に出てしまい、緩いスマッシュを打ってしまう。
欠はそれを見逃すほどお人好しではない。それに雅が本気でくるようにお願いしていたのだ。
欠は当然の様にこの緩んだスマッシュをスマッシュで撃ち返してきた。
球は雅の左側を抜け、地面へと落ちた。
欠は得点板の0に手を掛けた。
「雅。続ける?」
「もちろん」
雅は肩で息をしながら、そう返した。
「分かった」
欠は0を捲った。
3連続ラブゲームで雅が惨敗した。
休憩用のベンチに座り息を整える雅に、汗一つかいていない涼しい顔の欠。
欠は自販機で買ってきたスポーツドリンクを雅に渡す。雅はそれを自分の首筋に当ててから空けた。雅が3分の1程スポーツドリンクを飲むと、欠が隣から手を出した。欠は雅からスポーツドリンクを受け取り、1口分だけ飲み、『残りはいいよ』と言うかのように雅に戻した。
「雅。落ち着いたら帰ろう」
欠はそう言った。
「まだよ」
雅は荒い息使いで返す。
「リフレッシュできなかった?」
欠は少し赤い顔の雅を見た。
「ええ。まだ、1点も取れていないもの」
雅はそう返す。
「ごめんね。悔しいよね」
欠は謝った。そこに煽りなどと言った悪意はもちろんない。
「謝らないで、欠は悪くないわ」
雅は何時もよりかは清々しい作り笑いを浮かべた。そして、「もう少しだけ休んだら、もう一戦してくれない」と頼んだ。
「いいよ。次はちゃんと手加減するね」
欠はそう笑った。雅はグッと拳を握った。
「いいえ、全力でお願いしたいわ」
雅の言葉に欠の顔に陰が出来る。
「本当にいいの?また、3連続ラブゲームだよ」
欠は雅に確認する。雅は「いいわよ。だから、全力で来て」と苦し気に答えた。
雅と欠の第2試合。
1セット目はラブゲームに終わった。2セット目もラブゲームで終わる。
3セット目。0-10で欠がサーブを出す。
雅にもう後はない。
中学時代、嫌と言うほど思い知らされてきた。
自分も欠も傍から見れば天才だ。でも、自分と欠は出来が違う。月は決して太陽には勝てないのだ。
そう思うと、魚の胆のうが潰れた時の様に、苦々しく醜い悔しさが心の中で広がっていく。
『悔しいから頑張れる』
新月 虚の言葉を心の中で唱える。
溢れ出した自分の醜さが心強く感じる。
雅は力を込めて欠の方を見た。欠は頬に含み笑いを浮かべてサーブを出した。
雅はそれを欠の左側へと返した。欠はそれを浮いた球で返す。
雅はスマッシュを打ち込む。
スマッシュを打ち込む。
スマッシュを打ち込む。
スマッシュを打っても打っても何度も返してくる。右肩が痛く重い。それでもあきらめない。醜いのは悔しいのは嫌だから。
肩が限界を迎える。
勝負の時が来た。
雅はスマッシュを打つと見せかけて緩い球を前方へと落とした。台の後方で構えていた欠は急いで台まで走る。
普通なら間に合わない。
でも、陽光 欠の身体能力なら間に合ってしまう。しかも、ただ間に合うだけではなかった。
余裕で間に合い、決め手になりうる強打を雅の左側へと返す。
欠が太陽なら、雅も月だ。
散々点を取られる中で、ある程度の欠の攻撃パターンは分析していた。だから、左側に来ることは予想していた。
自分の脇腹をかすめて通り抜けようとする球に、ラケットを正確に当てて返す。
球は球速そのままで跳ね返り、欠の横を抜け地面へと落ちた。
雅は得点板に初めて1点を入れた。欠はまさか点を取られるなんて思っていなかったのか、固まっていた。
ここから雅の大逆転が始まる……なんてことはなかった。
次の点をあっけなく欠に取られ、1-11で終わってしまった。
「雅。リフレッシュになった?」
揺れ動く帰りの電車の中で、欠はそう切り出した。
雅が本気で来て欲しいとお願いしたとはいえ、雅にぼろ勝ちをしてしまった。その負い目の為に、欠の声には不安な気持ちが籠っていた。
「ええ」
雅は清々しい笑顔を欠へと向ける。欠は何故か分からないがその笑顔に胸がざわめくのを感じた。
雅の左手がそんな欠の右手を取る。そのまま、両手で包み込む。
「欠。学年末テスト、私と本気で戦ってくれないかしら?」
雅の言葉に欠は動揺した。手の震えを通して、雅にもそれが伝わる。雅は両手に力を籠め、欠の眼を見つめた。
「雅は恒久学年2位になっちゃうんだよ」
欠は逃げる様に目を逸らす。
「いいわよ」
雅は力強くそう返す。
「悔しくないの」
「悔しいわよ」
「なら、」
欠はそう言いながら雅の方を見た。でも、雅の瞳に続く言葉が出なかった。
雅は自身の右手を欠の左目へと伸ばした。眼帯の上からでも傷を感じる。
「欠。私はずっと悔しさが醜いものだと思っていた。実際、昔の私の悔しさは眼も当てられない程に醜かったわ。
でも、今は違うのよ。
私はこの悔しさのおかげで頑張れる。今日だって、欠から1点も取れなくて悔しかった。惨めだった。
でも、そのおかげでどうすれば点を取れるか考えられた。そして、実際に1点を取ることが出来たの。
まだ1点だわ。でも、いつかは欠に勝つ。だから、私と本気で勝負して欲しい」
雅は欠へ返答を迫る。
欠は雅の右手を払い、雅の左手を解いた。そして、荷物を持ち、立ち上がった。
「欠」
雅はそう呼びかける。
「もう着いていた」
欠はそう答えた。電車はM山駅に着いていた。雅は急いで立ち上がった。
電車が走り出すと、欠が立ち止まった。
「雅は成長したんだね」
欠は冷たく笑った。雅は何も返せなかった。
「ねぇ、雅、月が綺麗だね」
欠は月を指した。今日の月は太陽よりも大きく見えそうなほどの立派な満月であった。
「そうね」
雅はそう返す。
「雅。何で月はあんなに綺麗なんだと思う?」
欠は寒い声で尋ねた。
「空が澄んでいるからかしら」
雅はそう返す。
欠はため息を吐きだした。
「そうかもしれないね。
でも、一番は邪魔者が居ないからだよ。
太陽は月の美しさを損なわせる。だから、雅は欠と一緒にいちゃいけないの」
欠はそう言いつつ、月の飾りのついたヘアピンを左髪から抜き取った。そして、それを欠の言葉に動揺する雅の左髪へと返した。別れを惜しむようにゆっくりとヘアピンから手を離す。
欠は右目から涙を流した。
「雅。いや、満月さん。今までありがとう。
……絶交しよう
読んでくださりありがとうございます。
面白ければ次回も読んでいただければと思います。
次回は11月1日に投稿する予定です。
[今回の話の感想]
今回の話は雅と欠が中心で進んでいきました。
本来はここからは雅と欠がずっとシーンを握る予定でした。
ですが、今回星空と闇空、黒白と寺崎という2組の話を間に入れることが出来ました。
この2組は文化祭で距離が縮まったので、
その後の話を書きたいと思っていました。
文化祭後の更に仲良くなった2組の関係を書けて満足です。
また、今まであまり書けなかった主人公達の関係もかけて満足です。
後、2ep分頑張ります。
[次回予告]
次回は雅と欠の過去編を行います。




