鍵16‐2 緑の少女の願い
ディスティルとの会話からずっと周囲には自分の牙が折れたことを隠そうとした。
でも出来ていなかった。
母様も父様も弟のアルフレッドも妹のジェシカも皆どうしたのって聞くの。
令嬢達やヘススもテウタテスもシャムロックも皆心配してくれるの。
だから私は大丈夫よって、そのたびに言うのだけれど。
言う度に私が弱いことを自覚するの。私が緑の令嬢として強くあれないことを自覚したの。
でも、立とうとしたのよ。
だけど、その原動力がもう無かったの。
どうすればいいのって、このまま頑張っても私の欲しいものは先にないって気づいてしまったんだもの。でも全てを放棄するのも嫌だったわ。
そんな中、テレルにも「休むのも義務ですっ!」って注意されてしまって休まざる得なかった。
でも休んでる時にも休めなかった。
だって、またいつかは頑張らないといけないから。
緑の令嬢としてみんなの為になるように、ディスティル嬢から未来の王妃の座を勝ち取って、この暖かい空間から大切な人々から離れないといけないから。
真に緑系統のことを考えるのなら、私は緑の公爵令嬢として未来の王妃となるべきなの。
だけど、私は緑系統のみんなが大好きだから、緑の公爵令嬢として、緑系統の人間たちの中で生きていたいの。
でも、決して自分の心中を明かしてはいけないの。
こんな言葉を吐いたって、みんなを困らせるだけだから、不安にさせるだけだから、私の願望は誰にも知られてはいけないの。
頑張れないのっ、もう頑張る方法が分からないの!
普通に話すことすらできないの。
だって、口を開いたら言ってはいけないことを言ってしまうわ。
どうすることも出来ず毎日ベッドの上で考え込んでいた。
でも見舞客が毎日のように訪れて私を心配してくれた。
優しかった、嬉しかった、暖かかった。
でも、そう実感するたびに私の義務はこの人々から離れてでもこなさないといけないことと思い出す。
優しい彼女ら彼らにいつか弱音を吐いてしまうんじゃないかって怖くなったの。
私が、私の願望が故に、私が大切な存在の為に生きられなくなるのが怖かった。
仮面がはがれてしまう時がいつ訪れるか怖かった。
――そんな時だったの、オクリビトさんが現れたのは。
その日は静かな夜だった。
目が覚めてその子の腕を掴んだのはほぼ本能だったわ。
その子は黒いローブのフードを思い切り被っていたけど、丁度その時開けっ放しだった窓から突風が吹いて、それが頭から脱げる。
青い月によって照らされたその子供の姿は今でも鮮明に覚えている。
伝説や天学で聞いたカラビト様が実際にいたらこんな感じかしらと思う程の整った顔立ちをしていた。
柔らかそうな赤茶髪のくせ毛に、紅茶色の瞳に、左目下の泣き黒子、陶器のように真っ白な肌、薄い唇、全てが完成されたパーツで、全てが完璧な位置にあった。
そんな美しい顔をした子供は、怯えと驚愕に染まっていた。
だから、思わず声をかけてしまったの。
「あらカラビトさん。私を迎えに来たのかしら。それなら、良い終わりね」
疲れていたの。もう考えることすらもやめてしまいたかったの。
だから、あのカラビト様がいらっしゃったのなら、私を解放しに来たと思ったの。
だけど、その子はその言葉に雷に打たれたかのような反応をした後、ポロポロと涙を零し始めたの。
「ぼくはっ……あなたが思うそんな立派な存在じゃないよっ。あなたの声をうばいにきた、あなたを害しにきたんだ」
そんな素直でとんでもない罪の告白があるとは思わなかった。
恐怖は感じなかった。
だって、正面切っての戦いで私が負ける訳がなかったから。緑系統の上級貴族は過去にカラビト様から先祖が力を賜った影響で、人間離れした身体能力を持つから。
「あら、ここまで来るには大変だったでしょう?」
だけど、シュトックハウゼン家の王都の別邸の堅固さをこの子供が通り抜けたことには警戒していた。
一見、鍵も少なく窓もかなりの数空いているこの屋敷だが、そこを警備する使用人や住人は皆強者ぞろいだ。
番犬も10近くいる。そうやすやすとここまで来れない筈だ。
彼らを害したのなら放っておくわけにはいかない。
「ううん、全員眠らせたから簡単だったよ」
「眠らせた?」
予想外に平和な回答に私は言葉を繰り返す。
気絶程度で全員済ませたのかしら?
でもそれをするにはこの子は弱いわ。
だって、未だに私の腕を動かすことすらも出来ない。
年も私より多分少し幼いから、おそらく10くらいの子供だわ。
うちにいる使用人や、番犬を私に気づかれず気絶させる程、圧倒的な強さと技術を持っているとは思えないわ。
「うん、ぼくは歌うことでそうすること出来るんだ」
人を眠らせることのできる歌、そんなものおとぎ話や伝説でしか存在しない話の筈だ。
そう子供の戯言とするには、私は自分自身の能力や、それに似た遥か昔、四系統の投手の家にカラビトが与えた能力の話を知りすぎた。
流石に緑系統以外の能力は、能力の詳細はあまり外部に漏らさない傾向があるから詳しくない。
だけど、ざっくりは知っている。
緑は身体能力、紫は感知能力、赤は芸術による大きな感動だ。
黄は掴みどころがあまりないけど、紫の上級貴族が違和感をたまに生み出していると言っていたわ。
でも今は黄系統の話はどうでもいいわ。
この子、この小さな子供は――赤の上級貴族の縁者だわ。
しかも、芸術で感動って眠らせるまで行ける判定なのね。
そこまでの能力なら、この子は相当な血筋の筈よ。
なのに、どうして緑の公爵家の人間に、公爵家の別邸に忍び込む任務付きで、単独特攻させられているの?
流石におかしいわ。
いくらなんでも、危険だわ。しかもこんな子供に何をやらせているの。
「ふーん、貴方は私を害しに来たって言ったけど、殺すの間違いじゃないの?」
でもそんな自身の中の疑問を声に出さないようにして、更に情報を聞き出す。
殺すなんて言葉はこの子を怯えさせるかしらとも思ったけれど、緑の令嬢の部屋に不審人物が来るリスクが大きすぎるから、その可能性は消せない。
「ううん、殺さないよ。声をうばえって言われた。声だけうばう毒を飲ませろって」
……言われたね。つまり第三者がこの子に頼んだ訳ね。
「そんな手の内を明かしていいのかしら」
あまりにもするすると目の前の子が質問に答えてくれるものだから、ほんの少しの疑いを持ってそうきく。
鵜呑みにしては決していけないの。
私は緑の公爵令嬢なのだから、この事態にきちんと対処しなければいけないの。
「っ、ダメだけどっ、だけど、どうしようもないやっ。
だって、もうあなたが起きた時点でぼくのしっぱいは決まってんだ。
おかーさんもぼくも助からないっ」
冷静に、正しく対処しなきゃいけないのに。
「だったら、だったら、あなたのような光の世界の住人に少しでも真実をたくした方がいいんだ。
だって、ぼくじゃあだれも救えないっ、守れないっ」
正しく対処しなきゃいけないけど、どの正しさが今必要なのかしら。
目の前にいる侵入者の子を放置しておくわけにはいかない。
話を鵜呑みにする訳にもいかない。それが緑の公爵令嬢として正しい。
別にこの子を殺したりはせずに捕まえれば、私はこの子は傷つけずに済む。
「あなた、お母様を人質にとられているの?」
その問いかけに、子供は小さく頷いた。
ああ駄目だわ。
鵜呑みにするのは愚かだけど、もしこの子が話している話が本当なら、この子のお母様は殺されてしまうかもしれないわ。
この子が赤の上級貴族の縁者なら、その子の母親も赤の貴族の縁者だろう。
でも、赤の上級貴族の過去話を聞くに、彼らは残忍冷酷で身内ですら容赦なく殺す。
現当主、ザミール・エルピス・ウアタイル公爵は両親兄弟を殺して早々に当主に着いただなんて物騒な話がある。
その妹が嫁いだマイスター侯爵家なんかは処刑の家として有名だ。
公爵令嬢といえど、他家の、しかも赤の上級貴族の血縁者を簡単に送り込めるような奴を簡単に追い詰められはしないだろう。
向こうだって、失敗の可能性も考慮してるだろう。
その上でこの子を捨て駒として送り込めるような人物が裏にいると考えると、下手に首を突っ込めない。
この子の裏で糸を引いている奴の思惑もきっちり把握した上で動かないといけないわ。
だけど、目の前で泣いている子供が演技だとは思えない。今、放っておけない。
だから私は妙なことを口にする覚悟を決めた。
今から私が選ぶ選択はきっと緑の公爵令嬢としては間違っている。
だけど私、シグリ・レトガー・シュトックハウゼンはこの選択をする。
「声、奪っていいわ。だから、貴方は貴方自身とお母様を優先しなさい」
見開かれる長いまつ毛に縁どられる瞳をまっすぐ私は見る。
だって、大好きなお母様の為に危険を冒したこの子を、傷つける選択はとれないし、この子を危険に晒した奴の思惑にのりたくなかったの。
弱きを強者が守るのは当然のことでしょう。
「なんで? なんで会ったばかりのぼくにそんなことを許すのっ、おかしいよ! あなたは声をうばわれるんだよ! 令嬢なのにっ、大貴族なのに!」
「ええおかしいわ。でも、私は声がいらないの」
困惑しているその子に、私はそうきっぱり宣言した。
この子を放っておけない。それも本音だ。
――でも一番の本音じゃないの。
ただの善意だけで私はこの子に声を差し出すつもりじゃないの。そんな善人じゃないのよ。
私自身の願いを叶えるためにも、私は私の声はもういらないの。
最近はずっと自分の声を恐れていた。
いつ本音を零してしまうか怖くて仕方なかった。でも、声がなくなればその恐れはなくなる。
恐れていた声を、人助けだなんて大義名分で無くせるなら素晴らしいじゃない。
加えて、王妃候補としての価値が著しく下がる。
喋れない王妃だなんて誰も望まない。
ディスティルのことを放置しておくのも良くないかもしれないけど、私はたとえ声を失ったって緑系統のみんなを守るわ。
声を失った私は、王妃になれない私は、何も恐れることが無いもの。怖いものが無くなるもの。
「私はこんな『声』なんていらない、貴方も私から『声』を奪う必要がある。利害は一致しているでしょう?」
ええ、正気じゃないわ。正しくないわ。
でもね、私はきっとその方が強くなれるの。
大好きな人たちの為に、傍で、純粋な想いで戦えるの。
もっと頑張れるの。そっちの私の方が強いわ。
今のような無気力な状態が続くよりも、例え声を失おうが自分の大好きな人たちの為に純粋に戦える方が、私は私自身に胸を張れるわ。
「優しいオクリビトさん、今から私とあなたは共犯者よ」
びくっと、目の前の子供の肩が大きくはねる。
オクリビト、あえてそう口にしたけど、当たりみたいね。
赤のオクリビト、罪人を歌で楽園に送った後、首を切り落として罰を与えて罪を清算させる存在がいるという最近の噂話だ。
赤とついていることや、歌という関係性、更に私がこの子みたいな子に見覚えがないということから、この子に関係がありそうだ。
なんらかの理由で表沙汰に出来ない赤の上級貴族の子供が、表立ってないことを良いことに母親を人質に強い能力を利用されて、悪事の片棒を担がされているってとこかしら。
「お代はそうね、お互いに生き残って、また顔を見せましょう」
私では貴方のことを助けることは出来ない。
でも予想外の貴方の登場によって、私は自分の歩ける道を見つけた。
だから、貴方のことを知った上で、私は貴方と共犯者になるわ。
貴方の生存を願うわ。
だって、苦しみの中で足掻く貴方の中に、私自身とも似たものを見たから。
私はその後、オクリビトさんから毒物を受け取りすぐにそれを飲んだ。
効果が違う可能性も頭をよぎったけど、無視した。
どうせ毒で死のうが、声を失わなかろうが、私は死ぬもの。可能性がある方を私は選ぶわ。
幸い効果は言われた通りで、声だけが見事になくなった。
だから、私はそのあと自ら事故を起こし、あの子の犯行だと分からなくした。
声を失った数か月後、私は王都で開かれたパーティーに出席していた。
そこにはオクリビトさんがいた。
オクリビトさんは何故かドレスを着ていた。潜入の為だろうか。
よく分からないけど、私から遠く離れたところから、私に綺麗に礼をして見せた。
約束を守ってくれたのだ。
私はあの子の姿を確認できたことにほっとしつつ、周囲に変に思われないよう大衆に手を振るふりして、あの子に手を振った。
その後、またあの子を探そうとしたけど、その日以外にあの子が私の出席するパーティーに現れることは無かった。
***
「シグリ様、貴方が何をお話になるかは分かりませんが、自分が貴方から離れることはないですからね」
緑がかった黒髪に、灰色の瞳に、顔の蔦上の特殊な痣、昔から彼の特徴は変わらない。
昔から、何も言わずについてきて、優しく私の全てを許そうとするのだ。
だから今も昔もシャムロックは、家柄や能力、血縁の加減以外の理由でも私の最有力婚約者候補として推されるのだ。
だけど、それはシャムロックにとって幸せなのかしら……。
私はもう幸せだわ。とある私の願いは叶うことはないけれど。
でもその願いが叶わないのは、その恋心を自覚した時から覚悟してたからいいの。
公爵令嬢や血縁関係の考慮で叶わないのは勿論、
多分私とテレルになんもしがらみがなくても結ばれない。
恋愛対象として全く眼中にないのをこれでもかという程知っているわ。
私はこの願いを叶えないと決めてるの。
だって、私は緑のみんなが恋心以上に大切だから。
でも恋は捨てられても、緑のみんなを捨てることも、離れることも出来なかったの。
私は緑系統の人間でありたかったから。
そこだけは揺るがないわ。
その願いだけは捨てられないわ。
私は私自身が我儘だと知ってしまったの、だからシャムロックやみんなをもう騙すわけにはいかないの。
今回の大会を見る限り、私が皆の前で取り繕った影響もあると思うの。
でもその話は今は後にしましょう。
だからさっき、シャムロックに後で話すと言ったの。
それよりするべきことが今はあるの。
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