その後の小話
時系列は本編から半年後くらいです。
リネットは普通に喋ってます。
※夫婦のその後の日常が書きたかっただけなので特にオチもヤマもないし短いです。
「貴方、たまには自分の寝台を使いなさいよ」
朝食をとっている夫に向かって、開口一番リネットはそう言った。
猫のようなその目をつり上がらせ、形のいい眉をぐっと深く寄せた彼女の表情は、いつも通りのものである。
対する彼女の夫も、愛妻が作った朝食を嬉しそうに食べていた手を止めて、心外だ不満だと言わんばかりの顔をする。
「ええ?どうして?俺はリネットと一緒に寝たいよ」
「私はたまには一人で寝たいの」
「えー……」
「大体、貴方には自分の寝台がちゃんとあるのに、私のところで毎晩寝てることがおかしいのよ」
「必然的に一つしか使わないときもあるけど」
「そ、それとこれとはまた別でしょ。今は貴方の寝台の使用頻度の話をしてるの」
せっかく自分の寝台がきちんとあるのだから、リネットのものでなく、そちらで寝た方がいいに決まっている。リネットがそう主張しても、アランは何だか微妙な顔をしたままだ。「俺の寝台捨てるか……」とふざけたことを呟いたので、睨みつけて発言を撤回させた。
兎にも角にも、たまにはリネットも一人きりの寝台で、手足をのびのび広げて寝たいのだ。そう切に訴えられると、愛妻の頼みに弱いアランは応じる他ない。まるで身を引き千切られているような顔をして、彼は漸く頷いた。だいぶ鬱陶しい表情である。
「……一応聞きたいんだけど、リネットは俺と寝るのが嫌なわけではないよね?」
「……」
「え?え?嫌なの?」
「別に」
「“別に”ってどっちの意味!?割と重要だよそこ!」
「うるさい。さっさと仕事に行きなさい、遅れるわよ」
「リネット!?リネット!?」
それから仕事に行くまで、アランはずっとうるさかった。
◇
それから数時間経って、その夜のこと。
時計の針がアランが帰ってくるいつもの時間を差しているのを、リネットは寝台の中で見ていた。
数分後には、予想通り小さな物音とこちらに向かってくる足音が聞こえる。ガチャッと寝室の扉が開いた。
仰向けで寝た状態のまま、分厚い上掛けからひょっこり顔を覗かせたリネットは、仕事帰りの夫に声をかけた。
「……おかえりなさい」
「あれっリネット、まだ起きてたのか?」
アランが驚くのは無理もない。いつもならこの時間帯はリネットは爆睡しているのだ。それはリネットも重々承知しているが、何故だか今日は眠れなかった。
「もう遅いよ。早く寝な」
「……ええ。貴方も」
「うん…………っと、あぶないあぶない」
いつもの癖でリネットの寝台に向かおうとしたアランがくるりと方向転換した。それから苦渋の表情で、もう一方の自分の寝台へと上がる。ついでに馬鹿でかい溜息も吐いていた。うるさい。
「わかってる、わかってるよ……今日は別々に寝るんだったよね」
「そうよ」
「うん…じゃあおやすみ、リネット」
「……おやすみなさい、アラン」
薄ぼんやりと点いていた部屋の明かりが消える。暗闇の中、時計の針の音だけがやけに大きく聞こえた。
「……」
それから数分経過したが、リネットは全く眠くならなかった。念願の寝台の独り占めの筈なのに。
上掛けの下に収まる手足はこれ以上ないくらいのびのびと伸ばすことができている。なのに身体は休まっているような気がしないし、無性に落ち着かないのだ。
体勢が悪いのかと寝返りを打ってみると、隣の寝台が目に入った。暗闇に慣れてきたリネットの瞳は、規則正しく上下する夫の肩の線をとらえる。遠くから離れて見てみると、アランの肩は意外と広い。いつもこれでもかとくっつかれているのであまり意識していなかった。
何となく夫に抱きしめられた記憶をリネットは思い出してしまって、無意識に唇にギュッと力を込める。
……大体、あんなに別々に寝るのをゴネていたくせに、あっさりと眠りについているあの男は何なんだ。リネットは全くと言っていいほど眠れないのに。この差が妙に腹立たしい。
「……はぁ」
ほとんど音がない溜息が闇に混じって消えていく。自分がだいぶ理不尽な感情をアランにぶつけていることはリネットも自覚していた。別々に寝たいと言い出したのは彼女だ。自分から言っておいて、アランの寝つきがいいからと勝手に拗ねるのは間違っている。それは分かっているのだ。
分かっているのだが、それを認めるのが何となく悔しいし恥ずかしかった。かといって、このまま朝まで眠れないのも困る。
「……」
数秒の葛藤の後、リネットは決心した。
むくり、と無言のまま彼女は起き上がる。そのまま自分の寝台から降りると、隣の夫の寝台の上掛けを勢いよく捲って、そこに入り込んだ。
ぬくぬくとした温かい上掛けの中に、突然冷たい空気と妻が入ってきたので、さすがのアランも目を覚ます。
「寒っ!……え、リネット?どうしたの?」
「つめてちょうだい」
「え、あ、はい」
困惑しきりのアランだったが、それでもちゃんと愛妻が寝るスペースは空ける。己の寝台の中に潜り込んできた柔くて小さなリネットの身体を、すかさず両腕に閉じ込めた。
「どうしたのリネット。何かあった?」
「……撤回するわ」
「え?」
「今朝言ったことは、撤回するわ。ごめんなさい」
「撤回って、やっぱり別々に寝るのはやめるってこと?」
「……ええ。そうよ」
アランは目を丸くして腕の中の妻を見る。暗くて表情はよく見えないが、声色や雰囲気からして、もしかしてリネットは照れているのではないだろうか。そうと分かった瞬間、アランの表情がだらしなくゆるんだ。
「なに、やっぱり寂しくなって俺と一緒に寝たくなっちゃった?」
「そうだったら何よ、だめなの?」
「あー、クソ。かわいい……」
「くだらないこと言ってないでさっさと寝るわよ」
「好きだリネット……愛してる……」
「……アランうるさい」
感極まった夫の愛の言葉を子守唄に、リネットはようやく安心して眠りにつくのであった。