秋元光一と俺
この作品は彼らを思って書いた。
彼らとは、この作品を書くきっかけとなった作家・あまぎん。長屋のゆーさん。やわ銀の悪夢・じんじぃ。偉大なるヒトリエの故・wowaka。職場の同僚・Y。学生時代の知人・F。やわ銀のグラブルオタク・T。
この作品は彼らには特に気分を害する内容かもしれないが、これも私の愛の一部なのでどうか怒らないでほしいとだけここに記しておきたい。
俺は本物の人間ではない。彼の発言力や佇まいを見ていると、そう感じさせられてしまう。
彼の名は秋元光一という。さわやかな笑顔と少しはねたくせっ毛が柔らかい印象を与え、ふるまいは常に洗練されている。その細い瞳は多くを映さないかのように見えて、大事な場面で細かいことにも気が付く。感情に素直かつ冷静で、おかしいと思ったことは積極的に発言してくれる。誰とでも仲良くできるため常に人が集まってくる。ああ、とても人間らしいではないか。
コップの底に溜まったコーヒーは俺の顔を映せるほど残ってはいないが、その味は俺の隣に座る古臭いノートPCをいじくっている小太りの中年男性よりは、苦々しくなかった。中年男性のカタカタというキーボードの音だけが店内に響いている。平日の昼間のこの時間帯に喫茶店にやってくるのは、いつも俺とこの中年男性くらいだった。キーを叩く薬指には指輪がはめられていたが、その指輪も少し錆びついているようだった。せわしなく動き続ける指輪を見て、この男性もきっと数年前までは本物の人間だったに違いない、と思った。俺はしばらく、その中年男性の指輪をぼーっと見つめていた。
秋元光一は職場の同僚だった。入ったのは秋元のほうが先だったため、厳密には先輩だが、年で言えばおそらく同期か少し下だ。あまり話したことはないので詳しくは知らないが、俺と家が近いらしく、どうやら通勤中の間抜けな顔で歩いている俺を何度か見かけているらしい。恥ずかしいのでやめてくれよ、そう言ったらそれ以上は追及してこなかったし、それ以来こちらから話しかけないようにしているが、秋元はどうやらそういった他人の感情面の部分においては愚鈍なようで、事あるごとに話しかけてきた。
「悠一さんは偉いですね、そういう仕事をやってくれるのは悠一さんだけですよ」
「悠一さんの分作っておいたので、食べていってください」
「悠一さん、お先に休憩入ります」
俺は人間同士の雑談といったものが苦手で暇になるとどうしていいかわからないから、仕事を見つけては暇つぶしでやっているだけだ。職場の足を引っ張るような出来損ないの俺には、中央テーブルで女性と世間話で盛り上がるよりも、職場の隅で雑用係がちょうどいい。なのに秋元は人の輪を抜けてまで話しかけに来てくれる。最初はいい人だな、くらいにしか思ってなかったが、最近こいつは俺に何をさせたいんだろうかと疑ってかかるようになった。特に、休憩中の一言がずっと頭から離れないでいる。
「あの上司は絶対におかしい、人間じゃないっすよ」
人間じゃない、という言葉にとても鋭利さを感じて、その場で何も言えないままの俺は苦笑した。コピー用紙は数十枚単位で無駄にするし、割った食器でおそらく月収が飛ぶし、毎月の売り上げも部署内でおそらくビリであろう俺よりも、毎日決まった時間に出勤して俺のやらかしのケツを拭き、部下達にあれこれ指示を出す上司のほうが人間じゃないのだろうか。そんなことはないだろう、と思っていると秋元は
「謝ることが出来ない人なんですよ」
と愚痴をこぼし始めた。どうやらまた社内でのもめ事に巻き込まれたようだった。人望があるというのも考えものだ、秋元のようなしっかりした人間は、特に頼りにされるだろう。
コーヒーカップから手を放し、俺は席を立った。相変わらずせわしなく動き続ける指輪を背に、俺は店を出た。
まっすぐ歩こう。まっすぐだ、そう自分に言い聞かせながら通りを直進した。通学帰りの女子中学生二人組みが向かいから歩いてきた。制服は紺色で、きっちりとしていて、楽しそうに談笑している様は俺の暗くよどんだ感情とは不釣り合いだった。すれ違う瞬間の笑い声が冷たく心に突き刺さるので、つい上体のバランスを崩しそうになった。まっすぐだ、真っすぐに歩けばいい。それだけで俺は人間になれる。
女子中学生らは当たり前だが俺に声をかけることはなかった。あたりの木々が風に揺れてさわさわと音を立てる。ふと空を見上げるとよく晴れていて雲一つもなく、いつもスマートフォンを眺めてばかりだった俺は空がこんなにも青いのかとみとれかけ、電柱に勢いよくぶつかった。幸いなことに上を向いていたので鼻の骨を折ることはなかった。しかし足と腹部をぶつけたので、痛みでよろけてしまった。そのまま地面に座りうずくまり足をさする。
「まっすぐ、まっすぐ」
声が出たのは痛みに対してではない。それはただ道をしっかりと歩むことすらできない自分に対する悔しさ、恥ずかしさ、いたたまれなさといったものだった。恥ずかしさのあまり殺してくれとすら思った。




