表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

太陽はすっかり地上から身を起こし、まばゆい光を辺りに撒き散らしていた。光を受けたものは自らの影を作り、不敵に佇む。

そんな中で、奈緒はただぼんやりと立っていた。

今にも消えそうな不確かな存在。

その前に広がる輝かしい朝の景色。

奈緒はその光景を、瞼を下ろすことで閉ざした。何かを耐えるように、何かから守るように目を閉じたまま動かない。

光は奈緒にも同じように注がれ、奈緒の後ろには深い深い影ができている。

そうしていくばくか経った後、奈緒は緩やかに瞼を上げた。光の源を見ぬよう視線を下ろしたまま、後ろを振り返る。

「あれ、自殺じゃなかったんだ」

途端に聞こえた声。おそらく少女のものであろう可愛らしい音。

その声は奈緒が振り返った先――光を受け、大きな闇を作り出す雑木林の中から響いてきたようだった。

奈緒は思わず顔を上げ、静かに周りを見渡す。

そこに在るのは光り輝く木々とそれらから生まれた陰のみ。音を繰り出す者は見当たらない。

奈緒は再び黄金色に輝く地を見下ろし、ゆっくりと足を踏み出した。

音も無く歩みを進め、闇のはびこる雑木林の中へと入っていく。

奈緒を抱くように傍で見守っていた光は離れていき、その代わりと言うかのように、木々の裏側にできた冷たい闇が奈緒の周りで揺らめいた。

「あー、ちょっと待って」

木々の陰を数歩踏みしめたところで、奈緒の頭上から再び声が聞こえた。少し慌てたような、先ほどと同じ声。

立ち止まり、ずっしりと構えた木々を見上げる。体を回しながら、不信な声の出所を探す。

けれどもお互い身を寄せ合う緑の葉達の隙間からはわずかに切り取られた空が垣間見えているだけで、他のものはない。

諦めたように顔を下げた。

するとがさがさと不自然に木の葉が擦れ合う音がして、それからよっ、と軽い声が上がった。

視界の右端に、上方から降ってきた何かを捕らえる。

それは木を揺らし、長い髪を踊らせながら地面に着地した。

奈緒はその落ちてきた長髪の影が佇む方を向き、少し訝しむように眺めた。

「へー、地面ってやらかいんだね。飛び降りたらちょっと痛いかなって思ったんだけど、わりとそうでもないや」

それは驚き感心したような声色で言葉を紡ぐ。

その声は奈緒に投げ掛けられたようだったけれども、奈緒自身はそれに関心せず、ただ音の発信源を見つめ続ける。

「ね、さっき何してたの?ものすっごく暗かったからさ、あたし自殺かと思ったんだけど」

痛いほどに明るい光を背に負い、独り言のように問い続ける。

「違ったか?それとも正解?図星?」

その表情は、光の裏にできた影に遮られ、分からない。

「あー、あそこ意外と高いしね。怖気付いちゃったとか?」

明らかに奈緒に向かって尋ねている言葉に、奈緒は無反応を押し通す。その声が届いているのかさえ怪しい。

「んー、まあ怖気付いても付かなくても、そんな変わんないけどね。飛び降りようが、どうしようが、結果は一緒。うん?いや、ちょっとは変わるかも。分かんないや」

けらけらと笑い声が上がり、それと連動するように長い光り輝く髪が愉快げに揺らめく。

相変わらず、顔は影に黒く塗り潰され分からない。

奈緒は静寂を纏ったまま、その様子を観察するように眺めている。

その視線に気付いているのかいないのか、輝きを纏うその少女はその場から動くことなく、奔放に振る舞っている。

けれども闇の仮面を付けたその人影は、虚無をその身に宿しているようにも感じられた。

「あ、そういえばさ、名前何ていうの?あたしはね、えっと、あー、うん」

そうは言っても、やはり少女の声は明るい。

それはまるでその空白を覆い隠すかのようで。

闇に取り込まれそうになる体を掻き抱くようで。

「そう、幹。幹って呼んで。可愛いでしょ?」

少女の高い声は闇に、光に響きゆく。

奈緒はその音響に耳を傾け、黒塗りの少女の表情を伺おうと、じっと見つめ続ける。

問い掛けには、応じない。

「君は、何て呼べばいい?」

反応を示さない奈緒を特に気にした風もなく、幹と名乗った少女は変わらずの明るさで話し掛けた。

奈緒は口さえ開かない。

やがて明るい声が萎むように消えていき、そして奈緒の纏った静寂が膨らんだ。静寂が、この世界を占める。

闇は蠢き、光はその闇を突き刺し煌めく。

「……奈緒」

いくばくかの無音の後、漸く奈緒は口を開いた。

それは小さく籠もった声でありながらも、確かな存在感をもって静寂に染み込んだ。

「ふーん、ナオか。うん、可愛いね」

暗い声で呟いた奈緒を気にも留めず、幹はけらけらと笑った。

奈緒は自らの縄張りを張る猫のように、その様子を見つめる。

そしてその視線を幹の代わりに受けた空っぽの笑いは、虚しさを残して次第に消えていった。

光の裏にできた深い闇は静寂に満ち、もしそこだけ取り出したならそれはまるで哀しい夜のようであった。

「……ね、ナオ」

幹が呟くように、囁くように奈緒を呼んだ。それは先ほどまでとは違い、優しい哀しい声だった。全く別人のような、しかし彼女に相応しいそんな音だった。

「ナオはさ、何を思って見てたの?」

真直ぐに闇を突き通る視線が奈緒に向けられた。

「太陽が、昇ってくるところを。何を感じた?」

静かな時間が流れる。

奈緒は口をほんの少し開き、沈黙していた。

「あたしはね」

顔が伏せられ、幹の髪が流れるように動く。

「あったかそうだなあって。きっとあったかいんだろうなって」

ゆっくりと、顔が起こされる。幹は奈緒を見つめ、奈緒は幹を眺めた。

「そう思ったよ」

優しい音が闇の中を彷徨い、空気を揺らし、奈緒の許に辿り着くと静かに消えていった。

奈緒の開いていた口が閉じ、そしてまた開かれた。唇が心細げに震えている。

わずかな躊躇いと、縋るような哀しい想いが奈緒を満たした。

そして――奈緒の声が零れ、小さな夜に流れ始めた。

「……夢を、夢を見ていたの。あの光に。あの時の夢。大切な、夢」

静かな音が光の裏側を揺らし、溶けていく。

寂しい響きが暗闇に籠もり、消えていく。

幹はその声に耳を傾け、光を背負うその身でそれを受けとめる。

「それから、探していたの。夢と違うところを」

奈緒はもう幹から目を逸らし、暗い地面を睨み付けていた。

「姉さんが感じた太陽の暖かさを」

その姿は迷子になった幼い子供のように孤独だった。

迎えに来てくれる誰かを、待っているようだった。

「分かんないよ……。なんで、なんで」

――分かんないの。

涙のような言葉が陰を震わせる。

泣いているような音が、幹の耳に届く。

そっと、幹が木の陰に入っていった。幹の背中から光の羽根が削ぎ落とされる。

静かに闇を押し退けながら、ゆっくりと奈緒に近付いていく。

奈緒は顔を下に向けており、それには気付かない。

一歩、一歩と、奈緒との距離が縮んでいく。

幹の髪が滑らかに踊る。

そして幹が手を伸ばせば触れられるほどの間を空けて、立ち止まった。

沈黙が、二人の間に流れる。

奈緒は、幹がすぐ目の前にいることに気が付いていないはずはないのに、深く押し黙ったままだった。

じわりと広がっていく暗い沈黙。

長いようで短い静寂が辺りを満たした頃、俯く奈緒の右手に白い何かが伸ばされた。

それはそのまま奈緒の手首を掴む。

白い幹の右手だった。

幹は奈緒に背を向け、足早に陰の中を歩いた。奈緒の手首を強く優しく握ったまま。

奈緒は伏せていた顔を上げ、先行く幹の背中を見つめた。

長い黒髪が、空を舞う鳥の翼のようにふわりと広がっている。

二人は沈黙したまま歩く。

少しずつ、視界に入る闇が減っていき、光が強くなっていく。

奈緒は再び視線を下げた。光を拒むように。

けれどもそうするだけで、奈緒は幹の手を振りほどこうとはしない。

二人の姿が、白い光に包まれた。

柔らかな優しい輝き。

その光を恐れるように奈緒の歩みが鈍った。

しかし幹はそれに構わず、ただ奈緒を掴む右手に力を込めただけだった。

二人の周りを、陽光が踊るように駆けていく。

朝の澄んだ空気が世界を包んでいる。

幹が立ち止まった。自然と奈緒も歩みを止める。

奈緒は依然、下を向いたまま。

幹の後ろでそうしている姿は、まるで日から逃げているようだった。

幹は後ろに潜む奈緒を一瞥すると、強く手を引いた。

操り人形のように弱々しく、奈緒は幹の隣に並ぶ。

深い沈黙。

「……ね、ナオ。見てみなよ」

それを溶かすように、ぽつりと呟いた。

幹は朝日の眩しさに、わずかに目を細めている。

奈緒は顔を伏せたまま、沈黙を守る。

「ほら、ナオ」

そう言いながら、幹は奈緒を掴んでいた右手を離し、そしてもう一度握り締めた。――今度は手首ではなく、奈緒の手のひらを。

強張るように奈緒の肩が揺れ、握られた手がわずかに竦む。

その動きを手のひらに感じ、幹はただ静かにその不安げな手を柔らかく握った。

それから幹は、見守るように奈緒を見つめた。

揺れ動く沈黙。

目映い朝の輝きが二人を包む。それは雛鳥を愛しむ親鳥の真っ白な翼のように、二つのほんの小さな生命を抱いていた。

そして――守られた雛鳥が親鳥の羽の隙間から、世界を覗いた。

奈緒の視界に広がったのは、何の変哲もない朝の風景だった。

光に照らされた見慣れた家々。嬉しそうに朝日を味わう艶やかな色をした木々や草花。朝の喜びを祝福する鳥達や主人の目覚めを退屈そうに待つ犬達、早速二度寝を始める猫達。

変わらぬ始まりの景色。

何度も繰り返されてきた時間。

ただ、ただそれだけ。

奈緒はあの拒んでいた優しい光を一身に受け、その逃げてきた光景を目に写し、立ち尽くした。

当たり前の世界を、眺めた。

いつの間にか、きつく左手を握り締めていた。

「ね、ナオ。わかった?お姉さんの感じたモノ」

少女の声が尋ねてきた。

「……分かんない、でも」

奈緒はきゅっと左手に力を込めた。

目覚めを促すように、鳥が朝の囀りを奏でていた。


















――さて、じゃあ帰ろっか


……


――うん?どうしたの、奈緒


きらきら、してる


――そうね。きれいでしょ?


うん


――これがね、始まりなんだよ


――さ、帰ろう?皆が起きる前に


……うん


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ