第16話「全部、研究したはずだった」
静岡ブルーウェーブ、クラブハウス。
試合前日の夜。
監督の神谷恒一は、暗い分析室でモニターを見つめていた。
画面に映っているのは、福岡ユナイテッドの試合映像。
「止めてください」
映像が止まる。
神谷の隣では、ボランチの三上がメモを取っていた。
「福岡の攻撃は、この四人を中心に動いている」
神谷が画面を指差す。
岩永。
神崎。
城戸。
カルロス。
「岩永が後方から神崎へ。神崎が前を向けば、城戸が中央で受ける。そして最後はカルロス」
三上が頷く。
「なら、神崎へのプレスを強くして、岩永からのパスコースを消します」
「そう」
神谷は次の映像を流した。
カルロスが狭い場所でボールを受け、二人をかわして前を向く。
「カルロスには絶対に前を向かせない」
「僕が見ます」
FWの藤堂が言った。
「頼む」
さらに映像が切り替わる。
白石が右サイドを駆け上がる。
圧倒的なスピード。
神谷はそこで映像を止めた。
「白石のスピードは危険だ」
三上が答える。
「裏へのパスを警戒します」
「もちろんだ」
神谷は静岡の最終ラインを高い位置に置いた。
「だが、福岡がパスをつなぐなら、この高さで問題ない」
三上が頷く。
「中央を消して、前から奪う」
「そうだ」
神谷は自信を持って言った。
「福岡のやりたいことは、全部分かっている」
――静岡ブルーウェーブ。
J2屈指のハイプレスチーム。
福岡のパスサッカーを徹底的に研究していた。
◆
翌日。
試合前の福岡ユナイテッド。
相川がホワイトボードの前に立っていた。
「今日の相手は、かなり高い位置から来ます」
画面には静岡の守備陣形。
最終ラインがハーフウェーライン近くまで上がっている。
白石が笑った。
「前から来るなら……」
「裏が空く」
神崎が続ける。
古賀が頷いた。
「じゃあ、使おう」
「ロングボールですね」
「うん」
相川も頷いた。
「昨日、練習した形です」
白石が嬉しそうに手を挙げた。
「監督! 今日、ロングボールいっぱい蹴っていいんですか?」
古賀は少し考えた。
「取れるなら、いっぱい蹴ればよか」
「よっしゃ!」
白石が笑う。
神崎も笑った。
相川だけが苦笑する。
「……本当に、それだけなんですよね」
「そうたい」
◆
キックオフ。
静岡は開始直後から前へ出てきた。
藤堂が神崎へ猛然と走る。
三上が中央を消す。
神崎は一瞬だけ前を見る。
そして――
ドン!
ボールが一気に前方へ飛んだ。
「白石!」
白石が走る。
静岡DFが慌てて振り返った。
「速い!」
白石が追いつく。
そのままクロス。
カルロスが飛び込む。
しかし、DFが間一髪でクリアした。
神谷は腕を組んだ。
「……なるほど」
三上を見る。
「一度なら想定内だ」
◆
静岡の攻撃。
高い最終ライン。
福岡陣内へ押し込む。
しかし岩永がボールを奪った。
顔を上げる。
神崎ではない。
白石を見る。
「行け!」
ドン!
またロングボール。
白石が走る。
静岡DFも全力で戻る。
白石が先に触った。
中央へ折り返す。
カルロスがシュート!
――しかしGKがセーブ。
神谷の表情が少し険しくなった。
三上が呟く。
「監督……」
「まだ大丈夫だ」
神谷はそう言った。
だが、ベンチの中では誰もが気づき始めていた。
福岡が、パスをつないでこない。
◆
前半25分。
岩永がまたボールを奪った。
静岡の選手たちは前へ出ている。
福岡の前方には、大きな空間。
岩永は迷わなかった。
ドン!
ロングボール。
白石が走る。
「またか!」
静岡DFが戻る。
しかし白石が先に追いついた。
中央へ折り返す。
カルロスが走り込む。
「センセイ!」
カルロスが叫びながらシュート。
ゴール!
福岡ユナイテッド、先制。
0-1。
静まり返るスタジアム。
カルロスは古賀のもとへ走った。
「センセイ!」
「よかったねぇ」
「ナガイパス、スゴイ!」
「遠いほうが取りやすかったね」
「……?」
カルロスが首を傾げる。
古賀は笑っている。
◆
静岡ベンチ。
神谷が立ち上がった。
「もっと前から行く」
三上が驚く。
「ですが、裏が……」
「福岡はパスをつなぎたいチームだ」
神谷は言い切った。
「前から圧力をかけ続ければ、必ずミスする」
静岡がさらに前へ出る。
そして――
またボールを失った。
神崎が拾う。
前を見る。
今度は白石ではない。
左へ流れていたカルロス。
「カルロス!」
ドン!
ロングボール。
カルロスが受ける。
白石が中央へ走る。
カルロスがクロス。
白石が飛び込む。
ゴール!
0-2。
神谷は言葉を失った。
◆
ハーフタイム。
静岡のロッカールーム。
三上が口を開いた。
「福岡は……パスをつないできません」
神谷は黙っていた。
藤堂が聞く。
「じゃあ、どうします?」
しばらくして、神谷が呟いた。
「……彼らはパスサッカーを捨てたわけじゃない」
「?」
「必要がないから使っていないだけだ」
静岡が研究したのは、福岡の「いつもの攻撃」だった。
しかし福岡は、相手が変われば攻撃方法も変える。
それを静岡は読み切れていなかった。
◆
一方、福岡。
「監督!」
白石が笑っている。
「ロングボール、めちゃくちゃ効きますよ!」
「そう?」
神崎も笑う。
「静岡が前に出てくるから、裏が空いてます」
「じゃあ、そこに蹴ればよか」
相川が聞く。
「先生。後半もロングボール中心でいきますか?」
「うん」
「でも、静岡が下がったら?」
古賀は即答した。
「その時は近くに渡せばよか」
相川が笑った。
「結局、そこなんですね」
「空いとるところに出すだけたい」
◆
後半。
静岡はラインを下げた。
すると――
今度は福岡がパスを回し始めた。
岩永。
神崎。
城戸。
カルロス。
静岡が下がる。
白石が裏へ走る。
神崎が短く出す。
城戸が受ける。
ワンタッチ。
カルロスへ。
カルロスがシュート。
GKが弾く。
神谷はベンチからピッチを見つめていた。
「……そういうことか」
福岡はパスサッカーのチームではない。
ロングボールのチームでもない。
相手が空けた場所へ、ボールを運ぶチームなのだ。
近くが空いていれば、短いパス。
遠くが空いていれば、ロングボール。
神谷は苦笑した。
「研究する場所を間違えたな……」
◆
試合終盤。
静岡が最後の猛攻を仕掛ける。
福岡ゴール前。
しかし古賀は怒鳴らない。
「近い人が助けてあげて!」
岩永がカバーする。
神崎がセカンドボールを拾う。
城戸が走る。
白石も戻る。
カルロスまで守備に入る。
そしてボールを奪った。
神崎が前を見る。
白石が走る。
「白石!」
ドン!
またロングボール。
白石が追いつく。
中央へ折り返す。
カルロス。
シュート。
ゴール!
0-3。
試合終了。
静岡ブルーウェーブ0-3福岡ユナイテッド。
福岡の完勝だった。
◆
試合後。
神谷が古賀のところへ歩いてきた。
「完敗です」
「いやいや。強かったですよ」
「私は福岡のパスルートを全部研究しました」
「そうなんですか」
「だから、そこを潰しました」
古賀は頷いた。
「はい」
「……だから、あなたたちはロングボールを蹴ってきた」
「空いとったけん」
「……」
「前にいっぱい人がおったでしょう?」
「ええ」
「そしたら後ろが空くけんね」
神谷は思わず笑った。
「……本当に、それだけなんですね」
「はい」
◆
帰りのバス。
相川が今日のデータを眺めていた。
神崎が隣から覗き込む。
「どうでした?」
「静岡の分析、ほぼ完璧だった」
「じゃあ、なんで3-0なんです?」
相川は苦笑した。
「完璧に分析したから負けたんだよ」
「どういうことですか?」
「福岡を『パスをつなぐチーム』だと思って、そこを全部潰した」
白石が振り返る。
「それで?」
「だから、福岡が一番簡単に使える場所を、全部空けてくれた」
「ああ……」
城戸が頷く。
「裏ですね」
「そう」
前の席から古賀が振り返った。
「みんな、難しく考えすぎたい」
神崎が笑う。
「先生は?」
「空いとるところにボール出しただけ」
選手全員が叫んだ。
「それが難しいんですよ!」
バスの中に笑い声が響いた。
そして古賀だけが、不思議そうに首を傾げていた。




