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予感

前回のあらすじ

赤嶺の地で新たな暮らしを始めた劉徳・関興・張苞の三人は、互いを支え合いながら村人とも絆を深めていった。幼き頃より心を通わせていた黄鈴と運命の再会を果たした劉徳は、再び共に過ごせるという奇跡に心を震わせる。

かつての大望は静かに形を変え、彼は「守るべきもの」を胸に生きる決意を固めていた。

 八年後──


 早朝の冷気が肌を刺すなか、関興と張苞は崖場で刀を交えていた。二人の手にある木刀は、ただの棒切れではない。張苞のものは丈八蛇矛を、関興のものは青龍偃月刀をかたどって削られたもので、いずれも父の形見を思わせる形状をしていた。互いの鍛錬を支える象徴であり、心の支えでもあった。

 二人とも年月を経てさらにたくましく成長し、その打ち合いはかつてよりも鋭く、迫力を増している。張苞が鋭い踏み込みで先手を取り、優勢に見えたが、関興が一瞬の隙を突き、逆に追い詰めた。岩壁に風が鳴り、木刀の響きがあたりに冴え渡る。


「まだまだだな、安国!」

 張苞は息を整えつつも、落ち着いた声で言い放つ。

「へっ、兄貴! 俺の方が一枚上手のようだな!」

 関興は大きく笑いながら応じた。


 やがて二人が剣を納めると、劉徳が静かに歩み寄り、問いかける。

「さて……この勝負、どちらの勝ちと見ればよいか」

「んー……これは安国の勝ちだろうな」

 張苞は肩をすくめ、素直に評した。


「よっしゃ、また勝ち越した! これで千二百五十二戦、三百三十三勝、三百三十二敗、五百八十七引き分けだ!」

 関興は得意げに声を張り上げる。


「前回は引き分けであったはずだぞ。まあ、我もまたすぐに追いつく。そうやって浮かれておればよい」

 張苞は冷静に言い返す。

「なにぃ!」

 関興は悔しげに叫んだが、二人の表情には笑みが浮かんでいた。

 互いに勝敗を競いながらも、その胸の奥では、誰よりも強さを認め合っているのであった。


 劉徳は、二人の間合いをじっと見守り、ふと口元を和らげた。

彼もまた二十を過ぎ、顔立ちには静かな威厳が宿りつつある。弓を引き放つ姿に、少年の日の頼りなさはもうなかった。秋の紅葉を背にした三人の影は、乱世のざわめきから隔たれたかのように安らかで、それでいて力強さを漂わせていた。


 村へ戻ると、門のそばに黄鈴が立っていた。少女の面影は薄れ、気品を備えた女性へと成長していた。赤嶺の素朴な暮らしが、その心根を一層穏やかにしたのであろう。


「明日は祖父の一周忌ですもの。村のみんなで準備を整えましょう」

「そうだ、皆で取り掛かろう」劉徳が応じ、張苞と関興も深くうなずいた。三人はすぐに役目を分け合い、夜更けまで支度に動いた。


 翌日、小広場の中央に祭壇がしつらえられた。机の上には飯と果実、茶、さらに紙銭(かみぜに)や灯火が供えられ、香煙が静かに立ちのぼる。木製の位牌には、黄承彦の諱が墨書されている。村人たちは粗布に黒帯を締め、ひとりひとり香を手向けて拝礼した。黄家の親族の中には、成都からやって来た黄月英の姿もあった。華やかな宮中の装いはなく、ただ一人の娘として父を偲ぶ姿である。丞相は北伐の準備で忙しく、この場には姿を見せられなかった。

 黄月英とは、昨年の葬儀でも顔を合わせたが、言葉を交わすこともなく、自分たちの素性に気づいた様子もなかった。成都を去ってから数年経ち、容貌も大きく変わったのだから無理もない。


 儀式は厳かに進み、やがて終わると、村人たちは静かに言葉を交わしながら三々五々に散っていった。夕暮れの影が伸びるころ、黄月英は隣にいた呉普に声を掛け、三人に視線を向けた。


「そちらにいる方々は、どなたでございましょう」

「阿義、栄世、安国と申しておりまして、この数年、村に身を寄せております」

 呉普が答えると、張苞と関興の表情は強ばり、劉徳の胸もざわめいた――八年の隠棲で守ってきた身の内が、ついに明かされてしまうのか。


  *   *   *


 黄月英はその場で三人をまっすぐに見据え、ゆるやかに歩み出した。

「そこの若者三人、少し話がある。こちらへ来なさい」

 その声は柔らかでありながら、夫人としての抗えぬ気迫を帯びていた。


 促されるまま、三人は村の外れにある岩場へと向かう。松明の炎が風に揺れ、背後の紅葉は夕陽を浴びて赤々と燃え立つようだった。やがて夜の帳が降りると、無数の星が瞬きはじめ、空気はいっそう冷えた。張苞と関興は互いに目を合わせ、不安を隠せぬ様子である。


 ふと夜空を仰ぐと、北斗の七星が澄み切った闇に冴え冴えと輝いていた。

 その光はあまりに清らかで、しばし三人は言葉を忘れて見入った。

 やがて、その中のひとつが鋭く瞬き、次の瞬間、淡くかき消されるように光を失った。

 その刹那、三人の背筋をひやりと冷たいものが走る。

――これはただの星の移ろいなのか、それとも何かを告げる兆しか。

 かつて劉備も同じ星々を見上げたであろう、その北斗の光が、いま再び歴史の行方を暗示しているかのように思われた。


 黄月英は一言も発せぬまま、ただ岩場に立ち止まり、振り返って三人を見つめた。その瞳の奥にあるものは、まだ誰にも読み取れない。

 静けさの中、次に語られる言葉を待つばかりで、胸の奥には重苦しい気配と、何か大きな変化を予感させる昂ぶりが広がっていた。

読んでくださりありがとうございます。評価とブックマーク、感想をぜひよろしくお願いします!

誠に勝手ながら試験が近づいているため、1週間お休みさせていただきます。ご承知おきください。

次回から次の章に入ります。どうぞお楽しみに。

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