第十九話:フーズベール大森林
ルワズで一泊したノイン達一行は、朝の早い時間からフーズベール大森林へと足を踏み入れていた。森の中は木々が多く密集してしているため、あまり日光が入り込まず薄暗い。視界は悪く、下手をすれば魔物に奇襲されかねないだろう。
事前にルワズにある冒険者ギルドでフーズベール大森林の情報収集をしたが、どうやら最近魔物が多くなってきているらしい。それを含めると、外縁部はランクが低い魔物ばかりとはいえ油断はできない。
「とりあえず、森の中心部に近づくまで魔物は避けて進んでいくぞ。無理そうなら蹴散らしていくがな。その都度指示するから従ってくれ」
「あれ、避けていくんですか?」
「ああ、流石に外縁部にいるFランクの弱い魔物を倒すのを見てもな。中央部近くにいる、DもしくはCランクの魔物を中心に戦う様を見せてほしい」
「わかりました。ライムエルもいいな?」
『うむ、わかった』
ラシュウは魔物の気配は見逃さんとばかりに辺りを警戒しながら進んでいく。ラシュウは大剣を扱う戦士であり、ノイン自身は魔法使いである。そのため道中は主にラシュウを先頭にして進んでいく事になっていた。
ラシュウはここ数年、アルベールの冒険者ギルドのマスターを務めていたが、長年にわたり冒険者として活動してきたその力は衰えていない。真っ直ぐに中心部に向かうのではなく、度々方向を変えているのは魔物がいることをわかっているからだろう。
実はノインも【感知】の魔法を使っているので、近場であればどこに魔物がいるかわかっている。【感知】の魔法は周囲の魔力反応を感知することができる魔法である。魔物は魔力を持つ為、【感知】を使えば魔物の存在を見逃す事はまず無いといえる。
だが、ラシュウは魔法を使えない。これは経験と勘で魔物の気配を掴んでいるのだろうか。魔法を使わずともそれがわかるのは流石だとノインは思った。
「チッ、数が多いな。避けてたら大分大回りになりそうだ。仕方ないからやるか」
二時間ほど経っただろうか。急にラシュウが止まったと思えば、ノインにそう声をかけてきた。ノインの感知にも、前方百mほど先に多数の魔物の群れを感知した。その中で一匹、周りの魔物に比べて多量の魔力を持った個体がいる。他にも数匹、その一匹ほどではないが魔力量が多い個体がいる。
ノインは【遠見】の魔法を使い、視覚を魔物の群れに向ける。『遠見』の魔法はその名の通り遠くを見通す事ができる魔法である。今回のような木々のような障害物に遮られていたとしても、指定した地点を見る事ができる魔法だ。
「ゴブリンの群れですね。ロードとかシャーマンもいるっぽいですけど」
ゴブリン系統の魔物は種類がある。今回遭遇したゴブリン・ロードはDランクの魔物である。通常のゴブリンは敵を見つけるとそのまま個々に襲い掛かってくるだけだが、ゴブリン・ロードに率いられた群れは違う。ゴブリン・ロードは率いる魔物を指揮し、部隊を組織的に運用してくるのだ。ゴブリン・ロード個人の力量も通常のゴブリンとは比較にならず、無策に戦えば無残な未来が待ち受けるだろう。
ゴブリン・シャーマンは魔法を使うことができるEランクの魔物である。とはいってもそこまで強力な魔法は使えない。だが、ゴブリン・シャーマンは単独で行動することはまずなく、ゴブリンやゴブリン・ロードと行動を共にするので、戦う際には厄介な存在である。
「ああ、魔法で見たか。まだそこまで中央部には近づいていないが、もうDランクのゴブリン・ロードが出てくるか……。ドラゴンの力を見るにちょうどいいが、いきなり相手が群れってのもなぁ……。ノイン、お前らだけで全部倒せるか?」
ラシュウはまずは単体の魔物でライムエルの力を測りたかったようだが相手は群れ。どうしようか判断に迷っているようだ。ノインもライムエルの力をその眼で見たわけではないので、ライムエルにいけるかどうか確認してみる。
「ライム、前方にゴブリン・ロードが率いる群れがあるんだけど倒せる?」
『ん?アレか。あんな雑魚、お主一人でも楽に殲滅できように』
『いやいや、ゴブリン程度なら十匹程度魔法で倒し切れるけど、ロードとかシャーマンは魔法抵抗力も高いから数がいたら俺の魔法じゃ無理だよ』
ノインは基本的にDランク程度までの魔物であれば魔法で倒せる。ただ、一匹ならともかくゴブリン・ロードに統率されたゴブリンの群れとなると、ノインの魔法だけで押し切れるとは言い切れない。
『時空魔法を操れるくらいの魔力を持ちながら何を……。ああ、まだ使い方がわかっていない状態なのか。仕方ない、今回はワシが倒しておくとしよう』
ライムエルが念話でそう伝えると、ノインはライムエルの魔力が一瞬揺らいだのがわかった。何かしらの魔法を使ったのだろうか。
「おい。ゴブリン・ロードの群れの気配が今消えたんだがどうなったかわかるか?」
「え?ちょっと見てみます……。はぁ!?」
ノインが【遠見】の魔法を発動して再確認したところ、数十匹はいた魔物の群れが全部首を落とされている。
「ちょ、ライム。お前がやったの!?」
『うむ。あの程度ならば造作もない』
ライムエルは頷きながら念話で答える。
「……なんとなく理解した。とりあえず進んで直接目で見てみるか」
ラシュウはノインとライムエルの反応から、ライムエルが倒したのだろうと推測する。自分の目で確認してみたいので、そのまま進むことにした。新たな魔物が現れないとも限らないので、警戒しつつ足を進めると、ライムエルが倒したであろうゴブリンの群れを発見した。
「あー、一応確認だが、これお前さんのドラゴンがやったので間違いないのか?」
「その時は『遠見』使ってなかったんで、実際に見たわけではないですが、恐らくはそうかと」
「マジかぁ……。森の中だから直視できない百m先の魔物の群れを瞬殺かぁ……。しかも綺麗に首だけ落とすとかどうやったんだよ。絶対に敵対したらダメなやつだ、これは」
ランクの高い魔法使いならば、今と同じような状況を作る事もできるかもしれない。ただし、高位の魔法を使うために、時間をかけて詠唱を行う必要がある。加えて、森で視界が遮られた状態での魔法の使用なので、確実に狙いを定められるとは言えず、運にも左右されるだろう。
「これは風の魔法?一瞬魔力の揺らぎを感知したけどそれか?」
『ほう、わかったのか。やはりお主魔法に関してセンスがある。使い方を知れば、もっといろいろな魔法を扱えるじゃろうな』
ライムエルはうんうんと頷きながら念話で伝えてきた。それを見たラシュウは、ノインの問いに答えたのかと勘違いする。
「ドラゴンってもっと大雑把にブレスを放つイメージだったが、精密な魔法も使えるのか。末恐ろしいな」
ラシュウ曰く、自身もAランク冒険者としてドラゴンと戦ったことがあるとのことだ。だがそのドラゴンは基本的にブレスや直接肉体で攻撃してくるばかりで、魔法を使ってくることはなかった。そのため、ライムエルが今のような精密な魔法を使った事、しかもそれが発動する予兆が感じられなかったことに驚いているようだ。
『そういえば、こいつらの肉は美味いのか?』
そんなラシュウの事には気も向けず、ライムエルは己が倒したゴブリンたちの肉が美味いのかを聞いてくる。流石にこれを声に出して答える事はまずいと思い、ノインは念話で答える。
『いや、ゴブリンの肉は美味くないんだよ』
『ふむぅ、それは残念だ』
ゴブリンの肉は臭く、食べられないことはないが美味くはない。それはゴブリン・ロードなどの高位系の魔物も同じで、種族的にそういったものだと考えられている。
「ドラゴンの力の片鱗は見る事が出来たな。さて、ロードとシャーマンの魔石だけ取って先に進むか。ゴブリン系は素材に価値はないしな」
魔物は総じて体内のどこかに魔石を持つ。魔石は魔道具など日用的に使われるので、冒険者といった魔物を狩る者の主な収入源となっている。
もちろんゴブリンといった下位の魔物も魔石を持つ。しかし、ゴブリン系の魔物は肉も美味くないし、皮なども素材には向いていない。そのため、倒したとしても魔石以外に実入りはなく、冒険者からはあまり歓迎されない魔物である。
ラシュウはゴブリン・ロードと思われる死体に近づき、懐から取り出したナイフで胸元辺りを突き刺す。ゴブリン系の魔物の魔石は、胸元にあるからだ。続けてゴブリン・シャーマンの魔石も回収する。ゴブリンは魔石が小さく、売値も低いため今回のように回収されないことも少なくない。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
回収した魔石をラシュウはノインに渡した。基本的に魔物を狩って得た魔石や素材などはパーティ内で均等に分けられるのが普通だ。しかしラシュウは、自分は手を出していないからその権利を手放したということだろう。魔石を回収したノインたちはその場を後にし、さらに森の中心部へと向かって行く。
「そういえばさっきのゴブリン・ロード、森に入ってから二時間くらいのところにいましたよね。Dランクの魔物ってあんな森の外縁部に近いところにいるもんなんですか?実は俺、フーズベール大森林に来るの初めてなんですよね」
フーズベール大森林は広大な森であり、真っ直ぐ突き抜けようとしても、数日はかかる。森の中心部も、魔物と戦闘せずにいたとしても到着には一日はかかると言われている。そのため、森に入ってから二時間くらいの距離ならば、まだランクの低い魔物しかいないのが普通だろう。
とはいえ、ノインはこのフーズベール大森林に入るのは初めてなので、もしかしたらノインは勘違いなのかもしれない。そこでノインはラシュウへと確認してみた。
「絶対にいない、とは言えないが珍しいな。最近魔物が多くなっているって聞いたが、その影響か?調査する必要があるかもしれんな。まあ、今の俺たちは別の目的があるから、ついでにわかればってとこだが」
「調べるならしっかりと腰を据えないといけないですしね。まぁ、異常があるかもってことはわかりまし……ん、何か近づいてきてる」
ノインの【感知】に何かの反応が引っかかった。なかなかの速さで近づいてくる。このままでは接敵は免れないだろう。
「これはフォレストウルフ。数は七体だけど……、何か様子がおかしい感じが……」
「何かあったのか?」
「はっきりとは言えないですが、何かから逃げているような……」
ノインは【遠見】で確認してみたが、フォレストウルフは後ろを気にしつつこちらへと疾走してくる。怯えのようなものが顔に浮かんでいることから、ノインは何かから逃げているように感じた。
「ということは、他の魔物から追われてるのかもしれないな。ひとまず、ここから少し離れておくか。フォレストウルフなら臭いでこっちに気付くだろうが、こっちに来ないなら追われている可能性が高い。【遠見】で確認できるようなら確認してくれ」
「わかりました」
ノイン達は急いでその場から少し距離をとった。ノインは【遠見】でフォレストウルフたちを確認しているが、進路上から離れたノイン達の方へ向かってくる素振りは無い。ノイン達に気付いているのか、それとも気づいているのかまではわからないが、フォレストウルフたちは必死になって走っている。
「こちらに来る様子はないですね。ちょっと【遠見】でフォレストウルフの後ろを探ってみます」
「ああ、こっちに来るなら気配で分かるからそうしてくれ」
ラシュウの許可も得たノインは、【遠見】の視点をフォレストウルフの後方へと変える。だがしかし、魔物の姿は見えない。
「あれ、おかしいな……。後ろに何もいない?」
「何、どういうことだ?」
ノインはしばらく【遠見】で様子を探るが、フォレストウルフたちが逃げる理由となっているものはまったく見当たらない。
「もしかして俺の勘違いでしたかね?」
「いや、しかし距離的に臭いで気づかれているはず。それでもこちらに来なかったからな。何かしらの理由があるはずだとは俺も思う。……仕方ない、フォレストウルフたちが来た方へ向かってみるか」
「原因を探るんですか?」
「しっかりと原因を探るつもりはないが、わざわざ避けて中央部に向かうとなると大回りになっちまうからな」
無駄な時間をかけるつもりがないラシュウは、フォレストウルフたちが来た方へと足を進める。元Aランクの冒険者という事もあり、仮に何かの異常があったとしても対処できるという思いもあったのだろう。ノインもラシュウに従って後に続く。
「なーんか嫌な予感がするな」
「え、俺はまったく感じませんが……」
「勘だがな。魔物との遭遇がアレからなくなった。この先に何かあるのは間違いなさそうだ」
移動を再開して十数分ほど経っただろうか。フォレストウルフが逃げ出すような事態に一向に遭遇しない。ただ、先ほどまでかなりの魔物と遭遇していたはずなのだが、それがぱったりと止んだ。それがラシュウには異様に感じた。
「うーん、ライムは何か変な感じするか?」
冒険者としての経験がラシュウには大きく劣るノインだが、ノインにはドラゴンのライムエルがいる。そのライムエルにノインは尋ねてみた。
『……』
だがライムエルには返答がない。もしかしてまた寝ているのかとも思ったが、そんな気配はない。ただ、いつもよりも気を張っている。ノインはそのように感じた。
『これは……、まずいかもしれんな』
「え?」
しばらくしてライムエルから念話が来たと思えば、まずいという返答。思わず念話ではなく声が出てしまっても仕方ないだろう。長年生きてきたドラゴンであるライムエルがまずいといったのだから。
「おい、何かあったのか?」
ノインの反応にラシュウは訝し気に問い掛ける。だがそう言われても、ノインは返答に困る。何かあったのはライムエルの言から間違いないのだが、その何かがノインにもまだわかっていないのだから。
『気づかれたか。まあ当然だわな』
ライムエルが念話でそう呟くように言うと、ノイン達の目の前の地中から何本かの巨大な触手がいきなり飛び出てきた。
「何だこりゃあ!?」
長年冒険者をしてきたラシュウであっても見たことがない巨大な触手。その太さは周りに生えている木々の幹と変わらない程だ。ラシュウの叫びに答えたわけではないだろうが、ライムエルはその触手の正体を念話で口にした。
『プレデターデーモンプラント。厄介な魔物が生まれたものじゃ』