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☆壁ドン☆
「壁ドンっ……?」
ロッカーにもたれ掛かりながら、私は小首を傾げしゃがみ込みながらロッカー内を漁っているみくへと視線を向けた。すると「そう!」と言いながら、何か取り出すと私へと見せてくれる。
それはとある少女漫画。どうやら友達に借りて、返却するために取り出したみたい。
教室内では、こうして漫画を読んでいる子も珍しくはなく、みんな貸し借りをして回し読みをしたりしている。時々、授業中に読んで見つかって怒られる子もいるぐらいだ。
「ほら、ここ。壁ドンってやられた事ないんだけどさ、どんな感じなんだろうね?」
みくがぱらぱらとページを捲り、とある箇所を指さした。
そこには制服姿の少女が背後の壁と腕を伸ばした少年に挟まれるようなカット。
漫画や小説では見かけるけれども、実際にはあまり見た事がない。
「なら、ちょっとやってみるか?」
と、みくと私の会話に入ってきたのは聞き馴染んだ人物によるものだった。
優しくて穏やかで落ち着くその声音。
私もみくも弾かれたようにそれに顔を上げると、やっぱりそうだった。
「涼!」
涼は顔をくしゃくしゃにして笑いながら、こちらに手を伸ばして頭を撫でてくれた。
まるで挨拶のように自然なそれに、クラス内から「やっぱり、こっちの方がしっくりくるわ!」とか、「水谷君派!」、「癒されるー」等の声が次から次に飛んでくる。
――みんな、どうしたんだろう?
「ねぇ、壁ドンしてみるってどういうこと……?」
「そのまんまの意味」
涼はそう言うと、左手を伸ばしてロッカーで自分の体を支えるようにしながら、
私とロッカーの間に挟めるようにして閉じ込めてしまう。
その時にドンという音まではしなかったけれども、ガタという硬質的な音が耳朶に触れた。
それに対してもクラス内から、「とうとう山が動いた!」とか、「略奪!」などと、ちょっと意味が分からないと悲鳴じみた声が響き渡った。
「どう?」
「んー……思ったより、近いね」
涼と身長差があるためか、涼の顔というよりはブレザーに視界を覆われている。
「それだけ?」
「えっと……」
視界が黒っぽい一色で、よくわからない。
他に何かと思って顔を上げると、少し屈んでいる涼の顔がアップに。
久し振りにこんな近くて見たなぁ……と、観察するようにしていると、右目の下に小さな黒子を見つけた。
結構付き合いが長いのに、全く気づかなかった。
もしかしたら、最近出来たのかな?
「涼、泣き黒子あるよ? ほら、ここ」
と、手を伸ばしそこに触れながら告げれば、「桜音のせいかも」と言われてしまう。
「俺、桜音に泣かされちゃったから」
「えっ!? 私……?」
「そう。桜音のせい。桜音が俺の傍にいてくれないから」
「いるよ。こんなに近くに」
「遠いよ。桜音の幸せのために、手放したのは俺だけど……ね」
その寂しそうな表情についたまらずに伸ばしていた手をもう少し上に上げて、涼の髪を梳くように撫でた。
その時だった――
「またかっ! すぐ目を離すと、いちゃついて!」
と海の声が教室内へと響き伝わってきたのは。
あっ、扉開いていたんだ。
……というか、海がどうしてここに? 理系のクラスは3階なのに。
「いちゃついてないよな? 桜音」
「うん」
「ほら、いつも通り」
と、涼が私から身を離して、机を縫うようにこちらにやってきた海へと告げた。
「いつも通りが甘々なんだよ! そんなにいちゃいちゃするな。桜音は俺の彼女だ!」
仁王立ちになりながら私と涼の前に佇む海に、「煩いの来たわ」と嘆息を漏らしながら呟いたみくの言葉が投げかけられる。それを受け、海が眉をぐっと中央に寄せ今度はみくの方へと視線を向けた。
……あ。また始まっちゃう。
私は静かに涼へと視線を向ければ、肩を竦められてしまった。
どうやら涼にもこの二人が止められないらしい。
日下部くんとみくもそうだけど、海ととみくも犬猿の仲。顔を合わせれば必ずこうなる。
「うわー。キモイわ。マジで引く。何、その桜音探知機みたいなやつ。あんたの教室、階が違うじゃん」
「部活のプリント配りに来たんだよ!」
「ならさっさと配って帰れば?」
「プリントどころの話じゃない! それよりも佐々木も居たなら止めろよ」
「はぁ? あたしに指図すんな」
目の前で繰り広げられるみくと海の口喧嘩。
これまた日常と化しているらしく、周りの人々もまたかという表情をした後に、正面を向き始めてしまう。
結局これを止めたのは、「またお前らかよー。廊下まで聞こえているぞ」と、
鐘より早めに現れてくれた先生だった。
☆もう一つの壁ドン
「ねぇ、日下部くん。どれにする? やっぱりフルーツ系? チョコ系?」
メニュー表を手にしながら、自分が座る反対側の席にいる逢月がそう口にした。
最近暑い日が続いているせいか、いつもは下ろしている髪を団子にしている。
学校では一つに結っていただけだったのだが……
そう言えば佐々木も団子にしていたな。お揃いにしたのか?
「あー、俺は限定ものだな」
もうこの店に来る前に決めてある。
店内はカラフルな色彩により色づけされた世界。
壁紙や雑貨がハートや木馬など、女子が好きそうな物ばかり。
ここは駅前に出来たパンケーキ屋。
ここら辺は、色々な学校が集まるせいか、立地的に学生が多い。しかも、女子高生ばかり。男もいるが、誰か必ず連れの女と一緒だ。
俺も一度食べに来たかったので、逢月に付き合って貰ったのだ。
大抵こいつと行動する事が多い。
佐々木は甘い物が苦手なので、適任者が逢月。
水谷も時々付き合ってくれるが、こういう店だと男同士だと入りにくい。
「限定? それって、ココナッツのやつ? それも美味しそうだよね。私、苺のやつにする! 少し分けて」
「あぁ。その代り俺にも食わせろ」
「うん」
ふにゃっと笑うと、メニュー表を畳む逢月。
こんな所を海にでも見られたら面倒な事になる。
あいつは面倒なぐらいに嫉妬する男。
怒りを買って課題を写せなくなってしまったら、俺が困ってしまう。
「ちゃんと海には誤魔化して来たんだろうな」
「え? うん。中学の友達と遊ぶって。でもどうして言っちゃいけないの?」
「俺の課題がかかっている」
「なんかよくわからないけど、課題は自分でやった方がいいよ」
「バイトで疲れている。だからこうして糖分取りに来たんだろうが」
「確かに甘いもの食べたくなるよねー。日下部くん、自分で作ればいいのに。前、アップルパイ作ってくれた時美味しかったよ」
「まぁ、ひと通り出来るからな」
林檎を大量に貰った事があり、食いきれなくてアップルパイにして配った事があった。
その時も面倒だった。
海が対抗してアパートに襲来。
手にはネットで調べたアップルパイの材料が。
しかもパイ生地から作ろうなんて無謀な事を考えて。
料理音痴にハードルが高いというのに……
「お前、進路って短大だっけ?」
「うん。幼稚園の先生になりたいの。日下部くんは、カメラの専門?」
「まだ未定。今の所でこのまま勉強させて貰ってとも考えているんだけどな。もう少し考えるさ」
「そっか……でもさ、みんな卒業したらなかなか会えなくなるよね。ちょっと寂しい。仕方ない事だけれども」
「一生会えなくなるわけじゃないだろ」
「そうだね。今、遊んでおこう! 帰りゲーセン行こうよ。あのね、取って欲しいヌイグルミがあるんだ~。あと、雑貨屋さんも見たい」
「あぁ、いいぞ。雑貨屋なら、裏通りに新しく出来たのに行くか? バイト先で聞いてきたんだが、外国の雑貨とかアンティークとか置いてあるらしい」
「本当!? 行きたい!」
と、まぁいつも通りの会話をしていた。
まさか、これを誰かに見られているとは思いもせずに。
+
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「あのさ、海。俺、こういう趣味ないんだが……」
壁に背をぴたりとくっつけた俺の正面には海がいる。
長い腕を伸ばし壁に手を添えるようにしていた。
俗に言う壁ドン。女子ならば狂喜乱舞だろう。学校の王子様にされるのだから。
だが、生憎と俺は男。しかも、こういう時の海は面倒だとわかっている、
「昨日何処にいた?」
まるで浮気を疑う彼氏のような質問。それを耳に入れ、あぁ、この質問はバレたなと目を逸らした。
「ゲーセン」
きっと学生も多かったからバレたのだろう。
うちの制服着ているやつも見かけたし。
と思ったら、違ったらしい。
「その前だ」
「は? もしかして目撃情報って雑貨屋?」
「パンケーキだけじゃなくて雑貨屋も一緒に行ったのか!?」
「……あ」
どうやら墓穴を掘ったらしい。
こういう海は本当に面倒なんだよなぁ。
本当に嫉妬深い男だ。もう少し大きな器を持てよ!
結局この日は、嫉妬した海は課題を写させてくれなかった。
☆とある新婚さんの朝(合鍵編)
「そろそろか……――」
体を少しだけずらせば、ベッドのスプリングが僅かに軋む音が耳に届いた。
そのままベッドサイドに置かれている結婚式の写真から時計へと視線を移せば、間もなく六時を告げようとしている。
読んでいた本に栞を挟むとそのまま時計の隣へと置き、起こしていた体を再び雲のようなベッドへと沈めていく。
いつも隣で眠っているはずの愛する妻――桜音は朝食の準備等でもうすでに起きているため、一人だけ。
そのため、いつもよりも広く感じてしまう。
そんな中、階段を昇る音が聞こえそのまま瞳を閉じる。
視界は黒く塗りつぶされているせいか、音だけがやたらと敏感に感じた。
「海?」
扉を開く音と共に、世界で一番好きな声音が室内へと広がっていく。
「起きて。海。朝だよ」
揺さぶられる体に、触れた箇所から広がるような温もり。
それが酷く心地よい。
「……――おはよう。桜音」
ゆっくりと瞼をあげれば、穏やかに微笑んでいる桜音が。
エプロンを身に着け、クスクスを笑った。
「おはよう。今日は珍しく寝坊しちゃったね」
「あぁ」
本当は起きているけれども、寝た振りをして時々こうして起こして貰っている。
手を煩わせているとはわかっている。
でも、結婚して三か月。
新婚ゆえ、多少は甘えるのも見逃して欲しいというのは我が儘だろうか。
「桜音。起こして」
「え? 海、起きているよね?」
「キスしてくれないと起きられないな」
「えっ!? 何を……っ!」
顔を真っ赤にさせた桜音は、こちらにも動揺が伝わってくるように挙動不審になっている。
こういうのはいつまでも慣れないらしい。
「駄目か?」
「駄目じゃない……」
消え入りそうになりながらも、瞳に涙を溜めた桜音。
そんな彼女がゆっくりと屈み込むのを、俺は瞼を閉じて待った。