帰還とお誘い
魔法に憑りつかれるという珍妙な体験をしたヤヒコは、その後クレインが書庫から無事に発掘してきた『淡水魚を海水に、海水魚を淡水に適応させる魔術』を習得することに成功した。何でも、何故海水魚は淡水で、淡水魚は海水で生存できないのか、という疑問を持ったかつてのクレインがそれを研究する上で生み出された副産物的なものらしく、有効活用できて良かった、と彼は喜んでいた。
その次の日、ついにヤヒコ達はジェイレット島を離れた。館の人々は皆別れを惜しんでくれ、またすぐ来いとか、生きてる人間で驚かせやすそうなやつをいっぱい連れて来い、などとヤヒコに口々に言った。
「これをあげましょう」
クレインは去り際にヤヒコに印章の刻まれた指輪を渡した。
「この島における身分証明書のようなものです。これがあれば我々の船に乗らなくても、霧の結界を越えてこの島に来ることができます」
海底神殿の上まで船で送ってもらったヤヒコ達は、鯛子に乗り海底神殿を目指す。しばらくぶりの神殿や《始まりの町》はどうなっているだろう。
「――――で、何なんですかね、これは」
久しぶりに戻って来た海底神殿の自室で、ヤヒコは言う。
部屋を見渡せば、ドミノだった。
「…………」
何だかばつの悪そうな顔をした海竜の長がぷいと顔を背ける。
そのドミノの列は槐の部屋からやって来て、またUターンしていて、辿って行った先の部屋の中では槐が疲れ切りへたっていた。ドミノは本や定規などを使った大がかりな仕掛けでもって床に倒れた槐をもまたいでいる。
「ややっ、槐殿!」
「大丈夫ですか、槐さん!」
「……ぐ……仕事は……終わった……」
「何でこんなことになちゃったんです?」
「……俺が……仕事場に籠っていて……仕事が終わって戻ってきたら……この有様だった……」
要するに、槐が根を詰めて依頼された仕事を片付けている間、海竜の長が暇に飽かせてこのような犯行に至った、と言うことらしい。そして、疲れ果てた槐が休むこともできないくらい、椅子もベッドもドミノで占領し尽くしていたため、力尽きた槐は床に転がるしかなかったのだろう。
「長さん、これはちょっと、槐さんが可哀想ですよ……」
「…………」
海竜の長は悲しそうな顔をした。そして一番最初のものと思われるドミノをつい、と倒す。二つの部屋と廊下まで使った大型ドミノは、こうして倒れたのだった。
長としてはもっと長くしたかったのだろう。倒れたドミノを片付ける姿がしょんぼりしている。だが、ヤヒコとしては許すわけにはいかなかった。
「この調子でいったら、絶対にこの神殿中がドミノで埋め尽くされますしね……」
いつの間にかやって来ていた巫女姫アリーシャも溜息をついていた。
「槐には既に加護を与えておきました。いずれの製品も素晴らしい出来でした」
「良かったですね」
「ええ、うちの専属に欲しいくらいです……が、やめておきましょう」
専属、という言葉を聞いて期待に満ちた顔を向けてきた海竜の長を見て、アリーシャは言を翻す。槐はすでに長から遊び友達認定されているのだろう。このまま専属で留めおいたりなどしたら、海底神殿内が喜び張り切る彼の遊び場になりかねない。
がっかりした顔の海竜の長に、ヤヒコは鞄から取り出した箱を渡す。島からの帰り際に買った、ジェイレット島の銘菓『ゆうれいまんじゅう』だ。例えるなら、餡子の代わりにカスタードクリームの入った、可愛くデフォルメされたオバケの形の人形焼、といったところだろうか。
「これ、お土産です。中々美味しかったですよ」
長の顔がパアッと輝いた。いそいそとまんじゅうの箱を開け始める。
「アリーシャ様もいりますか? ゆうれいまんじゅう」
「……もらっておきましょう」
アリーシャに2箱まんじゅうを渡す。ひと箱は女神への捧げ物だ。
「槐さんにも面白いお土産買ってきましたよ」
「……机の上に……」
土産のまんじゅうと蝋燭とゴースト除けランプを机の上に置き、ついでに槐をドミノのどかされたベッドまで運んだ。このまま寝かしておくのが一番だろう。
「んじゃ、俺は《始まりの町》のエリンさんにも顔見せてきますね」
長い間顔を見せなかったことで、また心配されているだろうし、早いところ無事を知らせた方が良いだろう。
白銀を槐の世話に残し、ヤヒコは《始まりの町》に向かった。
「――――で、何で真っ先にお前が飛びついてくるんだよ!」
「だって久しぶりだろー?」
ヤヒコは白猫料理店本店の前で黒狼に捉まっていた。
その後ろでエリンともう1人、短く刈り込んだ茶髪に茶色の鋭い目つきの、誰か知らないがどこかで見たような顔の男が微妙な顔をしている。
「ヤヒコ君、黒狼君とも知り合いだったのね……」
「いや、はい、まあ、そうです……」
知らない男が溜息をつく。
「俺は反対だぞ。こんな奴の力を借りるなんて……」
「だってヤヒコは水の中でも平気なんだぞ、すげーだろ!」
何故か黒狼が胸を張る。知らない男は呆れた顔をした。
「何でお前が自慢げなのかはわからんが、こいつははっきり言って素人だ。今までボス戦なんてやったことないやつをいきなり入れるのは酷だと思うぞ」
「でも、水中戦に強いひとなんて、ヤヒコ君以外に思いつかないわよ」
そのまま3人は言い合いを始めてしまう。取り残されるヤヒコ。
「え、何事? 一体何の話ですか、エリンさん。そしてこのひとはどちら様ですか?」
その一言に知らない男はがっくりと膝をつき、エリンは目を見開いた。
「ちょっと、ヤヒコ君何も聞いてないの!? 黒狼君、連絡するって言ってたじゃない!」
「さっぱりです」
「やっべ、すっかり忘れてた!」
そして黒狼はにかっと笑う。
「ヤヒコ、ボス戦行こうぜ!」




