大魔術師のセカンドライフ⑧ 大魔術師の研究室
ゴースト狩りが終わってから数日間、ヤヒコはジェイレット島の大図書館に入り浸っていた。
イリーンベルグの図書館も大きかったが、ここの図書館はそれの比ではなかった。一般図書も人間の町で見られるものとは違い、数も多い。書物検索の術式が刻まれた地図板が各所に配置してあるのでそれを使って目的の書物を探しているが、これがなかったらあっという間に図書館の中で迷子になっていただろう。
魔術書の類はかなり強力なものまで閲覧することができた。さすが学術都市、と言ったところだろうか。もっと上級の魔術書や魔法書もあると聞くが、そちらは閲覧するには許可を取らないといけないらしい。ヤヒコも書類を書いて提出してみたが、許可が下りるのはひと月後とのことだった。
「いっぺんに全部見てまわるのは無理だしな……ある程度見たら一度海底神殿に帰るかな」
中級無属性魔術である《ショックブラスト》の魔術書を訳し読みつつ、呟くヤヒコの肩に、突然誰かが手を置いた。
「!?」
びっくりして振り向くヤヒコの頬に何か硬い物が刺さった。骨の指だった。
「あ痛っ! ちょ、何してるんですか、クレインさん!」
「ふふふ、ちょっとびっくりさせてみようと思いまして」
いつの間にか背後にクレインが来ていたようだ。くすくす笑っている。
「みんなが張り切っているから、僕も頑張らないといけないかな、と思ったんですよ」
「いや、そこは頑張らなくてもいいんじゃないですかね……」
ここに来てテラー耐性レベルが50を超えるどころか80近くまで上がってしまった。これ以上は心臓がもたない。
「ヤヒコ君、帰っちゃうんですか?」
「はい、そろそろ皆心配していると思うので……またすぐ来ますよ」
まだ観光していない場所もあるし、読んでない魔術書も沢山ある。鯛子に連れてきてもらえばそんなに移動に時間を取られないはずだ。
「それに、今回は仕事で来れませんでしたけど、友達も来たいって言ってましたし。他にも声かければ、色んな人が来たがると思いますよ」
「そうですか、それは良かった! 腕が鳴りますね!」
クレインは心なしかうきうきしている様子だ。あくまで客は脅かすためのものらしい。ヤヒコは苦笑することしかできなかった。
「それにしても、ヤヒコ君は勉強熱心ですね。リンデンロウには行かないんですか?」
「行ったことないです。鯛子に陸路を数日我慢させるのはきついかな、と思って」
「ふむ、海底神殿やイリーンベルグ方面からは確かに遠いですね……」
「鯛子は海水じゃないと泳げないんです。同じ理由でサイリュートにも行ったことないです」
「そうなんですか……あ、そうだ!」
クレインがコンと骨の手を打つ。
「そういうことなら、僕がまだ生きてた頃の研究で、淡水魚を海水で、海水魚を淡水で泳がせる魔術を作ったことがあります。ちょっと僕の書斎まで来ませんか?」
「本当ですか!?」
何と言うお役立ち魔術だろう。彼が一体何を考えてそんな魔術を作ったのかは気になるが、今のヤヒコにはとても必要な魔術であると言える。それさえあれば、河を遡り、少なくともサイリュートには行けるようになるだろう。
こうしてヤヒコは領主館の最上階である20階に存在する、クレインの書斎兼研究室に足を踏み入れることになったのだった。
「ちょっと散らかってますけど、気にせず入ってください」
そんなことを言いつつクレインが書斎のドアを開けると、そこには……壁があった。いや、違った、本や紙の束がうずたかく積まれ、壁を為した迷路があった。辛うじて足の踏み場はあるものの、ちょっと触れただけで崩してしまいそうだ。
「本棚がすぐに埋まってしまって……また整理して資料を移動させないと」
すでに本棚などと言う問題ではなくなっている気がするヤヒコだが、口には出さなかった。
クレインは器用に紙の山の隙間をぬってすいすいと進んでいく。ヤヒコもそれを追うが、中々思うように進めず、半ば遭難しかけながらも辿りついたのは、小さな空地だった。クレインのものであろう大きな机――卓上も散らかっている――の周辺のみが書類による占領から逃れているのだった。
「書庫から資料を取り出しては片付けるのが面倒になって積んでしまうので、こうなってしまったわけです」
「そ、そうなんですか」
この状態の成立過程を説明されても正直困る。
「あの研究は大分昔のものなので、恐らく書庫に入っていると思います。こちらです」
「え」
まだ移動しないといけないらしい。今度は来た所とは別の隙間をぬって歩いていく。
そうして辿りついた書庫もまた、書類の海であった。
「どこでしたっけね……こっちかな……いや、違うな……」
ぶつぶつ呟きながら資料をかき分け目的のものを探すクレイン。床に置かれた資料の上も容赦なく踏んでいるように見えるが、よく見ると浮遊しているのがわかる。そういえばリッチって飛べるらしいな、とWikiの記事をぼんやり思い出しつつ時間をつぶすヤヒコ。そんなふうにぼけっとしていたヤヒコであったので、クレインの「あ!」という声に反応が遅れた。
ごんっ
「!?」
突然の痛みに蹲るヤヒコ。どうやら書棚の上の方から分厚い本が落下してきたらしい。
「大丈夫ですか!?」
「いててて……何とか……」
ふわりと寄ってくるクレインに、件の本を拾い上げて返そうとした途端、本のページの隙間から小さな何かが垂れてきた。
文字だ。文字が次々と零れ落ちている。
「しまった、それは魔法の本です! 捕まえてください! 早くしないと逃げちゃいます!」
「えええええ!?」
それは果たして本なのか。ヤヒコは慌てて足元に転がり落ちる細かな文字達を拾い集める。クレインが袋を差し出してきたのでその中に本も文字も手当たり次第に放り込んでいった。
「魔法って魔術と違って本にするのが難しいんですよね。文字にしたらこうやって逃げ出そうとするし。それで習得者が少ないんですよ……《定着》の術が破れかけてたのかな」
一度机のところまで戻り、本の中に文字を追い立てていく。
「ほら、もう戻りなさい! こっちですよ!」
宥めたり賺したり、魔法の本の管理は大変なようだ。
袋の中でばらばら散らばっていた文字達は、袋から逃げ出せないと知ると如何にも渋々と言った感じで本に戻っていく。ひとつの魔法ごとに文字達は一塊になっているらしく、文字の塊がもぞもぞと本に収まっていく様は虫のようでちょっと気味が悪かった。
一ページづつ抜けてないかどうかチェックしていくクレイン。
「これで全部戻りましたかね……あれ?」
クレインのページを繰る手が止まる。
ヤヒコが覗き込むと、そのページは真っ白なままだった。
「困りましたね、まだ逃げてるやつがいるみたいです」
「これ、《ピアシングレイン》のページですよね」
「……ヤヒコ君、今なんて言いましたか?」
「えっ…………え?」
二人の間に沈黙が流れる。
「……不味いですね……どうしよう」
「え? え? な、何で俺、知ってるんだろう??」
「さっきの衝突の時にヤヒコ君の頭の中に逃げ込んじゃったんでしょうね……」
「お、俺、まだ魔法なんて使えませんよ!?」
普通の魔術もまだ中級のものを学習している最中である。そんな状態で威力も効果も馬鹿にならない魔法など、使用できるわけがない。
頭に浮かぶ魔法は水属性の広域魔法。威力も強いがそれよりも効果範囲が広すぎて、下手をしなくても味方まで巻き込みかねない使い勝手のすこぶる悪いものだ。
「仕方ない、この部分は諦めてまた書き込みましょう」
「えっ、取れないんですか!?」
「無理じゃないですかね……《ピアシングレイン》なら、一応ヤヒコ君の魔力なら1発だけなら撃てるんじゃないですか? 魔力満杯の状態なら。1発で魔力がすっからかんになるうえに威力も本来のものよりだいぶ落ちると思いますけど」
まるで手遅れの患者を前にした医者のように首を横に振るクレイン。
「そんな……こんな魔法、まるで役に立たないじゃないですか……」
クレインは再び書庫に入って行ってしまい、そこには打ちひしがれるヤヒコが取り残されたのだった。




