12.魂憶
—おしまい
◇◇◇
—パンッ—
つむぎが柏手を打った。
ゆっくりと瞼を持ち上げた千壽は、まだ物語の中に意識が残っているかのように視点は定まらず、虚ろに空を見ていた。その頬には涙が伝った跡があった。
「千壽さん、涙を拭いてください」
つむぎは数枚のティッシュペーパーを差し出して、千壽が受け取るまでしばらく待った。
「……あっ……ありがとうございます」
「意識を戻すのはゆっくりでいいですよ」
「……あっ……はい…」
何とかつむぎからティッシュペーパーを受け取った千壽は、泣いていた自分に驚いた。
「泣いていたんですね。彼と同調し過ぎましたかね・・・はははっ」
人前で泣いたのは、幼稚園で友達と喧嘩した時に、先生に理不尽に怒られて悔し泣きをしたのが最後だった。涙を見られた恥ずかしさと言葉にできない感情に千壽は戸惑っていた。まさか自分が泣くなんて思ってもみなかった。
ショーケースを覗いた時に少し気に掛った髪飾りの物語を、杜江つむぎの休憩時間に合わせて軽く聞くだけだと思っていた。
しかし先程の出来事は、杜江つむぎの声に導かれ、青年の感情が手に取るようにわかり、いや、自分事のように全てが納得できる情景だった。
「………出来上がった髪飾りを見てないんだなぁ……」
千壽の口から呟きが出た。
その言葉を拾うように、
「はい。青年はこの髪飾りを一度も目にしていません。そして、この髪飾りにとっても、ここまで長い長い旅路でした」
つむぎは、台座に乗せたまま千壽の目の前に髪飾りを差し出した。戸惑いながらも、
「自分が触れてもいいのでしょうか?……」
「はい。こちらが貴方様からのご注文の品となります。彼女の【幸せ】を一途に願った、貴方様だけの一品。この【銀製の髪飾り】には身に着けた人の幸せと安寧を願う祈りが施されています。ご自分の目で手に取ってお確かめください」
つむぎと髪飾りを交互に確認し、千壽は意を決めて髪飾りに手を伸ばした。
髪飾りに触れた瞬間、はらはらと涙が零れ落ちた。千壽は涙を流したままにして、愛おしそうに髪飾りをなで続けた。
千壽は涙を拭い、つむぎの目をまっすぐ見た。
「あの、先ほど杜江さんは、『貴方様からのご注文の品』と言いましたか?」
「はい。言いました」
「あの、今から変なことを言いますが、もし可笑しかったら笑ってもらってもいいので……あの青年は前世の自分でしょうか?」
千壽は思い切って疑問を口にしてみた。
「ふふっ・・・千壽さんがそう思うなら」
笑顔で返事をするつむぎに、続ける言葉を千壽は持ち合わせていなかった。
いや、心の底でしっかりと確信した。
『あの青年は自分だ』・・・と。
「杜江さんに、聞いてもいいでしょうか?」
「私に答えられる事でしたら、どうぞ」
「あの青年は自分の前世で間違っていませんか?」
「そうです」
「なぜそれを杜江さんがご存知なのですか?」
「それはお答えできかねます・・・が、あえて説明するなら、私の知人が千壽さんの魂と知己の関係にあるからです。わたしは知人のお役目の介添えをしたまでです」
「はぁ……なるほど…」
「私から一つ・・・今まで強い衝撃によって固く閉ざされていた千壽さんの記憶の【門】が開かれました。これから何かしらのきっかけで今世の千壽さんではない、前世の魂の記憶が断片的ですが脳裏に蘇ります。この前世の経験は、千壽さんが人生を歩む上で最も必要と判断され蘇った鍵になります。これからの人生、やり残しや心残り、後悔がないように生ききってください」
杜江つむぎの言葉はまるで呪文のようで、千壽の常識の範疇をはるかに飛び超えていった。
しかし、しっかりと千壽の記憶に焼き付いた。
千壽は理性を取り戻すように、
「ありがとうございます。確かに商品を受け取りました。心の奥がじんわりと温かくなった感じがして、何だか青年が喜んでいる感じがします。そしてホッとした感じで胸のつかえが一つとれた気がします。それで、お支払いなんですが、杜江さんにしたらいいのでしょうか?」
「いえ、この髪飾りですが、本日知人が《MAKAFUSHIGI》に卸しましたので、帰りの際にお店にお支払いください。本当はその知人から千壽さんに直接お渡ししたほうがいいのでしょうけど、なかなか複雑な経緯もあり、あまり干渉し過ぎて厄介ごとが起きても困りますので、店を仲買に入れた次第です」
千壽は商品を一度台座に戻し、だがずっと髪飾りから目を離せないでいた。
「わかりました。では帰る時に店で精算をします」
ショーケースの中にあった銀製の髪飾りを見た瞬間から、杜江つむぎに髪飾りにまつわる物語を聞き、前世の自分がこの髪飾りの製作を依頼したと確信してから購入を決めるまで、よく考えれば不思議なことばかりだったが、
『もう何があっても驚かない』
『細かいことは気にしても仕方ない』
新たな価値観を受け入れた千壽がそこには居た。
つむぎは立ち上がり、壁際に行って何やらごそごそと・・・すぐに戻ってきた手にはコーヒーをのせたトレーを持っていた。
『いつの間に淹れたのか…いや考えるのは止めよう……』
千壽は思考を強制終了した。
つむぎは千壽の前にコーヒーカップを置き、
「カフェラテをどうぞ。砂糖は入れていないので千壽さん好みかと・・・」
千壽は、テーブルに置かれたコーヒーカップに合わせた視線を動かせないまま、
「ありがとう。いただきます」とお礼を言えた自分を褒めたくなった。
『なぜ杜江さんはカフェラテ無糖が自分の好みだと知っている?前回コーヒーにミルクしか入れなかったからか?……いや、前回は余裕がなくてブラックで飲んだはず……』
千壽は本日何度目かの思考停止ボタンを押した。
この世の中、自分が知らないことの方が多いし、理屈では説明できないこともたくさんある。
今日の体験の全て、髪飾りの物語を聞き、青年の記憶と同調し前世を受け入れた時の自分の反応もその一つ。
杜江つむぎの存在もその一つ。
「まだまだこの世の中には不思議なことがたくさんあって楽しいなぁ」
何かが吹っ切れたようにつぶやく千壽は、少年のように瞳を輝かせていた。
「杜江さん、今日は《MAKAFUSHIGI》に依那の誕生日プレゼントを探しに来たんです。何をプレゼントしたらいいのか見当がつかなくて実は困ってたんですが、最高の誕生日プレゼントを見つけることができました。それに貴重な経験ができてよかったです。いつもありがとう」
「ええ、きれいにラッピングできていますよ。どうぞ。依那さんとお幸せに」
つむぎが商品を手渡すと、千壽は一瞬「…えっ」と動きを止めたが、
「もう驚かないよ……だって杜江さんだからね」
千壽とつむぎが店内に戻ると店長がしたり顔で、
「やっぱりその髪飾りを連れて帰るんだね・・・うんうん。千壽さんと帰りたいって言ってたからね・・・うんうん。・・・よかった よかった・・・めでたし めでたし・・・うんうん」
千壽とつむぎの様子を見ていた店長は、一人で頷き納得した様子でショーケースの整理を始めた。
千壽は一瞬戸惑ったが、店長の後ろ姿に何とも言えずに肩をすぼめて苦笑した。
「また来ます」
千壽は店長と杜江つむぎに深々と一礼を執り、商品を大切そうに抱きかかえて店を出た。
チリン~チリン~チリン~……ドアベルが鳴る。青年の未来に【多幸】を祈り鳴り響く。




