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紅の秋


 血染めの刃のように、紅葉が舞っていた。


 並木道の中、私は吹き荒ぶ風に着物の裾をはためかせながら夜空を見る。

 満月に伸ばした自分の腕は、視界いっぱいに舞う刃に色を吸われたように、白く細い。


「木々の枝よりーーー」


 ふと、低い声が聞こえた。


「ーーー枯れ落ちる葉に、そなたは何を想う?」


 私はそちらを見ない。

 でも声だけで、私は彼の姿を思い浮かべることが出来る。


 精悍で、剽軽で、誰よりも優しい。

 彼は今どんな顔をしているのだろう。


 笑ってはいない。


 では、似合いもしないしかめ顔だろうか。

 感情のまるで浮かばない能面のような顔だろうか。


 見てみたい。

 でも、見るのが怖かった。


「自らを、重ね合わせておりました」


 愛しい彼に、私はそう伝える。

 身に纏う赤く鮮やかな着物は、より深く染まるだろう。


 彼の刃に引き裂かれて、血染めの紅に変わる。


「感情を御せず、この身を般若と化した、私でございますから……」


 彼から隠すように、私は顔を覆う。

 1人の女として、この浅ましい顔を長く見られるのは耐えられなかった。


 手に当たるのは、唇をめくれ上がらせる牙。

 閉ざすことの出来ぬ口からは、よだれが絶えず滴っている。


 黒い前髪を左右に流した額にも、二つのねじくれたツノが在る。


 許せなかったのだ。



 ーーー予言などというくだらないモノのために、私の腹を裂こうとした者たちが。



 

 耐えきれなかったのだ。

 いかに邪悪と成ろうとも、無垢な我が子を弑そうとする者の存在に。


「貴方様も」


 私の目から、とめどなく雫が溢れる。


「私から、この子を奪おうと思っておられますか?」


 鬼滅の刃を持つ愛しい人がここに現れたということは、そういう事なのだろうと感じていた。

 神の意を衆生に伝える役目を負う里に、私たちは近しく生まれ落ちた。


 彼は、比類なき剣を振るう者。

 里を護る、第一刀。


 私は、巫女の一人。

 この世に、邪なるモノの長を降ろさぬために、予言の声に耳を傾ける役目を負っていた。


「神は、残酷なことをなさいます……」

「神のせいではない。邪なるモノは、人の心を堕落に誘う」


 堕落。

 我が子を護ることが、堕落だというのか。


 つい先ほど、腹を裂こうとした剣士からもぎ取った頭を手に下げて見た、釣瓶落としの夕日が思い出される。

 あの斜陽は、私の命運のようだった。


 逃げても良かった。

 この場所に来る必要はなかった。


 ーーー愛しい人が一番好きな場所で、彼を待ったのは。


 彼がこの子の、父であったからだ。

 

「貴方様は……自らの子であっても、邪なるモノの長と呼ばわれれば、躊躇いはしませぬのか」

「……」


 片手を顔から離し、私は自らの腹を押さえて、指に震えるほどに力を込める。

 

 ゆら、と彼に目を向けると、彼は眉根を寄せていた。

 手には鬼滅の刃をすでに抜いている。


 私は、もはや彼の愛した美しさが失せた顔で絶望に嗤う。


「であれば、どうぞ、貴方様の手で……」


 声も、わずかばかり震えてしまう。

 

「……私ごと、お断ちくださいませ」


 それ以上の問答はなかった。

 彼は足音もなく、滑るように私に近づいて来る。


 私は目を伏せた。

 月明かりに薄く差した自分の異形の影が、やがて踏み込んできた彼の影と、重なってーーー。




 ーーー反射的に目を閉じたが、身を裂かれる感触はやってはこなかった。




 代わりに、体をふわりと暖かく包まれて、力強く抱きしめられる。


「……出来るわけがなかろう」


 相変わらずの低い声。

 でもその声は、先ほどの自分と同じように震えていた。


 背中が熱い。

 鬼滅の刃が、自らを振るわぬ主人を責めるように熱を持っていた。


 呆然と目を見開く私の体をそっと離して、彼は私の顔を上向かせる。

 頬をなぞる手は、冷たい肌を持つ鬼となった私の肌には、刃と同じくらい熱いものに感じられた。


「常から言っていたはずだ。俺は、そなたとの暮らし以外、何もいらぬ」


 優しい声音と、苦しむような顔。

 ああ、と私は思わず吐息を漏らした。


 彼の頭を、肩を、紅の葉がかすめてはひらひらと舞い落ちていく。

 涙を流さぬ彼の代わりに、血涙のように流れていく。


 私の苦しみと同じように、彼もまた、苦しんでいたのだと、今更ながらに悟った。


「生まれる我が子が邪なるモノと成れば、その時は俺が刃を振るおう。そしてそなたと、自らと、諸共に死ぬのだ」


 彼は悲しげな目のまま、微笑みを浮かべた。


「アキ」


 彼が、私の名を呼ぶ。


「業深く、世界に忌まれようとも。このナツと……俺と共に、生きてはくれぬか?」


※※※


 ーーーやがて、遠く異国の地でこんな噂が流れた。


 いつからか、山の深くに鬼女が棲むようになった、と。


 そして、鬼女に遭わぬ前に去れと、助言をくれる剣士がいる、と。


 そして時折、山を駆ける少女を見かける、と。


 その少女は黒髪に真っ白な肌を持ち、この世のモノとは思えぬ美しさであるらしい。


 だが、噂はすぐに絶えた。


 ある時、その地では見慣れぬ武器を携えた男どもの一団が山に入り。

 それきり、里には戻ってこなかった。


 鬼女に喰われたかと、一人の猟師が噂の鬼女が出るという場所にたどり着くと。


 ーーーそこには、荷物が荒らされた無人の小屋と、血の跡だけが残っていたという。


 消えた男たちが山に入ったのは……紅葉深まる、秋の頃だった。

 

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