第二十八章:黒い割符(わりふ)、傀儡(かいらい)の権力者
王賀が命の次に重いと信じ込み、未だに執務室の金庫に大切に保管している「黒い革ファイル」。
その写メに収められた電子のデータは、新宿の夜を揺るがすだけでなく、表の社会を支配する「権力者」の首をも締め上げる、最凶の絞め縄へと姿を変えていた。
「……レイ君、面白いものを見つけてくれたわね」
深夜、アポロンの最奥のVIPルーム。麗華が毒のある笑みを浮かべ、レイのスマホに表示されたある男の顔写真を指差した。
その男の名は神崎。この特区の都市開発利権を牛耳り、次期副大臣の座が確実視されている大物政治家だ。
ファイルに記されていたのは、王賀から神崎への数億円規模の違法な政治献金(裏金)の記録、そして神崎が夜な夜な麗華の元に溺れ、漏らしてはならない国有地払い下げの機密情報を囁いていたという、生々しい「夜の密議」の音声ログだった。
「王賀はこの情報を使って、神崎を都合の良い盾として『利用』していた。……だったら、私たちはその上をいきましょう」
レイの切れ長の瞳に、新選組の副長・土方歳三がかつて不逞浪士を脅し上げた時のような、底知れない冷徹な光が宿る。
「泥棒を脅すには、泥棒のやり方が一番いい。表の法律で裁くのではない。僕たちの『法度』で、彼を完璧な傀儡にするんだ」
【無音の毒、罠に落ちる大物】
数日後の夜、神崎は麗華に呼び出され、高級ホテルの最上階にある完全会員制のスイートルームへと足を運んでいた。
王賀の目を麗華が完璧に眩ませているため、神崎は何の疑いも持たず、極上の獲物を抱くつもりで部屋のドアを開けた。
だが、そこで彼を待っていたのは、麗華の隣に静かに佇む、冷徹な美貌を纏ったホスト――レイだった。
「……誰だお前は。麗華、これは何の真似だ」
神崎が不快そうに顔を歪め、引き返そうとした瞬間、ソファに座るハルがタブレットの画面を室内の巨大モニターに同期させた。
スピーカーから流れ出したのは、神崎自身の、低俗極まりない肉声。そして画面には、王賀の裏帳簿に刻まれた、彼の秘書のサイン入りの領収書データが次々と映し出されていく。
神崎の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「これが出れば、貴方の政治生命は終わりだ。次期副大臣の椅子どころか、塀の向こうに落ちることになる」
レイは感情の籠らない声で、淡々と事実だけを告げた。
「お、王賀か……! あの男、俺を裏切りおったな……!」
神崎は激昂し、拳を震わせる。王賀が秘密裏にデータを複製し、若いホストを使って自分を脅しにかけたと誤解したのだ。それこそが、麗華とレイが描いた完璧なシナリオだった。
【あくどき主従の契約】
「神崎先生。勘違いしないでいただきたい。僕たちは、王賀の使いの者ではありません」
レイは歩み寄り、絶望に震える神崎の肩に、そっと手を置いた。
その優しくも圧倒的な質量に、政治家は蛇に睨まれた蛙のように硬直する。
「僕たちは、王賀をこの街から『排除』しにきた。……先生、貴方には選択肢が二つあります。王賀と心中して泥にまみれるか、それとも、僕たちの『新選組』の盾になるか、です」
レイの放つ、凄絶なまでの支配の色気と威圧感。神崎は、目の前にいるのがただの夜の街の若者ではなく、己の生殺与奪の権を完全に握った「本物の怪物」であることを本能で理解した。
「……私に、何をしろというのだ」
「簡単なことです。王賀が求めてきたすべての便宜供与を、これからは僕たちの指示通りにコントロールしていただく。そして、近々アポロンに、警察の臨検(ガサ入れ)が入るように裏から手を回してください。……王賀の息の根を、表の権力の手で、合法的に止めるためにね」
神崎はガタガタと震える手で、レイから差し出されたグラスを受け取った。
その琥珀色の液体は、彼にとって一生抗うことのできない「主従の毒酒」だった。
「……分かった。お前の言う通りにしよう。だから、そのデータだけは……」
「先生、貴方が裏切らない限り、このデータは僕たちの間で眠り続けますよ」
レイは三日月のような冷たい笑みを浮かべ、神崎の耳元で囁いた。
【包囲網、完成の刻】
神崎が魂を抜かれたように部屋を去った後、VIPルームには冷徹な勝利の静寂が戻っていた。
「完璧ね、レイ君。神崎はもう、あんたの忠実な猟犬よ。あの王賀がどれだけ金の力で警察を動かそうとしても、神崎が上からそのパイプをすべて塞いでくれるわ」
麗華はレイの胸に素直に身を預け、狂おしいほどの依存の目を向けた。
「レイさん、現場のハッキング、および政治力の確保、すべて計画通りです」
ハルもまた、タブレットを閉じながら、新選組の副長のごとき冷徹な笑みを浮かべた。
麗華が内側から王賀の脳を溶かし、
ハルが現場の兵隊を完全に去勢し、
そしてレイが、表の権力(政治家)すらをも悪辣な手で籠絡し、
己の牙とした。
アポロンのすべての売上、現場の主導権、そして国家権力の後ろ盾。王賀を破滅させるためのすべての駒が、今、盤上に揃った。
未だに最上階の執務室で「俺が支配者だ」とふんぞり返っている哀れな虎の首を、力尽くではねる瞬間は、もうすぐそこまで来ていた。
【史実解説】
政治家への脅迫と新選組: 新選組は単なる暗殺集団ではなく、会津藩や幕府上層部の「政治的な利害関係」を深く理解し、時には商人の弱みを握って資金を調達するなど、極めて現実的で悪辣な交渉もこなしていました。レイが政治家・神崎の弱みを握って盾にする手法は、幕末の志士たちが大名や公家を巻き込んで権力闘争を行った政治劇そのものです。




