第二十二章:華麗なる毒婦、戦場のアポロン
幹部会で王賀と密約を交わしてから三日後。
「アポロン」のフロアに、それまでとは次元の違う空気が流れ込んだ。
重厚なエントランスの扉が開き、現れたのは麗華。
歌舞伎町のソープ街に君臨する、圧倒的No.1の伝説的嬢だ。
肌に吸い付くような漆黒のドレス、夜の闇を切り裂くような鋭い視線。彼女を囲む男たちの吐息さえも凍らせるほどの、刺すような美貌と威圧感を纏っている。
彼女は王賀の「愛人」であると同時に、この街の裏側で金を操る、王賀の最大の理解者であり、影の権力者だった。
「王賀、今夜の遊び相手は……あそこにいる子たちでいいわ」
麗華が指し示したのは、大牙を含めた、これまで王賀の顔色を窺っていた「旧態依然とした」ホストたち。
彼女は彼らを、まるで品定めする家畜のように冷たく見下ろした。
だが、その視線が、フロアの隅でハルに接客の所作を教えていた僕の姿で止まる。
「……あら。あの子は、誰?」
麗華の問いに、王賀が不敵に笑う。
「俺が今、最も期待している『獲物』だ。挨拶させてやろう」
【四者四様の思惑、静かなる暗闘】
僕はハルの肩を軽く叩き、平静を装って王賀たちのテーブルへ向かった。
近づくにつれ、麗華から立ち昇る、甘ったるくも毒のある香水の匂いが鼻を突く。
それは、池田屋の血の匂いとは違う、人間を狂わせる「快楽の匂い」だった。
「お呼びでしょうか、王賀社長、麗華様」
僕は淀みない所作で膝をつき、完璧な角度で頭を下げた。新選組の局長や副長の前で、どれほどの緊張感を持って接していたかを思えば、現代の経営者など造作もない。
だが、僕の全身は、麗華という女の瞳に潜む「底知れぬ探究心」を敏感に察知していた。
「……ふぅん。噂のレイ君ね」
麗華は、僕の顎を指先でクイと持ち上げた。彼女の爪の、真っ赤なマニキュアが僕の肌に食い込む。
「王賀が『傑作』と言ってたわ。でも、ただの綺麗な顔ね。それだけじゃ、この新宿の夜は支配できないわよ」
麗華の挑発。彼女は僕を試している。
自分の庇護下にある大牙を脅かす存在が現れたことへの嫉妬か、あるいは王賀の「傑作」がどの程度のものかを見極めたいという、高貴な悪意か。
王賀は葉巻を指先で弄びながら、冷めた目で僕を見下ろしている。
「レイ、麗華を退屈させるなよ。もし満足させられなければ、先日の売上も全部チャラにしてやる」
(……御意)
僕は心の中で土方さんのように冷徹に呟いた。
王賀という男は、こうして僕と麗華を競わせ、互いの「利用価値」を測ろうとしている。
僕は、あえて麗華の指先をそっと掴み、自分の唇を近づけた。
【純愛と支配の交錯、戦場のテーブル】
「退屈ですか……。僕にできるのは、ただ貴方の『孤独』を癒すことだけですが」
僕は彼女の耳元で、低く、甘美な声で囁いた。
麗華の指先が、僕の体温に触れてわずかに震える。
彼女は、この街で何千人もの男を見てきただろう。
けれど、彼女が見たこともない、あまりに純粋な「一人の人間としての渇望」を、僕は意図的に彼女に向けて放った。
「麗華様。貴方は、王賀社長の愛人として君臨しながら、本当は誰にも触れられたくないほど深い傷を負っている……。違いますか?」
一瞬、テーブルの空気が凍りついた。
僕の言葉は、彼女の心の鎧を容赦なく射抜く、三段突き。
王賀の顔から笑みが消え、麗華の瞳が大きく見開かれる。
「……面白い」
麗華の指先が、僕の首筋をなぞる。
その爪は、かつて僕が愛したお光さんの温かい指とは程遠い。けれど、そこには、この街の頂点に立つ者同士が惹かれ合う、狂おしいほどの「破滅的な共鳴」があった。
「いいわ、レイ君。……今夜、貴方の底を見せて。私の心を、貴方のその『嘘』で塗り潰せるかどうか……」
僕と麗華。それを冷笑する王賀。
そして、その光景を、憧憬と絶望の入り混じった瞳で見つめるハル。
四人の思惑が交錯するテーブルで、僕は確信した。
この街の女は、金や愛を求めるのではない。自分を丸ごと支配してくれる「絶対的な器」を求めているのだ。
「期待していてください。……今夜、貴方のすべてを、僕という『新選組』が御用改め(支配)しますから」
僕はあえて不敵に微笑み、シャンパングラスを掲げた。
ここからが、真の「人斬りの接待」の始まりだ。新宿の夜を揺るがす、甘く残酷な戦いが、この一卓から幕を開ける。
【史実解説】
政治的権力と遊女: 幕末期、京都の最高級揚屋の遊女たちは、単なる接待係ではなく、志士や藩の重役たちから密談の場を提供し、情報を売る「情報収集家」としての側面がありました。麗華というキャラクターは、そんな「夜の政治家」としての遊女たちの知性を現代に引き継いだ存在です。
戦術としての色気: 沖田総司は、その美貌とカリスマ性で多くの女性を魅了したと伝えられています。レイが使う「孤独を見抜く」という技術は、新選組時代に培った洞察力と、現代のレイが持つテクニックが融合した、彼ならではの最強の武器です。




