第20話:だって、お金が好きだから
「ところで、リツ」
そんな言葉を紡ぎながら、タルワールは私の横に再び腰を下ろし、まっすぐ顔を見つめてくる。だから私は思わず身を引いてしまう。というか近い、近いって!
「なぁに、タルワール」
赤くなった顔がバレないように視線をそらすと、私はできる限りの平静を装った声で返事をする。
「ずっと不思議に思っていたんだが、リツはどうして酒場の給仕を辞めて旅商人なんてしてるんだ。そんなに給仕の給料が気に入らなかったのか?」
なにこいつ、剣と甲冑の手入れが終わった途端、急に饒舌になっちゃって……。
さっき、あれだけ構って、じゃなくて、話しかけても相手にしてくれなかったのに……。でも、まぁいいわ。こっちのタルワールの方が断然好みだし、ここは気にせず流れに乗ってあげる。
えっと、なんでしたっけ? そうそう、私への質問でしたね。
「なに言ってるの、タルワール。さすがの私でも、給料とか、労働条件とか、そんな些細なことで旅商人になろうとは思わないわよ」
私は大げさに肩をすくめ、小さく笑う。
「えっとね、正確に表現をするとすれば、次の取引をする準備が整ったから酒場の給仕をやめて旅商人に戻ったって感じかな。ほら、さっき一緒に話していたじゃない、商人も準備をしている時間の方が長いって。今回はそんな感じの話。だから給料が安いとか高いとかは関係ない。私はシンプルに旅商人という仕事が好きだからしてるっていう感じかな」
私はウンウンと頷きながら、一人で納得していたものの、どうもタルワールには伝わってないみたい。だって顔にそう書いてあるもの……。
「しかしリツ。旅商人というものはそんなに魅力的な仕事なのか? リツは普通にかわいいし、酒場の給仕の仕事の方があっていそうな気もするんだがな。だいたい、今回みたいに命がけでギャンジャの森を横断するなんてことしなくていいんだぞ?」
ちょ、ちょっと、かわいいって……。
そんな当たり前のこと言われても、わ、私、動揺なんてしないし、でも、そんなにかわいかったのかな、やっぱり、私、看板娘だったのかな、うんうん。じゃなくて、もう私ったら、ほんとすぐに脱線しちゃうんだから……。
「そうね。確かに酒場の仕事も楽しかったわよ、うん。ほら私って、かわいいから、みんなチヤホヤしてくれたし、じゃなくて、なんていうの? ちゃんと仕事を任されて、ちゃんと責任を持った仕事ができるって感じがいいわよね、うん。でもねタルワール。残念だけど、それは同じ何かを繰り返す仕事なの……」
私は顔を火照らせながらも、冷静さを保ったフリをして言葉を続けたものの、タルワールはなんだか納得できなさそうな表情を浮かべ、小さく首をかしげている。
「私はね、常に今を生きていたいの。そして常に新しい何かを知りたいの。色々なことを見たり、聞いたり、色々な人と出会ったり、そういうことがとても楽しい。それは同じことを繰り返して熟練していく給仕の仕事じゃ絶対できないことなの。だから私は旅商人をしているの」
そう言って私は、雲一つない星空を見上げると、その手を大きく伸ばす。
「私はまだまだ色々なことを知りたい。そう、この大空に広がる星ひとつひとつの物語でさえ、私は全部知りたいの」
そんな私の一言にタルワールは「そうか」と小さく呟いて、一緒に空を見上げてくれる。そして再び静寂が訪れる。しかしその静寂は、針のようなもので表皮をつつかれるような緊張を強いられるものではなく、穏やかで、少しの温かみを感じることができる、そんな優しい静寂であった。
「まぁ、とにかくだ。リツが酒場の給仕の仕事より旅商人の方が好きな事はわかった。わかったんだが、そもそもリツはなんで旅商人になろうと思ったんだ」
「それは簡単、私はお金が好きだから、好きなお金をいっぱい集めたいから」
私はその問いに即答する。
そしてそんな答えを聞いたタルワールは、唖然とした表情を浮かべている。しかし、しばらくの沈黙のあと、不思議そうな表情を浮かべ、再び私に尋ねてくる。
「え、理由はそれだけなのか?」
「それだけよ」
私は再び即答する。
「いやいや、お金というのは手段だろう? お金が好きで集めているヤツというのは、何かしら買いたいものや、やりたい事があるからお金を集めているのであってだな……。それを目的で集めることなんかはしないというか――つまりだ、リツは何か買いたいものとかやりたい事のためにお金を集めている訳ではないのか?」
「なに言ってんの、私にだって買いたいものくらいあるわよ」
私は不機嫌そうなフリをして、プイっと視線を逸らす。
「私は国が買いたい。だから国を買えるくらいのお金を貯めるのが私の目標。わかった?」
その瞬間、タルワールは大きな声で笑い出す。私の真剣な声色や、真剣な表情なんてお構いなしで、森全体に響くくらいの大きな声で笑いだす。
「あははは、それは気宇壮大な途方もない目標だな。じつにリツらしい。ほんとリツは面白いよ」
そんな一言に私はムスっとしたものの、その後に続くタルワールの質問で、それは困惑に変わる。
「リツ、そんな壮大な目標を掲げてしまったら、一つ大きくて深刻な問題にぶつかるんだが、それは考えなくていいのか?」
「え、大きくて深刻な問題?」
私は不安げにタルワールに聞き返す。
「ズバリ、恋愛や結婚とかの問題だ。この件に関してリツはどう考えているんだ。そんな目標を立てて頑張っていたら、あっという間にお婆ちゃんになっちゃうぞ?」
突然の話題変換に、思わず「えっ」と絶句してしまったものの、タルワールは気にせず話を続けてゆく。
「リツはまるで興味がなさそうなんだが、実際のところ恋愛や結婚とかについてどう考えているんだ。もちろん年をとってもできないことでもないし、焦ることでもないとは思うんだが、若い時の方が圧倒的に経験しやすいことだと俺は思うんだがな……」
芝居じみた真剣さでタルワールはそう言葉を紡ぐと、腕をおもむろに組み始め、深刻な声色で話を続けてゆく。
「そうだな、リツみたいな言い方をするならば、リツは、今、自分がもっている若さという資源を無駄に死蔵させていることについて、商人として何か思う事はないのか?」
痛いところを突かれた私は黙り込んでしまう。確かに、この件に関してはタルワールの言う通り、ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。しかしぐうの音もでないからといって負けるわけにはいかない。
いや、そうじゃなくって、なんというか、このまま言われっぱなしじゃ、さすがに腹の虫がおさまらない。
「そ、そうね。夜に男女が二人きりでいて、こんなロマンティックのかけらもない話をしてるんだもの――お互い縁がないのかもね、恋愛とか、結婚とか、ね」
私はそう必死に反論したものの、タルワールは再び不思議そうな顔を向けてくる。
「リツは何をいっているんだ?」
「え?」
「俺たちがこんなロマンティックのかけらもない会話をしているのは、仕方がないことだろ?」
「え、仕方がない?」
タルワールが何をいっているかわからない私は、困惑してしまう。
「それは、リツ殿がご要望した条件が契約書に書かれているからさ」
うん? ますます意味が分からない。条件? 契約書? 私、この件に関して、なにか余計なことしてたっけ?
そんなことを必死に考えながら、私は人差し指を額に強く押しつける。そしてすぐに、貞操の条件にこだわった自分を思い出す。するとその瞬間、全身すべての穴という穴から冷や汗が噴き出して、それを打ち消すかのように、顔や耳までも燃えるように熱く、熱を帯びてしまう。だから私は、タルワールから視線を外し、下を向いてしまう。
「さて、リツどの。今日はもう遅いから、そろそろ寝たほうがいい。明日は早く出発する予定だ。寝坊されたら困るからな」
そんな私に気を遣うかのように、タルワールは話題をそらしてくれる。だから、私は全力でそれにのっかって、「そうね」と短く答えて見せる。
「じゃあお言葉に甘えて寝させてもらうわね。で、見張りはいつ交代すればいいの?」
できるだけ平静を装って、お尻についた土を両手でぱんぱんと払いながら、私はゆっくりと立ち上がる。
「見張りは交代しなくてもいい、今晩は俺が寝ずに見張りをするから」
「えぇ、そんなのちょっと悪いわよ」
「リツが見張りをしても何の役にもたたないさ。リツが狼に気が付いた時には、リツは俺を起こす前に殺されているだろうしな。俺も狼に寝込みを襲われるのはさすがに勘弁してもらいたいしな」
そう軽口を叩いて、タルワールは再び大きな声で笑い始めたものの、この鋭すぎるタルワールの一言に対し、何も反論できない自分を情けなく思うのであった。




