閑話 ジンさんの一日
「それじゃあジンさん、私は打ち合わせに行ってきますけど。くれぐれも人知を超えた行動は外に出てもしないように……」
「あいわかった。今さらだぞ、ツムギ。ツムギこそ担当さんにはくれぐれもよろしく頼んだぞ。神の機嫌を損ねぬようにな」
「魔人に神と崇められる心田さん……了解です」
じゃあ行ってきますと、仕事用のトートバッグを担いで出て行く紬を、ジンは玄関先で見送った。「車には気を付けるのだぞー!」というおかんな一言も忘れない。
むしろ気をつけるべきは、担当・心田のベタワールド旋風なのだが、そこは気を付けていても巻き込まれるときは巻き込まれるので置いておこう。
バタンッと閉まったドア前で、ジンはふむと腕を組む。
遊園地ではしゃいだ怒涛の夏が終わり、季節は秋。
とある日曜日の今日、紬は心田との打ち合わせに出掛けて行った。
一度は打ち合わせにいそいそついて行ったジンも、今日は大人しく家で待機だ。彼は弁えているファンである。
そのため、今日のジンは一日フリー。
家の中なので出しっ放しの尻尾を揺らめかせながら、さてどうするかと思案する。
「風呂掃除は後回しでいいし、洗濯ものはすべて干し終わっているな。原稿の背景のペン入れも区切りがついているし、我一人なら昼飯の準備はいらぬ……むむ、夕飯の買い出しにでも行くか。今日は『にこちゃんスーパー』でお刺身が特売だ。シャンプーも切れていたので補充せねば」
主婦モードなジンはすぐさまIQ1億の脳を稼働させ、起きぬけにチェックしたスーパーのチラシからお得情報を検索した。
そうと決まれば善は急げだ。
主婦たちの戦いはじきに開幕を告げる。もたもたしている暇はない。
「ケセランパセランラフランス~♪ ミルクルクルケーキメイクアップ~♪ よし、変身だぞ!」
最近お気に入りの魔法少女アニメの変身呪文を唱えると、ジンの巻き角と尻尾がパッと消える。もちろん呪文は完全にノリであり、魔力を使って消しただけだ。
いまここにいるのは、『一日一善』と書かれた文字Tに赤ジャージのズボン姿。
手にはエコに配慮してマイバックを携えた、やたら所帯染みたエキゾチック美形のみである
「いざ参るぞ! 戸締まりは忘れずにな!」
――――こうして、ジンの紬のいない一日が幕を開けた。
まず、晴天のもと歩道を歩いていると、ご近所の奥様方から声がかかる。
「あらあ、ジンちゃん。おはよう、今日も目の保養になるイイ男ねえ。旦那と替わってほしいわ」
「む。山田さん家の奥さんもお綺麗だぞ。旦那さんも言わないだけでわかっていると思われる」
「やだあ! ジンちゃんたら!」
「ジンちゃん、今日はにこちゃんスーパーの特売よ! コロッケがお刺身の次に狙い目!」
「なぬ! 本当か、佐藤さん家の奥さん! 情報提供感謝する!」
次いで小学生に群がられ。
「ジン兄ちゃんだー! また対戦ゲームしようぜ! あの必殺コンボ決めてくれよ!」
「ジン兄ちゃんは私とオママゴトするの! ジン兄ちゃんの演技力すごいんだから! ねえ、また『嫁の味噌汁に舌打ちをこぼして作り直させる姑』役やってよ!」
「すまないな、タケシにミミコ。今日はスーパーという戦場に出掛けるのだ。また今度遊んでやるぞ」
「えー!」
「やだー!」
道端でたむろっていた、いかにもなヤンキーたちには頭を下げられ。
「チャッス、ジンの兄貴! 今日はお日柄もよく! 本日もオーラがパネッす!」
「先日はカツアゲにあっているところ、お助け頂きありがとうございましたっ! ジンの兄貴の強さを見習いたいッス!」
「気にするな。ハマっている青春漫画の主人公を見習ってしたことだぞ。貴様らもグレるのもほどほどにな。漫画でも読んであふれるパッションを鎮めるがいい」
「了解ッス!」
「マジカッケェッス!」
……と、ジンはスーパーに着くまでに、四方八方からいい意味で絡まれまくった。
というのも、紬がいない休日、また学校に行っている平日も、ジンは散歩と称して外をてくてく歩き回り、本当にお気軽感覚であちこち首を突っ込んでいたのだ。
そのせいで、彼はご近所ではちょっとしたヒーローである。
なおもちろん、このことは紬の預かり知らぬところだ。ここに彼女がいたら「なに無駄なカリスマ性発揮してんの!?」とツッコミを入れただろうが、本日はツッコミ不在であった。
「ふふん、ちゃんとコロッケもお刺身もゲットしたぞ! 今晩のおかずはこれでよいし、あとはお味噌汁でも作るべきか。デザートを一品つけてもありかもしれぬ」
尻尾が見えたらフリフリ振っていただろうご機嫌さで、ジンはスーパーの袋を片手に帰路についた。熾烈な戦いを潜り抜け、戦利品はバッチリである。
このまま真っ直ぐ帰るつもりであったが、天気もよかったので、ほんの気紛れで少し公園に立ち寄ってみる。
もしかしたらお目当ての人物がいるかもしれない……と期待して、錆びたブランコの傍のベンチを覗けば、そこにはまさしくその人物が。
「『ホッシー』! 久しぶりだな!」
「あ、『変Tさん』! お久しぶりです!」
ベンチに座っていた茶髪のチャラ男くんは、立ち上がってジンに礼をした。
――――ホッシーこと、紬の学校に通う隠れヲタク、実は温玉カレー丸先生の大ファンである星野匡である。
「今日もこのようなところにいるということは、また姉上と喧嘩したのか?」
「はい……喧嘩というよりは一方的な虐殺でしたけど。姉ちゃん、人間よりマウンテンゴリラにDNAが近いんです。姉ちゃんのプリンを誤って食べたばかりに……」
「それで追い出されたとは貴様も大変だな。む、その今読んでいる漫画は、恋ギガの最新刊か! 何度目の再読だ?」
「数えきれないほどです!」
ジンは匡の隣に腰かけて、彼の手にしていた漫画を覗き込む。きゃっきゃと話に花を咲かせる様は、どこからどう見ても仲良しさんだった。
なぜ、この二人に交流が生まれたのか。
まず出会いはこの公園のベンチ。
匡が今回と似たパターンで、ヤンキーな姉上様に家を追い出され、なんとか持ち出した恋ギガの漫画を読み返して心を慰めていたところを、ジンが「恋ギガではないか!」と話しかけたところが始まりである。
漫画の趣味が合って意気投合し、今ではたまに公園で語り合う間柄だ。
なお、『秘密の友達』感覚を楽しんでいるため、お互いの素性はほぼ明かしていない。ジンがその漫画のアシスタントをしていることも、匡がその漫画の作者と同じ学校に通っていることも、なんにも知らないで話しているのであった。
呼び名も出会い時に、匡が星柄のシャツを着ていたから『ホッシー』。
ジンの呼び名は言わずもがなだ。
「それで、気になる女子との遊園地はどうなったのだ? ちゃんと行けたのか?」
「それがですね、謎の歯痛で休むことに……」
「なぬ!? なんと難儀な! 我もちょうど最近遊園地に行ったのだが、とても楽しかったぞ。今度こそ行けるとよいな」
「はい……」
そんな擦れ違いだらけの会話をして、最後は恒例の恋ギガトークで〆ると、ジンはお刺身が心配なので早々に退散した。次会う約束などもあえてしないのが、二人的には粋なのである。
おそらく、この二人が互いのことを正確に知る日は永遠に来ないだろう。
「ホッシーとも会えたし、今日はよい日だったな。さて、そろそろログインの時間か……」
無事に帰りついて冷蔵庫に食材をつめ、もろもろの雑事も片付けたジンは、いったん主婦スイッチを切ってだらだらとアプリゲーを起動させる。
今のマイブームはアイドル育成ゲームだ。推しを武道館に連れていく使命がジンにはある。
そんな小休止も挟みつつ、気付けば夕方。
打ち合わせを終えて、ついでにちょっとショッピングなどもしてきた紬が帰宅する。
「ただいまー……って、わ! お味噌汁ですか? すごくいい匂いですね」
「じゃがいもとワカメのお味噌汁だぞ! スーパーの特売でゲットしたお刺身とコロッケもある。ついでに風呂にもすぐ入れるぞ。さあ、ご飯にする? お風呂にする? それとも……ログイン、する?」
「今日のログインボーナスもらってないことに気付きました! ログインで!」
それからカーペットに転がってゲームで遊び、のんびりご飯を食べる。食事中の会話は主に打ち合わせ内容のことだ。紬はひととおり報告を終えると、最後にジンにもこう尋ねる。
「ジンさんの方は、今日は特に変わったことはありませんでした?」
「うむ、本日もいつもどおりのよい日だったぞ」
「ならよかったです」
そしてズズッと、二人で向かい合って味噌汁をすすった。
――――紬のいないジンの一日は、おおむねこんな感じである。
このあとは紬のお兄ちゃん編です。束の間のシリアスパートも入るかもですが本当に束の間です。
よかったらまたよろしくお願いいたします!





