第14話
旅の準備をしました。
2020、10、13 少し修正
明日の5の刻──朝5時に、コーストラを出発です。
5時出発、ということは──4時起きか……!?
4時。頑張ろう。あんまり、というか年に数える程しか起きた事ない時間だけど、気合いで起きるんだぞ、私! 頼むぞ、私。
順調に行けば、ミューレという村に徒歩でも丸1日で着くみたいだけど、途中で何が起こるかわからない。……まあ、主な不確定不安要素の大部分は私ですが。すみません、頑張ります。ウォーキング特訓の成果が試されるな。やるよ、私! 気合いだけは十分だよ!
何が起こってもいいように、やっぱり携帯食や飲料水を何日分か持ってないといけない。
ということで、午後、買い出しにでることになった。
宿を出る前に、レウドはジャケットのフードを、目深に被った。
暑くないのかな、と私がじっとみていると、レウドがちょっと後ろめたそうに、ばつが悪そうに目をそらした。
うーん。やっぱり、何かから隠れてるのかな。
追われてるとか?
何に?
私の頭を、あらゆる逃走劇系映画のシーンが駆け巡った。
うむ。わからん。ここにマフィアとか宇宙から来た謎の生物とか、いないし。
しいて上げるなら、あの黒い騎士団が怪しい? のかな。
わからん。
詳しい事が聞きたいけど、今は、陽が暮れる前に買い物をしなければいけない。
「レウド。いく? だいじょうぶ?」
「……ああ」
レウドは外にでると、鼻を上に向けて少し鳴らし、ぐるっと周囲を見回してから、歩き出した。
やっぱりちょっと、時々仕草が犬っぽい。見てると、とても和む。
店が両脇に建ち並ぶコーストラの商店街は、夕飯の買い出しをする人達であふれ返っていた。
テレビでよく観る、下町商店街のタイムサービス中の風景みたいだ。
本日のお勧め品をお店の人が高く掲げて、あちこちで呼び込みしている。
沢山の人が押し合いへしあい、飛び交う値段。
人と店が入り交じって、ごちゃごちゃとしてて、でもそれが楽しい。
通りいっぱいに溢れた人ごみの中、頭一つ抜き出ているフード頭を目印に、どうにかついていく。
私は一歩踏み出すたびに人にぶつかりながら進んでるというのに、レウドはすいすいと人の間をすり抜けていく。すげえ。流石です。
自分の住んでたところには、こんな人ごみになるようなところなかったんだよ。人ごみ、慣れてないんだよ。そしてもうすでに酔いそうです。
もたもたぜえぜえしていると、レウドがいつのまにか目の前に戻ってきていて、見上げると、ちょっとだけ呆れたように笑った。私の片手を掬い取って、レウドの肘裏あたりに押し当てる。ぺたり。
なんだろうか。……あ。もしかして。
掴んどけ、という意味だろうか?
恐る恐る袖の生地を軽く掴むと、頷かれた。どうやら意味は合っていたようだ。だけど……あああすみませんお手数をおかけしますでもありがとうございます。
レウドが途中の店の前で立ち止まった。
脇から顔を出して覗くと、干し野菜やドライフルーツ、干し肉、干し魚、木の実、瓶詰めのフルーツ、謎の干物、硬そうなパンが並んでいるのが見えた。
どれも日もちのする食べ物──野宿になった時用の食べ物のようだ。
野宿かあ……。できれば、したくないなあ。そうだ、虫よけ、どこか売ってるかな。虫刺されの薬もほしい。いやまて、異世界って、蚊いるの?
レウドが慣れた手つきで、乾燥食材を選んで取っていく。乾燥したパン、固形のなにか、加工肉、乾燥野菜、ドライフルーツ、ナッツ類。
「──チナミ。会計」
「はい。かう。いくら?」
まるまるしたお腹のおじさんが、タイプライターみたいなレジのキーをまるまるした指で叩く。チーン、と気持ち良い音がした。
「全部で2300ディルだよ!」
もってけドロボー! みたいな口調でまるまるしたオジサンが言った。
さっき、最初5000ディル、って言ってたのが聞こえたもんな。レウドが2700ディル値切ったようだ。半額以下だよ。プロだ。すげえ。よく見て覚えて、見習おう。
「────チナミ?」
『ふおあ!?』
名前を呼ばれて驚いて、思わず日本語が出てしまった。日本語式奇声だけど。
この世界で私の名前を知ってる人なんて、片手で数えるほどしかいない。そして私に声を掛ける人なんて、もっと少ない。びっくりしても仕方ないと思う!
声のした方を見てみる。
中学生ぐらいの男の子が小学4年生ぐらいの男の子の手を引いて、小学4年生ぐらいの男の子が保育園ぐらいの小さい男の子の手を引いて、立っていた。
3人とも、金髪に、原色ブルーの瞳。焼けた肌。
あ。わかった。リリィアの弟達だ。何度か、リリィアの店の前で会った。名前は、なんだったかな。大きい方が、ルシィオで、真ん中が、ラティオ、小さい方が、ナティオ。
いや違った、大きい方がラティオで、真ん中がナティオ……ああああもう名前が似すぎてて混乱、する! なんで似たような名前つけたの! リリィアのお母さん!
「あ、やっぱりチナミだ! 何してるの?」
中学生ぐらいの男の子──思い出した、やっぱルシィオだ。ルシィオが首をかしげた。
「こんにちは。私たち。買い物。する」
「買い物? 買い物は終わったの?」
「買う。おわった」
「買い物、済んだ?」
「しゅんだ?」
真ん中と小さい男の子が私を見上げて、首を傾けた。
「うん」
真ん中と小さい男の子が、満面の笑顔になった。
「じゃあ、あそぼ!」
「あしょぼ!」
おお、遊びのお誘いされた。
そういえばこないだ、あの憩いの広場で休憩中、だるまさんがころんだっぽい遊びに巻き込まれたのだ。ダッシュで逃げる元気有り余る子供を運動不足の私が捕まえられるはずもなく、ほぼ私が鬼の役だったけどね。二人とも、とても楽しそうだった。
ああいう遊び、人数がいたほうが面白いもんね。でも、今日は駄目だ。帰って、荷物の準備の続きをしなければ。それから、早く寝ないと、4時には起きられない。
「……ごめんなさい。今日、急ぐ」
「ええ〜」
真ん中の子から、盛大なブーイング。本当、すまぬ。時間があれば、付き合ってあげられるんだけど……
「ルシィオ、も、かいもの?」
ルシィオが頷いた。
「この時間になると、どこも安売り始めるから。魚とか、卵とか。ミルクとかも安いよ」
安売り。
もしや、タイムサービスを狙ってきたのか!
若いのに、おぬし、やるな!
「ルシィオ。すごい!」
「そ、そ、そんなことないけど。節約しないとね。親父、出稼ぎに行ってて、まだ帰ってこないし」
ルシィオが恥ずかしそうにちょっと頬を赤くして、頭を掻いた。えらいぞ。君は良い主夫になれる。家事のできる男は女性に大人気だ。
「でも、もう少しで帰ってくると思うんだ。だいたい、2ヶ月に1回帰ってくるから」
もう少しで、帰ってくるらしい。それはよかった。
「チナミは、明日もリリィア姉の店、くる?」
「あした?」
明日は──5時にコーストラを出発する。
「あした。……こない」
「え、そうなの? じゃあ、明後日は?」
明後日。
私は首を横に振った。
「え……なんで?」
ルシィオの原色ブルーの瞳が、曇った。眉がひそめられる。私の前に来て、少しだけ見上げてきた。私より少しだけ、低い背。
「もしかして、……もう、帰っちゃうの?」
「かえる……?」
帰る。
帰る?
────どこへ?
思わず自分で突っ込んで、自分でショックを受けた。
帰る場所。
帰る家。
夕暮れ時。
家路を、急ぎ足で帰る人たちが、通り過ぎていく。
私の帰るところなんて、この世界には──
「チナミ。行くぞ」
肩を叩かれて振り返る。戦利品──ちがった、買った携帯食の袋を抱えたレウドが、立っていた。
「あ、うん……」
「待ってよ! なあなあ! チナミの家って、この町から遠いの?」
「いえ?」
「家! 帰るんだろ?」
【ハウム】。
リリィアたちがよく使う言葉。
「帰る……【ハウム】」
「ああ、そうなのかあ……やっぱり家に帰っちゃうんだね……。ねえ!また、そのうちこの町来る? 来るよね? 来たら、必ずうちに寄ってね!」
私は、頷いた。
約束はできないけど、また、この先、寄れたらいいなと思う。
「……また、ね! チナミ! 道中、気をつけて帰ってね!」
「……うん。ありがとう」
私はルシィオたちに手を振って、レウドの背中を追った。声が震えそうになったけど、必死で堪えた。
ねえ、ルシィオ。
帰る場所なんて、私にはもう、ないんだよ。
私の元いた世界には──私の家には、もう二度と帰れない。
レウドには────あるんだろうか。
──帰れる、場所が。
ああ、やばい。だめだ。
ぐるぐるする。頭の中が。
この思考には、鍵をかけなければ。
これはだめだ。
夕暮れの茜色と、このなんとも言えない空気感が。
とてつもなく気分が沈んでしまう。ストップだ。
少し先で立ち止まって、待っててくれたレウドに、私はどうにか笑顔を作って、駆け寄った。
紅い瞳がじっと私を見ている。
「な、なに?」
「いや……お前さ。──どこから来たんだ?」
私は思わず、息を止めてしまった。
ああ。
とうとうきてしまった。
でもまさかこんなに早く、その時がきてしまうとは思ってなかった。
いつかは聞かれるだろうな、とは、思ってて、心構えや返答の仕方を考えてはいたけれど。
言葉が分かるようになったら、きっと一番最初にきかれるだろう問い掛け。
私が、何処から来たのか。
「チナミ。今すぐには無理だが、お前の家族や──親戚──身を寄せられる場所────家────帰れる所があるなら、言ってくれ。そこまで俺が連れて行ってやるから。何処だ?」
何処。
何処へ帰れるの?
そんなの、
「……ない」
「チナミ?」
「ない」
「無い?」
「わたし。ない。帰る、──」
単語が、すぐに出てこなかった。
家ってなんて言うんだったっけ。家族って。
分かってる。私が自分で覚えるのを後回しにしていた言葉だ。たとえ覚えても、すぐに記憶の彼方に追いやっていた言葉。だって。
思い出してしまう。
だって、どうしても。どうしても、その言葉を耳にする度、口にする度、想ってしまう。
私をじっと見下ろしていたレウドが、困ったように息を吐き、眉尻を下げた。
大きな手がゆっくり伸びてきて、私の頭を撫でた。
「……悪い。すまかかった。聞いて悪かった。お前が言いたくないなら、言わなくていい」
「れう、」
声が震えて、私は飲み込んだ。
泣くな自分。もうすぐ大人だろ。
高校卒業したら家をでようかなーって自分で言ってたじゃないか。それが少し早まっただけだ。
「チナミ。宿に帰って、飯食って、今日は早く寝よう。明日の朝は早いしな」
頭を撫でてくれていた手が、私の右手を取った。
大きな手は、肌がとても荒れてがさがさしてたけれど、ほんわりと温かかった。
ああ、だめだ。
優しくしないでほしい。今だけは。
泣けてきてしまうから。
私は俯いて、目元を袖口で素早く擦った。泣いてると思われたくなかった。それでなくても多大なお世話をかけてるんだ。これ以上面倒をかけてはいけない。しっかりしろ、私。ポジティブにいこうポジティブに。あんた無駄にポジティブよね、って友人にもいつも褒められてるじゃないか。褒めたんだよね?無駄ってのが少々引っかかるが褒めてた事にしておこう。
私は大きく頷いて返した。
レウドの手を少し握る。
あたまの上で笑った気配がした。だって仕方ないだろう! それにレウドの手が大きすぎるんだ!
握り返されて、ゆっくり引っ張られた。
「なに食おうか、チナミ。何が食いたい? 甘いもの? 辛いもの?」
「甘い、もの!」
「そう言うと思った」
レウドは笑うと、ゆっくり歩き出した。
隣に並んで、私の歩く速さに合わせて、歩いてくれている。
お兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかな。
今だけは、そう思っててもいいかな。
私はやっと気分が浮上してきて、笑い返せた。
ふと、お父さんとブラブラ手を繋いで帰った日を思い出す。
地元の小さな神社の夏祭りの帰り道。
なんだか今のレウドは、お兄ちゃんでお父さんみたいだ。
「……へへっ」
「チナミ?」
「なんでも、ない! 食おう! 甘いもの!」
レウドが微妙な顔をした。
「……レウド?」
「…………いや、まあ、うん。あー、標準語って、難しいよな」




