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1. 処刑人の家へ嫁げ

「聖女マドロンへの毒殺未遂。アルメル、お前との婚約を破棄し、処刑人の家へ嫁がせる」


 宣告する王太子シジスモン殿下の、肩で揃えた淡い金の髪が朝日に光る。白い礼服の細い腰の脇で、聖女さまが殿下の腕にすがっていた。腰まで波打つ白金の髪が揺れ、白い聖衣の小柄で華奢な体ごと寄りかかる。


 王宮の大広間、詮議(せんぎ)の朝だ。衣擦れの音まで、ぴたりとやんでいる。


 処刑人。誰も握手をしない、誰も名前を呼ばない家。


 殿下の腕にすがる聖女さまが、涙の向こうで小さく笑った。


 十四で婚約して七年、十七から四年、殿下の謁見の書き役を務めて、私は二十一になる。今聞いた四つの証言は、一字一句覚えている。十日前の春の宴でも、殿下の左の後ろの書き役の席で、乾杯の言葉を鐘ごとに書き留めていた。


 かつて殿下が褒めた菫色の目で、壇を見上げる。殿下は、南の離宮で療養する陛下の名代だ。壁際の父の侯爵とは、目が合わなかった。扉の脇では、黒い外套の男を廷臣たちが遠巻きにしている。


 私は切れ長の目を細め、細い眉を上げた。怒るほど、私の口元はよく笑う。


「処刑人の家、ですわね? 殿下のお言葉、承りました。ただ、罪を認めたことにはなりませんわ。私、聖女さまの杯には触れておりませんもの」


 聖女さまの薄紅色の目に涙が溜まる。私を見つめ、小さく声を震わせる。


「可哀想に。でも罪は罪ですもの」


「ええ。罪は罪ですわね、聖女さま?」


「な、何が言いたいの!」


 小さな鼻が歪み、大きな潤んだ目が私から逸れた。隣の廷臣が袖で口を覆う。聖女さまは眉尻を下げ直す。殿下の空色の目がこちらを見下ろす。


「四人が見たと言ったのだ。四人の言葉は九つの鐘で揃っている。お前一人の言葉では覆らぬ。罪を認めよ。認めれば、北の修道院で許してやる」


「罪を認めよ、と仰いましたわね? お断りいたします。触れていない杯に、粉を落としたとは申せませんわ。返事を書き残すなら、一語も省かずにお願いいたします」


「私が残した道を、自分で閉ざす気か? 認めれば修道院だ。処刑人の家よりは、ましだ」


「行き先で、私のしたことが変わりますの? 行き先を選ぶために、言葉は変えませんわ」


 頬の内側が強張った。殿下は整った顔をこちらへ向け、低く言う。


「アルメル。証人の言葉より、お前の言葉を採れと言うのか? 私に証言を捨てさせるな」


「捨てろとは申しておりません。私の言葉も残してくださいませ。書き役の言葉だけ、書き落とさないでいただけます?」


 殿下の薄い唇が引き結ばれる。目が衛兵のところで止まった。


「跪かせろ」


 衛兵に肩を押され、大理石へ両手をつく。掌が擦れ、項で結った栗色の髪が肩へほどけた。膝にしみる石の冷たさと、掌の熱さがちぐはぐだ。書記が婚姻の届を差し出す。


 〈王太子の命により 罪人アルメルを 王家の処刑人の妻とする〉


 擦りむいた右手で、筆を取った。自白の欄はない。筆の軸が掌の傷に当たり、文字を書くたび熱くなる。アルメル、と署名する指は震えない。


       ◇


 夜、黒い馬車が川沿いで止まった。王都の北の外れ、石造りの二階家だ。御者が開ける馬車の戸から降りると、表の扉が開く。


 目にかかる前髪を揺らし、短い黒髪の男が上の枠をくぐった。扉いっぱいの広い肩。大広間の黒い外套と同じだ。後ろで、撫でつけた白髪の老人が手燭を掲げる。背が低く、小太りの体で扉を支えていた。男の目が、私の掌へ下がる。


「……手を、見せてください」


 廊下を奥へ通される。裏口の脇の診療の間には、薬草が吊ってある。手燭の灯に、壁の影が揺れる。寝台のそばで男が壺から膏薬(こうやく)をすくった。苦く青い草の匂いがする。女にしては背が高く細い私でも、この人の肩までしか届かない。


 大きな手の、細い指先が薬を広げる。深い緑の目が上がり、右の中指へ戻った。


「……書き役の、筆だこですね。擦り傷は掌です。こちらは、長く筆を握る人の指です」


「痛くありませんわ。筆は持てますもの。婚姻の届にも、きちんと署名いたしました」


「……筆が持てても、傷は傷です。今は、開いていてください」


「これくらいで筆を置いていては、務まりませんわ。……開くだけなら、できますけれど」


 掌を預けても、「怖かった」は言えない。四つの証言を、頭の中で順になぞる。声の高さも、語の順も、違えずに。手を引こうとすると、彼は薬の壺を近くへ寄せた。


「……怖くないのですか?」


「何がです? その薬は、しみるのでしょうか?」


「……私が」


「薬の塗り方がお上手な方を、どう怖がれと?」


 薬をすくう指が止まる。耳だけが赤い。男の口が、かすかに開いた。


「…………」


「お耳にも、そのお薬が要りますの?」


「……耳は、放っておいてください」


 ご自分の耳には、ずいぶん冷たい方らしい。彫りの深い顔は動かない。左の眉には古い小さな傷。薬を置いた手が、私の指をそっと伸ばした。


「あなたの指は、震えていなかった」


 大広間で震えなかった指を、この人だけが口にする。掌の傷より、そちらのほうがしみた。引きかけた手を、彼の指がそっと支える。


「……扉の脇にいました。私がこの婚姻を断れば、あなたは北の牢へ送られると聞きました」


「私の署名は、罪を認めるためのものではありませんわ。今朝も、そう申し上げました。私の返事は、届のどこにもありませんけれど。……書いたのは、私の名だけです」


 老人が、馬車で届いた婚姻の届を机に置く。丸い鼻を寄せ、垂れ目を細めた。男は署名の下を見ている。


「……自白の届ではありません。あなたの名の下に、私も署名します」


 筆先が私の名の下を滑った。知らない字形を、書き順から目で追う。筆を置いた彼に尋ねる。


「お名前を、伺ってもよろしいかしら? 届の文字より、あなたのお声で知りたいのですわ」


「……エムリク、です」


「エムリク様。薬を塗ってくださって、ありがとうございます」


 誰も名前を呼ばない家で、その名を初めて声にした。舌の上で、短い名が温かい。エムリクの耳がまた赤くなる。蓋を閉めかけた手が止まり、それから彼が裏口を指した。


「……夜、裏口に患者が来ます。名は外へ漏らしません。この家の決まりです。医術も、この家に代々伝わるものです。あなたも、お願いします」


 頷くと、彼は老人を呼ぶ。


「……フィデール。部屋を」


「奥様、お部屋の支度ができております。旦那様とは別のお部屋でございます。お手が濡れないよう、湯の支度も私にお任せください。ご用がありましたら、戸をお叩きください。遠慮はご無用です。お手が痛めば、それもご用でございますから」


       ◇


 薬草の刻み方とフィデールの麦粥を覚え、夜ごと裏口が叩かれる七日を過ごした。夫の祖母は南へ出かけている、と聞く。


 翌週の夜、裏口が叩かれる。夫が先に立ち、戸の前で振り返った。


「……下がっていてください。夜の患者は、顔を見られるのを嫌います」


「では、フィデールの手燭の後ろにおりますわ。声の聞こえるところに」


「……はい。そこなら」


 私はフィデールの後ろに立つ。フィデールの鳶色の目が路地を確かめ、手燭を外へ向けた。灯が、白い頭巾の下の短い赤毛を照らす。


 そばかすの散った頬。灯の中で、痩せた肩が縮まった。詮議で最初に「見ました」と言った娘だ。覚えている言葉が、耳の奥でいっせいに起き上がる。布を巻いた右手を胸に抱え、私を見分けた榛色の目が見開かれる。


「どうか、誰にも言わないで……」


 娘の手と顔を見て、私は戸を広く開ける。掌が痛んでも、戸の取っ手は離さなかった。


「ええ、言いませんとも。その代わり、一つだけ教えてくださいね」

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