1話 平和ボケ軍師ちゃん様
────魔王が討たれてから、二年と三ヶ月。
世界は、驚くほど静かになった。
少なくとも……私たち魔族にとっては。
「ふぁぁ……」
欠伸を噛み殺しながら、ぼんやりと空を見上げる。
高く、青い空だった。
戦争中は煙ばかり見ていた気がするから、こうして晴れた空を見ていると未だに少しだけ不思議な気分になる。
「……今日は平和だねぇ」
「毎日だろ?」
隣から即座に返事が飛んできた。視線だけ向ける。
そこにいたのは、見慣れた赤髪の男だった。
「つれないなぁ、カイン」
「お前が呑気すぎるんだ」
そう言ってため息をつく。
彼の名はカイン。この避難区を管理している人間の一人だ。
そして避難区……それが今、魔族に与えられた居住区域の呼び名だった。
魔王敗北後、人類側は生き残った魔族を完全には滅ぼさなかった。代わりに各地へ隔離し、管理する道を選んだ。
それが良かったのか悪かったのか、私にはまだ分からない。
ただ一つ言えるのは、少なくともここには一定の『平穏』があるということだけだった。
「で? 今日も見張り?」
「仕事だからな。一応」
「一応って言ったよ今」
「お前が妙なことしないか確認してるんだよ。元魔王軍幹部殿?」
「うわ、やめてよその呼び方。ゾワゾワする」
「事実だろ」
「二年前の話じゃん」
むぅ、と頬を膨らませる。
するとカインは少しだけ楽しそうに笑った。
……こういうところがずるい。
最初はもっと警戒していたはずなのに、気づけば普通に話すようになっていた。
魔族と人間。本来なら、もっと距離があるはずなのに。
「そういや聞いたか?」
「なにを?」
「東側の残党討伐。ついに終わったらしい」
「あー……」
興味がないわけじゃない。でも、特別感情が動くわけでもなかった。
魔王軍残党。
そう呼ばれる人たちは今でも各地で抵抗を続けている。
元々魔王軍の軍師だった私からすれば、無関係とは言えない話だ。けれど…
「もう終わったことだよ」
口から出たのは、そんな言葉だった。カインは少しだけ目を細める。
「割り切ってんなぁ」
「割り切らないとやってられないでしょ」
そう返しながら、ふと遠くを見る。
戦争は嫌いだった。
人が死ぬ音も。焼けた匂いも。恐怖に染まった顔も。
何もかも。
……だから。
魔王様が討たれたあの日。
怒りより先に、“終わった”と思ってしまった。
そんな自分を薄情だとは思わない。だって、本当に……もう終わってほしかったのだから。
「俺は嫌いじゃないぞ」
「なにが?」
「お前みたいな魔族」
「……急に何?」
「いや、なんか感慨深くてな」
カインはぽりぽりと頭を掻く。
「昔は魔族って、もっと怖い連中だと思ってた」
「失礼だなぁ」
「でも、実際は違った」
その言葉に、少しだけ目を瞬かせる。
「魔族にも、お前みたいなのがいる」
「私みたいなのって何さ」
「呑気で、だらけてて、昼寝ばっかしてる」
「悪口じゃん!」
「褒めてる」
「絶対嘘!」
抗議すると、カインは声を上げて笑った。
避難区の外壁にもたれながら、他愛もない話を続ける。
戦争が終わってから、こういう時間が増えた。
穏やかで、退屈で。少しだけ、心地いい時間。
「……ずっとこうならいいのにね」
ぽつりと零れた言葉に、カインは答えなかった。
代わりに、少しだけ困ったように笑う。
「そう簡単にはいかねぇよ」
「どうして?」
「人間も魔族も、そんなに器用じゃない」
「……そっか」
だからきっと。この時の私は、まだ知らなかったのだ。知る由も、なかった。
平和というものが、どれほど脆いのかを。
* * *
適当に駄弁り、そろそろカインが仕事に戻ろうかと言い出した時。
不意に、鼻を掠める感覚があった。
「……っ」
思わず眉が寄る。
「どうした?」
「……嫌な匂い」
「怪我人か」
少し遠く。路地の向こう側。そこから微かに漂ってくる。
鉄錆みたいな。焼けたような。
──────────薄いけど、確かな死の気配。
「また……か」
嫌いな匂いだ。
死に近いものを感じる瞬間は、どうしても慣れない。
頭が冷えるし、感情が削れていくから。
「お前、そういうの敏感だよな」
「……嫌いなんだよ。死ぬのも、死なれるのも」
自分でも少し驚くくらい、素直な言葉だった。
カインは少しだけ黙って。
「優しいんだな」
そんなことを言った。
「はぁ!?ちっ、違うし!」
「照れんなって」
「照れてない!」
むきになって否定すると、また笑われる。
……ほんと、調子狂う。
こんなふうに人間と笑っているなんて、二年前の私なら想像もしなかった。けれど……
悪くないと思ってしまった。
こういう日々も。こういう関係も。全部。
* * *
翌日。
「……眠」
欠伸を噛み殺しながら、私は避難区の通路をふらふら歩いていた。
昨日感じた“あの匂い”は、結局ただの怪我人だったらしい。
避難区での小競り合い。別に珍しいことじゃない。
最近は特に増えている気がするけれど。
「……嫌だなぁ」
思わず独り言が漏れる。
平和になったはずなのに、どうしてこういうのは無くならないんだろう。
「随分と腑抜けた顔だな」
不意に、背後から声が飛んできた。
聞き慣れた声で……とても耳に障るものだった。
「うわ、出た」
「酷いな」
振り返る。
そこにいたのは、片眼鏡を掛けた男——ヴェルト・グライシスだった。
黒髪を後ろへ流した長身で、相変わらず無駄に整った顔をしている。元魔王軍幹部で……私の同期。
そして今でも、“終わっていない側”に立ち続けている男。
戦争中は何度も助けられたし、能力についても信頼している。
……性格を除けば。
「何、また厄介事?」
「人を問題児みたいに言うな」
「違うの?」
「……否定はしない」
ほら見ろ。思わずため息を吐く。
ヴェルトはそんな私の反応を気にした様子もなく、じっとこちらを見下ろしてきた。
「なんだよ」
「いや、随分と平和ボケした顔になったと思ってな」
「失礼だなぁ」
「戦争中のお前なら、怪我人程度でそんな顔はしなかった」
「……」
昨日のことを言っているのだろう。私は少しだけ視線を逸らした。
「嫌いなんだよ、そういうの」
「知ってる」
ヴェルトはあっさり頷く。
「だからお前は軍師向きだった」
「どういう理論?」
「死を嫌うやつほど、無駄死にを減らそうとする」
少しだけ、言葉に詰まる。否定できなかった。
実際私は、戦うことそのものより、死そのものが嫌いだったから。
「……で?」
これ以上昔の話をされる前に、無理やり話題を切る。
「今日は何の用?」
「立ち話で済ませる内容じゃない」
「…面倒なやつだ」
「そう言うな」
ヴェルトは軽く肩を竦める。
「少し付き合え」
「嫌って言ったら?」
「引きずっていく」
「横暴だよ……」
とはいえ、こいつがここまで言う時は大体本当に重要な話だ。
諦めて、私はヴェルトの後を追いかけた。
* * *
連れて来られたのは、避難区の外れにある古びた倉庫だった。
戦争中は物資保管庫として使われていた場所だ。今ではほとんど使われておらず、人の気配も少ない。
「こういう場所好きだよね、アンタ」
「落ち着くだろ?」
「陰気臭いの間違いじゃなくて?」
「お前、ほんと口悪くなったな」
「元から」
適当に返しながら中へ入る。
薄暗い倉庫の中央には、簡素な机と椅子が置かれていた。
ヴェルトは机へ向かい、積まれていた紙束をこちらへ差し出してくる。
「ほれ」
「雑ぅ……」
ぶつぶつ言いながら受け取り、何気なく視線を落として。
「…………は?」
思わず固まった。
『ブレイナ王国王立勇者学園』
そこに書かれていた文字を、数秒見つめ続ける。
それは人類が運営する勇者候補育成機関。
未来の勇者を育てるための施設であり、魔族にとっては最も警戒すべき場所の一つだった。
「いや待って。なんでこれを私に?」
「潜入してほしい」
「いや却下!」
こんなの即答以外ありえない。
ただヴェルトは違ったようで、目を瞬かせる。
「まだ何も説明してないんだが」
「聞いたら断りづらくなるじゃん!」
「なるほど?じゃあ…」
「聞かない!!」
頭が痛い。
なんでこんな馬鹿げた話を平然としていられるんだ、この男は。
ヴェルトは小さく笑い、それから少しだけ真面目な顔へ戻った。
「今の魔族は限界に近い」
「……またその話?」
もう幾度か繰り返された議題に、思わずため息が漏れる。が、ヴェルトは構わず続けた。
「皆、口には出さないが不安なんだよ。この先どうなるのか分からないからな」
「普通に暮らせてるじゃん」
「“今は”だろ」
ぴしゃりと言い切られる。
「人類側が気まぐれ一つで管理方針を変えたらどうなる?俺たちに拒否する力はあるのか?」
「それは……」
「無い」
静かな声だった。だからこそ、妙に重い。
「最近の避難区を見てみろ。皆余裕が無くなってきてる。小競り合いも増えた。昨日の件だってそうだ」
「……」
分かっていた。見えていなかったわけじゃない。
露店の空気。疲れ切った顔。余裕のない会話。
ここ最近、避難区の空気は少しずつ変わってきている。
……でも。
「だからって、また争うの?」
「このまま何もしなければ、いずれ潰される」
「決めつけだよ、そんなの」
「希望的観測だけで生き残れるほど、俺たちは強くない」
返す言葉に詰まる。違うと言いたかった。でも、違うと言い切れるほどの自信も無かった。
だから私は、考えないようにしていた。
終わったことなのだと。平和なのだと。
そう思い込まなければ、今の生活を受け入れられなかったから。
「……私は、もう嫌なんだよ」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
「争うのも、死ぬのも、死なれるのも。もうたくさん」
ヴェルトは何も言わない。ただ静かにこちらを見ている。
「魔王様も死んだ。戦争は終わったの。もう終わりでよかったじゃん……」
「終わってない」
即答だった。
「俺たちはまだ生きてるだろう?」
その言葉だけが、妙に胸へ残った。私は視線を逸らす。
図星だから。
そうやって必死に目を逸らしていたものを、この男は何度でも突き付けてくる。これだから嫌いなんだ。ヴェルトは…
「……で、なんで私なの」
耐えられなくなって無理やり話を戻す。するとヴェルトは机へ軽く寄り掛かった。
「お前が一番、人間を知ってるからだ」
「は?」
「今の魔族で、人間とまともに話せるやつがどれだけいる?」
「……」
ヴェルトは静かに、私を見つめて結論付ける。
「お前は違う」
静かな声だった。
「お前は人間を知ってる。だから潜り込める」
返す言葉が出なかった。
確かに私は、他の魔族より人間との距離が近い。カインとも普通に話すし、管理人連中とも最低限の会話くらいならする。それでも……
「だからって、勇者学園なんて……」
「別に今すぐ返事しろとは言わん」
ヴェルトは肩を竦める。
「ただ、考えておけ」
机の上を指先で軽く叩く。
「近いうちに、必ず必要になる」
その言葉だけが、妙に重たく耳へ残った。




