夏目漱石「それから」本文と評論16-10「平岡は代助の眼のうちに狂へる恐ろしい光を見出した」
◇本文
「どうも運命だから仕方がない」
平岡は呻吟く様な声を出した。二人は漸く顔を見合せた。
「善後策に就て君の考があるなら聞かう」
「僕は君の前に詫つてゐる人間だ。此方から先へそんな事を云ひ出す権利はない。君の考から聞くのが順だ」と代助が云つた。
「僕には何にもない」と平岡は頭を抑えてゐた。
「では云ふ。三千代さんを呉れないか」と思ひ切つた調子に出た。
平岡は頭から手を離して、肱を棒の様に洋卓の上に倒した。同時に、
「うん遣らう」と云つた。さうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。
「遣る。遣るが、今は遣れない。僕は君の推察通り夫程三千代を愛して居なかつたかも知れない。けれども悪んぢやゐなかつた。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方ぢやない。寐ねてゐる病人を君に遣るのは厭だ。病気が癒る迄君に遣れないとすれば、夫迄は僕が夫だから、夫として看護する責任がある」
「僕は君に詫つた。三千代さんも君に詫つてゐる。君から云へば二人とも、不埒な奴には相違ないが、――幾何詫つても勘弁出来んかも知れないが、――何しろ病気をして寐てゐるんだから」
「夫れは分かつてゐる。本人の病気に付け込んで僕が意趣晴らしに、虐待でもすると思つてるんだらうが、僕だつて、まさか」
代助は平岡の言を信じた。さうして腹の中で平岡に感謝した。平岡は次に斯う云つた。
「僕は今日の事がある以上は、世間的の夫の立場からして、もう君と交際する訳には行かない。今日限り絶交するから左様思つて呉れ玉へ」
「仕方がない」と代助は首を垂れた。
「三千代の病気は今云ふ通り軽い方ぢやない。此先何んな変化がないとも限らない。君も心配だらう。然し絶交した以上は已むを得ない。僕の在不在に係(かゝ)はらず、宅へ出入りする事丈は遠慮して貰ひたい」
「承知した」と代助はよろめく様に云つた。其頬は益 蒼かつた。平岡は立ち上がつた。
「君、もう五分 許坐つて呉れ」と代助が頼んだ。平岡は席に着いた儘無言でゐた。
「三千代さんの病気は、急に危険な虞れでもありさうなのかい」
「さあ」
「夫れ丈教へて呉れないか」
「まあ、さう心配しないでも可いだらう」
平岡は暗い調子で、地に息を吐く様に答へた。代助は堪えられない思がした。
「若しだね。若し万一の事がありさうだつたら、其前にたつた一遍丈で可いから、逢はして呉れないか。外には決して何も頼まない。たゞ夫丈だ。夫丈を何うか承知して呉れ玉へ」
平岡は口を結んだなり、容易に返事をしなかつた。代助は苦痛の遣り所がなくて、両手の掌(たなごゝろ)を、垢の綯れる程 揉んだ。
「夫れはまあ其時の場合にしやう」と平岡が重さうに答へた。
「ぢや、時々病人の様子を聞きに遣つても可いかね」
「夫れは困るよ。君と僕とは何にも関係がないんだから。僕は是から先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時丈だと思つてるんだから」
代助は電流に感じた如く椅子の上で飛び上がつた。
「あつ。解つた。三千代さんの死骸丈を僕に見せる積りなんだ。それは苛い。それは残酷だ」
代助は洋卓の縁を回つて、平岡に近づいた。右の手で平岡の脊広の肩を抑えて、前後に揺りながら、
「苛い、苛い」と云つた。
平岡は代助の眼のうちに狂へる恐ろしい光を見出した。肩を揺られながら、立ち上がつた。
「左んな事があるものか」と云つて代助の手を抑えた。二人は魔に憑かれた様な顔をして互を見た。
「落ち付かなくつちや不可ない」と平岡が云つた。
「落ち付いてゐる」と代助が答へた。けれども其言葉は喘ぐ息の間を苦しさうに洩れて出た。
暫らくして発作の反動が来た。代助は己を支ふる力を用ひ尽くした人の様に、又椅子に腰を卸した。さうして両手で顔を抑えた。 (青空文庫より)
◇評論
前話の解説で、私なら絶対に代助を許さないと述べたが、平岡は違う。
「どうも運命だから仕方がない」と簡単に許し、「遣らう」と三千代を代助に渡す許可を与えてしまう。「うん遣らう」という平岡の決断は早すぎる。ここはいったん保留にする場面だ。三千代がモノ扱いされている。
平岡の許容の主たるものは、彼自身が言うとおり、「僕は君の推察通り夫程三千代を愛して居なかつたかも知れない」であり、三千代への愛の薄さとしか理由付けできないが、それにしても簡単に許しすぎではないか。妻と友人の不義を「運命」で片づけることは、一般的に困難だ。今回の件は、逃れられない「運命」だと自分を納得させようとしている平岡の姿が見られる。
また、前話で解説したような代助の論理展開への疑義も、平岡は挟まない。代助を問い詰めず、あっさり許してしまう。
これは、ドラマツルギーとしても、もう少し平岡の心情描写があっても良かったのではないか。「それから」はもう少しで終幕となるのだが、終わり方があっさりしている。そう感じられる要因に、平岡側の描き方の薄さが関係している。
そもそも「それから」は、「こころ」などに比べると、物語の密度が足りない。三千代という人物の内面が描かれていないし、平岡の内面描写も不足している。読者はそこに不満を持つだろう。
「遣る。遣るが、今は遣れない。僕は君の推察通り夫程三千代を愛して居なかつたかも知れない。けれども悪んぢやゐなかつた。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方ぢやない。寐ねてゐる病人を君に遣るのは厭だ。病気が癒る迄君に遣れないとすれば、夫迄は僕が夫だから、夫として看護する責任がある」。
この言葉は、それまで三千代をないがしろにしていた平岡にしては、情のこもったあたたかな言葉だ。妻の体調を心配する夫として、ごくまっとうなことを言っている。
これに対して代助は、「僕は君に詫つた。三千代さんも君に詫つてゐる。君から云へば二人とも、不埒な奴には相違ないが、――幾何詫つても勘弁出来んかも知れないが、――何しろ病気をして寐てゐるんだから」。
代助は、平岡が三千代を渡したくないと言っているのだと解釈する。
家族の情愛を知らない代助は、「家族愛」というものがあることも知らない。男と女の間にある愛は、恋愛だけではない。たとえそれがなくなっても、夫婦の間には「家族愛」が残る。平岡はそれを説明している。しかし代助はそれが理解できないでおり、ふたりの意思の疎通は図られない。
その後のふたりのやり取りからわかることは、
・「本人の病気に付け込んで」平岡が三千代を「意趣晴らしに、虐待」などすることはない。
・ふたりは「今日限り絶交」
・平岡の「在不在に係(かゝ)はらず、宅へ出入りする事」はできない。
・三千代の病気は、「さう心配しないでも可い」
その後代助の、「若し万一の事がありさうだつたら、其前にたつた一遍丈で可いから、逢はして呉れないか」という依頼に、平岡は、「夫れはまあ其時の場合にしやう」、「僕は是から先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時丈だと思つてる」と答える。
この答えを聞き、「代助は電流に感じた如く椅子の上で飛び上が」り、狂気へと向かう。「三千代さんの死骸丈を僕に見せる積りなんだ。それは苛い。それは残酷だ」。「右の手で平岡の脊広の肩を抑えて、前後に揺りながら、「苛い、苛い」と云つた」。
「平岡は代助の眼のうちに狂へる恐ろしい光を見出した」。
狂気に足を踏み入れた者を制御することは困難だ。謝罪する側がそうなってしまっては、謝罪される方が冷静にならざるをえない。代助はある意味卑怯なやり方で、自分の意志を通そうとしている。
現実の社会でも、キレた者勝ちになるケースが多々あるが、ここもまさにそうなっている。エゴが通らないと途端にキレる者は相手にされない。許しを請うという自分の立場をわきまえない、代助のわがままなふるまい。
だから代助の狂気に共感する読者は少ないだろう。
平岡は三千代を代助に譲ると言っているのだから、平岡夫婦の正式な離婚を待ち、それから三千代との愛をはぐくむのが筋だ。虐待はしない、病気の様子は夫として責任を持って見守る、という平岡の言葉にとがめるべき部分は全くない。
だから代助は、とにかく一刻も早く三千代と一緒になりたいという思いだけなのだ。それがかなわないと知ると狂ってしまうのでは、子供より幼い。ただのただっ子だ。
三千代と真に心がつながっていることを自覚しているのであれば、それだけで幸福に満たされるのではないか。社会の枠組みを超えた愛を平岡は認めた。その現実化のために待つことが、代助には求められるし、またそうしなければならない。それくらいの忍耐は必要だ。
倫理や道徳を犯している代助は、会う前にたとえ三千代が病死してしまっても仕方がないとあきらめるしかない。それができないというのは、平岡の尊厳を否定することになる。平岡を否定し、自分のエゴだけを貫こうとするのは、倫理や道徳を犯すよりももっと罪深いことだろう。
代助のエゴが許されるのならば、平岡が激高し、妻との不義をとがめて代助に危害を加えることも許されてしまう。むしろそちらの方が、倫理や道徳にかなっているとさえ言える。
代助くん「三千代ちゃんが好きなんだ。だからいますぐに僕にちょうだい」
平岡くん「わかった、いいよ。でも三千代ちゃんは今病気だから、それが治るまで待っててね」
代助くん「そんなのイヤだ! いますぐちょうだい!」
平岡くん「(なに言ってんねん。そんなのムリや……)」
現実的な話をすると、金のない代助に、三千代の治療代の十分な支出は困難だろう。就職して働いている平岡の方が、その点では有利だろう。
「苛い」のは代助の方だ。
代助は、三千代の回復を願って待つしかない。




