1 ですわ
『幻想のカラディシア』が、純文学〔文芸〕ランキングで第2位となりました。
お読みくださった皆様、評価や応援をくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
この作品では、ひとつの世界で生きる人々の、何気ない日常や営みを大切に描いていきたいと考えています。
これからも、カラディシアという世界を少しずつ広げてまいります。
引き続き、お楽しみいただけましたら幸いです。
よければブックマークと評価もお願いいたします。
モチベーションになります。
「ふっふっふ、また待ってるよぉ」
「ごちそう様でした〜」
「っした〜」
お会計を終えたヴィルテは、預けていたコートを受け取り、ウィルヴェルとともに店を出た。
からんころん。
背後でベルが鳴る。
途端に、冷たい風が頬を撫でた。
「さむっ」
「ねー」
ヴィルテはコートの前を合わせた。
時刻はすでに夕刻。
空にはまだ明るさが残っていたが、街には夜の気配が漂い始めていた。
建物の窓には次々と明かりが灯り、通りに面したカフェでは、店員がテラス席の椅子を片付けている。向かいのベーカリーからは焼きたてのライ麦パンの香りが漂い、通りを歩く若者が、紙袋から取り出したパンをちぎって友人に渡していた。
ちらほらと雪が降っている。
歩道の端には、昼間に降った雪が薄く残っていた。
ヴィルテは息を吐いた。
白かった。
「美味しかったですねぇ」
「ねー。ししょーの料理結構美味しいんだよね」
「また来たいです」
「来よ来よ」
ウィルヴェルはコートのポケットに手を入れ、肩をすくめた。
通りの向こうでは、キックボードを押して歩く若者たちが、何やら笑い合っていた。
建物の外壁に沿って設けられたムーヴァーには、買い物袋を提げた女性や、仕事帰りらしい人々が乗っている。
その隣を、毛糸の帽子をかぶった少年が小走りに追い抜いていった。
どこからか、温かいスープの匂いがした。
ヴィルテは鼻を鳴らした。
お腹はいっぱいだった。
それでも、美味しそうな匂いは美味しそうだった。
そのときだった。
「……」
ヴィルテは足を止めた。
店の少し先に、一人の女の子が立っていた。
十三歳くらいだろうか。
スウェーデン人らしい、整った顔立ちの少女だった。
灰色の瞳。
その虹彩には藍色の光輪が浮かび、さらに外側を琥珀色の光輪が取り囲んでいる。
魔法族だ。
少女は、こちらを見ていた。
いや。
睨みつけていた。
「……?」
ヴィルテは思わず、自分の後ろを振り返った。
通行人が二人、談笑しながら通り過ぎていった。
ほかには誰もいない。
もう一度、少女を見る。
やはり、こちらを睨んでいる。
「……」
ヴィルテは、とりあえず会釈をした。
「……ですわっ」
少女は何かを吐き捨てるように言うと、ぷい、と身を翻した。
そして、どこかへ歩いていった。
「……?」
ヴィルテは首をかしげた。
何だったのだろう。
見ると、少女は少し先で、一人の男性と手をつないでいた。
三十歳くらいだろうか。
人間の男性だった。
黒っぽいコートを着て、落ち着いた足取りで歩いている。
少女はその隣を歩きながら、何やら話しかけていた。
男性が顔を向ける。
少女が何か言う。
男性は少し笑った。
二人はそのまま、人の流れに紛れていった。
「……なんだろうね」
ウィルヴェルが言った。
「……ウィルヴェルさん」
「うん?」
「危なくないですか?」
「何が?」
「変ですよ。人間と魔法族、親子ってことはないでしょう」
「あー」
ウィルヴェルは、なるほど、という顔をした。
「リトアニアだもんね、ヴィルテちゃん」
「はい?」
「そんなことないよ。魔法族の遺伝子は優勢だから、両親のどっちかが魔法族でも、子どもは魔法族になる。ほぼ百パー」
「でも、あの子スウェーデン人ですよ」
「だね」
「あの男性はバスク系ですよ」
「うん」
「似てないじゃないですか」
「確かに」
ウィルヴェルはあっさり頷いた。
その間にも、二人の姿は遠ざかっていく。
街灯がひとつ、またひとつと灯り始めていた。
通りの角では、焼き菓子を売る屋台の店員が、小さな紙袋を客に手渡している。
「ありがとー」
「またねぇ」
甘い香りが、冷たい風に乗って流れてきた。
ヴィルテは、少女たちの背中を目で追った。
「ちょっと、後をつけましょう。事件の臭いがします」
「そう?」
「ぷんぷんします」
「ヴィルテちゃんって、ちょっと思い込み激しいよね」
「わたしの思い込みなら良いじゃないですか。万が一ってこともあります」
ウィルヴェルは、しばらくヴィルテを見た。
それから、小さく息を吐いた。
「……その考え方は、刑事になるわけじゃないなら捨てたほうが良いよ。正気を失うから」
「でも」
「何でもかんでも疑ってたら、きりがないって」
「そうですけど……」
ヴィルテは口を尖らせた。
ウィルヴェルはコートの襟を直した。
横を、買い物帰りらしい親子が通り過ぎていく。
母親が持っている袋から、長いネギが一本飛び出していた。
小さな男の子が、それを引っ張ろうとしている。
「だめだってば」
「ちょっとだけ」
「折れちゃうでしょ」
そんなやり取りが聞こえた。
ヴィルテは、その親子をちらりと見た。
それから、もう一度、遠ざかる少女たちを見る。
「……やっぱり、気になります」
「んー」
ウィルヴェルは、少し考えた。
「わかったわかった。じゃあ、後をつけてみよう。どうせ何もないから」
「本当ですか?」
「うん」
「早く行きましょう」
ヴィルテは歩き出した。
ウィルヴェルも、その後に続く。
雪が、また少し強くなっていた。
街灯の下を通るたびに、小さな雪片が橙色に浮かび上がる。
通りの向こうから、仕事を終えたらしい若者たちの笑い声が聞こえてきた。
店先では、エプロン姿の女性が黒板のメニューを書き換えている。
温かい料理の匂いと、濡れた石畳の匂いが混ざり合っていた。
ヴィルテは足を速めた。
しかし。
「……あれ?」
「ん?」
「あの二人、どこですか?」
女の子と男性の影は、かなり遠くになってしまっていた。




