3 お昼の時間
『それでねぇ、おっと、お昼の時間だねぇ。みんなは何を食べるんだい?』
ラジオヨハンナは、延々と喋っていた。
ヴィルテは、Rowena 7の画面を見つめた。
この人、いったいいつから喋っているんだろう。
調べてみると、ラジオヨハンナの視聴率は七十パーセントを超えているらしい。
「……」
七十パーセント。
国民の十人に七人。
それだけの人間が、あの声を聞いている。
ヴィルテは天井のスピーカーを見た。
『ふっふっふ、そうだねぇ。お昼ご飯は大事だからねぇ』
何がそうなのだろう。
レビューも調べてみた。
評価は高かった。
話題が豊富。
聞いていて疲れない。
意外と勉強になる。
人生相談が的確。
声が落ち着く。
ヴィルテは首を傾げた。
人生相談。
この人が。
ネガティブなレビューもあった。
『子供が笑い方を真似するようになりました』
「……」
ヴィルテは、レビューを見つめた。
『最近、うちの子が何かにつけて「ふっふっふ」と笑うようになりました。どうにかしてください』
「……」
ヴィルテは天井を見上げた。
『ふっふっふ、みんなお腹が空いているみたいだねぇ』
原因が喋っていた。
◇
正午を少し過ぎたころ。
ヴィルテは席を立った。
お昼になったらシリアルを食べよう。
そう決めていたのだ。
窓の外は相変わらずの猛吹雪だった。
雪は横向きに流れ、向かいの建物はほとんど見えない。ムーヴァーも停止したままだった。
しかし、店内は暖かい。
カウンターの向こうでは、店員がスマートフォンをいじっていた。
もう一人、調理場にも店員がいるらしい。先ほどから奥で何やら作業をしている。
ヴィルテはシリアルコーナーへ向かった。
十八種類。
透明な容器がずらりと並んでいる。
チョコレート味のシリアル。
コーンフレーク。
グラノーラ。
ドライフルーツ入り。
小さな輪の形をしたもの。
ヴィルテはしばらく眺めた。
「……」
昨夜は七種類を混ぜた。
美味しかった。
しかし、今回はもう少し考えてみよう。
せっかく十八種類もあるのだ。
ヴィルテはRowena 7でメニューを開いた。
サイズを選ぶ。
S。
M。
L。
LL。
XL。
XLL。
「……」
LL。
ちょっと大きい。
しかし、朝から蕎麦を二杯食べたきりだった。
もう昼だ。
お腹も空いてきた。
ヴィルテはLLを選択した。
支払いを済ませ、専用の紙カップを受け取る。
「ありゃっす」
「どうも」
店員はスマートフォンから顔を上げた。
「シリアル、あちらでおなしゃす」
「はい」
ヴィルテはカップを持って、容器の前に立った。
さて。
何を入れよう。
まずはコーンフレーク。
次にチョコレート味。
それからグラノーラ。
少し考えて、ドライフルーツ入りのものも加えた。
もう少し。
あと一種類。
「……」
ヨハンナなら何を入れるだろう。
そう思ったときだった。
背後で、自動ドアが開いた。
「寒っ!」
男が入ってきた。
厚手の上着を着ている。
帽子を脱ぎ、雪を払った。
続いて、女が二人。
さらに男が一人。
その後ろから、また人が入ってきた。
「いやあ、ひどい天気だね」
「外、見た?」
「見たくない」
「今日ずっとこれなのかな」
「知らない」
ヴィルテは振り向いた。
客が増えていた。
さっきまで、ほとんど誰もいなかったのに。
自動ドアがまた開く。
今度は親子連れだった。
その後ろから、さらに三人。
そして五人。
「……?」
ヴィルテは首を傾げた。
外は猛吹雪である。
いったい、どこから来たのだろう。
しかし、すぐに気がついた。
この建物だ。
カラディシアの一般的な集合住宅は、一階に店舗や公共施設などが入り、二階から四階が居住区画になっている。
このOic Cornerも、その一階部分にあった。
上の階には、巨大なアパートが広がっている。
つまり、彼らは外から来たわけではない。
上から来たのだ。
昼になったので、住民たちが階段やエレベーターを使って降りてきたらしい。
ヴィルテは納得した。
外が吹雪でも、同じ建物の中なら問題ない。
なるほど。
合理的だった。
「カップシリアルをくれ!」
男が言った。
「俺もだ!」
「ヨハンナカスタマイズで!」
ヴィルテは顔を上げた。
ヨハンナカスタマイズ。
何だろう、それは。
店員も顔を上げた。
「お客さん、さーせん。カスタマイズはセルフです」
「どうやって作ればいい!」
「シリアルコーナーにヨハンナカスタマイズのレシピがありゃーす」
「ありがとう!」
「俺もだ!」
「俺もカップシリアル!」
「蕎麦をくれ!」
「こっちも!」
「かき揚げ載せて!」
「海老天!」
「磯辺揚げ!」
「こっちは蕎麦二つね!」
「こっちは三つ!」
「シリアルL!」
「俺XL!」
「蕎麦、温かいやつ!」
「冷たいのある?」
「ありゃーす!」
「じゃあ温かいので!」
「……」
ヴィルテはカップを抱えたまま、店内を見渡した。
人。
人。
人。
いつの間にか、レジの前に列ができていた。
蕎麦の注文が次々に飛び交っている。
シリアルコーナーにも人が集まってきた。
さっきまで静かだった店が、突然賑やかになった。
ヴィルテは少し横へ移動した。
邪魔にならないように。
すると、目の前に小さな案内板があることに気がついた。
『ラジオヨハンナのお気に入り! ヨハンナカスタマイズ』
「……」
あった。
写真も載っている。
コーンフレーク。
チョコレート味。
グラノーラ。
それから、いくつかのシリアル。
混ぜる割合まで書いてあった。
ヴィルテは案内板を見つめた。
どうやら、ラジオヨハンナが番組で紹介した組み合わせらしい。
なるほど。
あのラジオ、こんなところにも影響を及ぼしているのか。
「ヨハンナカスタマイズってこれ?」
「そうそう!」
「チョコ多くない?」
「それがいいんだよ!」
「へえ」
隣で、住民たちが楽しそうにシリアルを選んでいた。
ヴィルテは自分のカップを見た。
すでに四種類入っている。
ヨハンナカスタマイズとは、少し違う。
「……」
まあ、いいか。
ヴィルテは五種類目を加えた。
自分の好きなものを食べればいい。
そう思った。
◇
「あざっす、あざっす、あざっす……」
カウンターの向こうでは、店員が忙しくなっていた。
「Lサイズ一つ、ありゃっす!」
「蕎麦二つ、かき揚げ一つ、海老天一つ、あざっす!」
「お会計、タッチおねしゃす!」
「次のお客さん、どぞ!」
「シリアルのLL!」
「あざっす!」
「こっちは蕎麦三つ!」
「あざっす!」
「ねえ、磯辺揚げって何?」
「海苔巻いて揚げたやつっす!」
「美味しい?」
「うまいっす!」
「じゃあそれ!」
「あざっす!」
店員は端末を操作した。
注文が次々に入る。
調理場では、もう一人の店員が蕎麦を作っていた。
湯気が上がっている。
麺を茹でる。
湯切りする。
器に入れる。
つゆを注ぐ。
具を載せる。
次。
また次。
手際がよかった。
しかし、注文の勢いが凄まじい。
「蕎麦二つ!」
「はい!」
「こっち三つ!」
「はい!」
「海老天追加!」
「はい!」
「磯辺揚げ!」
「はい!」
「……」
カウンターの店員が、ふと顔を上げた。
店内を見た。
行列。
シリアルコーナーにも人だかり。
テーブル席も埋まり始めている。
客が次々に入ってくる。
絶望的なほどの客入りだった。
「……」
店員は、調理場を見た。
相方が頑張っていた。
猛烈な勢いで蕎麦を作っている。
額には汗が浮かんでいた。
それでも、手は止まらない。
「……ふっ」
店員は小さく笑った。
「しゃーねー」
袖を少しまくった。
「ちょっと本気、見せますか……!」
「……」
ヴィルテは、その様子を見ていた。
なんか燃えている。
店員はレジに向き直った。
「はい次のお客さん! どぞ!」
「蕎麦二つ!」
「あざっす! トッピングは!」
「海老天と磯辺揚げ!」
「海老天、磯辺揚げ! ありゃっす! お会計タッチおねしゃす!」
ピッ。
「次どぞ!」
「シリアル!」
「サイズ!」
「L!」
「Lありゃっす! カップこちら! 次どぞ!」
「蕎麦三つ!」
「温かいのでよろしゃすか!」
「うん!」
「ありゃっす!」
速かった。
さっきまでスマートフォンをいじっていた男とは思えない。
次々に注文をさばいている。
しかも、妙に楽しそうだった。
「かき揚げ!」
「あざっす!」
「海老天!」
「あざっす!」
「磯辺揚げ!」
「あざっす!」
「蕎麦!」
「あざっす!」
「蕎麦!」
「あざっす!」
ヴィルテは、自分のカップを持って席へ戻った。
途中、客の間をすり抜ける。
小さな子供がいた。
母親の手を握っている。
「ふっふっふ」
「……」
ヴィルテは足を止めた。
子供が笑っていた。
「ふっふっふ、そうだねぇ」
母親が困った顔をしていた。
「その笑い方、やめなさい」
「ふっふっふ」
「もう」
「……」
ヴィルテは、子供を見つめた。
それから天井のスピーカーを見た。
『ふっふっふ、そういえばねぇ、食事の時間って大切だと思うんだよ』
原因が喋っていた。
まだ喋っていた。
◇
ヴィルテは席に座った。
カップシリアルのLLサイズ。
なかなか大きかった。
スプーンを手に取る。
ひと口。
さくさく。
「……」
美味しい。
チョコレート味が少し強い。
しかし、悪くなかった。
もうひと口。
さくさく。
窓の外は、猛吹雪だった。
相変わらず、雪が横向きに流れている。
しかし、店内は賑やかだった。
客たちの話し声。
注文を受ける店員の声。
調理場から聞こえる湯切りの音。
食器の音。
そして、ラジオヨハンナの声。
『ふっふっふ、みんな何を食べてるんだい?』
コメント欄には、食べ物の名前が並んでいた。
蕎麦。
シリアル。
ハンバーガー。
サンドイッチ。
おにぎり。
パスタ。
カレー。
『いいねぇ、みんな美味しそうなものを食べてるねぇ』
ヨハンナは楽しそうだった。
『ふっふっふ。食べたいものがあるって、幸せなことだよねぇ』
ヴィルテはシリアルを食べた。
さくさく。
『ところでねぇ、みんなは、好きなものを最後に食べるタイプかな? それとも最初に食べるタイプかな?』
コメントが流れる。
『ふっふっふ、なるほどねぇ』
かちかちかち。
画面の中のラジオヨハンナは、相変わらずマウスを操作していた。
何をしているのだろう。
ヴィルテは少し気になった。
しかし、シリアルを食べる方が重要だった。
さくさく。
甘い。
美味しい。
店内では、相変わらず注文が飛び交っている。
「蕎麦二つ!」
「あざっす!」
「海老天!」
「あざっす!」
「カップシリアル!」
「あざっす!」
「ヨハンナカスタマイズ!」
「セルフでおなしゃす!」
「ありがとう!」
「あざっす!」
ヴィルテはスプーンを止めた。
「……」
この店、普段からこうなのだろうか。
朝はあんなに静かだったのに。
同じ建物に住んでいる人たちが、一斉に昼食を食べに来る。
それだけのことなのだろう。
しかし、これほど人が集まるとは思わなかった。
ヴィルテは周囲を見渡した。
仕事着の男。
部屋着の女。
子供連れの家族。
年配の夫婦。
若い学生らしい人々。
みんな、それぞれ好きなものを食べている。
蕎麦を啜る人。
シリアルを混ぜる人。
スマートフォンを見ながら食べる人。
隣の人と話している人。
誰も、外の吹雪を気にしていなかった。
いや、気にはしているのだろう。
しかし、だからといって昼食を食べないわけにはいかない。
ヴィルテは窓の外を見た。
白い。
何も見えない。
そして、シリアルを食べた。
さくさく。
「……」
そういうことか。
外がどうなっていようと、お昼は来るのだ。
◇
混雑は、一時間ほど続いた。
午後一時を過ぎるころには、客の数も少しずつ減っていった。
食事を終えた住民たちが、上の階へ戻っていく。
「ごちそうさま!」
「あざした!」
「美味しかったよ!」
「あざっす!」
「また来るね!」
「あざしたぁ!」
自動ドアが開く。
閉まる。
また開く。
そして、ようやく静かになった。
「……」
カウンターの店員は、店内を見渡した。
客は、数えるほどしか残っていない。
テーブルも空いている。
シリアルコーナーにも、もう行列はなかった。
「……ふう」
店員は息を吐いた。
そして、カウンターに両手をついた。
「……終わった」
調理場から、もう一人の店員が顔を出した。
「お疲れ」
「おつかれっす……」
「すごかったね」
「やばかったっすね……」
「蕎麦、何杯出た?」
「知らないっす……」
「だよね」
二人は笑った。
カウンターの店員は、椅子に腰を下ろした。
そして、スマートフォンを取り出した。
「……」
ヴィルテは、その様子を見ていた。
戻った。
さっきまでの店員に。
あの猛烈な勢いは何だったのだろう。
ヴィルテは少し考えた。
まあ、仕事が終わったのだから、いいのだろう。
自分のカップを見た。
空だった。
LLサイズ。
全部食べた。
「……」
なかなかの量だった。
お腹がいっぱいになった。
ヴィルテは紙カップを回収箱に入れた。
席へ戻る。
窓際の椅子に腰を下ろした。
外はまだ猛吹雪だった。
帰れそうにない。
ヴィルテはRowena 7を開いた。
ラジオヨハンナのライブ配信。
まだ続いていた。
画面の中では、ヨハンナが喋っている。
『ふっふっふ、みんな、お昼ご飯は食べられたかな?』
「……」
ヴィルテはカウンターを見た。
店員はスマートフォンをいじっていた。
少し疲れた顔をしている。
『いいねぇ、食べられた人が多いみたいだねぇ』
ヨハンナは嬉しそうだった。
『ふっふっふ。美味しいものを食べると、元気が出るからねぇ』
店員は天井を見上げた。
「……」
少し考えた。
そして、小さく呟いた。
「……おかげさまで」
ヴィルテは、店員を見た。
店員は、もうスマートフォンに視線を戻していた。
『ふっふっふ、さて、午後は何の話をしようかねぇ』
ラジオヨハンナは、まだ喋るつもりらしかった。
ヴィルテは頬杖をついた。
窓の外では、雪が横向きに流れていた。
午後一時。
カラディシアの猛吹雪は、まだ終わりそうになかった。




