一話目
僕の住んでいる街は特に見所もなく、ハイキング出来る山も無いし青春のエネルギーの捌け口たる海も無い。胸を張って誇れるのは市内最大の中央図書館があることくらいだった。本好きの僕には嬉しいことだが、この喜びを享受してる人は少ないだろう。各駅停車しか止まらない、そんな特徴の無い町だった。
しかしこんな町にはそぐわない異質の存在がいた。隣のアパートに住む美大生のコハルさんだ。育ち盛りの僕より目線が少し高いので身長は175センチくらいだろうか。運動部に所属してるわけでもないのに短いその髪型は、彼女の小顔によく似合っていた。もちろん本人に口を滑らそうなら、数週間はそれを肴にやいやい言ってくるので、機密を握る外交大臣のように心の中に押し込める。
そんな彼女は持つのは見目麗しい見た目だけじゃなく、文字を操る才能を持っていた。少し突飛な表現ではあるが、決して安易なメタファーというわけではない。この世にある何らかの平面に記されてる意味のある記号なら彼女は全て意のままに操れた。それゆえ彼女は消しゴムや修正液といった時を消す道具を使うことはない。というのも書き間違えも彼女の指が紙面を滑るだけで、まるで元々白紙であったかのようにきれいさっぱりなくなってしまう。なんでそんな人がこんな町のワンルームの部屋に住んでいるのかは不思議であるが、まあ超能力者並の悩みでもあるのだろう。目立つと国家公安委員会に連れ去られ、国立研究所で解剖されてしまうみたいな。自由奔放な彼女は超能力を持ち合わせていなかったとしても、考えてることなんてわかるわけもないけど。
ほんの少し西日が緩くなった夕方頃、エナメルバッグを抱えている肩がじっとりと汗ばんで、その不快感に顔をしかめつつ高校から帰ると、彼女はベランダで手すりに頬杖をついて空をぼんやりと眺めていた。
「こんにちは。」
「ああ、おかえり。」コハルさんは腹話術師のように、唇を動かすこともなく挨拶を返した。冷凍庫に入れ損ねたラクトアイスみたいな顔をしている。「どうしたんですか?熱中症になりますよ?」
「大丈夫私サウナ1日入れるから。」
「寝言は寝てから言ってくださいよ。夢遊病ですか。」コハルさんはそうだねぇと呟いて手すりにぐでっと崩れるが、手すりの熱さを思い出し、のろのろと戻る。長時間そうやってベランダでぐだぐだしていたせいか、白いTシャツから伸びるコハルさんの腕はほんのりと赤くなっている。日焼け止めを塗るなんて、考え事で手一杯の脳みそでは考えが及ばなかったのだろう。
「もう夕方ですよ。家に入りましょうよ。」
「そうだね。あぁ夕焼けが綺麗だよ。」
「Tシャツを夕焼けで染める気ですか?」
「寝言は寝て言おうね。」ふへっと笑って、いたずらめいた笑みを向けてくる。こんなやりとりを続けていたらこちらが熱さでやられてしまいそうだ。降参の意も込めて僕は自宅の玄関の扉を開ける。横目で見えたコハルさんは先ほどと同じ格好で夕焼け染めにいそしんでいる。
「ただいま。」




