第4話 変わり経る二年の月日①
「いいんですか? 私の旅なんかについてきてもらっちゃって」
オットーとしてはかなり勇気を込めて、どのような返答が返ってくるのかを頭の中でぐるぐると考えながら、臆病に待っていたというのに、サンの答えは実に簡単だった。
すでにオットーが旅に参加することを受け入れていて、逆に『自分でいいのか』と問いかけられてすらいる。
てっきり同行を嫌がられたり、表面上は頷きつつも嫌な顔をすると思っていた。というより、それが正常なはずだ。
「い、いいのかい……こんなおじさんが旅についていっても……」
「全然! 私としては大歓迎ですよ! 逆に旅の道中、さまざまなお話を聞けるのではないかと期待に胸を膨らませております!」
本を胸に抱いて目を輝かせながら言う、彼女の姿からは裏表を感じない。真にオットーの同行を喜んでいる様子だった。彼女の一人旅は時に寂しく、心細く、しかしだからこその楽しみもあったはずだ。オットーが同行することで幾つかのメリットが得られるとはいえ、果たして彼女の旅をより良いものにするだけの、メリットを与えられるだろうか。
重りにならないだろうか。
「オットーさん」
サンはオットーの表情から、彼が何を考え、何に悩んでいるかを察したのだろう。
きっぱりと自分の意見を伝える。
「一人の旅も楽しいものでした。だけど女の一人旅です。面倒ごとに絡まれることは多々ありました」
サンからオットーに求めるものは単純だ。
「あなたが隣にいてくれたら抑止力になってくれると思い、提案を受けました。私は『魔術師』なので『戦士』のあなたがいてくれたら、問題ごとに対処しやすいというのも理由の一つです」
だけど、とサンは付け加える。
「何よりも、あなたと私のために引き受けました」
オットーがサンの旅に同行するのは、何も彼女を守るためだけではない。というより、それは副次的なものだ。本来の目的は『剣聖の元へ行く』というもの。そしてサンの目的は『剣聖の元へ行く』ことだ。そして『オットーから歴史書を編む上で必要な話を聞く』というものもある。
二人の利害は完全に一致していた。
「ですので、『剣聖』様のところに行くまでの旅ですが。よろしくお願いします」
サンが手を差し出す。
オットーは手のひらを少しだけ見つめて、僅かに悩んだ後、手を握り返した。
「こちらこそ、こんなおじさんでよければ。これからよろしくお願いするよ」
◆
旅に出ることそのものは、二人の間ですぐに決まった。だが、いつ出発するか、という段になって、話は少しばかり長引くことになる。
「商人の馬車を待つ、という手もあるが……」
オットーがそう切り出すと、サンは少し考えるように、顎に指を当てた。
「あの行商人の方が来るのは、確か一週間後でしたよね。それに、荷台は大抵荷物でぎゅうぎゅうですし……乗せていただくにしても、あまり多くは望めないかもしれません」
「だったら、馬車を待つのはなしだな。それに、一週間も待っている理由はない」
二人の意見は、すぐに一致した。ならば、支度が整い次第、今日のうちに出発しよう、ということになる。
「とはいえ、近くの町までは、どう急いでも一日以上はかかる。どのみち、道中のどこかで野宿することにはなる」
「今日のお昼ごろに出れば、明日の夕方には着けそうですね。それとも、今夜はここでゆっくり休んで、明日の朝に発つ、という手もありますが」
その場合は、着くのが明後日の昼前になる。結局、一晩は野宿することになるのは、どちらを選んでも変わらない。
であれば、一日でも早く着ける方がいい。今日の昼に発ち、途中で一泊し、明日の夕方には町に着く――そちらの案で、話はまとまった。
畑については、いずれにせよ、長旅をするのならまともに手入れなどできはしない。心残りではあったが、諦めて放っておくほかなかった。幸い、旅に持っていく荷はさほど多くはない。支度は、思いのほかあっという間に整った。
こうして二人は、その日の昼過ぎには、もう町へ向かって歩き出していた。
「一人で歩く野山も、それはそれで楽しいものでしたが……こうして隣を歩いてくださる方がいるというのも、なかなか楽しいものですね」
「気の利いたことは、あまり言えない性分でね。だが、そう言ってもらえると、悪い気はしないよ」
サンは、後ろ手を組んだまま、「ふふふん」と鼻歌まじりに、軽い足取りで歩いていく。
「なんだか、少し昔を思い出しますね」
滅び去った故郷《マグノリア王国》から逃げのびたあの日、サンは『魔法使い』と共に、あてどない旅を続けた。旅の道中では、実にさまざまな人々と巡り合い、彼らがそれぞれに何を思い、何を目指して生きているのかを、その目で見てきた。時には戦地に足を踏み入れ、時には『蛮勇』同士がぶつかり合う様を、すぐ間近で目撃したこともある。『魔法使い』のかつての仲間たちのこと、そしてこの『百年戦争』が始まった、そもそもの発端について――そうした話の数々を聞くたびに、サンの中では、いつしかひとつの思いが、確かな形を成していった。
この戦争を、正しい形で、後の世に伝えなければならない。
今、こうしてオットーの隣を歩きながら、サンは改めて、その決意を胸の内で新たにしていた。
しばらく歩いたところで、ふと何かを思い出したように、サンが声を上げる。
「そういえば――『アシュ』という傭兵について、ご存知ですか?」
「『アシュ』……?」
「はい。私が『魔法使い』様と旅をしていた頃、護衛をしてくださっていた傭兵の方です。年齢も、私と近いくらいで……戦争が終わる少し前まで、ご一緒していました。今は、どこにいらっしゃるのか分からないのですけれど」
オットーには、『アシュ』というその名に、どこか聞き覚えがあるような気がした。だが、それが誰であったのか、どのような人物であったのかまでは、どうにも思い出せない。
同じ傭兵として、数々の戦地を渡り歩いてきたオットーであれば、これまた各地を転戦してきたであろう『アシュ』と、どこかで顔を合わせているのではないか――サンは、そう考えてこの名を出したのだろう。だが、あいにく、そこまで都合の良い偶然は起こらなかったらしい。
(いや……。どこかで、忘れてしまっているだけかもしれないな)
オットーも、それなりに歳を重ねている。これまでの記憶のすべてを、鮮明に覚えているわけではなかった。
「『剣聖』の時もそうだったが……こう頼ってもらっているのに、力になれず、すまないね」
「いいんですよ、全然! これは、その……個人的なことですから」
「あれ、歴史書のための話では、なかったのか?」
『アシュ』という人物の名を持ち出したのは、当然、歴史書づくりの一環であろうと、オットーはてっきり思い込んでいた。だが『個人的なこと』というのであれば、話は違ってくる。
「い、いやいやいや?!」
オットーが不思議に思って首を傾げると、サンは慌てた様子で、大きく首を横に振った。
「歴史書を編むためにも、『アシュ』さんのお話は必要ですから……! そういう意味です、はい!」
どこか、言葉の順序がおかしいような気もしたが、オットーはそれ以上追及せず、ただ小さく微笑むにとどめた。
「いや、すまなかったね。昔、旅を共にした相手に、ふと会いたくなる――それは、ごく普通の気持ちだと思うよ。私にだって、昔別れたきりの奴に、会いたくなる時はある」
『アシュ』という、かつて旅を共にした相手に会いたいと願うのに、これといった理由など、本来はいらないはずだ。歴史書づくりという目的が、時にその後ろに退くことがあったとしても、何もおかしなことではない。
(ただ――)
オットーは、慌てて顔を赤くしているサンの様子を、横目でちらりと窺った。
『アシュ』のことを話す時のサンは、心なしか、とても楽しげに見えた。人の感情の機微には、あまり聡いとは言えないオットーであっても、彼女の中にある感情の輪郭くらいは、なんとなく察せられる。
「そうかい。だったら、いつか会えるといいね」
どこか見守るような、あるいは応援するような、そんな視線を向けられていることに、サンは敏感に気づいてしまったらしい。
「い、いや、なんか、勘違いしてませんか?!」
「なにが?」
「なにが?――じゃないですよ!」
サンが、オットーの服の袖をぎゅっと掴んで、ぶんぶんと揺さぶった。
もっとも、その勢いだけで、オットーの中に生まれた誤解を解くことは、どうやら難しそうであった。




