第3話 束の間の平和を抱く③
「僕が、初めて『戦争』というものに触れたのは――」
そこで一度言葉を切ると、オットーは遠い目をして、記憶の糸を手繰り寄せるように、ゆっくりと語り始めた。
「僕の生まれた村は、とある二人の『蛮勇』の諍いに巻き込まれてね。跡形もなく、消えてしまったんだ」
名も知らぬ二人の蛮勇が、それぞれの信条か、あるいは私怨か、いずれにせよ何かしらの理由でぶつかり合い、その余波が、たまたまその場にあっただけの、何の関わりもない村を呑み込んだ。
後に聞いた話だが『雲泥』と『冥楼』の二人だったらしい。もう二人とも戦の中で死んでしまったし、復讐しようと思ったこともない。
「親も、友達も、頼れるものは何一つ残らなかった。だから――鎧すら着られないまま、戦争に身を投げ出すことになった」
戦争孤児として最初に加わった戦は、帝国と、小国ボルドーとの戦であった。オットーは、ボルドー側についた。もっとも、そこに深い理由などなかった。強いていえば帝国側が傭兵の募集を行っていなかった、たいうだけだ。
「もうね、子供ながらにあれは駄目な戦だと思ったよ。今でも覚えてる」
数においても、質においても、帝国はボルドーを大きく上回っていた。結果は、聞くまでもなく、圧倒的な負け戦であった。鎧もなく、まともな武器すら持たぬまま、少年だったオットーは、ただがむしゃらに戦場を駆け抜けた。倒れた者の骸から剣を拾い、穴だらけで凹みだらけの、ぶかぶかの兜を頭に被った。それが、彼にとって初めての『武装』であった。
「あの負け戦で、大半の傭兵は死んだと思うよ。それでも、俺はどうにか生き延びた」
次に加わった戦では、勝った――ように記憶している。うだるように暑い、夏の盛りであった。照りつける太陽の下、乾いた砂漠の上で、飲み水にも飢えながら、来る日も来る日も剣を振るい続けた。
そうして幾つもの戦を渡り歩くうちに、それまで何も持たなかった手には、いつしか一振りの剣が握られるようになっていた。柔らかかった手のひらは剣ダコができて、体には幾つもの切り傷が刻まれた。身にまとうのも、拾い物の兜ひとつではなく、それなりに形を整えた鎧になった。
少年から青年へと変わっていくのと同じように、戦を経るたびに、オットーもまた、少しずつ、傭兵らしくなっていったのである。
「私が傭兵になって五年ほど経った時かな……ある戦地で『剣豪』に会った。蛮勇と口を利いたのは、あれが初めてだったかもしれない。彼には色々と教えてもらったよ。剣のこと、戦のこと、それから――」
そうだ、とオットーは何かを思い出したかのように、声を上げる。
その時、平坦だった彼の声色には彩りがあるように思えた。
「『剣豪』と『剣聖』の一騎打ち。セフィランの丘で、あの二人の戦いを、僕は見ていたんだ。あの場にいたんだよ」
オットーがそう言った途端、それまで淀みなく動き続けていたサンの手が、ぴたりと止まった。ペンの尻で本を数回、トントンと叩くと、何かに気づいたように声を上げる。
「お話の途中、失礼します」
「どうしたんだ」
「その『剣豪』様と、面識がおありなのですよね」
「まあ……そこまで親しい仲ではなかったけれどね」
「でしたら――あの」
サンが懐から、一枚の手紙を取り出した。
「私は、この手紙に書かれていたことを頼りに、ここまで参りました」
「……?」
言われていることの意味がすぐには呑み込めず、オットーは首を傾げながら、手紙を受け取り、中身に目を通す。
それは『セフィランの戦い』で『剣豪』を打ち破ったという『剣聖』から、オットー宛てに送られた手紙であった。曖昧ながらも、オットーの居場所らしきものが記されている。この山小屋は、ほとんどの人間が知らず、唯一の接点である行商人でさえ、正確な家の位置までは把握していない。
それにも拘らず、こうしてサンがここまで辿り着いたことを、オットーは内心不思議に思っていたのだが、この手紙を見せられれば、なるほどと納得がいく。
「この手紙を、どこで……」
「ある方から、お預かりしました。手紙の状態からもお分かりの通り、書かれたのは一年ほど前らしいのです」
「失礼、そのある方、というのは」
「マチルダ商会という、戦後にできた商会の会長、マチルダ・ウォン・ヴィヴィアン様です。彼女には、私の歴史書づくりを、色々とお手伝いいただいております」
手紙は、そのマチルダ商会が一年ほど前、難破した船からどうにか引き揚げた荷の中に紛れ込んでいたものらしい。
「どうりで……妙にシミができていると思ったよ」
たかだか一年前に書かれた、というだけでは、これほどまでに手紙が傷むはずがない。インクはあちこちでにじみ、紙そのものも、湿気を吸って波打つように硬くなっている。妙だとは思っていたのだ。
「しかし、なぜ……『剣聖』が、俺なんかに」
蛮勇の中でも、もっとも名の知れた存在と言ってもいい『剣聖』が、自分のような一介の傭兵に手紙を寄越す理由が、オットーにはまるで分からなかった。そして、その理由らしきものは、手紙のどこにも書かれていない。
「来てほしい、か」
手紙には、『剣豪』を知るオットー殿に、ぜひ自分の道場まで足を運んでほしい、という旨だけが記されていた。なぜ来てほしいのか――その肝心の部分は、どこにも見当たらない。もとから書かれていなかったのか、それとも滲んだインクの中に紛れてしまったのか、あるいは、破れて欠けたこの部分にこそ、書かれていたのか。いずれにせよ、オットーには判断のしようがなかった。
「実は……」
思い悩むオットーの隣で、サンがぽつりと呟いた。
「私がここを訪れたのは、あなたにお話を伺うためだけでは、ないのです」
「……?」
「歴史書を編むにあたって、『蛮勇』の方々――とりわけ『剣聖』様からは、どうしてもお話を伺わなければと考えておりました。ですが、『剣聖』様の詳しい居所までは、分かりませんでした。もしかしたら、こうして手紙をいただくほど親しいオットーさんなら、ご存知かもしれないと思っていたのですが……」
手紙を送られた理由すら分かっていない様子のオットーを見れば、彼が『剣聖』の居場所など知りようもないことは、火を見るより明らかだった。
「それはすまない……。私は、どうやら力にはなれそうにないな」
「あ、いえ、いえ! 全然、そんな」
慌てて両手をぶんぶんと振ると、サンは、恐縮しきったように頭を下げようとするオットーを、逆に押しとどめるようにして制した。
「これは、私が勝手に期待していただけのことですから」
「そ、そうかい……?」
オットーは、それでもどこか釈然としないものを感じていた。目の前のこの娘は、たった一人で、あの手紙だけを頼りに、こんな辺鄙な山奥まで足を運んできたのだ。もし自分がその手掛かりにすらなれなかったのだとすれば、これから彼女は、いったいどうやって『剣聖』のもとへ辿り着くつもりなのだろう。
「じゃあ『剣聖』のところへは、どうやって行くんだ?」
「それは、まあ……頑張ります! 大体の場所は、分かっていますので!」
『剣聖』は『地図の空白地帯』と呼ばれる、旧マグノリア領の一角に道場を構えているらしい、ということまでは分かっていた。戦後の領土問題によって、マグノリア領のほとんどは、アルトリア王国をはじめとする周辺国によって分割されたが、マグノリア復興派、あるいは建国派といった勢力の存在ゆえに、いまだどの国の領土とも定まらない地域が、いくつか残った。地図の上では、それらはただ白く塗り残され、便宜的に『空白地帯』と呼ばれている。『剣聖』は、その空白地帯のいずれかに、身を置いているのだという。
「ひ、一人で行くつもりかい? そんな危険なところに」
「はい。こう見えても、戦えますので」
サンは腕を振り上げて上腕二頭筋を見せつけるようなポーズをとっている。
そういう問題じゃないんだけどな、とオットーは困惑した顔のまま、内心で呟いた。
『地図の空白地帯』とは、要するに、いずれの国の法も及ばぬ、無法地帯にほかならない。腕に覚えがあろうとなかろうと、二十歳前後の娘がたった一人で足を踏み入れていい場所では、断じてなかった。
(ただ……)
サンは、あくまで軽い調子でそう言ってのけたが、その物言いの裏に、確かな覚悟のようなものが滲んでいるのを、オットーは感じ取っていた。祖国を喪い、それでもなお、真実を後世に残すという一事のために、たった一人で、あてどない旅を続けている娘なのだ。危険を承知の上で、それでも行くと決めているのだろう。
自分に何ができるわけでもない、とオットーは思う。事実、『剣聖』の居場所も知らなければ、この手紙に何を望まれているのかすら分からない、ただの役立たずだ。
それでも――と、胸の奥で何かが疼いた。
一年も前とはいえ、あの『剣聖』が、わざわざこの自分を名指しで招いている。理由は分からずとも、それは紛れもない事実だ。長らく、人と関わることから逃げ続けてきた自分に、もう一度だけ、外の世界と関わる機会が差し出されている――そう考えることも、あるいはできるのかもしれない。
それに、目の前のこの娘を、このまま一人で、あの無法の地へ向かわせてよいものか。功も罪もまみれにしてきたこの手で、せめてもうひとつくらい、意味のあることができるのなら。人を守るために剣を振るったことなど、これまでの人生で一度もなかった。だからこそ、その真似事をすることが、ほんのわずかでも、これまでの罪滅ぼしになるのではないか――そんな、自分でもどこか偽善じみていると分かっている考えが、頭の中を巡っていく。
いや、と男は思い直す。これは罪滅ぼしなどという、綺麗な話ではないのかもしれない。ただ単純に、このまま何もせず、また一人で山にこもるだけの日々に戻ることに、耐えられなくなっただけなのかもしれなかった。
理由はどうあれ、いくつもの想いが胸の中でせめぎ合った末に、オットーの口から出た言葉は、至って単純なものであった。
「その『剣聖』のところへ行く旅、もしよければ、俺も同行させてもらえないだろうか」




