「戸口」(6)
灰色の海は、はかなげに波音を歌っていた。
井須磨海岸……
砂浜ぞいには、多くの建物が並んでいる。旅館、ホテル、遊戯施設……いまはどれも営業しておらず、人っ子ひとりいない。
観光客ばかりか、経営者までもがこの近辺に寄り付かなくなったのは、時代が不景気に転じると同時だった。
採算的に管理しきれず、見捨てられた建物たちは、ろくに取り壊しもされないままゴーストタウンを形成して、ただ潮風にさらされるばかりだ。
ナコトたちが目的とする廃ホテルは、たしかにあった。
まわりの建物にくらべ、ひときわ大きい。十階建て以上はある。一昔前はさぞ、贅沢な宿として名を売っていたに違いない。外観等の特徴も、スグハの説明どおりだ。
ホテルは無論、あらゆる場所が施錠されていたが、それはテフが進んで解決した。扉に鍵穴があれば、ぴったり形状の一致する鍵に化ける。さもなくば、ナコトがいまにも、馬鹿力で蹴り開けてしまいそうだったからだ。
部屋の数は、うんざりするほど多かった。
ネズミや害虫のほかには、いきものの気配はない。踏むたびにホコリを舞わせる高級カーペットの床と、あちこちに張った蜘蛛の巣が、ことさら寂寥感をあおる。
ひととおり館内を調べ終えて、ナコトとテフは一階のロビーへ降りた。
「おかしな魔法陣や呪力の痕跡、魔術装置や異界の薬品のたぐいもなし。ほんとうにハスターはここにいたのだろうか、テフ?」
「〝なにか〟はいたんだろ。おまえの弟の記憶が正しけりゃ、な。そいつは、なにかしら差し迫った事情があってここを捨てた。そのときついでに、荷物になる人間も置いてったって寸法さ。とにもかくにも、こりゃシロだ」
いまはもう走っていないシャトルバスの運行表が、受付に置き去りにされていた。
その表面をそっと指でなぞりながら、ささやいたのはナコトだ。
「敵は、いないんだな」
「ああ。最後の仕事も終わりだ。もう敵を探す必要も、待ち構える必要もねえ……帰ろう」
暗がりから、足音が聞こえたのはそのときだった。
「……!?」
振り向いたナコトの瞳は、おどろきに見開かれている。
ロビーの中央、階段のいちばん上に、人が立っているではないか。
あれはだれだ?
いや、そんな、まさか……ナコトはその名をさけんだ。
「スグハ!?」
階下の姉をじっと見下ろしながら、染夜優葉は笑った。
「夢の終点へようこそ……染夜名琴」