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スウィートカース(Ⅲ):二挺拳銃・染夜名琴の混沌蘇生  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第四話「戸口」
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「戸口」(7)

 ナコトの両手に、魔法のごとく二挺の拳銃があらわれた。


 その眼前で交叉した銃口は、即座に階段のスグハを狙っている。


 一方のスグハは、歯を剥いて笑ったままだ。


 こんな悪魔めいた笑顔の弟は、ナコトの記憶のどこを探してもいない。いない、いない、いない。そのはずだ。


 小首をかしげて、スグハはスグハの声でささやいた。


「なんとも便利ではないか、その銃。実の弟をも照準に収めてみせるとは。おお、思い返せば、染夜名琴。親しい間柄の者を撃つのは、これが初めてではなかったな。くく、失敬失敬」


 歯をくいしばり、ナコトは糸のように目を細めた。まるで拳銃の標的が、幻であることを見破ろうとするかのようだ。


 押し殺した声で、ナコトはたずねた。


「明日には会えると約束したはずだ、スグハ。わたしが嘘をつくように見えるか? おまえは、こんなところにいてはならない。いていいはずがない。いるはずがない」


「もはや終わったのだよ、喜劇の時間は。これからおまえは劇場を出て、現実という名の腐海に産声をあげる。頭の片隅ではとうに察していよう。わたしが、なんであるか」


 いやだ、信じたくない、悪い夢であってくれ……ナコトの頬には、冷たい汗がひとすじ線をひいている。


 ついにスグハは、階段を降り始めた。一段一段、なぶるように、ゆっくりと。


「ハスター……」


 かすかに震えだしたナコトの手もと、うなったのは拳銃に化けたテフだ。スグハに憑依した邪悪……〝名状しがたきもの〟ハスターに対して問う。


「その体にはひとかけらも、おまえの足跡なんざ残ってなかった。おまえが殺った、ナコトの弟をまねた偽物のはずなのに……なんでだ?」


「ナイアルラソテフ。染夜の家族をすべて処分したと、わたしは一言でも言ったか? わたしの麗しき内臓の世界〝冥河の戸口ゲート・オブ・ステュクス〟から数年ぶりに解き放ったこれは、まさしく真の染夜優葉。なんの細工もほどこしてはいない。つまり、ただの人間だ」


 階段を降りきり、スグハ、いや、ハスターは静かにナコトの前に立った。


 そのまま、ナコトの拳銃に手をそえたかと思いきや、ああ。


 ハスターは、みずからの眉間にその銃口をあてがったではないか。さも楽しげに続ける。


「一点、補足だ。おまえの父と母に関しては、あの時点で、遅滞なく宇宙の果てに放り出した。絶対的なエーテルの満ちる真空に、生身で送り込まれた人間がどうなるかは想像に難くあるまい? くく、案ずるな。もがき苦しんだのは、ほんの十七秒ていどよ」


 噛みしめすぎたナコトの唇からは、細く血が流れている。


 わずかに揺れるその瞳を、ハスターはじっと覗きこんだ。


「憎かろう? 呪わしかろう? であれば早く撃ちたまえ。ひきがねを引いて、念願の復讐を果たせ。正義を遂行せよ。弟の血と脳漿を味見するのだ。さあ!」


 かたかた震えるナコトの手の中で、テフはうめいた。


「ナコト、いったん退け……いまはどうにもならん」


 青い顔で、ナコトは首を振った。


「いま逃げれば、スグハは殺される……確実に」


 ハスターは笑った。


「目を覚ませッッ!! スグハぁぁぁッッ!!」


 ナコトが絶叫した瞬間、すさまじい光景が展開された。


 顔に、体に、手足に……猛烈ないきおいでナコトを覆い隠したのは、おびただしい数の蝶だ。


 そう。蝶。この世ならざる真っ黒な羽の蝶、蝶、そして蝶。それらはすべて、ハスターの足もとに広がったどす黒い影から吐きだされている。


 ばりばりと響いたのは、ナコトの全身が食いちぎられ、骨が噛み砕かれる音に違いない。


 そのおぞましいなにかの名を、ハスターはうっとり告げた。


「〝冥河の戸口ゲート・オブ・ステュクス〟」


 あれよあれよのうちに、ナコトの姿は消えた。


 かぞえきれぬ呪力の蝶の群れに引っ張られ、穴へ落ちるようにハスターの影に飲みこまれたのだ。


 だが、その直前、ナコトの手がなにかを放り投げるのを、ハスターは見た。


 ガラスの割れる耳障りな音。最後の力で投じられたナイアルラソテフの拳銃は、廃ホテルの窓を突き破り、闇のどこかへ消えてしまっている。


「子機だけでも外へ逃がしたか……だが、そんな卑小な姿ではどうにもなるまい、ナイアルラソテフ。おまえの本体は、いまだ染夜名琴の中にある。たしかにいただいたぞ、赤務の地を守る結界」


 悪夢そのものを凝縮した影……〝冥河の戸口ゲート・オブ・ステュクス〟から不規則にふきあがるナコトの血を眼下に、ハスターは大きく両手を広げた。


「まえに言ったな。希望と絶望を等しく与えると。後者の番だ。これからは、ずっと」


 暗い雲のはざまで、雷鳴がこだましつつあった。

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