061.結界で殴れ
高速と低速の鉛玉が複雑に入り交じる嵐の中、オルビスは時に爪で弾き、時に身を捻って攻撃を避けていた。銃を向けるアンドリューへと機を伺っては攻撃を仕掛けるが、その度に樹林空中を軽やかに舞うケモミミ族の少女が邪魔をしていた。
“精神と感覚を支配する魔法”を得意とするロロットが「勇気づけ」の魔法を掛けたためか、ジュジュは戦場の恐怖を物ともしていない様子だ。おかげで先ほどからの彼女の働きぶりは凄まじい。アンドリューだけでは抑え切れていなかったオルビスが、彼女が参戦したことでじわじわと押されてきている。
今もまさに『絶爪』の片爪を振り上げた際、隙のできた脇腹にジュジュの拳を受けていた。
「うっぜぇんだよォォォォ!!!!」
額に青筋を立てたオルビスが、背中の第三の腕、禍々しき黒き鉤爪を彼女へと振るうも、ジュジュは近くの樹木に足を掛け、上へと跳んで逃げていく。空しくも虚空を切り裂いたオルビスの脳天を、上空に移動したジュジュが両の拳で思い切り叩き付けた。
その拳は、おれが力の限りを込めた結界を纏っていた。触れた物を弾く反発力があるのが結界だ。要するに、今のジュジュのパンチは抜群に破壊力が高かった。
「————ッ!」
まともに受ければ、同化した鬼といえど無傷ではいられまい。
案の定、彼は体勢を崩し、地面に片膝をつく。
アンドリューがその隙を逃すはずもなく、彼の両腕はすぐに数発の弾丸に貫かれた。
「————————ッッ!!」
声にならない声をオルビスが上げる。
そんな、痛み悶える彼の前にジュジュが着地し、
「わたしは、大切な友達を殺そうとしたお前を許さない」
黄金の如き輝きを放つ拳で、彼の鳩尾を正確に突いた。
痛みからだろう。彼は口端から汚らしく唾液を撒き散らした。
間髪を入れず、ジュジュが彼の顔に渾身の左ストレートを入れる。鳩尾のダメージが大きかったのか、なんの準備もできていなかったオルビスはそのまま地面に倒れ込む勢いだった。
「今ですッ! レイヴンさんッ!」
ジュジュに呼ばれた騎士が、すかさずオルビスの背後に走り寄る。
「ありがとう、ジュジュちゃん! 君のおかげで近づけた!」
『理の調べ』を纏った右腕を天に突き上げると、魔導具の腕輪は太陽のように輝いた。彼の右手にはいつのまにか、神々しく光る短剣が握られている。
「静まれ————!!」
レイヴンが短剣を突き刺すと、オルビスの体の中からどす黒いもやが噴き出した。もやの勢いに半目を閉じるも、レイヴンは決して短剣から手を離そうとはしない。
噴き出るもやが治まると、土色の髪の男は二本の腕しか持たぬただの人間に戻っていた。そばには、人の口が背中についた奇妙な大蜘蛛——宝神具『絶爪』の宝魔が弱々しく体を痙攣させている。
英雄の一撃を受けたのだ。オルビスの中に渦巻いていた“世界の歪み”は消失し、もう同化できないはずだ。
「やったな! これでコイツを捕らえられる」
おれが安堵し、伏したオルビスへと近づいた時、レイヴンが眉間に皺を寄せてぼそりと呟いた。
「おかしい」
「え?」
立ち止まり、続きを待った。だが彼の言葉を待たずとも、おれは何がおかしいのかをすぐに理解した。倒れているオルビスの体からまた黒いもやが出始めている。まだ微かではあったが、コイツが同化する際に放った、あのどす黒いもやだった。
「なん、で……だよ……?」
「推測だけど、もう手遅れだったんだ」
顔を引きつらせて狼狽えるジュジュに、レイヴンが苦々しげに言った。
「俺の『理の調べ』でももう、コイツの中に巣くう“世界の歪み”は解消しきれなかったんだ。たぶん、同化をし過ぎていたんだろう」
「彼はもう、同化を解除することはできない」と、レイヴンは黒いもやに包まれていくオルビスを見て言った。やるせなさの漂う声音だった。
頭の中でアンドリューの言葉が再生される。
『同化した鬼の内部には“世界の歪み”が発生し、鬼自身を蝕んでいくらしいがな』
“蝕む”とはこういうことか。
一線を越えれば、本当に“人間”に戻れなくなるということか。
鬼は、“人間であることと引き替えに、賢者同等の力を手にしている”ということか。
まるで“呪い”だと思った。ただの自業自得にしては酷い話だ。なんにせよ、知って気持ちのいいものではない。
「…………君たちは、先に村に戻るんだ」
レイヴンの声はどこか冷酷だった。『理の調べ』を再起動してオルビスの“歪み”を抑え込んでいる彼は、こちらに一切顔を向けず、もう一度同じ言葉を口にする。
「村に戻るんだ」
「そいつはどうするんだ?」
「ここから先は我々の仕事だ」
「だから、そいつをどうするつもりなんだよ?」
「同化したままのコイツは、俺が手を緩めれば再び暴れ出すだろう。もしかしたら今度は死者がでるかもしれない。そうさせないためにも……」
光る短剣をオルビスに突き刺す騎士は、ゆっくりと一呼吸おくと、ハッキリと断言した。
「この男はこの場で処刑する」
「————————え?」
声を漏らしたのはロロットだった。
「処刑って……こ、殺すんですか?」
「生かしておくわけにはいかないだろう?」
「でも、だからって命を取るのは……その…………」
彼女は震えていた。賢者見習いといえど、十四歳の少女だ。人の死を決定する場面に立ち会う経験などあるわけがない。狼狽えて当然だ。もちろん、おれにだって誰かを殺した経験などない。直接的にも、間接的にも。
だから、レイヴンの言葉にロロットだけでなく、おれもジュジュもショックを受けていた。呆然としていたかもしれない。いくら島を荒らし、襲ってきた罪人だとしても、という気持ちを心の奥に持っていたのだから。
そんな様子に、アンドリューが小さくため息をついて喋り掛けてきた。
「君たちは随分甘い考えを持って鬼と戦っていたみたいだが、英雄の力を持ってしてもどうにもできなかったんだ。関係ない村の人たちを守るためにも、この男はここで殺すしかない」
「分かったら、早く村に帰るんだ。汚れ仕事をするのも騎士の務めだ。そうだろ、アンドリュー?」
「ああ。君たちは十分“鬼討伐”に協力してくれた。九人目の賢者も無事に確保することができている。同盟の際の約束はもう果たされたと言っていい。だから、君たちが処刑に立ち会う義務は全くないし、それに対して気に病むこともない。ここから先の決定は全て、騎士団によるものだ」
おそらくアンドリューとレイヴンは、おれたちに“殺し”の重荷を背負わせないように仕向けているのだ。直接手を下すわけでなくとも、殺すその場に同席していれば必ず何かしらの重しを負うことになるだろう。それは罪悪感かもしれないし、ショッキングな光景によるトラウマかもしれない。
できればそんなものは背負わないで欲しい。騎士の二人はそう思っているのだろうか。
どんな相手であれ、命を奪うことには罪の意識が芽生える。普通の人間であれば当たり前のことだ。だから、まだ幼い彼女たちにはそんな罪を背負って欲しくない。騎士たちにはそういった思いがあるのかもしれない。
「…………分かった。行こう、ロロット、ジュジュ」
「ひ、ひだり君……」「ひだり……」
ロロットとジュジュが不安げに見つめてくる。
騎士の二人と違って、おれたちには人の命を奪う覚悟なんてものはない。殺し合いの戦いなんてしてきていないし、これからもするつもりがない。ならば、この場に留まっているのは相応しくないのだ。
「行こう」
もう一度言って、おれは村の方へと進み始めた。後ろは振り返らず、ただ歩き続けた。すぐにロロットとジュジュが駆け寄ってきておれの隣に並んだ。
目的だった九人目の賢者は捕まえた。島を荒らし回る鬼との戦いにも勝った。おれたちの仕事は全部上手くいった。大成功と言っていい。それでも、隣を歩く少女二人の顔は浮かなかった。
歩き出してからしばらくしたところで、遠く後方から銃声が響いてきた。驚いた数羽の鳥がバタバタとどこかへ羽ばたいていく音がその後に続いた。
浮かない表情をしているのはきっとおれもだなと、すぐに思い直した。
つづく




