その23
Kは、いつも通りチャーハンを無言で平らげ、そしてスパゲッティ・カルボナーラに取り掛かります。
私は、Kがカルボナーラを食べる様子を見るのが結構好きでした。
Kのフォークさばきは、正確な機械のようなのです。
親指、人差し、中指の三本の指先でフォークを軽くつまみ、そして手首にスナップを効かせてフォークをクルクルと数回転させる。
麺が綺麗に巻き付く。
そのまま口へ運ぶ。
麺はスルッと一口で消える。
その頃には、もう右手は次の麺を巻き始めています。
口の中の麺がなくなる頃には、次の一口が出来上がっている。
この動作を、Kは正確なリズムで、寸分の狂いもなく、無言で繰り返します。
一定量を巻く。
一定の速さで食べる。
そこには迷いも、無駄な動きもありません。
見ていると、まるで精密機械がカルボナーラを食べているようでした。
私は一度、その見事な食べっぷりを褒めたことがあります。
Kは飄々と言いました。
「へ? あったりめぇじゃん。オレ、ドラマーだぜ。忘れちゃったの? Hちゃん」
ですが、この日は違っていました。
私がいつものようにチラチラとKの動きを盗み見していると、突然Kの動きが一瞬止まりました。
「オレ、会社辞めたんだ」
そう言うと、精密機械は再び動き出しました。
え?なん…
私は、出掛かった言葉を飲み込みます。
Kがチャーハンとスパゲッティ・カルボナーラを食べている間は、会話は御法度、という暗黙のルールが出来上がっていたのです。
実にKらしいタイミングでした。
この沈黙が、私に考える時間を与えたのです。
そして、思い当たりました。
…カナちゃんか…
Kはスパゲッティ・カルボナーラを食べ終え、紙ナプキンで口の周りを拭います。
そして生ビールを一口ごくりと飲み、大きく息を吐くと、ショートピースに火を付けました。
「あの娘さ、ある日髪をショートにしてきてさ、『似合う?』って聞いてきたんだよ」
私は思いました。
K劇場の幕が開いた――
「オレ、『似合うよ、可愛い』って言って、あの娘の頭を撫で撫でしたんだよ。そしたらあの娘、泣き出してさ」
「オレ、『なんかあったの?』って聞いたら、言ったんだよ。『オレのことが好きで、どうしていいかわからない』って」
「あの娘、人妻だしさ、社内でオレとの噂も立っていたから、辛くなったんだよな」
"人妻だしさ"って、あんたそりゃ最初から…
「それで、もう会社を辞めるしかない、そう思った」
「オレもあの娘のこと大好きだからさ、これ以上あの娘が苦しむ姿を見たくなくなっちゃったんだよ」
「ある意味、オレのせいでもあるしな、オレがいなくなるのが一番いい」
Kは天井を仰いで、ショートピースの煙を吐き出します。
「それでさ、次の日、辞表を出して会社辞めた。その日以来、もう行ってない」
Kは、私が聞きたかったことを、先回りするように次々と話していきました。
ただ、一点を除いて――
私は、閉ざしていた口を開きます。
「あのさ…」
「やってねぇよ、オレたち」
即答でした。
それから私たちの会話はいつものペースに戻るのです。
終わったことをダラダラ引きずらない、Kはそういう男です。
そして、この時の私はまだ知りませんでした。
数週間後に、K劇場の次の幕が開くことを――




